恥辱的な性奴隷生活
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001 2025/01/04(土) 12:16:58 ID:UAmMDSohuA
貧しい小作農の次女として生まれた私は、苦しい家計を助けるために、一四歳のときから工場に行って女工として働いた。その時私が通った工場は、西平壌靴工場だったが、日本人が経営する工場で、監督も全員日本人だった。
朝から夜遅くまで休むまもなく働いたが、手にした労賃は、微々たるものだった。こうした状態なので家の暮らしはよくならず、ずっと苦しいばかりだった。
私が一七歳になった一九四一年九月のある日、工場の日本人監督が私を呼ぶと、一ヶ月働いて三ヶ月暮らせるくらい稼げるいい働き口があるが、いかないかと言った。いつも貧しさにあえいでいた私は、お金をたくさん稼いで、家計の足しにしようと考え、彼に付いて行った。翌日日本人監督にしたがい、平壌駅に行ってみると、そこにはすでに私のような「朝鮮の娘」七人が来ていた。
いくらもたたないで、警察官が私たちを汽車に乗せると、前後に立って、私たちの一挙一動を監視し、しまいには便所に行くときも付いて来た。騙されるのではないかという考えが強くなっていき、逃げようと考えてもみたが、警察の看視が厳しくてそうすることができなかった。数日かかって着いたところは中国のチチハルという所だった。警察は私たちを、ある横長の一階建ての建物に連れて行ったが、その家はまるで共同便所のように小さい部屋が並んでいた。その時になっても、私はその家は合宿所で、これからここで寝起きしながら工場に通うのだとばかり思っていた。そこにはすでに十五人の娘たちが来ていた。
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