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信玄公「法を神聖視すべきではない」 偉大なる生存の報告 Part263


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001 2020/07/08(水) 20:57:44 ID:qaa/gFxtf2
「甲斐武田家家臣、板垣信形の被官に
曲淵吉景という者がおり、信玄公にも聞こえるほどの数限りない
武勲によって、草履取りから足軽大将まで出世した。この男、身体中に
20以上の戦傷を帯びた剛の者ではあったが、そのぶん大変な粗忽者でもあり、
あまりの協調性のなさで仲間内でのイザコザも絶えなかった。

曲淵が四十過ぎで訴訟に負けた時、法廷で暴言を吐く事件があった。
『こちらが勝つには賄賂が足りなかったと見える。今度はうまい柿を持ってこよう』
これを聞いた裁判官格の譜代家臣は腹を立てて、4人中の1人が咎めたが、
曲淵はさらに息巻いて『ならば侍らしく刀で決着を付けようぞ」と、
刀を抜く構えを見せながらその場を去って行った。

家臣たちは、さすがにこのままで済ますわけにはいくまいと思い、
信玄公に曲淵への処罰か、もしくは自分たちの罷免を申し出た。信玄公は、
『あやつは粗暴で犬猫のように本能的な奴だが、大変な武勲者でもある。
些細なことで罰したのでは兵士たちの士気を下げることになるし、
近頃は仏門に帰依して穏健さも養っているようだから赦してやってくれ』
と述べ、曲淵と家臣の両方を不問に処したという。

その後、曲淵のような不平をいう者を予防するために、
法廷における監察制度(横奉行)を充実させ、武勲もないくせに似たような
暴言を働いた者を罰したことにより、法秩序は守られることとなった」
(「甲陽軍鑑」第四十七品 公事の巻上)

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182 2020/08/27(木) 00:21:04 ID:NhsowoMOQk
あれ、笠地蔵っち文章上手くなったんじゃね?
相変わらず長いけど、前よりよくなった気がする。実体験があんまない労働や情愛を論じるよりも、歴史から見た現代の失敗みたいな話をする方が向いてるのかもね。

前者はどこまで行っても、就職・恋愛が絶望的な文系修士の不平止まりだろうけど、歴史は部外者が雲の上からものを言っても大丈夫なせいかな?

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183 2020/08/27(木) 10:47:02 ID:X5QcZydJFg
歴史は、俺自身がその延長線上に乗っかっている当事者の代表格だから、
話の内容に説得力が備わる面もあるだろう。

今が腐れ果てたゴミのような時代だからこそ、俺みたいな、
先祖ぐるみでその汚穢と真っ向から対峙し続けている手合いこそが、
天皇家や将軍家以上に現場監督としての責任を帯びているからな。
だからといって賞賛されるに値するとまでは未だ言えない段階だが。

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184 2020/08/27(木) 11:52:59 ID:X5QcZydJFg
歴史の積み重ねの重みと比べれば、
惚れた腫れただの金儲けだのは風の前の塵にも等しい。

鉄球とガラス細工を打ち付け合えば必ずガラス細工のほうが粉砕するように、
両者の力関係は絶対的なのだから、ただひたすら重厚で強大な歴史的問題のほうに
真摯でさえいれば、金や女ぐらいは必要に応じていくらでも後から付いてくる。

「徳は孤ならず、必ず隣りあり」(里仁第四・二五)
未だ協賛者に恵まれないというのなら、ただ自らの徳力不足ゆえに他ならぬ。
この世の汚穢の責任とはまた別にある、自らに相応な責任の遍在をも知るべし。

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185 2020/08/27(木) 12:22:23 ID:X5QcZydJFg
どれもそんなに大したデザインだとは思わないが、
この中からあえてE案を選ぶというのは、
少なくとも正義本位な英雄の心の持ち主の所業ではないな。

選者や、これに絡む利権の関係者たちの心の不具さがよく現れている。

日本の伝統的な家紋とかも別に格好いいものばかりではなく、
千鳥や兎みたいに可愛らしさを加味したものが幾らかあるが、
あれもただふざけてたり扇情的だったりするのではなく、
家格を表すためのセンスの良さを帯びているものだと知れる。

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186 2020/08/27(木) 12:49:02 ID:X5QcZydJFg
格好悪い・オドロオドロしいも、妖怪あたりなら別に構わない。

ただ、妖怪は人間ではないから妖怪なのだ。
人間が踏み入ってはならない異界の住民として扱えばこそ、
人々に注意喚起を促す啓蒙の記号としても善用されるもの。

それを、なんらの恐怖や敬遠の意識を持ち合わせることもなく、
自分たちとごく近しいものとしてまで扱ってしまったのでは、
逆に人々を危難へと必要もなく陥らせる患いと化してしまう。

妖怪的な人でなし感とはまた別個のものとしてある真人間の健全さや、
さらにその上を行く神仏への敬いや、超人への志しがあってこそ、
人間たるもの、上下への見通しがよく利いた賢良たるものだ。

妖怪的な異形と自分たち人間の間に一線を引こうともしない
分別のなさは必ずや、伝説などにも良くあるような祟りを招くだろう。
妖怪などが実在せずとも、自分たち自身の愚昧さこそが自明な禍となり。

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187 2020/08/27(木) 13:30:05 ID:X5QcZydJFg
わりとネット上などでは「キモかわいい」扱いで
人気を博しているのも一通り見た上での寸評である。

今のほとんどの日本人には、英雄の心なんてこれっぽっちもないから、
見るからに作りが雑だった佐野の東京五輪ロゴなどと比べれば、
まだ受け入れられようがあるというのも分からなくはない。

