>>10 そんなことはお釈迦様も全く言ってはいない。
ただ俗世にドップリと漬かったままでいるような愚か者には、
主観で歪められた虚妄の善悪への囚われが付き物だから、
超俗でのそのような囚われからの脱却に取り組むことで、
虚妄を排した正法眼蔵を得ることが可能となるとしたのみ。
世俗での仏道探求に取り組んだ親鸞聖人などもまた、
超俗たる仏辺の教えと、世俗にとどまる衆生辺ならではの教えの
位相の食い違いへの洞察から、悪人正機説のような卓説を打ち出し、
以て日本人の民度を世界でも突出した高さにまで導く立役者となった。
「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」という、完全な善悪論によって
それが可能となったのも、超俗の正法眼蔵こそを他力本願な拠り所としたから。
聖徳太子の「世間虚仮 唯仏是真」よろしく、
どうせ糞味噌を踏まえれば世の中なんて過ちまみれなのが常だから、
超俗にしか完ぺきな正しさを見出して行く余地はないという、おまえの物言い
などとは真逆な志向性を打ち出して、大いに取りれられて成果を挙げて来たのが、
超俗での自力作善か、世俗での他力本願かを問わぬまともな仏門の全てである。
おまえの言うような世俗での行動絶対主義とは最も相容れないものである。
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