レス数が 200 を超えています。残念ながら全部は表示しません。
仁義なき才覚は、不仁なるのみ 偉大なる生存の報告 Part315
▼ページ最下部
「道は二つ、仁か不仁のみ」
(孟子・離婁章句上)
聞いてみれば当たり前に思われるような教条の中でも、
だからといって疎かにすべきではないようなものばかりをあえて
集成しているのが儒説なのだと、すでに固くわきまえている俺から見ても、
上の教条などはあまりにもミニマルすぎて理解が不十分なままであり続けて来たものだが。
やはりこれも、「人間たるもの普遍的にそうでしかあり得ない」という点で
重大な意義を持ち合わせた教えだったのだなと、今の世の人々が、
最大級の背理によって示していることで思い知らされている。
東大理Ⅲの医学部コースが最高難易度の学歴である今の日本において、
国内最上級の知性たちもまたみなそこに大挙して押し寄せているのに違いない
にもかかわらず、その内の誰一人として、現状の医療利権が国の財政を圧迫して
亡国の危機までをも招いていることには、疑問の一つも抱こうとはしない。
知性であれ技能であれ体力であれ、何らかの素養で人並み以上に秀でることが、
ほぼ無条件に良いことだと思い込まれているのが現代社会の実情ではあるが、
そこに天下の公益を心の底から尊ぶ仁慈の志しが具わっているのでなければ
必ずや、その才覚が不仁の所業のために悪用されることとなってしまう。
人が才能の持ち主であることよりも、そこに十分な仁徳が伴って
いることのほうをより重んじるのでなければ、人間社会というものは、
有能さの持て囃しのせいで自滅に陥るようなことにもなりかねないのである。
(孟子・離婁章句上)
聞いてみれば当たり前に思われるような教条の中でも、
だからといって疎かにすべきではないようなものばかりをあえて
集成しているのが儒説なのだと、すでに固くわきまえている俺から見ても、
上の教条などはあまりにもミニマルすぎて理解が不十分なままであり続けて来たものだが。
やはりこれも、「人間たるもの普遍的にそうでしかあり得ない」という点で
重大な意義を持ち合わせた教えだったのだなと、今の世の人々が、
最大級の背理によって示していることで思い知らされている。
東大理Ⅲの医学部コースが最高難易度の学歴である今の日本において、
国内最上級の知性たちもまたみなそこに大挙して押し寄せているのに違いない
にもかかわらず、その内の誰一人として、現状の医療利権が国の財政を圧迫して
亡国の危機までをも招いていることには、疑問の一つも抱こうとはしない。
知性であれ技能であれ体力であれ、何らかの素養で人並み以上に秀でることが、
ほぼ無条件に良いことだと思い込まれているのが現代社会の実情ではあるが、
そこに天下の公益を心の底から尊ぶ仁慈の志しが具わっているのでなければ
必ずや、その才覚が不仁の所業のために悪用されることとなってしまう。
人が才能の持ち主であることよりも、そこに十分な仁徳が伴って
いることのほうをより重んじるのでなければ、人間社会というものは、
有能さの持て囃しのせいで自滅に陥るようなことにもなりかねないのである。
※省略されてます すべて表示...
(>>183の続き)
ただ、やはり宗教は所詮宗教だから、必ずしも仁徳を重んじているとも限らない。
ちゃんと天下万人のための公利公益を尊重している宗派もある一方で、
その条件を満たさぬものもあり、中には不仁の開き直りこそを喚起するような
確信犯の邪教までもが混在しているのが実情である。
そのために、中でもその邪教的な側面をあげつらって、宗教全般を忌み嫌うような
人間が増え続けているのが、科学至上主義状態な現代社会の常でもあるのだが。
じゃあ科学に人々の仁徳を育ませるような効果があるのかといえば全くなく、
かえって知能面での小賢しさの増長によって、仁徳を育める部類の信教までをも
一緒くたに否定し、不仁者としての老害加減を盤石化させてしまったりまで
しかねないというのが、医者を自称し、嘘だろうがそれなりに頭が回る所も
あるらしいM坊みたいな今の年寄りなどを見ても、大いに察せられるわけである。
支配層たる武家は朱子学を無宗教的に修得することを本位とし、平民たちは
念仏信仰のようなごく簡素ながらに、無宗教的な会得が極めて困難な仏道に
根差した仁慈の養生を他力本願の体裁で育んでいた江戸時代の日本あたりが、
宗教性を最小限ならしめながら、天下における仁義の通用を守らしめていた、
現状までにおける最善の世の中であったのにも違いない。
ただ、やはり宗教は所詮宗教だから、必ずしも仁徳を重んじているとも限らない。
ちゃんと天下万人のための公利公益を尊重している宗派もある一方で、
その条件を満たさぬものもあり、中には不仁の開き直りこそを喚起するような
確信犯の邪教までもが混在しているのが実情である。
そのために、中でもその邪教的な側面をあげつらって、宗教全般を忌み嫌うような
人間が増え続けているのが、科学至上主義状態な現代社会の常でもあるのだが。
じゃあ科学に人々の仁徳を育ませるような効果があるのかといえば全くなく、
かえって知能面での小賢しさの増長によって、仁徳を育める部類の信教までをも
一緒くたに否定し、不仁者としての老害加減を盤石化させてしまったりまで
しかねないというのが、医者を自称し、嘘だろうがそれなりに頭が回る所も
あるらしいM坊みたいな今の年寄りなどを見ても、大いに察せられるわけである。
支配層たる武家は朱子学を無宗教的に修得することを本位とし、平民たちは
念仏信仰のようなごく簡素ながらに、無宗教的な会得が極めて困難な仏道に
根差した仁慈の養生を他力本願の体裁で育んでいた江戸時代の日本あたりが、
宗教性を最小限ならしめながら、天下における仁義の通用を守らしめていた、
現状までにおける最善の世の中であったのにも違いない。
たしかに現代社会などのほうがより総員で無宗教的ではあるけれども、
それと共に人々の不仁さもまた増長し、特に不仁者としての老害然とした、
戦後旧世代の年寄りたちによる、未だ十分な自覚もないままでの亡国一直線が
致命的なままであり続けているものだし、少しも上位互換を決め込む余地はないといえる。