俺の意見はあくまで、現状の日本社会から脱却して行こうとする志しや、
自分自身の自己向上への飽くなき志しを抱き続ける者としての考えだから、
今の世人から必ずしも支持されるようなことはあるまい。

このままコロナ禍が世の中の持続不能さを急激に推し進めて行くようなら、
支持する人間も増えるかもしれないが、それも困った時のなんとやらでな。
心の底からの支持であるのかどうかは、こちらが警戒せねばなるまい。

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188 2020/08/29(土) 00:40:18 ID:mEV4TMihC.
>>184
スーパーポジティブ地蔵よ、選ばなきゃ男は誰でもいるように、お互いが選びさえしなきゃ相手はいるんだぞ。

自分はハシカンがどうのと言う面食い野郎でいながら、相手方にはワガママを許さないなど不平等極まりない。それでいて仏道だ歴史だと有難い話をすると見せかけて、延々と批判まじりの不満をグダグダ書き連ねるなんて、全くもって女々しいじゃないか。

非モテでも選り好みせず気が合う相手を見つけ、周りの価値観など気にせずハッピーになる人もいるだろうに、「こういう相手がいい!でもモテない → これは世の中が悪い」という思考回路でいたのは、どこの誰かな?まあ気持ちは分からなくもないが、自称・元皇族だからってちとワガママが過ぎるぜ。

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189 2020/08/29(土) 09:47:10 ID:SZDGiMHXAc
あくまで情事だの金儲けだのの、
自分自身の個人的な栄華ばかりを本位にものを考えようとする女々しさよ。

おまえ自身がそういう人種だから、俺があくまで社会正義を本位とした
批判的意見を述べているのであっても、個人的な不満を吐露しているようにしか見えない。

たとえば、この図に即して現状の世の中における人間評価を批判した時にも、
不当に高い評価を得ている(4)のADHD系を人として未熟な境地に過ぎないと断じた代わりに、
俺自身の現状であると自認している(2)のアスペルガー系もまた同様な至らなさにあると断じていた。

「俺がモテないのはおかしい」なんてことは一言もいってはいない。
俺には俺なりにモテなくてもしょうがない理由があるとした上で、
今の世の中のモテる基準もまたおかしいと言っていた。
社会の歪みへの批判ではあるが、自分個人の不満の吐露とは別物だった実例だ。

自分自身にも未だ至らぬ面が数多あり、その克服のために血の滲むような苦労をも積み重ねて
行かねばならないのだから、その相手となる女がいたとしても、相当な苦労をかけるぐらいで平等ってもんだ。
どうせそんな苦労には耐えられないだろうから、付き合いなどこちらから絶ってやってることこそは寛恕なるかな。

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190 2020/08/29(土) 12:38:14 ID:SZDGiMHXAc
俺が面食い的なことを言ってたのも、
今の女の内面になんて一切、何も期待していないからに他ならない。

http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1598410954...
「女は男遊びを重ねれば重ねるほどキャリアアップできる」なんていう、
世界のどこに行っても通用しないような狂気に駆られているようじゃあ、
俺どころか、最低限の正気を保っている程度の男の要求すら満たさない。

政官財のトップから責任のなすり付け合いが常態と化している今の世を正すために、
必要とあらば引責自殺も辞さないほどの覚悟を持って役儀を果たそうとする男にとってこそ、
夫のためとあらば喉を突くことも辞さない妻が相応しいのであり、俺が言っていたような
理想の女像もまた、そのような男の側の覚悟を大前提としたものなわけだが、
どうせ今の女に務まるはずもないものだと計り知っていればこそ、
この手の要求を全く棚に上げた話をもしていたわけでな。

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191 2020/08/29(土) 13:54:08 ID:SZDGiMHXAc
俺の今までの人生は、
自分自身の個人的な栄華を謳歌することにかけてはゴミクズ同然だったが、
世のため人のため自分のための序列を守った修道にかけては、最善を尽くして来たと断言できる。

前者がゴミクズであることは、ちょうど今の世の中が全体的に、
ゴミクズ同然の汚穢にまみれていることと連動しているから、
この世を支える大黒柱にならんと志す者としてみれば、全くもって可なことである。

後者にかけて最善を尽くして来たことについては、
未だ力至らぬが故の挫折に見舞われる可能性は否定できないものの、
あくまで公益を私益よりも優先しようとして来た方向性自体が否定されて、
今以上の制裁的な苦果を強いられたりする筋合いだけはない。

これからも、処遇がどんな形に転ぶのであれ、この方向性自体を変える気はない。
それこそが、俺にとって最も後悔のない生き方ともなるのだから。

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192 2020/08/29(土) 18:27:33 ID:SZDGiMHXAc
たとえば、

「公職者は、賄賂での籠絡を試みる者に遭遇した場合、即刻相手を殺害する義務を負う」
「義務を果たさなかった公職者には、引責自殺もしくは処刑を科す」

といった、武家時代にも「無礼討ち」や「士道不覚悟」のような形で
敷かれていた法度を、今の時代に復活させるとする。

公職者たる夫の妻になる女もまた、夫の足を引っ張らないためには、
賄賂なり間男なりに篭絡されようものなら自らも死んで償う覚悟が必要となる。

ただ、この事例一つだけを取ってみても、
「夫のために死ねる妻」というものが必要不可欠なものであることがわかる。
別に、俺個人の私的な欲求などとも関係なく、な。

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193 2020/08/29(土) 19:00:53 ID:SZDGiMHXAc
もちろん、実際に殺したり死んだりすることではなく、予防して行くことが本位だ。

