いくら詐病扱いをされようとも、スポーツ剣道で瀕死の重傷を負い、
古流の武芸や本物のヨガによって治して来たというのも事実だから、
そちらのほうが政官財の有力者たちもやっていることの多い、
現代武道の剣道や居合道に鞍替えしようなどとも到底、思えない。
近代以降の剣道が、古流の使い手に有利にならないようにルールを改悪し抜いて来たのと同様、
居合道の形カタなどもまた、特定の古流への贔屓にならないように、どの古流にも似ない
ウリジナルなものにあえて制定したと。その制定に携わったような剣術家からして、
「あんなものやっても何にもならない」と酷評していたものだし(「剣道の文化誌」参照)、
古流に精通している黒田鉄山氏やとみ新蔵氏もまた、その戦闘術としての無力さを指摘していたもの。
あえて古流に反目し抜いて来たような界隈だから、戦闘術としても無力、健康にも害があり、
おまけに組織団体としての大元締めは統一教会の弁護士(高村正彦)とかいう、
どこにもいい所がない掃き溜めと成り果てて今に至る。
こちらが独自に古流の優良さを確認して来たのみならず、そこへの反目者たちの
あまりにもの凋落加減からも、あえて此岸から彼岸へと乗り移ろうなんて言う気もまた、
熱湯シャワーをあえて浴びようとはしない並みに自然なこととして避けるしかない。
水が上から下へと流れ落ちるように、もはや忘れ去るほど当たり前なこととして諦めない
内実もまた、たとえば如是であり、もはやそこに愉悦すら感じざるを得ないのである。
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