レス数が 200 を超えています。残念ながら全部は表示しません。
カルトとレディーファースト 偉大なる生存の報告 Part318
▼ページ最下部
カルトにも色々あって、イスラム原理主義や日本赤軍あたりも
そのうちに入れるのなら、男尊女卑や男女平等がその活動原理になることも
あるわけだけれども。今この日本で猛威を奮い続けている部類のカルトに
ついては、専ら「レディーファースト系」であるという点が共通している。
別に女性優遇や女性専用を表向きに標榜しているわけでもないが、
主には加齢での体力低下や更年期による陰鬱状態に陥ってしまったような
女性たちを甘く優しい言葉でたぶらかし、まず自分たち側に取り込んで、
そこから場合によっては家族や知人友人に至るまでの征服支配を目論む。
統一教会はその典型例だし、元来は男尊女卑な傾向がある仏教系であるはずの
創価学会ですら、カルト故に某芸能人たちのような女性信者に頼る所が大きい。
明確にカルトと見なされず、さらには宗教団体でもないような組織団体だろうとも、
性別不問にもかかわらず結果的に女性優遇状態となっているような所は大体、
カルトに近い傾向を帯びていて、それがゲートドラッグ的なカルトへの橋渡し役
になってしまうこともある。統一教会などはそれ自体、そんなに大きな組織ではないが、
さような団体に至るまでを裾野と考えた場合の領域展開の規模はきわめて大きく、
ゆえに日本中が連中にとっての「濡れ手に泡」な狩場と化してしまっているのである。
そんなレディーファースト系カルトへの傾向分析と、対策の模索が今回の主題である。
そのうちに入れるのなら、男尊女卑や男女平等がその活動原理になることも
あるわけだけれども。今この日本で猛威を奮い続けている部類のカルトに
ついては、専ら「レディーファースト系」であるという点が共通している。
別に女性優遇や女性専用を表向きに標榜しているわけでもないが、
主には加齢での体力低下や更年期による陰鬱状態に陥ってしまったような
女性たちを甘く優しい言葉でたぶらかし、まず自分たち側に取り込んで、
そこから場合によっては家族や知人友人に至るまでの征服支配を目論む。
統一教会はその典型例だし、元来は男尊女卑な傾向がある仏教系であるはずの
創価学会ですら、カルト故に某芸能人たちのような女性信者に頼る所が大きい。
明確にカルトと見なされず、さらには宗教団体でもないような組織団体だろうとも、
性別不問にもかかわらず結果的に女性優遇状態となっているような所は大体、
カルトに近い傾向を帯びていて、それがゲートドラッグ的なカルトへの橋渡し役
になってしまうこともある。統一教会などはそれ自体、そんなに大きな組織ではないが、
さような団体に至るまでを裾野と考えた場合の領域展開の規模はきわめて大きく、
ゆえに日本中が連中にとっての「濡れ手に泡」な狩場と化してしまっているのである。
そんなレディーファースト系カルトへの傾向分析と、対策の模索が今回の主題である。
日本に対して、主にレディーファースト系のカルトをあてがうことで、
自分たちによる洗脳支配を円滑化しようと決めたのは、
やはり統一や創価の飼い主でもあるCIAあたりであろう。
イスラム圏などは、戒律から男尊女卑が徹底されているためにそんなものを
あてがう余地がなかったので、逆に過剰な男尊女卑を謳うイスラム原理主義組織などを
自作自演であてがうことでの、イスラム教全体への印象悪化工作を主として来たわけだが。
(日本でも児玉誉士夫が編成した街宣右翼などが似たような役割を担って来た)
日本の場合は、近代以降は古来の因習として男尊女卑傾向が残存しているだけで、
そこに法的な強制性などはほとんどないのをいいことに、レディーファースト系の
カルトによる伝統的な文化宗教の破壊と共なる侵略征服を試みることにしたのだろう。
それは実際に功を奏し、特に戦前世代の重鎮たちの引退後には、自民政権を乗っ取って
政治の大局から自分たちの好き勝手放題にならしめたわけだけれども。逆にそのせいで、
日本社会全体が持続不能なほどの窮地にも陥ったせいで、その害悪性までもが露わともなった。
自分たちによる洗脳支配を円滑化しようと決めたのは、
やはり統一や創価の飼い主でもあるCIAあたりであろう。
イスラム圏などは、戒律から男尊女卑が徹底されているためにそんなものを
あてがう余地がなかったので、逆に過剰な男尊女卑を謳うイスラム原理主義組織などを
自作自演であてがうことでの、イスラム教全体への印象悪化工作を主として来たわけだが。