「当たらなければどうということはない」ならぬ、
「犯さなければどうということはない」で、実際に、
江戸期における無礼討ちや切腹の頻度もごく僅かだったわけだが。

それだけ清廉な世相を250年以上にわたって守り続けて来た日本人といえども、
いざ制度のタガが外れた途端、賄賂も天下りもやるに任せるザマに成り果てた。

人間の本性がたとえ善であろうとも、悪に流されやすい弱さもまた帯びているからには、
その流れを塞き止めるための堤と、その堤を守ろうとする有志の務めもまた欠かせはせぬ。

その有志たることの覚悟は、やはり深重なものでなければならぬ。
その重苦しさに付いていける者だけが君子の男たり、君子の妻たり得る女となる。

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194 2020/08/30(日) 16:33:36 ID:NZxNQbcdBA
> 今の世の中のモテる基準もまたおかしい
そんなのは、いい年になれば誰だって分かる


ずいぶんとまぁ自分を美化するね。童貞を誇るなんて言葉は、誇らざるを得ない引け目を感じている証拠。
欲求自体の欠如したアセクシャルの人間なら、わざわざ経験の無さを誇ったりはしない。誇るとすれば、「それは病気だ」「おかしい」などとネガティブな事を言われ、それが気になってる時だけだろう。
全く意に介さないのならそのような話題に度々言及したりしないし、多少なりとも気にしているのであれば、「性交渉の有無はともかく、思春期に愛し愛される経験をしとかないと、その後の人格形成にいくらか影響するのかもな」とでも書けば、恥を晒せるだけの器の大きさを示せただろうに。


> 「俺がモテないのはおかしい」なんてことは一言もいってはいない。

私も、そんなコト書いてない(笑)
ただ、自分をあまりよく評価してくれない世間への不平不満が透けて見える中で、非モテはその要素の一つに過ぎん。受容や包摂と、それへの反応の話しかしとらん。
もうちょい世の中に受け入れられていたら、或いは馬鹿にされまくっていても意に介さないだけの度量があれば、自ずとそれらは文意にも表れるというもの。

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195 2020/08/30(日) 18:58:29 ID:N0RUg5yzVU
当然のことながら、カルトの棄教ぐらいは大前提中の大前提ぞ

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196 2020/08/30(日) 19:32:19 ID:N0RUg5yzVU
「自分自身の不満をぶつける意図などはない」と言ってるのに、
「見え透いてる」と食い下がるんだから、もはやネ卜ウヨの国籍透視とかの域だな。

裏の意図を勘ぐろうとする意欲が旺盛なわりには、
俺が面白いからここにいて、面白いと思ったことだから書いているという本音までは汲み取れないんだな。
でなければこんな、旧態依然としたBBSに居座り続ける意味もないという、
見え透いた根拠までもが提示され続けているというのに。

まあでも、それぐらいが常人の理解力の限界かな?
世の中、もっとひどい馬鹿もいくらでもいるんだから、特別ひどい方だとも思わんよ。うぬうぬ

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197 2020/08/30(日) 19:49:04 ID:N0RUg5yzVU
わかった。
俺はアセクシャル寄りのヘテロだが、
おまえはアセクシャルでもヘテロでもない。

性愛大好きの裏返しとしての性愛嫌悪、性愛アレルギーだ。
英訳するなら「アンチセクシャル」。

好きの正反対としての「無関心」、
惚れた腫れたもLGBTも、根本的なところで
「どうでもいい」と思える諦観からは、むしろ程遠い。

あるいは、いま英語圏で「アセクシャル」と呼ばれているものが、
アンチセクシャルと同義なのかもしれないが、
その場合には俺のほうがアセクシャルではないな。

アンチセクシャルだから、性的な問題について語るのも汚らわしいと。
それすらどうでもいいという感覚はもはやわからないんだ。

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198 2020/08/30(日) 21:27:07 ID:hVCiAMWAxg
色んな思想の人間が集まっての社会それを認めた上で結果を出せればお前は正しいんだろうな。

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199 2020/08/30(日) 21:38:07 ID:N0RUg5yzVU
アレルギーは思想のうちか?

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200 2020/08/30(日) 22:01:48 ID:N0RUg5yzVU
「先生、アレルギーは思想に入りますか?」

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201 2020/08/30(日) 23:28:05 ID:JoOvdLR7Cg
アレルギーは生理機能

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203 2020/08/31(月) 08:51:43 ID:P.P7l8l.rA
セロトニンやオキシトシンの欠乏を原因とする精神的なアレルギーこそは、
身体的なアレルギーの最大級の原因ともなるに違いなく。

心のうちにアレルギー的な拒絶意識を抱えた人間が、
自らも身体的なアレルギーを患いやすいのはもちろんのこと、
自分自身の子供や周囲の人間にまでセロトニンやオキシトシンの欠乏を
遺伝や伝播させて、アレルギーを患わせるようなことにもなりかねない。

俺は、そういう人間自身が精神面からのアレルギーの脱却に取り組むべきだと思うし、
アレルギーを正当化して擁護するような思想もカルト認定すべきだと思う。
それに異を唱えるような人間が、少なくとも子供を持つべきではないとも思う。

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204 2020/08/31(月) 09:09:04 ID:P.P7l8l.rA
近ごろ、近隣の喫茶店がコロナ自粛のせいで休業に追い込まれたんだが、
そしたらその店に巣食ってたゴキャブリャが難民化しだしてな。

元々、清潔にしてたからGなんてちっとも出なかったうちにも出だした。
仕方ないんでホイホイさんを設置したら、捕れること獲れること。

一ヶ月強の間に10個設置して、今日の現時点で通算43匹とれた。

デッカい成虫から、ちっさい幼虫から、その中間まで選り取り見取り。
引っかかってもしばらくは生きてもがいてるが、数日内に死ぬ。
死んでるのはもう動かないのと、もれなく大量のフンを漏らしてるのでわかる。
さらにしばらくすると死体がカビ始めるので、そうなるとさすがにホイホイさんごと棄てる。

