南京の悲劇
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001 2024/12/13(金) 12:12:33 ID:bZ7Vp1CidE
兵士達が大量に投降したあとは、市民達を守るものは事実上だれも残っていなかった。このことを知って日本軍は1937年12月13日南京に入城し、政府の建築物、銀行、倉庫を占領、街路にいる人々を無差別に撃った。その多くは逃げようとしたところを背後から撃たれた。
機関銃、リボルバー、ライフルを使って、日本軍は中山北路や中央路、その近くの小路から集まってきた負傷した兵士達や年老いた女性達、子供達の群集に向けて発砲した。彼らはまた、市内のあらゆる区域すなわち細い路地や大通り、地下壕、政府の建物、広場などにいた中国人達を殺害した。
犠牲者達は地面に倒れて、うめき、叫び、陥落した首都の街路、路地、溝は逃げる力を失って息も絶え絶えの人々から流れ出る血で川のようになった。
日本軍は南京において、中国人兵士達を探して戸別捜索しながら、組織的に市民を殺していった。しかし彼らはまた、近隣の郊外や農村部に住む中国人達も虐殺した。死体は城壁の外や川沿い(文字どおり血によって赤く染まっていた)、池や湖のほとり、丘や山に山をなしていた。
南京の近くの村々では日本軍は、元中国兵らしいという憶測のもと、通りがかったあらゆる若い男性を射殺した。しかし彼らはまた、兵士であるはずのない人々、たとえば老人老女を、ああしろこうしろと日本語で命令された時に躊躇したり、あるいはよく理解できなかったりしただけで殺害した。
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