(日本でも児玉誉士夫が編成した街宣右翼などが似たような役割を担って来た)
日本の場合は、近代以降は古来の因習として男尊女卑傾向が残存しているだけで、
そこに法的な強制性などはほとんどないのをいいことに、レディーファースト系の
カルトによる伝統的な文化宗教の破壊と共なる侵略征服を試みることにしたのだろう。
それは実際に功を奏し、特に戦前世代の重鎮たちの引退後には、自民政権を乗っ取って
政治の大局から自分たちの好き勝手放題にならしめたわけだけれども。逆にそのせいで、
日本社会全体が持続不能なほどの窮地にも陥ったせいで、その害悪性までもが露わともなった。
なぜレディーファースト系のカルトが、まともに国を営んで行くこともできないほど
致命的な害悪性を帯びてしまうのかについては、たとえば以下のような理由が挙げられる。
その手のカルトは中年以降に、体力も精神力も凋落しきった女性たちをたらし込むことでの
勢力拡大を図るために、そこから不可避に、無力で無能な部類の人種ばかりを優先的に
重用する傾向までもが定着してしまう。教団内の信者だけに限らず、そんな連中が支配下
においた世の中全体が、コミュ力はあっても無能というような部類の人種ばかりを重用して、
労働生産性を極限まで低下させての経済的な低迷に陥ってしまったのもそのためだといえる。
いつの時代も世の半数は女である上に、今などは高齢化社会だから年寄りも多い。
ゆえに中高年の女性からの支持さえ押さえとけば、民主制度下での勝ち組たることも盤石と
なるわけだけれども、それと引き換えに無能無力な人種ばかりを優遇する破目にも陥る。
その落とし穴を開き直って掘り下げ抜いた先にあったのが、昨今の日本社会の破綻なのである。
致命的な害悪性を帯びてしまうのかについては、たとえば以下のような理由が挙げられる。
その手のカルトは中年以降に、体力も精神力も凋落しきった女性たちをたらし込むことでの
勢力拡大を図るために、そこから不可避に、無力で無能な部類の人種ばかりを優先的に
重用する傾向までもが定着してしまう。教団内の信者だけに限らず、そんな連中が支配下
においた世の中全体が、コミュ力はあっても無能というような部類の人種ばかりを重用して、
労働生産性を極限まで低下させての経済的な低迷に陥ってしまったのもそのためだといえる。
いつの時代も世の半数は女である上に、今などは高齢化社会だから年寄りも多い。
ゆえに中高年の女性からの支持さえ押さえとけば、民主制度下での勝ち組たることも盤石と
なるわけだけれども、それと引き換えに無能無力な人種ばかりを優遇する破目にも陥る。
その落とし穴を開き直って掘り下げ抜いた先にあったのが、昨今の日本社会の破綻なのである。
うるせーー
身に覚えありありげなリアクションありがとう。
レディーファースト系カルトの手口は、
ヒトという生き物の生態の特別さに根差した、非常な巧妙さを帯びている。
https://www.youtube.com/watch?v=fVHEy_I9Ih...
地球上の生物のほとんどは、メスが閉経後にも長生きし続けたりすることがなく、
ただ人類のほかにはシャチやゴンドウなど、ごく一部の高等生物だけが
似たような生態を持ち合わせているという。それは、知能の高さ故に、
「おばあちゃんの知恵袋」的なものに利用価値が生まれたからであり、
海洋の生態系で最強の膂力を誇るシャチなどと比べても、より頭がいい代わりに、
中高年女性の体力低下が著しい人類こそは、その極北に当たる実例ともなっている。
シャチならまだ、おばあちゃんがリーダー格として振舞えることもあれど、
人間の場合は専ら、中高年女性が健全な役割を担えるのは「助役」としてまでであり、
古来の東洋社会や男尊女卑のイスラム圏などでも、そのような役割を担う
老年女性が、世の中の一員として敬愛されて来たのには違いない。
しかし、レディーファースト系のカルトたるや、その中高年女性たちに、
ただの助役に止まらない主役級の役割を与えようとする試みにより、
多くの女性をたぶらかしての、組織の強大化を図る。地球上でもっとも知能が高い
生物としての人類ならではの生態を悪用するという、非常に巧妙で卑劣な手口なのである。
レディーファースト系カルトの手口は、
ヒトという生き物の生態の特別さに根差した、非常な巧妙さを帯びている。
https://www.youtube.com/watch?v=fVHEy_I9Ih...
