南無阿弥陀 他力本願


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001 2026/06/28(日) 11:52:51 ID:CANy9LpE/A
若い頃宗教を全否定したい時期があった
しかし歳食うと家族が亡くなって思う所があったり
生活習慣の中に宗教由来の物があったりもする
念仏唱えて阿弥陀如来に具体的に救われはしないだろうが
それをする事によって心が鎮まったり
宗教活動の仲間により孤独が軽減されたり
意義はあるのでは?と思う様になった
それ故に他の信仰を否定するのは如何なものか?
戦争になる程に宗教と言う虚構が強いと言うのか
皆さんの宗教観教えて下さいな

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004 2026/06/28(日) 13:15:13 ID:0mgjIaXdU2
大切な誰かが死ぬと悲しい
そして自分の死も恐ろしい

でも、宗教があると
死んだ人は死んだあと幸せなんだよ、楽なんだよと
極楽浄土や天国があって楽しくやってるよと

そんな事はウソだと理解しながらも、自分をダマシ、自分を楽にしてあげる
それが宗教という術

その証拠に良い坊さんもいれば
千原兄弟みたいなクソゴミもいる

その証拠に良い神父さんもいれば
日本でキリスト教を騙る韓国人団体も多数いる

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005 2026/06/28(日) 16:16:39 ID:Gx1zTf4g.w
嘘も方便ってヤツじゃないの?今の時代では
いや道徳とか常識にハマって宗教ですらない事も
神や仏が実在すると思い込むカルト野郎もいるし
神の言葉は絶対と思い込む原理主義もいる
良い事だけじゃなく悪い事もあるのが難しいところ

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006 2026/06/28(日) 17:03:45 ID:3NhAJRYbV6
いかなる宗門教派であれ、
他力本願の信仰にかまけておごり高ぶったりする痴れ者を
日本人は受け付けないし、そんなでいる時点でカルト認定する。

そこにまた、信仰と正気の両立の最低条件がある。

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007 2026/06/28(日) 17:58:57 ID:xUpN.9.3e6
>>2
面白いね!仏教の中の人でも捉え方が違う

>>3
社会性も強く持ち合わせているのかも知れないね!

>>4
ビジネスとして搾取してる連中がいるのも考えモノ

>>5
昔は本当に八百万の神とか信じてた人多そう

>>6
自己紹介してそれを日本人の総意と?病院行けよ

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008 2026/06/28(日) 19:38:55 ID:Gx1zTf4g.w
1人日本語の分からないヤツが紛れてるな

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009 2026/06/28(日) 19:41:27 ID:OoKkcRGhLo
>>8
そして速攻逃げ出したな
自分の無能さを認識出来ないのかな?

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010 2026/06/28(日) 19:44:20 ID:vZqNx5ZZdI
笠地蔵さん曰く阿弥陀如来も不動明王もギリシア神話の神々も天照も須く実在しているらしいよ!

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011 2026/06/28(日) 19:53:29 ID:3NhAJRYbV6
その辺にいる普通の日本人に、
「一緒に神を信じてホルホルしましょう!」って誘ってみろよ。
みーんなドン引きして「あーそういうのいいです😅」ってなるから。

宗教勧誘全般が基本的にそういうものだから、
ものすごく疲弊して心を病んでるとかでもない限りは、
もはや勧誘って時点で「あーカルトか・・・」ってなってるんでな。

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012 2026/06/28(日) 20:00:12 ID:DAsc.Rnzoo
実は、カトリックの聖職者の中には、うつ病になり、自ら命を絶つ人も少なくない。

神父にうつ病が多発している背景はいくつかの理由が考えられる。

まず、神父になろうという人には真面目で正義感の強い人が多い。
そのため罪の告白や悩み相談をうけたとき、それをまともに背負ってしまい
大きなストレスを抱え込んでしまう。
また、世俗の欲望を否定するストイックな生活を続けることによるストレスも小さくない。

こうした要因が重なって、心の病に陥る神父が思いのほか多いという。

太田義信神父(64)がうつ病と診断されたのは30代のときだった。
これといったきっかけは思い当たらないという。
病気は突然発症し、長い間、強い自死願望と戦い続けてきた。

実は、太田神父も自分がうつ病になるまで、「自死は罪である」という
カトリック教会の教えを何の疑いもなく信じてきた。
ところが病気になった途端、突然に触手のようなものが伸びてきて、
強い力で死の世界に引き込まれるような体験を何度も味わったという。

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013 2026/06/28(日) 20:01:39 ID:DAsc.Rnzoo
こうした苦しみと闘ううち、「自死」は信仰とは別の問題、
善悪で裁くべき問題ではないと感じるようになった。

「自死したいという気持ちが強かったころは、駅で電車を待っている時間がとにかく大変でした。
通過する急行電車に飛び込んでしまうのではないかという不安から、いつもセミのように駅舎の柱に
しがみついていました」

それから、こう続けた。

「私の場合、自死が罪である、つまり、宗教的に許されない行為だと教え込まれてきたおかげで、
かろうじてこちら側の世界に踏みとどまれたのかもしれません。
そういう意味では、自死を罪であるとするカトリックの教えには感謝しています。
しかし、自死によって命を落としてしまった人を罪人であると決めつける考え方は、
受け入れられなくなりました」

いまでも、カトリックの世界には「自死」は罪であるという考えが根強い。
しかし、近年、教会内部でも自死者に対する名誉回復の動きが進んでいる。

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014 2026/06/28(日) 20:04:19 ID:DAsc.Rnzoo
一方、差別的な戒名などによって、長年「自死」を差別してきた日本の仏教界も、
日本社会における自死者の急増を受け、これまでの「自死」に対する向き合い方を
見直そうという動きが広まっている。

宮城県にある慈恩寺の住職、樋口法生さん(46)は、子どもを亡くした親の
分かち合いの会「つむぎの会」を定期的に開催している。

実は信徒の中にも、「自死」だけでなく、不慮の事故で亡くなった人は
往生できないのではないかという不安をもつ人がおり、
そうした不安を取り除くためにはじめた法要だ。
死に方や動機に関係なく、死者の魂はすべて極楽浄土に行けることを伝えることで、
遺族の苦しみを軽減するのが目的である。

樋口住職が所属する浄土宗には死者を死に方によって差別する考えはない。
そのため樋口さん自身も、「自死」を差別する気持ちはなかった。

それでも僧侶になりたてのころは、自死遺族の悲しむ姿を見ていると、
「なぜ、まわりの人の気持ちを考えなかったのだろうか」と、
自死者を非難したくなる気持ちを持ったこともあったという。

だが、多くの自死者の葬儀をおこなううち、「自死」が世間でいわれているような
「身勝手な死」なのではなく、追いつめられた果ての死であることに気づくようになった。
そして、自戒の念もこめて、自死差別によって遺族が苦しまないための活動もはじめたという。

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015 2026/06/28(日) 20:17:17 ID:3NhAJRYbV6
そもそも本願ぼこり自体が、甘いものの食べ過ぎで糖尿病その他の疾患に
苦しめられるのと同じような、心の病の原因になってしまうというのに、
そのせいでよりうつ病などになっての希死念慮に苦しめられたうえで、
さらなる本願ぼこりや自殺禁止の戒律でかろうじて生き延びているとか、
そういった心象全般がマッチポンプの地獄道でしかないわけでな。😭

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