科学技術の発展が多くの宗教信仰の嘘八百としてのお粗末さ加減を暴き出したために、
宗教という体裁がこれ以上、世の中を司って行くにも値しない域に達しているのも
疑いようのない所ではあるけれども、だったら無宗教的にでも仁徳を育むことに
より専念して行かねばならないというのみ。それもできないというのだったら、
やはり仁義を尊ぶ部類の宗教信仰に限って選別的に復興させて行くしかない。
ここでいくら無宗教的に仁徳の重要性を儒学の論説などと共に述べ立ててみた所で、
まさに馬耳東風といった連中が数多(もしくは少なくとも一人)いるのを鑑みるに、
そんなおまえらの存在性こそは、ある種の信仰の今さらな必要性をも実証しているという他ない。
無宗教的に仁徳を尊べる者もいようとて、それだけでは済まないとおまえらこそが体現しているのである
それと共に人々の不仁さもまた増長し、特に不仁者としての老害然とした、
戦後旧世代の年寄りたちによる、未だ十分な自覚もないままでの亡国一直線が
致命的なままであり続けているものだし、少しも上位互換を決め込む余地はないといえる。
科学技術の発展が多くの宗教信仰の嘘八百としてのお粗末さ加減を暴き出したために、
宗教という体裁がこれ以上、世の中を司って行くにも値しない域に達しているのも
疑いようのない所ではあるけれども、だったら無宗教的にでも仁徳を育むことに
より専念して行かねばならないというのみ。それもできないというのだったら、
やはり仁義を尊ぶ部類の宗教信仰に限って選別的に復興させて行くしかない。
ここでいくら無宗教的に仁徳の重要性を儒学の論説などと共に述べ立ててみた所で、
まさに馬耳東風といった連中が数多(もしくは少なくとも一人)いるのを鑑みるに、
そんなおまえらの存在性こそは、ある種の信仰の今さらな必要性をも実証しているという他ない。
無宗教的に仁徳を尊べる者もいようとて、それだけでは済まないとおまえらこそが体現しているのである
次世代の取り分を食い潰して、日本社会を持続不能状態に追い込むことで
何とか生き延びているような連中が、独り立ちを鼻にかけておごり高ぶる。
不仁であることこそが、己がプライドの拠り所と化しているような体たらくであるために、
仁義を持ち直すことと、プライドをへし折られてショック死級に落ち込むこともまた同義たる。
上知と下愚は移らず、不仁者が不仁の域から足の小指の爪先ほどにも抜け出すことが
できない原因もまた是くの如し。脳も体も瀕死の年寄りともなればなおのこと。
何とか生き延びているような連中が、独り立ちを鼻にかけておごり高ぶる。
不仁であることこそが、己がプライドの拠り所と化しているような体たらくであるために、
仁義を持ち直すことと、プライドをへし折られてショック死級に落ち込むこともまた同義たる。
上知と下愚は移らず、不仁者が不仁の域から足の小指の爪先ほどにも抜け出すことが
できない原因もまた是くの如し。脳も体も瀕死の年寄りともなればなおのこと。
家康公は、今でいう1000兆円程度の遺産を子孫に残したが、代々の徳川将軍たちは
それを幕府の堅実な運用のために費やすことで、太平の世の半永久化を実現した。
利根川東遷など、必要なことのためには惜しみなく使用したために、
徳川埋蔵金なども残ってはいない。八代吉宗のころにはその貯蓄も尽きたために、
大奥を大リストラし、高額すぎる宝刀の贈与習慣を禁止するなどの倹約策にも乗り出した。
遺産相続そのものに制限なぞを科さずとも、仁者の治政が損なわれるようなことはないし、
むしろ相続によってより仁政が盤石たるようなことすらもがある。
三分以下の理を見て七分以上の己が背理から目を背けんとする不仁者にはやはり、
物事の本質が見えないせいでの、見当はずれな主張しかできないようだな。
それを幕府の堅実な運用のために費やすことで、太平の世の半永久化を実現した。
利根川東遷など、必要なことのためには惜しみなく使用したために、
徳川埋蔵金なども残ってはいない。八代吉宗のころにはその貯蓄も尽きたために、
大奥を大リストラし、高額すぎる宝刀の贈与習慣を禁止するなどの倹約策にも乗り出した。
遺産相続そのものに制限なぞを科さずとも、仁者の治政が損なわれるようなことはないし、
むしろ相続によってより仁政が盤石たるようなことすらもがある。
三分以下の理を見て七分以上の己が背理から目を背けんとする不仁者にはやはり、
物事の本質が見えないせいでの、見当はずれな主張しかできないようだな。
俺や否定派を含むすべての次世代が、望みさえすれば一人前の人生を
歩んで行けるようになった頃には、国富の大半が旧世代から剥奪されて、
おまえらもまたショック死なり病死なりでそのほとんどが生きてはいない。
どうせおまえらが、「独り立ちしたから」という理由で、
俺や否定派を認められるようなことなどは原理的にあり得ないのだから、
期待するだけ無駄なこと。あくまでそういう理由でしか認められない
というのなら、もう諦めてここから立ち去るに越したことはない。
歩んで行けるようになった頃には、国富の大半が旧世代から剥奪されて、
おまえらもまたショック死なり病死なりでそのほとんどが生きてはいない。
どうせおまえらが、「独り立ちしたから」という理由で、
俺や否定派を認められるようなことなどは原理的にあり得ないのだから、
期待するだけ無駄なこと。あくまでそういう理由でしか認められない
というのなら、もう諦めてここから立ち去るに越したことはない。
別に脅しでもなく、「原理的にそうでしかあり得ない」というだけの話だが。
俺や否定派とおまえらは不倶戴天、
共に世に立つことがあり得ない運命の星のもとに生まれている。
比較的トシが近いから、そうでない可能性もあり得るように思われるかもしれないが、
実際には、クフ王や始皇帝とわれら現代人が同時に世にいたことがないのとまったく同じように、
おまえら旧世代が次世代の大多数と、一人前の世人としての人生を共に謳歌するようなことも永劫ない。
人類の歴史を顧みれば、そんな相手なんて何億人といるのだし、
別に特別に残念がるほどのことでもあるまい。なおかつ、