この死体や糞がハウスダストになるから、コンバットみたいな巣で殺すタイプよりも
捕獲するホイホイさんのほうが絶対に清潔面で有利なわけだが、忌まわしきGを
見てしまうことになるのが嫌で、あまり使いたがらない人間も多いようだ。

Gが嫌いなぐらいは誰でもそうだし、俺だって好きじゃないが、だからといって
ホイホイさんで駆除する気にもなれないほどの拒絶意識を催してたんじゃあ、
かえって家の隅々をGの死体や糞で汚すようなことになる。むしろ何匹捕れたかを
逐一確認して数えるぐらいの心がけがあればこそ、家もより清潔たるわけだ。

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205 2020/08/31(月) 10:05:46 ID:P.P7l8l.rA
前も言ってたが、自分の糞観察もなるべく続けてる。
糞もGも毛虫もナメクジも断じて好きではないし、
好きとなるとまた逆に、悪趣味ゆえの心の病をも患いかねないわけだが、
(クレしんの作者など、ギャグ漫画家にもこの手の患者が多いようである)
自らの生活や人生のより一層の向上のために、必要とあらばよく見る。
これが「君子は見るには明を思う(季氏第十六・一〇)」に通ずるあり方でもあると信じている。

武家時代にも「首実検」といって、戦で討ち取った相手の首をよく見て勝利の完遂を確認する風習があったし、
剣術においても敵を斬りっぱなしで済ませるのではなく、深手を負わせた相手が事切れるまで
よく見据え続ける目付けの心がけが必要とされている。いずれもスプラッタの極みであり、
好き好むのはグロ趣味として古今を問わず憚られるわけだが、それでも必要だから講じられていた。

醜怪な汚穢を断じて好き好んだりはしないが、必要に応じてよく見るぐらいのことは心がける。
そこで必要となるのが、精神的な拒絶意識にも悪趣味にも囚われたりしない心の強さである。
それを獲得できた時にはきっと、あらゆるアレルギーをも克服できているに違いなく。

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206 2020/08/31(月) 10:45:00 ID:P.P7l8l.rA
今のアメリカにおける異人種間の対立も、
警察官の暴行や中華スパイの煽動なみかそれ以上に、
他人種への精神的な拒絶意識の過剰さが、その根本原因となっているように思われる。

外見も人間的素養も全く異なるような相手に違和感を抱くのは当たり前のことであり、
それは異人種間どころか、同人種の男女や老若の間ですら抱き得るもの。

その違和感を全否定して、無防備な融和を促したりするのも非現実的に過ぎる。

違和感自体は最後まで持ち合わせたままでも構わないが、
それが精神的なアレルギーと呼べるほどの盲目的な拒絶意識となることだけは避けるべき。

ナメクジが怖くないからといって、蛮勇でベタベタ触ったり食べたりすれば
寄生虫にやられて最悪死ぬのだから、嫌悪を抱くほうがむしろ健全なことである。

この世には、健全な嫌悪だとか拒絶意識だとかもそれなりに実在する一方で、
それが過剰になり過ぎて自他を蝕むような事態だけは、その内にも入らない。

精神的アレルギーからの脱却のために有効となる手段として、上に書いたような
Gや糞便のごとき汚穢への必要に応じた直視というのも挙げられるわけだが、
他に何かいい方法が見つけられたようなら、それを講じるのでも構わない。

ただ、国家ぐるみで精神的アレルギーに囚われてしまってるような連中にまず必要なのは、
精神的アレルギーを正当化して擁護するような思想信条からの脱却であろうと思われるがな。

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207 2020/08/31(月) 12:41:54 ID:P.P7l8l.rA
1つには、「ヤンキー」としての吹き溜まり意識が、
アメリカ人の精神的アレルギーを増長させる原因になって来たようである。

ヤンキーというと、戦後の日本では「不良の若者」を指す言葉としても用いられるようになったが、
実際、その意味でいうヤンキーと、アメリカ人のヤンキーが、性向については大変似通っている。

日本人なら、国内の不良を想起してみたほうがわかりやすいが、とにかく仲間意識が強い。
同胞と見定めた相手は大変手厚くもてなす一方で、それとは表裏一体を成すかのように、
外部の人間への敵対意識は大変強く、時には暴行からの殺傷も辞さない。

アメリカのヤンキーも基本的にはこれと同じだが、違う点ももちろんある。
日本人がヤンキーでいることを許されるのは基本的に若いうちだけで、
年を取れば半グレ、ヤクザとアウトローとしての格を上げて、公安の監視対象ともなる。

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208 2020/08/31(月) 12:44:53 ID:P.P7l8l.rA
アメリカのヤンキーはそれに反し、死ぬまで反社会的存在としての咎めを受けない。
だからアメリカにはシチリアンマフィアみたいな「旧世界由来」のマフィアはいても、
アメリカ由来のマフィアはというものはおらず、せいぜい犯罪性のより高い派閥が
部分的にギャング扱いされるのみである。(自分たちから好んで自称したりもする)

人間が、ヤンキー的な吹き溜まり意識を持って生きることを一切咎めないというのが、
アメリカの自由である。国土が広くて人口密度が低いから通用して来たことだが、
よそ者への敵対意識をとめどなく増長させ続けてきたことが、人々の精神的アレルギー
をも重篤化させて、いま人種間対立などの形で致命的な問題を呈するに至っている。

自由の弊害というよりは、おかしなものを自由扱いした因果というべきだな。

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209 2020/08/31(月) 13:00:15 ID:P.P7l8l.rA
精神的アレルギーを患った人間が、患ってない人間の傍らで平気でなどはいられない。

