歴史と文化からして全国区なアイテムは関西出自が8割を占めているのは仕方がないこと。
そばは江戸の初期までは「そばがき」でしか食されてなかったものを麺状にしたのも関西。
関西では「うどん」の方がメインだったから東京で「そば」が花開いたから東京名物になった。
江戸期以前に野生動物を狩猟して食べる風習はあったが、肉を食べなくなった江戸期以降
はじめて牛肉を流通経路に乗せたもの彦根藩だし、揚げ物、蒸し物、煮物、焼き物の殆どすべては
関西が発祥で江戸前寿司といっても酢飯(当時は赤酢)の概念を造ったのも関西だから歴史と
文化からして全国区なアイテムだと東京も名古屋も分が悪い。
湯浅、広村、由良といづれも和歌山で造られた醤油が鎌倉時代には関西一円には庶民レベルまで
普及していたが東京に初めて醤油が持ち込まれたのは1645年でヤマサ醤油の浜口儀兵衛によって。
四国が和三盆の産地だったこともあり砂糖も早くに普及し精製度の低いものなら庶民レベルでも
使っていたが江戸は約50年ほど遅れる事となる。(その間、砂糖は味醂で醤油はヒシオで代用)
清酒を関東で製造し始めたのも幕末期だし、江戸時代に限れば食文化的には凡そ100年ほど
遅れていたのだから「料理」に関しては推して知るべしで仕方がない。
名古屋も吉宗の倹約政策に対峙していた7代藩主の徳川宗春は料理人は全て上方から招聘
食材も「下りもの」つまり関西産しか食さなかった記録があるくらいだから。
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