地球上の生物のほとんどは、メスが閉経後にも長生きし続けたりすることがなく、
ただ人類のほかにはシャチやゴンドウなど、ごく一部の高等生物だけが
似たような生態を持ち合わせているという。それは、知能の高さ故に、
「おばあちゃんの知恵袋」的なものに利用価値が生まれたからであり、
海洋の生態系で最強の膂力を誇るシャチなどと比べても、より頭がいい代わりに、
中高年女性の体力低下が著しい人類こそは、その極北に当たる実例ともなっている。
シャチならまだ、おばあちゃんがリーダー格として振舞えることもあれど、
人間の場合は専ら、中高年女性が健全な役割を担えるのは「助役」としてまでであり、
古来の東洋社会や男尊女卑のイスラム圏などでも、そのような役割を担う
老年女性が、世の中の一員として敬愛されて来たのには違いない。
しかし、レディーファースト系のカルトたるや、その中高年女性たちに、
ただの助役に止まらない主役級の役割を与えようとする試みにより、
多くの女性をたぶらかしての、組織の強大化を図る。地球上でもっとも知能が高い
生物としての人類ならではの生態を悪用するという、非常に巧妙で卑劣な手口なのである。
ユ●ヤ様の技の一つに被害者面”という技術が導入されてるワニね
それはあたかもか弱い、足りない弱者のような存在であり
弱い我ゆえ強者はそれに従わねばならない”という法律を
架空の被害や恐怖訴えて造り続けてるワニね
それはあたかもか弱い、足りない弱者のような存在であり
弱い我ゆえ強者はそれに従わねばならない”という法律を
架空の被害や恐怖訴えて造り続けてるワニね
ああ、やはり逃げられたか。
嘆かわしい。
嘆かわしい。
重ねて言うけれども、そういったレディーファースト系のカルトは、
表向きに女性専用なんかを名乗ったりはしないし、実質的に
女性優遇であることすら、ほとんど標榜しようともしない。
なぜかというのは、直近のおまえらの振舞いからも知れたこと。
俺が
※ 心の弱いヒステリー患者が立てたスレです。健康な人は書き込まないでください。
と>>1に明記してあるスレにはもう書き込まないと誓約してやったのに、
あっという間に放り出しての、普通のスレ立てに戻ってしまったのと同じ。
おまえらが身の程をわきまえての、ここでの活動を拒んだのと同じように、
自分たちが心技体ともども若者や男たちより衰え果ててしまった弱者であることを
わきまえた助役止まりの活動などではなく、その域を超えた主役としての振舞いによって
いい思いをしたいという野望がある、そんな老女たちを釣って養分にしたいものだから、
レディーファースト系のカルトも表向きは女性優遇なんかを標榜したりはしないし、
統一自民の共働き政策のように、むしろ男女平等のほうを旗印にするものである。
表向きに女性専用なんかを名乗ったりはしないし、実質的に
女性優遇であることすら、ほとんど標榜しようともしない。
なぜかというのは、直近のおまえらの振舞いからも知れたこと。
俺が
※ 心の弱いヒステリー患者が立てたスレです。健康な人は書き込まないでください。
と>>1に明記してあるスレにはもう書き込まないと誓約してやったのに、
あっという間に放り出しての、普通のスレ立てに戻ってしまったのと同じ。
おまえらが身の程をわきまえての、ここでの活動を拒んだのと同じように、
自分たちが心技体ともども若者や男たちより衰え果ててしまった弱者であることを
わきまえた助役止まりの活動などではなく、その域を超えた主役としての振舞いによって
いい思いをしたいという野望がある、そんな老女たちを釣って養分にしたいものだから、
レディーファースト系のカルトも表向きは女性優遇なんかを標榜したりはしないし、
統一自民の共働き政策のように、むしろ男女平等のほうを旗印にするものである。
もう喋るな
脳が爛れたゴミ人間
脳が爛れたゴミ人間
心技体の総合力で最低劣の弱者でいながら、
世の覇者たらんとするような野望を抱いてしまった、
不埒なおばさんたちの望みを叶えてやろうとするあまりに、
レディーファースト系カルトが支配する世の中は、
画像右のような悪平等を万人に強いるようになる。
その結果、男たちが実力を発揮することが阻害されるのはもちろんのこと、
漫画業のようなあまり性差が問題とならない分野で、男勝りの実力を発揮
していたような女たちの活躍までもが阻害され、最悪の場合は死に至らしめる。
そこでは、無能な女が有能な女性を迫害することもあれば、
無能な男が有能な男性を迫害することもありで、男女差別を不正な手段で
解消しようとしたあまりに、無能と有能の立場の逆転という大弊害を招き、
結局のところ迫害される人間の総数はさほど変わらないうえに、