健常な側が患ってる側に気を遣ってやったりすればまだなんとかなるだろうが、
それでも全くストレスにならないなんてことはないだろうし、
俺みたいにそもそも一切気を遣ってやるつもりもない人間もいる。

女が先天的にストレスに弱い人間であることに気遣ってやるぐらいのつもりはあるが、
別に女が必ずしも精神的アレルギーの持ち主ではないのだから、また別問題だ。

精神的アレルギーを擁護するような思想信条も、わざわざ棄教を促したりするまでもなく、
俺の傍らで保っておくようなことはできまい。ことあるごとに虫酸が走るような
ことばかり言ったりやったりするから、嫌でも棄てないといけなくなる。

まあ、そんな仕打ちに逢う以前に、俺には近づこうともするまい。
俺が拒んでいるのではなく、あくまでおまえのほうが拒んでいるのである。

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210 2020/08/31(月) 14:18:37 ID:P.P7l8l.rA
俺が知っている行法の中で、
精神的アレルギーを取り除く効果が最も高いのは、座禅だ。

武芸や近代ヨガも、体の歪みによって慢性化した身体的アレルギーを治療する
効果については時に座禅以上の効果を発揮するが、その身体的アレルギーを患う
発端の原因ともなる、精神的アレルギーを直接的に治療する効果では、座禅に及ばない。

その座禅を本業とする禅宗が考案したのが、本来の意味の「自由」である。
(出典は「臨済録」など)

精神的アレルギーへの囚われから解放されることこそは、真の自由なのである。

「仲間内での友愛を育む自由」という意味合いを持つ、
英語のfreedomの訳語としての「自由」は、よそ者への敵対意識の増長によって
精神的アレルギーを増悪させかねないものであるが故に、これに反する。

そもそもfreedomやlibertyを「自由」と訳すこと自体が誤りなのだろうが。
日本語で自由と呼んでいるもののうちの、アメリカ的な自由ではなく、
禅語としての自由に与ろうとすることが、精神的アレルギーから解放される決め手となる。

freedomやlibertyは、そもそも「放辟邪侈」とでも訳したほうがよかったのかも知れぬ。

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211 2020/08/31(月) 14:46:05 ID:P.P7l8l.rA
日本語の本来の意味の「自由」と、freedomやlibertyの訳語としての「自由」が
全くの別物であることは、これまでにも何度も述べてきたが。
両者が根本的に相容れないものである根拠を示したのは、これが初めてかな?

それもこれも、重度の精神的アレルギー持ちであるらしい、どこぞやの誰かの言及を分析材料にできたおかげだ。

そのアレルギーを治さない、治す気もないというのなら、一生関わり合いになることも
ないだろうが、人生は一期一会、こんな出会いと別れもまた時にあるものだろうさ。
人類70億人のうちの、99.99%以上は一生、言葉も交わさない赤の他人のままで終わるのだし。

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212 2020/08/31(月) 20:05:20 ID:P.P7l8l.rA
ヤンキーなどに特有の、精神的なアレルギーを伴った吹き溜まり意識を、
国ぐるみで大々的に許容しようとしたのは、おそらくアメリカが世界初だろう。

世界のほとんどでは、ヤンキー的な精神の未熟さを大人になっても持ち越したままでいる人間を
ヤクザやマフィアのようなアウトローに追い込んで来た。日本ではヤクザに身を堕すような
輩に対しては、親分によって「社会のつまはじき者」としての格下意識を徹底的に植え付ける
伝統があったし、西洋のマフィアなども「アンタッチャブル」扱いとなるのが基本だった。

ヤンキーが村八分的な扱いを受けることもなく社会的な市民権を獲得し、
国権に携わることをも大々的に承認したのが、アメリカの自由主義であった。

その思想信条面における拠り所となったのはやはり、
「隣人を愛せよ(マタイ22:39)」とか「子供のように神の国を受け入れよ(マルコ10:13-16)」
とかいった、イスラエル聖書のドグマであるに違いなく。

「汝の敵を愛せよ(マルコ5:43-48)」などは、一見外界への敵対意識からの精神アレルギーを
控える教条のように思われるかも知れないが、所詮、愛と嫌悪は表裏一体のものであるが故に、
精神的なアレルギーを増長すれど、抑制する教えなどにはならなかった。

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213 2020/09/01(火) 12:17:30 ID:fPelZTquH2
重ねて言うけども、「物事を嫌う」ということは実際、必要なことだし、
汚穢にまみれた濁世であればなおのこと欠かすことができないものだ。

「不善を見れば熱湯に触れた時のように即座に離れよ」(季氏第十六:一一)
などはまさに、この世の悪への峻烈なる嫌悪を促す教えであるといえるが。

じゃあ、悪への嫌悪にかけてはアレルギー反応的でもあるべきなのかというと、そうとも言えない。

たとえば、賄賂や天下り先を掴まされることは、個人的には大変甘美なことだから、
個人的な嗜好で忌み嫌うのは大変難しい。ただ、仁徳意識や武勇の心がけが旺盛であれば、
その心意気によって便宜的に忌み嫌うということが可能になる、といことはある。

それはちょうど、燃料投入をし続けなければ即座に反応が止まる核融合炉のようなものだから、
核分裂反応的な暴走に見舞われることはない。つまり、アレルギー反応的な暴走も伴わないのである。

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214 2020/09/01(火) 12:30:43 ID:fPelZTquH2
たとえば、なんらかの自己催眠的な術理によって、
アレルギー反応的な暴走を伴った嫌悪を善用しようとしたとする。