「今の旧世代なんかと共に人生を謳歌したくもない」ぐらいに思ってる次世代も多かろうしな。
俺や否定派とおまえらは不倶戴天、
共に世に立つことがあり得ない運命の星のもとに生まれている。
比較的トシが近いから、そうでない可能性もあり得るように思われるかもしれないが、
実際には、クフ王や始皇帝とわれら現代人が同時に世にいたことがないのとまったく同じように、
おまえら旧世代が次世代の大多数と、一人前の世人としての人生を共に謳歌するようなことも永劫ない。
人類の歴史を顧みれば、そんな相手なんて何億人といるのだし、
別に特別に残念がるほどのことでもあるまい。なおかつ、
「今の旧世代なんかと共に人生を謳歌したくもない」ぐらいに思ってる次世代も多かろうしな。
国富の9割がたを旧世代や大企業が独占し、
次世代は残りの1割で、江戸時代の半分程度の所得水準での極貧生活。
江戸時代ですら、慢性的な栄養不足で低身長だらけになりながら、
ようよう一定の人口を維持できていたような小氷期時代なのだから、
(同時期の欧州では貧窮に耐え兼ねての革命が勃発)
さらにその半分程度の食い扶持でいる次世代が、子供を持つことはおろか、
まともに自活して行くことすらままならないでいるのもまた必定。
別におまえら並みとまではいわん、
江戸時代の日本か、今のアフリカ諸国並みぐらいの稼ぎが
万人に保証されるのでなくんば、ほんの数十歳程度トシが違うだけの
邦人同士が、数千万人規模で不倶戴天の関係と化してしまうのも仕方があるまい。
次世代は残りの1割で、江戸時代の半分程度の所得水準での極貧生活。
江戸時代ですら、慢性的な栄養不足で低身長だらけになりながら、
ようよう一定の人口を維持できていたような小氷期時代なのだから、
(同時期の欧州では貧窮に耐え兼ねての革命が勃発)
さらにその半分程度の食い扶持でいる次世代が、子供を持つことはおろか、
まともに自活して行くことすらままならないでいるのもまた必定。
別におまえら並みとまではいわん、
江戸時代の日本か、今のアフリカ諸国並みぐらいの稼ぎが
万人に保証されるのでなくんば、ほんの数十歳程度トシが違うだけの
邦人同士が、数千万人規模で不倶戴天の関係と化してしまうのも仕方があるまい。
そりゃあもう、旧世代の死に欠けのおじいさんからすれば、
泡沫どころか、そのバブル膜に住んでるミジンコの糞ほどにも、
実現の余地がないように思える望みだろうな。だって、
自分自身の死後にしか、そんなことはあり得ないのだし。
泡沫どころか、そのバブル膜に住んでるミジンコの糞ほどにも、
実現の余地がないように思える望みだろうな。だって、
自分自身の死後にしか、そんなことはあり得ないのだし。
まあ未だになんの話もないということは、そういうことなんだろうな。
とはいっても、「別の男」なんてのもおらんようだがな。
今の女にとっては、許容範囲に入るような男すら、男全体の一割にも満たないだろうから。
江戸時代平均の半分未満の甲斐性なんだから、それも当たり前のことだがな。
とはいっても、「別の男」なんてのもおらんようだがな。
今の女にとっては、許容範囲に入るような男すら、男全体の一割にも満たないだろうから。
江戸時代平均の半分未満の甲斐性なんだから、それも当たり前のことだがな。
この日本という国は、江戸時代のようなほぼ完全な自給自足状態だと、
およそ3000万人程度の国民を自活させて行くのが限界である。
それが加工貿易や文明発展によって、12000万人にまで膨れ上がった。
つまり現代日本は江戸時代の4倍程度の豊かさを得た状態にある。
一方、2007年度の総務省統計では、日本における金融資産の
19%を40代以下、6.1%を30代以下の日本人が占有しているとある。
17年前の統計な上に、ホリエモンの現状などを見てもわかる通り、
いま51歳以下の日本人への利権分配も未だ滞った状態にあるのが明らかなため、
江戸時代平均の(6.1~19)×4=24.4~76≒50%以下程度の金融資産しか、
今の40代以下の日本人は持ち合わせてはいないことになる。
およそ3000万人程度の国民を自活させて行くのが限界である。
それが加工貿易や文明発展によって、12000万人にまで膨れ上がった。
つまり現代日本は江戸時代の4倍程度の豊かさを得た状態にある。
一方、2007年度の総務省統計では、日本における金融資産の
19%を40代以下、6.1%を30代以下の日本人が占有しているとある。
17年前の統計な上に、ホリエモンの現状などを見てもわかる通り、
いま51歳以下の日本人への利権分配も未だ滞った状態にあるのが明らかなため、
江戸時代平均の(6.1~19)×4=24.4~76≒50%以下程度の金融資産しか、
今の40代以下の日本人は持ち合わせてはいないことになる。
江戸時代の日本人は、たぬかなも真っ青な総員での低栄養ホビホビ状態。
食うや食わずで飢饉も頻発していたような有様だったればこそ、
それが国の人口を維持できる最々低限の富裕度だったのだとも知れる。
(アフリカの貧困国などもその程度の条件は満たしてるから人口も減らない)
さらにそれ未満の貧しさを強いられるようなら、当然のこととして人口も維持できない。
金カネも出さずに国の将来を憂えたりするのにもいい加減、限度があるという話。
なおかつ、江戸期の大半の人々は家ぐるみで血を繋いでいた。
まったくの自由恋愛だけで結婚してたのなんて一部の町民や百姓の二男三男だけで、
それもおそらくは全体の1割やそこら。江戸時代以上の貧しさを強いられたりしようものなら、
自由恋愛で許容範囲内に入る異性が一割を切るのも、人の世の必然でしかないのである。
食うや食わずで飢饉も頻発していたような有様だったればこそ、
それが国の人口を維持できる最々低限の富裕度だったのだとも知れる。
(アフリカの貧困国などもその程度の条件は満たしてるから人口も減らない)
さらにそれ未満の貧しさを強いられるようなら、当然のこととして人口も維持できない。
金カネも出さずに国の将来を憂えたりするのにもいい加減、限度があるという話。
なおかつ、江戸期の大半の人々は家ぐるみで血を繋いでいた。