有能ばかりが迫害されてのより一層の破綻を招くといった有害無益に帰結する。
男たちが粗暴な陽キャかチー牛な陰キャばかりに振り切れて、
とてもじゃないが異性付き合いなんか試みる気にもなれなくなったことが、
女たちの側の絶望を招く原因ともなっているしで、自滅行為としての側面もあり、
結局のところカルトの長以外誰もいい思いをしていないという事態に陥るのである。
世の覇者たらんとするような野望を抱いてしまった、
不埒なおばさんたちの望みを叶えてやろうとするあまりに、
レディーファースト系カルトが支配する世の中は、
画像右のような悪平等を万人に強いるようになる。
その結果、男たちが実力を発揮することが阻害されるのはもちろんのこと、
漫画業のようなあまり性差が問題とならない分野で、男勝りの実力を発揮
していたような女たちの活躍までもが阻害され、最悪の場合は死に至らしめる。
そこでは、無能な女が有能な女性を迫害することもあれば、
無能な男が有能な男性を迫害することもありで、男女差別を不正な手段で
解消しようとしたあまりに、無能と有能の立場の逆転という大弊害を招き、
結局のところ迫害される人間の総数はさほど変わらないうえに、
有能ばかりが迫害されてのより一層の破綻を招くといった有害無益に帰結する。
男たちが粗暴な陽キャかチー牛な陰キャばかりに振り切れて、
とてもじゃないが異性付き合いなんか試みる気にもなれなくなったことが、
女たちの側の絶望を招く原因ともなっているしで、自滅行為としての側面もあり、
結局のところカルトの長以外誰もいい思いをしていないという事態に陥るのである。
スレを最上位に表示させることそのものが、全住民への嫌がらせなのだろう。
さぞかしスッキリしたろうな。
さぞかしスッキリしたろうな。
不当圧力に屈しない、健全な社会正義の貫徹ゆえの愉悦ぐらいはあるが。
それが、歪んだ社会正義に囚われた連中にとっての不快感と引き換えであるのも知っている。
不倶戴天にはやはり悪念が付き物だということだが、
それを制御不能な域の相手への憎悪やクズ扱いにまでエスカレートさせて、
苦悶にあえいでいるような側がいるとすれば、そちらのほうが今現在も負け組である上に、
この世から絶えて然るべき側であることまでもが自明だといえるだろう。
その暴走性のあまり、戦い済んでも相変わらず悪念の塊であり続けるのに違いないが故に。
それが、歪んだ社会正義に囚われた連中にとっての不快感と引き換えであるのも知っている。
不倶戴天にはやはり悪念が付き物だということだが、
それを制御不能な域の相手への憎悪やクズ扱いにまでエスカレートさせて、
苦悶にあえいでいるような側がいるとすれば、そちらのほうが今現在も負け組である上に、
この世から絶えて然るべき側であることまでもが自明だといえるだろう。
その暴走性のあまり、戦い済んでも相変わらず悪念の塊であり続けるのに違いないが故に。
言い逃れと恫喝しかない下郎に社会正義を語る資格はないよ
冗談は顔だけにしてくりゃれ
冗談は顔だけにしてくりゃれ
(>>21の続き)
統一教会だけに限定してみれば、いい思いをして来たのは
教祖の文鮮やその嫁の鶴子だけではない。日本で信者から吸い上げた
献金などを祖国に送金して多くの人々を潤わせ、祖国で最底辺の立場に
あるような男たちにも合同結婚式で日本人妻をあてがってやるなど、
ことに韓国では統一のおかげでいい思いをしている連中が山ほどいる。
そもそも統一教会がレディーファースト系であるのは日本国内に対してだけで、
韓国ではむしろ日本全体を女と見た場合の男根主義的な傾向を持ち合わせている。
創価やオウムだって幹部クラス以上は高学歴の男たちで占められているわけで、
レディーファースト系のカルトも頂点から底辺まで100%レディーファースト
というわけではなく、あくまで被支配側をたらし込む手段としているだけである。
統一教会だけに限定してみれば、いい思いをして来たのは
教祖の文鮮やその嫁の鶴子だけではない。日本で信者から吸い上げた
献金などを祖国に送金して多くの人々を潤わせ、祖国で最底辺の立場に
あるような男たちにも合同結婚式で日本人妻をあてがってやるなど、
ことに韓国では統一のおかげでいい思いをしている連中が山ほどいる。
そもそも統一教会がレディーファースト系であるのは日本国内に対してだけで、
韓国ではむしろ日本全体を女と見た場合の男根主義的な傾向を持ち合わせている。
創価やオウムだって幹部クラス以上は高学歴の男たちで占められているわけで、
レディーファースト系のカルトも頂点から底辺まで100%レディーファースト
