たとえば、音楽や演劇で最大級の才能を持ち合わせた天才がいて、
その才能を元手に名声を博そうにも、そもそも音楽や演劇などに
興味を持っている人間自体が、全人類のうちの一部のみに限られる。
人それぞれ好みの分野、入れ込んでいるジャンルというものがあって、
興味がない分野には興味がないのが人の世の常であるがゆえに、
特定の分野にかけての才能の突出などで名声を博することには限界があり、
無理にそのゴリ押しを試みても、大谷ハラスメントみたいな不興を買うことになるのみ。
そのため、全国、全世界への広告事業であらん限りの衆目を集めようとするような、
最大規模の名声の付与対象とするのがもっともふさわしいのは「無能」となる。
名声のための名声が雪だるま式に肥大化して行く、その種タネとしての虚無。
多少は何かの才能なりの名目があってもいいが、その部分が出しゃばって
無駄な色付けを加味させ過ぎるようなら、むしろ無能であったほうがいいために、
少なくとも無能に屈し、いくらでも迎合、妥協できる部類の才能でなければならない。
今の日本の大メディアなどにも、日本屈指の無能や在日ばかりが巣食っていると
よく揶揄されるけれども、最大級の名声を司るインフラに無能ばかりが集うのも、
ある種の必然なのであり、無能に過度の権限を与えたりしないためにはまず、
名声利権をハウリング級に肥大化させることから途絶させねばならないのである。
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