まったくの自由恋愛だけで結婚してたのなんて一部の町民や百姓の二男三男だけで、
それもおそらくは全体の1割やそこら。江戸時代以上の貧しさを強いられたりしようものなら、
自由恋愛で許容範囲内に入る異性が一割を切るのも、人の世の必然でしかないのである。
そりゃあ、俺の親を含む旧世代側の日本人は、
江戸時代の倍程度の富裕状態でいるのが平均的なのだから、
そちら側にさえ食い付いていれば食いっぱぐれることはないわな。
我流の断食みたいな無理な真似まで試みながら、
結局は寿司頼んだりしてるらしい否定派にも言えることだが、
別にそんなところに罪悪感を抱いたりする必要もなかろう。
どうせ自分たち自身に財産権なんかがあった試しもないのだし。
江戸時代の倍程度の富裕状態でいるのが平均的なのだから、
そちら側にさえ食い付いていれば食いっぱぐれることはないわな。
我流の断食みたいな無理な真似まで試みながら、
結局は寿司頼んだりしてるらしい否定派にも言えることだが、
別にそんなところに罪悪感を抱いたりする必要もなかろう。
どうせ自分たち自身に財産権なんかがあった試しもないのだし。
餓え死ぬレベルの次世代ともなると、スネ齧りでもナマポでも障害年金でも、
それなりに生き延びるすべはあるが、さりとて子を生み育てていけるほどの財産を
旧世代が牛耳ったままでいるのには代わりないために、江戸時代ほどの餓死者が
出ているわけではないにも関わらず、江戸時代ほどにも出生率が維持できないわけだ。
それなりに生き延びるすべはあるが、さりとて子を生み育てていけるほどの財産を
旧世代が牛耳ったままでいるのには代わりないために、江戸時代ほどの餓死者が
出ているわけではないにも関わらず、江戸時代ほどにも出生率が維持できないわけだ。
そりゃあ、これだけ不都合な真実ばかり突き付けてれば、
旧世代からは概ね嫌われるだろうし、次世代はそうでなくともみんな仲悪いから。
氷河期世代の代表格としての体裁を保っている中では、
最も知名度の高い部類に入るホリエモンとひろゆきですら、絶好状態。
常に奪い合いのバトルロワイアルを強いられ続けて来た世代としての殺伐さが
仇となって、異性はおろか同性との付き合いすらもが順調たり得ないのが当たり前。
誰でも友達いっぱい、おしどり夫婦も当たり前な旧世代からすれば、
なんでそんなにいがみ合ってばかりでなければいけないのか訳が分からないし、
逆に次世代のほうからしても、なんでそんなにボンクラのジジババ同士で仲良くしてられるのかが分からない。
その蓋を開けてみれば、なんということはない、
江戸時代よりもはるかに貧しい/豊かな経済水準だからとかいう、ただの金カネの問題。
「金持ち喧嘩せず」「貧乏人喧嘩しまくり」という、あまりにもあっけない代わりに、
その解消のためには革命や大量死(主に旧世代側の)までもが避けられそうにない、
宿命中の宿命ともいうべき断絶の元凶を、どんなに軽視しようがはぐらかそうが、
「自らのなせる過ちからは逃るべからず(書経)」の範疇を超えられることもない。
旧世代からは概ね嫌われるだろうし、次世代はそうでなくともみんな仲悪いから。
氷河期世代の代表格としての体裁を保っている中では、
最も知名度の高い部類に入るホリエモンとひろゆきですら、絶好状態。
常に奪い合いのバトルロワイアルを強いられ続けて来た世代としての殺伐さが
仇となって、異性はおろか同性との付き合いすらもが順調たり得ないのが当たり前。
誰でも友達いっぱい、おしどり夫婦も当たり前な旧世代からすれば、
なんでそんなにいがみ合ってばかりでなければいけないのか訳が分からないし、
逆に次世代のほうからしても、なんでそんなにボンクラのジジババ同士で仲良くしてられるのかが分からない。
その蓋を開けてみれば、なんということはない、
江戸時代よりもはるかに貧しい/豊かな経済水準だからとかいう、ただの金カネの問題。
「金持ち喧嘩せず」「貧乏人喧嘩しまくり」という、あまりにもあっけない代わりに、
その解消のためには革命や大量死(主に旧世代側の)までもが避けられそうにない、
宿命中の宿命ともいうべき断絶の元凶を、どんなに軽視しようがはぐらかそうが、
「自らのなせる過ちからは逃るべからず(書経)」の範疇を超えられることもない。
たとえ大学にも行かせず、中卒や高卒でさっさと独立させるにしたって、
やはり子供を産み育てるのには、生涯子無しでいる以上の金カネがかかる。
いま統一自民が試みている扶助政策なぞも焼け石に水止まりでしかなく、
「そもそも個人にとっては子育てなんて負担でしかない。それでも世の中の維持のためには
子孫を残して行く必要があり、それは巡り巡って自分たちの老後の福徳にも繋がるものだから、
やはり道義的な義務感を持って試みて行かねばならないことである」という、
仁義に根差した正論でけしかけて行かねばならないのが子育てというものである。
しかし、それをありのままに言い張れるような旧世代も皆無に等しい。
次世代にまともに子供を産み育てて行けるだけの甲斐性を明け渡そうともせずに、
自分たち自身の個人的な富裕ばかりを延々と謳歌し続けている、その有様が不仁に過ぎるあまり、
子育ての天下における義務性なぞを堂々と説いて回れるような資格もない有様のままでいる。
やはり子供を産み育てるのには、生涯子無しでいる以上の金カネがかかる。
いま統一自民が試みている扶助政策なぞも焼け石に水止まりでしかなく、
「そもそも個人にとっては子育てなんて負担でしかない。それでも世の中の維持のためには
子孫を残して行く必要があり、それは巡り巡って自分たちの老後の福徳にも繋がるものだから、
やはり道義的な義務感を持って試みて行かねばならないことである」という、
仁義に根差した正論でけしかけて行かねばならないのが子育てというものである。
しかし、それをありのままに言い張れるような旧世代も皆無に等しい。
次世代にまともに子供を産み育てて行けるだけの甲斐性を明け渡そうともせずに、
自分たち自身の個人的な富裕ばかりを延々と謳歌し続けている、その有様が不仁に過ぎるあまり、
子育ての天下における義務性なぞを堂々と説いて回れるような資格もない有様のままでいる。