賄賂や天下りの斡旋こそを、そのような嫌悪によって避けることもできなくはないだろうが。
普遍的な善悪ではなく自己催眠によって成り立っていることだから、独善性を帯びてしまうし、
仁徳や武勇の心がけによって忌み嫌う場合と比べれば、融通が利かないようなことにもなる。

>>192に書いたような汚職防止の取り組みを、法治主義だとかカルト信仰だとかによって
行おうとすれば、そのような弊害を来たしてしまうことが免れられない。だから、
法治主義となった近代以降の日本で、ここまで峻厳な取り組みが講じられることもなくなった。

アレルギー反応的な暴走までは伴わないが、熱湯に触れてしまった時の拒否反応程度の
拒絶意識を持って不善を嫌悪するということは、やはり精神的アレルギーを抱えているような
人間に務まることではない。好きも嫌いも喜怒哀楽も、よく自制できる人間こそが可能とする所である。

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215 2020/09/01(火) 13:14:22 ID:fPelZTquH2
熱湯に触れたら火傷するんだから、
反射神経で即座に手を離そうとするのも当たり前なことだ。

それぐらい拒絶するのが自明の理であることに限って、嫌うんだ。

個人的な好き嫌いなどとは無関係に、誰でも嫌うべきというほかない事物。
そういうものだけを嫌うとした場合、独りよがりな嫌悪は控えねばならなくなるから、
それこそを原因とする精神的なアレルギーもまた立ち消えることとなる。

必要なのは、好悪を正す分別と、独りよがりな好悪を控える神妙さ。

今のBLM賛同派などもそうだが、「憎悪に打ち勝つために愛し合いなさい」「love trumps hate」
などという主張をしたがる者が今の世には多い。これもまた独善のうちであり、
独りよがりな憎悪を抑制したければ、好き嫌いの感情全体を制御しなければならない。

「愛してその悪を知り、憎んでその善を知る」(礼記・曲礼)
という心の備えを常に保ち続けること。必ずしも愛するものが悪だとも、憎んでいるものが善だとも
限らないが、時にはそういうこともあり得ると見込んで、君子豹変の用意を欠かさぬように。

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216 2020/09/01(火) 15:01:08 ID:fPelZTquH2
グロ画像やグロ映像を、あえて好き好んで見たがるような悪趣味さと、
徹底的に拒絶して一切見まいとする感情的な嫌悪も、
いずれもがアレルギー的な「心の炎症」を帯びている点では共通する。

俺も中二ごろには、肝試し感覚で死体や奇形の画像が載ってる本や雑誌を
覗いたりもしたもんだが、今ではあえて好き好んで見ようとは思わない。
ただ、東日本大震災や京アニ放火事件などの実情を知るために、
当時の遺体の映像だとか、同じような被害をもたらした津波やガソリン火災の映像も調べて見た。
(東日本ではほとんど出回らなかった津波の溺死者なども、スマトラ沖などで見た)

武家時代の首実検等にまで遡らずとも、今でも葬式では故人の遺体を見て死を確認する。
昔は遠路はるばるやって来る弔問者のために、遺体が腐乱するまで安置を続けたともいう。
確かにそれは忌まわしき風習であり、できることならなくて済ませたいことでもあるが、
諸行無常の理も確かなものであるが故、必ずしも避けて通るべきことだとも言えない。

そのような必要に応じて、時に人の死とも面と向かわねばならないことがある。
その時に、不埒に好き好むようなことも、完全に心を閉ざしてしまうようなこともなく、
しみじみと哀悼の意を捧げられる者こそが、心の炎症からも脱却できた、真心の持ち主だといえる。

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217 2020/09/02(水) 10:17:03 ID:ks9Do09NGU
「好きの反対は嫌いではなく無関心」という発言で
マザーテレサは「無関心」という言葉を、貧困国の惨状や慈善行為に
目を向けない人々の冷酷を批判する意味で用いたわけだが。

むしろ、人間たるもの一旦ぐらいは、あらゆる好き嫌いから解き放たれた、
万事万物への完全なる無関心、無念無想の境地に至るべきである。

大乗仏教的な観点からすれば、そのような悟りの境地に至ったとしても、
命ある人間として産まれたなりの因業に基づく菩提心がまた生ずるとされる。

その菩提心に基づく好悪こそは、倫理的な善悪正邪に対しても妥当なものとなるし、
不埒な心の炎症を帯びた、アレルギー的な好き嫌いとして暴走することもない。
それでいてなおかつ義務的なわけでもない、心の底からの本望な好悪たる。

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218 2020/09/02(水) 12:28:18 ID:ks9Do09NGU
心の炎症を伴うアレルギー的な好悪こそは、典型的な「煩悩」の一種でもあるに違いなく。

そのような煩悩から脱却するための手段の一つが仏道修行なわけだが、少なくとも
仏道に限っていえば、煩悩からの脱却のために必要なのが「精力の破棄」だなんてことは、断じてない。

「華厳経」や「正法眼蔵」にもあるとおり、自力作善の仏門においては去勢は厳禁。
仏法の流布は宦官制度の廃止を実現するとも確約している。

ただ、その精力の旺盛さを色事ではなく、精進修行の気概に落とし込むことを本義とする。
それは、修行が満了して悟りを得る成道以前だろうが以後だろうが変わらないことだから、
必要とあらばその精力を性欲に回帰させることもまた、いつでも可能である。

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219 2020/09/02(水) 12:30:59 ID:ks9Do09NGU
とはいえ、他力本願の浄土門でもない仏道修行者が、正式な還俗の手続きも踏まないうちから
性欲に駆られて色恋沙汰に溺れてしまうようならば、それは精力の精進修行への落とし込みが
足りていなかったということだから、戒律違反を破門級の罪として咎めるにも値するものである。