次世代もまた、旧世代にただひたすら食い物にされ続けて来た自分たち自身の悲哀があればこそ、
子孫に似たような苦しみを味わわせたくないあまりに、子供を作りたくない思いに駆られる。
ただでさえ戦後世代ならではの個人主義が本位なうえに、そこにまだ見ぬ我が子への慈愛までもが
加算されるのだから、旧世代以上に子育てを憚りたがることが理に適っている側面もあることになる。
たかが金カネの問題、されど金カネの問題。
まず子供を順調に産み育てられる程度の権益ぐらいは次世代に明け渡されるのでなくんば、
ただ次世代の多くが子を持ちたがらないのみならず、そこに道義的な正当性までもが具わってしまう。
道義のために採算を度外視するのではなく、むしろ懇ろに考慮し続けるのでなければならない状態なのである。
子孫に似たような苦しみを味わわせたくないあまりに、子供を作りたくない思いに駆られる。
ただでさえ戦後世代ならではの個人主義が本位なうえに、そこにまだ見ぬ我が子への慈愛までもが
加算されるのだから、旧世代以上に子育てを憚りたがることが理に適っている側面もあることになる。
たかが金カネの問題、されど金カネの問題。
まず子供を順調に産み育てられる程度の権益ぐらいは次世代に明け渡されるのでなくんば、
ただ次世代の多くが子を持ちたがらないのみならず、そこに道義的な正当性までもが具わってしまう。
道義のために採算を度外視するのではなく、むしろ懇ろに考慮し続けるのでなければならない状態なのである。
江戸時代の半分以下の経済水準にまで追い込まれて、
それでも我慢して子を産み育てるとか、それこそ
「過ぎたるは猶及ばざるが如し(先進第十一・一五)」そのものである。
次世代ですでに無理して子供を産み育ててる者たちを見ても、
まさにウサギ小屋そのもののように小さい家やマンションで、
幼児の頃から世話をYouTubeやTikTokに任せきり、多少育てばアニメにゲームで、
睡眠不足で低身長、あっという間に目も悪くして中高からメガネだらけ。
親がかろうじて旧世代の最後尾付近たればこそ、大きく強く産み育ててもらえた
大谷みたいな子供を作れる可能性こそは極限まで落ち込み、チー牛だツイフェミだと
忌み嫌い合う超低度人材の子供しかほとんど作れる余地がないという状態で、
それでもあえて産み育てようなんてのも、子愛に欠けるが故の不仁であるのには違いなく。
ほぼ完全に不仁の純塊状態と化している旧世代の自決にも先駆けて、
そんな真似を次世代のほうが率先したとしても、傷口に塩を塗るような悲痛しかない。
過ちは繰り返される前に、その元を絶たねば、多少持ち直す程度のことすらないのが、
エントロピー増大則に司られたこの世界この宇宙の抗いようのない実相なのである。
それでも我慢して子を産み育てるとか、それこそ
「過ぎたるは猶及ばざるが如し(先進第十一・一五)」そのものである。
次世代ですでに無理して子供を産み育ててる者たちを見ても、
まさにウサギ小屋そのもののように小さい家やマンションで、
幼児の頃から世話をYouTubeやTikTokに任せきり、多少育てばアニメにゲームで、
睡眠不足で低身長、あっという間に目も悪くして中高からメガネだらけ。
親がかろうじて旧世代の最後尾付近たればこそ、大きく強く産み育ててもらえた
大谷みたいな子供を作れる可能性こそは極限まで落ち込み、チー牛だツイフェミだと
忌み嫌い合う超低度人材の子供しかほとんど作れる余地がないという状態で、
それでもあえて産み育てようなんてのも、子愛に欠けるが故の不仁であるのには違いなく。
ほぼ完全に不仁の純塊状態と化している旧世代の自決にも先駆けて、
そんな真似を次世代のほうが率先したとしても、傷口に塩を塗るような悲痛しかない。
過ちは繰り返される前に、その元を絶たねば、多少持ち直す程度のことすらないのが、
エントロピー増大則に司られたこの世界この宇宙の抗いようのない実相なのである。
というわけでまた、おまえらが興味わかなすぎて辟易しそうな話でもをば。
この前また、近所の古物屋でなかなか興味深いものを見つけてな。
画像上の、なんの変哲もなさそうな木刀なんだが、ほぼ同サイズの樫製のものが
700g程度はあるのに対して、これは500g程度しかない。始めはよく乾燥が行き届いた
樫製なのかと思ったが、いくらなんでも乾燥だけで200g減なんてことはないだろうし、
質感も樫製がツルツルなのと比べればサラサラしてるし、見たこともないような
杢もあるしで、なんだろうかなと色々と調べてみたら、どうやらこれが本枇杷製の木刀。
https://aucview.com/yahoo/w1123087042...
このオク出品者がほぼ同等な木刀を複数出品していたことがあって(すでに完売)、
どうやら昭和中ごろまでの、枇杷の木が大量に生い茂っていた頃に作られたもの。
出品者も言ってる通り、画像下の芯材製の木刀などと比べて杢目が粗く、
近年一振り10万円程度で売られているものとは似ても似つかないんだが、
芯材でも辺材でもない端材から作られたものであるためなのだという。
しかしこの枇杷の端材製という木刀、まるで刀の刃紋のような杢が暴れている上に、
製作後50年程度は経っているはずにもかかわらず、まったく収縮による変形がない。
画像下の芯材製の枇杷木刀は脇差サイズの上、すでにかなり左右方向に反っていたので
安く買えたのだが(その反りを削って修正したためにさらにやせ細っている)、
どう考えても木刀としての特性の面でも、端材製らしき枇杷木刀のほうが優れている模様。
この前また、近所の古物屋でなかなか興味深いものを見つけてな。
画像上の、なんの変哲もなさそうな木刀なんだが、ほぼ同サイズの樫製のものが
700g程度はあるのに対して、これは500g程度しかない。始めはよく乾燥が行き届いた
樫製なのかと思ったが、いくらなんでも乾燥だけで200g減なんてことはないだろうし、
質感も樫製がツルツルなのと比べればサラサラしてるし、見たこともないような
杢もあるしで、なんだろうかなと色々と調べてみたら、どうやらこれが本枇杷製の木刀。
https://aucview.com/yahoo/w1123087042...
このオク出品者がほぼ同等な木刀を複数出品していたことがあって(すでに完売)、
どうやら昭和中ごろまでの、枇杷の木が大量に生い茂っていた頃に作られたもの。
出品者も言ってる通り、画像下の芯材製の木刀などと比べて杢目が粗く、
近年一振り10万円程度で売られているものとは似ても似つかないんだが、
芯材でも辺材でもない端材から作られたものであるためなのだという。
しかしこの枇杷の端材製という木刀、まるで刀の刃紋のような杢が暴れている上に、
製作後50年程度は経っているはずにもかかわらず、まったく収縮による変形がない。
画像下の芯材製の枇杷木刀は脇差サイズの上、すでにかなり左右方向に反っていたので
安く買えたのだが(その反りを削って修正したためにさらにやせ細っている)、
どう考えても木刀としての特性の面でも、端材製らしき枇杷木刀のほうが優れている模様。
上の出品者は枝のような端材製だと言ってるが、それにしては変形も全くないし、
もしかしたら今では絶滅の域に達している、高さ10mに達するような大木の
枇杷の木から木刀を切り出せば、自然とこういう荒々しい木目になるのかもしれない。
いずれにしろ、何百年も昔から言われて来た、
「木刀の材料はなんと言っても枇杷の木が一番」という通説は、
近年それがスタンダードだと思われているような、幼い枇杷の木から切り出された、
木目の細かいものではなく、大木ないしその端材から切り出された場合を意味してるのではないかと。
近年、枇杷製の木刀が10万円を超えるほど高騰しているのも、別に枇杷が稀少だからじゃない。
幼くて細い枇杷の木からは1本や2本の木刀しか切り出せないためにそうなってしまうものだし、
じゃあ枇杷を大木になるまで育てるとなると経費がよりかかる上、実の収穫も困難になる。
それでも大木の枇杷から多数の木刀を切り出して売り出せばそれなりの儲けになるはずだが、
そこまで今の時代に枇杷木刀の需要がないために、誰も試みようとしなくなっている、のではないか。
もしかしたら今では絶滅の域に達している、高さ10mに達するような大木の
枇杷の木から木刀を切り出せば、自然とこういう荒々しい木目になるのかもしれない。
いずれにしろ、何百年も昔から言われて来た、
「木刀の材料はなんと言っても枇杷の木が一番」という通説は、
近年それがスタンダードだと思われているような、幼い枇杷の木から切り出された、
木目の細かいものではなく、大木ないしその端材から切り出された場合を意味してるのではないかと。
近年、枇杷製の木刀が10万円を超えるほど高騰しているのも、別に枇杷が稀少だからじゃない。
幼くて細い枇杷の木からは1本や2本の木刀しか切り出せないためにそうなってしまうものだし、
じゃあ枇杷を大木になるまで育てるとなると経費がよりかかる上、実の収穫も困難になる。
それでも大木の枇杷から多数の木刀を切り出して売り出せばそれなりの儲けになるはずだが、
そこまで今の時代に枇杷木刀の需要がないために、誰も試みようとしなくなっている、のではないか。
なぜ枇杷製の木刀の需要が減ったのかというと、
やはり木刀という武道具の需要自体が減ったから。
元来、古流の剣術などは木刀での稽古を最も主体として来たものだが、
今の剣道は竹刀ばかり使い、居合道や抜刀道は真剣や模造刀ばかり使う。
木刀での稽古をサブのサブ程度にしか扱わなくなったところが増えすぎたあまりに、
一般的な土農工具などにもよく使われる樫製のものばかりが用いられるようになった。
実際に枇杷製の木刀を持ってみると、力を込めずとも切っ先がピタリと止まる。
樫製よりも軽いからというのもあるだろうが、どうやら材質上からの共振周波数が
より人体から遠いらしく、体のブレをハウリングさせるような所が全くない。
なおかつ、枇杷製の木刀同士を打ち合わせると「カコン」という、まるで鹿威しのような音がする。
より硬質なために、「ガキン」という音と共に腕に大きな衝撃が加わる樫製と比べると、
激しい打ち合いの稽古の繰り返しにもより向いてそうだし、やはり高級だからではなく、
実用性が高いからこそ昔の人々も枇杷製の木刀を愛好していたようなのである。
無論、今の剣道では木刀での打ち合いなんかしないし、古流も形稽古ばかりで
打ち合いの稽古を疎かにしている所が多いから、やはりそんな木刀の需要はほとんどない。
だから一般的な稽古用具としての枇杷木刀は廃れて、本当は大木の枇杷製よりも低質な、
幼木の枇杷製の木刀を超高級品として崇め立てるような異常事態に陥っているわけだ。
やはり木刀という武道具の需要自体が減ったから。
元来、古流の剣術などは木刀での稽古を最も主体として来たものだが、
今の剣道は竹刀ばかり使い、居合道や抜刀道は真剣や模造刀ばかり使う。
木刀での稽古をサブのサブ程度にしか扱わなくなったところが増えすぎたあまりに、
一般的な土農工具などにもよく使われる樫製のものばかりが用いられるようになった。
実際に枇杷製の木刀を持ってみると、力を込めずとも切っ先がピタリと止まる。
樫製よりも軽いからというのもあるだろうが、どうやら材質上からの共振周波数が
より人体から遠いらしく、体のブレをハウリングさせるような所が全くない。
なおかつ、枇杷製の木刀同士を打ち合わせると「カコン」という、まるで鹿威しのような音がする。
より硬質なために、「ガキン」という音と共に腕に大きな衝撃が加わる樫製と比べると、
激しい打ち合いの稽古の繰り返しにもより向いてそうだし、やはり高級だからではなく、
実用性が高いからこそ昔の人々も枇杷製の木刀を愛好していたようなのである。
無論、今の剣道では木刀での打ち合いなんかしないし、古流も形稽古ばかりで
打ち合いの稽古を疎かにしている所が多いから、やはりそんな木刀の需要はほとんどない。
だから一般的な稽古用具としての枇杷木刀は廃れて、本当は大木の枇杷製よりも低質な、
幼木の枇杷製の木刀を超高級品として崇め立てるような異常事態に陥っているわけだ。
一番の問題点は、上に書いたような変遷が今まで誰にも自覚されることなく、
なし崩し的に来たされたものであるために、元来は実用品である枇杷木刀が今や
10万円を超えるような高級品扱いとなって、剣道家などの間でも珍重されていることだ。
敗戦後、日本ではGHQによって一定期間剣道の稽古が禁止された上に、
解禁後にも柔術併用の全面禁止などの大きな改変が加えられたのだった。
その過程で、一旦は古来の剣道のあり方も忘れ去られ、枇杷木刀がなぜ
愛好されていたのかなども、もはや誰も覚えてはいない状態に至ったのだろう。
それほどにもノータリンな連中による変容を来たした後の剣道モドキなんかを
やってしまったせいで、俺も20年間右肩を脱臼しっぱなしとかいう未曽有の重傷を