別に仏道修行に限らずとも、精魂込めて何かに打ち込んでいれば、色恋沙汰なんかどうでも
よくなることぐらいいくらでもあるわけで、それを最上級に純化させたのが仏道であるのみ。

一人の人間が一生涯をかけてもやり尽くせないぐらいの修行材料が現存しているのだから、
必要もなく道草を食う言い訳なども決して立たない。だから色情を非とするということはあるが、
人間的に枯れたりすることとはむしろ相いれないものと知るべき。

(キリスト教などは、そもそも全精力を振り向けるに値するだけの体系的な精進修行の材料が
ないから神父や牧師の性犯罪が後を絶たないが、仏道の場合はこれとは全くの別問題なわけである)

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220 2020/09/02(水) 14:33:16 ID:ks9Do09NGU
終身にわたる只管打坐こそが禅門の勤めであるとする曹洞宗の教えなども、
まさに生涯にわたる全精力をかけた精進修行への取り組みを促すものである。

鎌倉時代に、元寇の災難に見舞われた幕府執権の北条時宗が、
禅僧の無学祖元に助言を乞うたとき、無学は「驀直進前し回顧あるなかれ」と答えた。
「後ろを向かずにまっすぐ進め」という意味だが、この教えに沿って鎌倉武士たちは、
蒙古軍を撃退する“防衛戦”に専念して、見事その務めを果たした。

この戦いを教訓とした造り込みにより、五郎入道正宗も最高峰の日本刀を完成させたが、
刀も弓矢や槍薙刀、銃砲や盾鎧と比べて「攻守一体」の均整がとれた武器である点に長じている。

元寇撃退の武勇伝にあやかろうとして、旧日本軍は後ろを見ない進軍ばかりに固執し、
戦線を広げすぎて補給をないがしろにし、兵士を飢えさせて敗亡を来たすにいたった。

つまり「驀直進前」は進取ではなく、守成を果たすための教えとしてこそ有効なものだった。

そもそもこれは禅語であるため、座禅による仏道修行の理念であるのが本義である。
全精力を精進修行に注ぎ込んで、よそ見することなく邁進し続けよという教え。
少なくとも仏道にはそのための準備があるのだから、至らないようなことがあるとしても、
それは個々の求道者たち自身の心がけが足りていないだけのことである。

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221 2020/09/02(水) 22:23:49 ID:AFnUoFD09I
全く話が噛み合ってねぇ!ヨガで鍛えた神通力や第六感で、コミュ障みたいなものは治らないのかね?

建前(?)というか設定にケチをつけて申し訳ないが、周りに受け入れられてる感覚を持った人間なら、志を高く持つことはあれ、極論やカルト思想に走ったりせん。
難病をきっかけに、真理に目覚めたのは大いに結構!ただ、背景にある原体験の人間臭さがすっきり落とされ、あたかも自分はずっと清廉であったとばかり、自身の業の深さを世間や他人に擦りつけるのはズルいよねぇ。

傷つかなくて済むからその方が楽だろうけど、何回も話題に上げるのは、それが気になって仕方ないと言っているのとほぼ同義。

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222 2020/09/03(木) 10:27:02 ID:oyG/RNxZIk
誤解を踏まえて、あえて噛み合わせないようにしてるんだから、そう見えるのも当然のことだろう?

自分の責任、他人の責任、世間の責任、全て別個にある上に、
それぞれを然るべき立場の人間が負うのでなければ、>>180の(3)によって治世が招かれることもない。

俺はあくまでそれを目指していて、世間が責任のなすり付け合いに終始しているのとも無関係に、
自分自身の身の丈に合った責任を負おうともしているわけだが、なぜか全ての責任を世間に負わせよう
などとしているように誤解する。それは、おまえ自身が責任の所在にかけての分別を十分に
持ち合わせていない人間だからなのではないかね?

「人間臭い原体験」というのが、どれを指しているのか知らんが、
確かに2008年以前に関していえば、俺も迷妄のさ中にあったことを決して否定はしない。
今の世界に敷かれている集団洗脳に、自分自身もまた囚われていた内に関してはな。

それは間違いなく世間の側の責任によるものだから、俺が責任を負おうとは思わない。
ただそれは、未だ洗脳下にあるような衆生全体について言えることだから、
最後まで残って責任を取らねばならない人間ともなると、かなりの少数に絞られるだろうな。

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223 2020/09/03(木) 10:41:08 ID:oyG/RNxZIk
人間、世間の常識にさえ擦り寄ってれば正気でいられるとでも思っているらしいが、
その常識こそが狂気に囚われることもあるし、また常識自体がコロコロと変わるものでもある。

 
俺の遠い親戚に、元特攻隊員で生涯引きこもりのおじさんがいるのは以前にも話したが、
そのおじさんがいい加減死にそうなので、話を聞いてみたいと打診したら手紙をくれた。
その内容が、かなり意外なものだった。

おじさんは実は、戦後直後からしばらくの間、英雄扱いで羨望の的になっていたという。
敗戦で、戦前の日本を悪とするWGIPが敷かれたといっても、直後にはまだ戦前世代ばかり。
一億総玉砕の扇動の名残りで、捨て身の精神自体はまだ総員で残存していたから、
特攻隊の生き残りなども英雄扱いで、大変持て囃されたのだという。

しかし、おじさんの本音は違った。
本当は死にたくなくてしょうがなかったし、自分の出撃の番が来るのを怯えて待っていた。
その番が来る前に戦争が終わったことにも胸をなでおろしていたんだが、そんな本音を誰にも
理解されず、表面上だけチヤホヤされることのギャップに嫌気がさして引きこもるようになった。