負ったのだし、別に俺自身の身体の弱さがその原因だったなどとも言えないわけだ。
幼木から切り出した枇杷木刀なんて、木目もただ細いだけで椿の木などと変わらない上、
(そのため椿木刀が枇杷木刀の代用品にされることもあるという)木目の通りを厳選する
ことができないせいでの経年による変形も来たしやすいらしいのに、そんなものを
重宝がって高額で買うほど、識見に欠けている連中がやっているような剣道。
いかに俺自身、遠回りな人生を歩まされて来たものかと改めて落胆させられるものだな。
なし崩し的に来たされたものであるために、元来は実用品である枇杷木刀が今や
10万円を超えるような高級品扱いとなって、剣道家などの間でも珍重されていることだ。
敗戦後、日本ではGHQによって一定期間剣道の稽古が禁止された上に、
解禁後にも柔術併用の全面禁止などの大きな改変が加えられたのだった。
その過程で、一旦は古来の剣道のあり方も忘れ去られ、枇杷木刀がなぜ
愛好されていたのかなども、もはや誰も覚えてはいない状態に至ったのだろう。
それほどにもノータリンな連中による変容を来たした後の剣道モドキなんかを
やってしまったせいで、俺も20年間右肩を脱臼しっぱなしとかいう未曽有の重傷を
負ったのだし、別に俺自身の身体の弱さがその原因だったなどとも言えないわけだ。
幼木から切り出した枇杷木刀なんて、木目もただ細いだけで椿の木などと変わらない上、
(そのため椿木刀が枇杷木刀の代用品にされることもあるという)木目の通りを厳選する
ことができないせいでの経年による変形も来たしやすいらしいのに、そんなものを
重宝がって高額で買うほど、識見に欠けている連中がやっているような剣道。
いかに俺自身、遠回りな人生を歩まされて来たものかと改めて落胆させられるものだな。
恫喝恫喝うるせぇけれども、そもそも俺は自分から革命や、
おまえらの財産放棄による即死の急進などを望んではいない。
そりゃあ確かに、この日本という国の将来のために必要不可欠なことではあるけれども、
それで犠牲になる旧世代の中には俺自身の親親族なども含まれているのだし、
体面ではなく心の底から、そんな事態の到来が急がれるようなことを望みはしない。
しかし、おまえらのほうが勝手に現状からの脱却ばかりを急かすものだから、
「だったらおまえら自身の自決が何よりの先決だろ」と俺も返すしかない。
つまり、俺ではなくおまえら自身が、自分で自分たちを恫喝している。
必要もなくわざわざあえて好き好んで。まことに奇特なマゾ揃いであることよ。
おまえらの財産放棄による即死の急進などを望んではいない。
そりゃあ確かに、この日本という国の将来のために必要不可欠なことではあるけれども、
それで犠牲になる旧世代の中には俺自身の親親族なども含まれているのだし、
体面ではなく心の底から、そんな事態の到来が急がれるようなことを望みはしない。
しかし、おまえらのほうが勝手に現状からの脱却ばかりを急かすものだから、
「だったらおまえら自身の自決が何よりの先決だろ」と俺も返すしかない。
つまり、俺ではなくおまえら自身が、自分で自分たちを恫喝している。
必要もなくわざわざあえて好き好んで。まことに奇特なマゾ揃いであることよ。
その「普通の人生」すら奪われた次世代が大多数に上っているからこそ、
少子高齢化にも歯止めがかからないでいるという実情を決して認めようとしない
おまえ自身は、その加害者側であることも含めてやはり普通ではないわな。
文明の発達によって、昔は大金がかかっていたのに、安価や無料で出来るように
なったことも増えたし、為替相場による国家間格差の維持によって、
通貨安の国で爆買いなんていう真似もまた時に出来たりはするものだが。
それでも、人間たち自身が食い繋いで生き延び、特に子供を産み育てたりして行く
ために必要となる経費自体には、昔ともさほどの差異が生じていないのには変わりない。
(なんならむしろ、物価高や大学全入などのせいでより増えているぐらい)
少子高齢化にも歯止めがかからないでいるという実情を決して認めようとしない
おまえ自身は、その加害者側であることも含めてやはり普通ではないわな。
文明の発達によって、昔は大金がかかっていたのに、安価や無料で出来るように
なったことも増えたし、為替相場による国家間格差の維持によって、
通貨安の国で爆買いなんていう真似もまた時に出来たりはするものだが。
それでも、人間たち自身が食い繋いで生き延び、特に子供を産み育てたりして行く
ために必要となる経費自体には、昔ともさほどの差異が生じていないのには変わりない。
(なんならむしろ、物価高や大学全入などのせいでより増えているぐらい)
その、人間として最低限な普通の人生のために必要な財産こそが、
江戸時代の倍以上なんていう極貧のせいで致命的に不足しているのが今の次世代。
「旧世代や企業が江戸時代の倍以上の富裕のための守銭奴状態でいるから」
という、決定的かつその解消以外に解決の手立てがない原因もまた見え透いている。
普通の人生は普通の人生であれど、それが致命的に阻害されているのが現代日本なれば、
それを普通としない常識を受け入れるか、その普通に立ち戻るための実践に及ぶしかない。
俺はそれを普通としない常識を受け入れている状態だし、そこから脱却する望みも手段もない。
おまえらはそんな常識は受け入れないとした上で、それを通用させられるだけの立場にもある。
何かをしなければならない義務もまた、おまえらにしかないのだし、
「何もかも人任せ」なんてのも、むしろ今のおまえらにこそ言えることだ。
江戸時代の倍以上なんていう極貧のせいで致命的に不足しているのが今の次世代。
「旧世代や企業が江戸時代の倍以上の富裕のための守銭奴状態でいるから」
という、決定的かつその解消以外に解決の手立てがない原因もまた見え透いている。
普通の人生は普通の人生であれど、それが致命的に阻害されているのが現代日本なれば、
それを普通としない常識を受け入れるか、その普通に立ち戻るための実践に及ぶしかない。
俺はそれを普通としない常識を受け入れている状態だし、そこから脱却する望みも手段もない。
おまえらはそんな常識は受け入れないとした上で、それを通用させられるだけの立場にもある。
何かをしなければならない義務もまた、おまえらにしかないのだし、
「何もかも人任せ」なんてのも、むしろ今のおまえらにこそ言えることだ。
まさに、おまえこそが何度でも、一つ覚えに、恫喝に戻る。自分自身への、な。
俺は極度の乱世、濁世たる今みたいな時代には何もしないでいるのが最善だと、
近ごろ頻繁な世代間格差への論及など以前から主張し続けて来た。
その頃からの首尾一貫としての長期無職生活だし、おまえらにもそれに賛同することを、