つまりおじさんは、捨て身の覚悟が当たり前の常識な時代に、現代的な人命第一主義の人間だった
ことに疎外感を抱いていた。それはちょうど、人命第一こそが常識である現代の日本において、
幸か不幸か捨て身の覚悟を持ち合わせることとなった俺が疎外されているのと逆の事象だったわけだ。

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224 2020/09/03(木) 10:56:42 ID:oyG/RNxZIk
戦前戦後の捨て身が当たり前な状態から、
現代の「一人の命は地球よりも重い」が当たり前の状態へーー

世間の常識なんてものは、それぐらい簡単に移り変わるものだし、
仮に日本がまた戦争に巻き込まれるようなことになれば必ずや、今の常識も覆されることとなる。

それぐらい、集団心理というものは双極性障害的な狂気を孕んでいるもの。
世間の風潮などに惑わされることなく、確固たる自己を確立できるものだけが、正気をも貫ける。

人命第一なら正気の常識かといえばそういうわけでもないから、
医療費負担で国の借金を無尽蔵に積み上げて行くことも厭われない。

所詮、人間たるもの集に埋没する個と化してしまうこと自体の狂気から逃れられはしないのだから、
偏屈なぐらい世間を遠ざける意識を常に持ち合わせているぐらいで、健全さではちょうどだといえる。

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225 2020/09/03(木) 11:33:16 ID:oyG/RNxZIk
「君子は思うことその位を出でず」(憲問第十四:二十八)

今の世の権力者のように、あくまで責任逃れに一徹であろうとするのでもなければ、
キリストのように分不相応にこの世の全ての罪責を背負おうなどもせず、

>>180(3)の実現を企図して、負うべき責任は過不足なく負う者こそが君子である。

責任逃れの徒からは冤罪の標的にされやすく、分不相応な責任まで背負おうとするような
(そういう人間こそを評価するような)偽善者からは狭量な卑劣者扱いをされるが故、
この世の大多数が蒙昧な衆生と化しているようなら、多くの支持を取り付けられもせず。

それでもあくまで君子たらんとするのであれば、やはり超俗の心がけもまた必須である。
君子が受け入れられるような公序良俗の整った世の中であればそれに越したことはないが、
そうとも限らないのがこの世の常なるが故に。

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226 2020/09/04(金) 14:41:05 ID:usl2W7vvY.
人間が捨て身の覚悟を、単独で抱くのには大変な困難が伴うが、
一定以上の規模の集団の中で抱くのは案外、たやすいものだ。

戦前の、電通による一億総玉砕の広告洗脳が敷かれた日本などでも、
大半の人間は「自分はどうせ大丈夫だから」という無責任な安心感のもと、
演技的に捨て身の覚悟を抱いて行った。従軍をしようともまだその感覚を持ち越し、
いざ銃弾飛び交う戦線の矢面に立たされようとも、まだ人によっては助かるつもりでいる。
そんな中から一人、また一人と戦死者が増えて行く。そのほとんどは「自分は大丈夫」という
集団中の個としての安心感と共にあり得るが故に、常人といえどもたやすく没入することができる。

「君死にたまふことなかれ」の反戦歌で知られる与謝野晶子でも、
戦時中は一種の高揚感に駆られていたという。女もまた、本土攻撃に巻き込まれて
死ぬことはあれど、戦闘員として矢面に立たされることが古来ほとんどなかった性別であるが故に、
戦時下においては奮戦ムードにたやすく流されて、時にはその後押し役ともなるのである。

>>223に書いたおじさんなどは、特攻という決死の任務に従事させられて、
実の兄も出撃して死んでいった直後に終戦を迎えた立場だったから、
単独で自らの命の瀬戸際に立たされたが故に、そういう集団の狂乱からも冷めたわけだ。

冷めた所にいたのは、とにかく死にたくないという一心だけだった自分。
そんな本音と建前の軋轢に苦しめられるような人間が生じてしまうような戦争は、やはり避けるべきだ。

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228 2020/09/04(金) 17:33:31 ID:usl2W7vvY.
戦後日本的な極度の臆病さにも、戦前的な集団ヒステリーからの命知らずさにも
囚われることなく、正気と冷静な判断を貫ける者というのは、結局、単独での
斬り合いの中にも平静を保てるぐらいの豪胆さの持ち主か、それ以上の人間に限られる。
(仏者が武門の修羅道などに拠ることなく「それ以上」たるようなこともあり得る)

そういう人間だけが、移ろいがちな世間の常識や同調圧力にも囚われることなく、
この世を経済破綻や戦乱から救い上げ、真の平和や繁栄へと導く能力者たり得もする。

しかれば、そのような能力者に協賛しようとする者もまた、常識に囚われない領域における
自由闊達さや融通無碍さこそを尊重できる心がけぐらいはあるのでなければ済まない。

「オッカムの剃刀」的な未知なるものへの敵意を棄てて、微妙不可思議さへの尊重こそを抱く。
もちろん勝手に「せいぜいこんなもんでしょ」などと身の程知らずな決め込みをしたりもせず、
自分が到達できない境地にあるが故に理解不能であることをわきまえるのでもなければならず。

それはそれで、他力本願ながらに多大なる苦労をかけるようなことともなるが故、
決して強要ばかりをして済むことでもないから、あえてそれを目指してくれる有志に
恵まれることもまた、この世が正されて行くに値する時宜たる条件となるのだろうな。

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229 2020/09/05(土) 01:22:07 ID:R.YXU58brM
どころで地蔵は六道輪廻とか輪廻転生とか信じてるの?

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230 2020/09/05(土) 10:09:07 ID:44b.VD.rcg
まだこのガイキチほったらかしとくのかよ

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スレッドタイトル:信玄公「法を神聖視すべきではない」

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