「どうせこいつら如きには無理だろうなあ」と見込みながらも促し続けて来た。
早急なる変革以上に、現状維持こそはわが本望中の本望であるのだから、
どんなに旧世代の財産放棄による即死の国家的必要性などを説いたところで、
俺自身にとってのおまえらへの恫喝などにはならん。
日本の将来のための、現状からの脱却をおまえらこそが急いでいるが故に、
その立場からすれば恫喝のように聞こえるというだけで、
それはおまえら自身のおまえら自身への恫喝でしかない。
鏡に向かって恫喝するような真似を繰り返すと人は発狂すると、
ナチスの人体実験か何かでも判明しているらしいし、おまえらへの自傷や自殺の教唆を
避けるためにも、俺自身はそれすら、なるべくならやめておけと忠告しておくものだ。
俺は極度の乱世、濁世たる今みたいな時代には何もしないでいるのが最善だと、
近ごろ頻繁な世代間格差への論及など以前から主張し続けて来た。
その頃からの首尾一貫としての長期無職生活だし、おまえらにもそれに賛同することを、
「どうせこいつら如きには無理だろうなあ」と見込みながらも促し続けて来た。
早急なる変革以上に、現状維持こそはわが本望中の本望であるのだから、
どんなに旧世代の財産放棄による即死の国家的必要性などを説いたところで、
俺自身にとってのおまえらへの恫喝などにはならん。
日本の将来のための、現状からの脱却をおまえらこそが急いでいるが故に、
その立場からすれば恫喝のように聞こえるというだけで、
それはおまえら自身のおまえら自身への恫喝でしかない。
鏡に向かって恫喝するような真似を繰り返すと人は発狂すると、
ナチスの人体実験か何かでも判明しているらしいし、おまえらへの自傷や自殺の教唆を
避けるためにも、俺自身はそれすら、なるべくならやめておけと忠告しておくものだ。
この前、親父が見ていたニュースの特集でな、
「上司が部下を叱るという行為が、もはや全てパワハラ扱いで絶滅の域に達している」
という話題をしてたんだがな。それで俺が、
「若者も給料上げてくれるんなら怒られてもいいぐらいに思ってるわな。ただ怒られ損が嫌なだけで」
というと、親父は返事も出来ずに黙りこくっちまったのな。どうやら身に覚えがあるらしく。
今の年寄層である戦後旧世代がまだ若かった頃には、戦前世代の上司が
部下を叱るのはおろか、場合によっては殴る蹴るも当たり前だったそうだが、
それはあくまで給料や地位をこれから上げてやるための、愛の鞭だったもの。
旧世代が上司や経営者となって後には、部下に対して怒るという行為が軒並み、
給料や地位を上げない、やらないための粗探し目的で試みられ始めたものだから、次世代も
豆腐メンタルだからとかいう以上に、自己防衛目的で怒られることから拒絶せざるを得なくなった。
戦前世代が、「怒る」という手段に加点目的を相乗させられていたのは、それだけ本人たちに
昔ながらの仁慈の心持ちが具わっていたからだが、戦後世代ともなるとそこが失われたために、
「怒る」という手段に減点目的を相乗させる、どこにもいい所がない鬼畜の所業へと振り切れたのだった。
「上司が部下を叱るという行為が、もはや全てパワハラ扱いで絶滅の域に達している」
という話題をしてたんだがな。それで俺が、
「若者も給料上げてくれるんなら怒られてもいいぐらいに思ってるわな。ただ怒られ損が嫌なだけで」
というと、親父は返事も出来ずに黙りこくっちまったのな。どうやら身に覚えがあるらしく。
今の年寄層である戦後旧世代がまだ若かった頃には、戦前世代の上司が
部下を叱るのはおろか、場合によっては殴る蹴るも当たり前だったそうだが、
それはあくまで給料や地位をこれから上げてやるための、愛の鞭だったもの。
旧世代が上司や経営者となって後には、部下に対して怒るという行為が軒並み、
給料や地位を上げない、やらないための粗探し目的で試みられ始めたものだから、次世代も
豆腐メンタルだからとかいう以上に、自己防衛目的で怒られることから拒絶せざるを得なくなった。
戦前世代が、「怒る」という手段に加点目的を相乗させられていたのは、それだけ本人たちに
昔ながらの仁慈の心持ちが具わっていたからだが、戦後世代ともなるとそこが失われたために、
「怒る」という手段に減点目的を相乗させる、どこにもいい所がない鬼畜の所業へと振り切れたのだった。
そしてそれがもはや世の中全体にとっての常識と化したために、
旧世代の内では比較的温厚な部類に入るだろうウチの親父なんかでも、
みんなやってる当たり前のこととして、そのやり方に少なからず迎合して来たのだった。
自分たちは怒られ得な下働きを若い頃にやらせてもらっておきながら、
いざ自分たちが上司になると、怒られ損な仕打ちしか部下相手にできないで来たのは、
総員で恩知らずにも程がある上に、自分たちのやっていることが、昔の自分たちの上司とも
別に変わってはいないと思い込めるほど、自分たちの姿が見えていないままだからなのでもある。
その非道さ、愚劣さをよく自覚してやり直すなんてことは、それこそショック死級の罪悪感と
共にでもなければ務まらないことだし、それに耐えられるほどの体力や寿命が旧世代の年寄り達に
残されているわけもなく、いかにしてその鬼門から逃げ延びて余生を全うするかぐらいしか、
自決級の英断を度外視するのであれば、考えようがないというのが実情でもあろう。
旧世代の内では比較的温厚な部類に入るだろうウチの親父なんかでも、
みんなやってる当たり前のこととして、そのやり方に少なからず迎合して来たのだった。
自分たちは怒られ得な下働きを若い頃にやらせてもらっておきながら、
いざ自分たちが上司になると、怒られ損な仕打ちしか部下相手にできないで来たのは、
総員で恩知らずにも程がある上に、自分たちのやっていることが、昔の自分たちの上司とも
別に変わってはいないと思い込めるほど、自分たちの姿が見えていないままだからなのでもある。
その非道さ、愚劣さをよく自覚してやり直すなんてことは、それこそショック死級の罪悪感と
共にでもなければ務まらないことだし、それに耐えられるほどの体力や寿命が旧世代の年寄り達に
残されているわけもなく、いかにしてその鬼門から逃げ延びて余生を全うするかぐらいしか、
自決級の英断を度外視するのであれば、考えようがないというのが実情でもあろう。
▲ページ最上部
ログサイズ:309 KB 有効レス数:201 削除レス数:273
不適切な書き込みやモラルに反する投稿を見つけた時は、書き込み右の マークをクリックしてサイト運営者までご連絡をお願いします。確認しだい削除いたします。
とりあえず掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
スレッドタイトル:仁義なき才覚は、不仁なるのみ