というわけではなく、あくまで被支配側をたらし込む手段としているだけである。
統一や創価は、そもそもがCIAが日本でのスパイ工作を捗らせるために編成した
組織であるために、レディーファースト系であることもまた、そのための
手段に過ぎないとも言えるわけだけれども、それがアメリカのユダヤ勢力なども
勝手知ったる手法であるからこそ、それを選択したという側面もまたあろう。
ユダヤがまともに国を営めたこともないなりに、一大勢力としての繁栄を
謳歌しているのと同じように、今日本で跋扈しているような部類のカルトもまた、
世の何もかもを犠牲にしながら、自分たちだけは繁栄を謳歌して来たものである。
その目的自体は達成されているわけで、その有様が世の中の側から見れば悪性の
癌細胞もいいところであることが、それを否定する根拠になるわけでもない。
組織であるために、レディーファースト系であることもまた、そのための
手段に過ぎないとも言えるわけだけれども、それがアメリカのユダヤ勢力なども
勝手知ったる手法であるからこそ、それを選択したという側面もまたあろう。
ユダヤがまともに国を営めたこともないなりに、一大勢力としての繁栄を
謳歌しているのと同じように、今日本で跋扈しているような部類のカルトもまた、
世の何もかもを犠牲にしながら、自分たちだけは繁栄を謳歌して来たものである。
その目的自体は達成されているわけで、その有様が世の中の側から見れば悪性の
癌細胞もいいところであることが、それを否定する根拠になるわけでもない。
一部のカルトが、国にとっての癌細胞級の存在性を帯びていることは、
理論的にでなくとも多くの人々が察していることで、だからこそ、
その手の団体が一般庶民からは嫌悪の目で見られ続けているのだけれども。
残念ながら、そういったカルトだけが日本人への洗脳支配を司っているわけではない。
戦前からプロパガンダ組織だった電通などの大メディアがその手のカルトと組んだり、
場合によってはCIAや中国情報部との直接的な連携による洗脳工作にも取り組んで来た。
なおかつ、そのような直接的な危害目的で現代日本に君臨している連中にとっての
実質的な下部組織にあたるような連中が、実は日本中、どこにでもいる状態にある。
残念ながら、オウム事件以降に「無宗教だから健全」を謳いながら、健康法として
広められて来たヨガ教室なども、ここでいうレディーファースト系であることで、
カルトに溺れて自他を害するのに次ぐような志向性を帯びている場合が非常に多い。
無宗教だから、極端に厳しいこととからやらないから、カルトとは無縁だと謳いながら、
か弱い老年女性たちを誑かしての増長に至らしめることで利権の拡大に臨んでいる点では
統一などとも大差ないために、大なり小なりそれと似た害悪性を帯びているのである。
理論的にでなくとも多くの人々が察していることで、だからこそ、
その手の団体が一般庶民からは嫌悪の目で見られ続けているのだけれども。
残念ながら、そういったカルトだけが日本人への洗脳支配を司っているわけではない。
戦前からプロパガンダ組織だった電通などの大メディアがその手のカルトと組んだり、
場合によってはCIAや中国情報部との直接的な連携による洗脳工作にも取り組んで来た。
なおかつ、そのような直接的な危害目的で現代日本に君臨している連中にとっての
実質的な下部組織にあたるような連中が、実は日本中、どこにでもいる状態にある。
残念ながら、オウム事件以降に「無宗教だから健全」を謳いながら、健康法として
広められて来たヨガ教室なども、ここでいうレディーファースト系であることで、
カルトに溺れて自他を害するのに次ぐような志向性を帯びている場合が非常に多い。
無宗教だから、極端に厳しいこととからやらないから、カルトとは無縁だと謳いながら、
か弱い老年女性たちを誑かしての増長に至らしめることで利権の拡大に臨んでいる点では
統一などとも大差ないために、大なり小なりそれと似た害悪性を帯びているのである。
「ヨガへの傾倒が、夫との不和を生む原因になってしまっている」と嘆く老女の
レッスン生に対して、インストラクターが「まあそんなこと気にするな」的な
ことをいってなだめている姿を、俺も体験教室で目撃したことがあるのだが。
そこももちろん完全な無宗教で、なおかつ一般に広められている内ではかなり上級で、
厳しいヨガもやるような所でいながら、やはり所属者の大半が中高年の女性で、
嫁に誘われてでもなく独自に参加していた男性は、俺のほかには、新しく船を
買ったので健康維持のために来てみた漁師とかの、ごく一部だけに限られていた。
なおかつ、そこでも他のレディーファースト系なヨガ教室と共通していたのが、
「今以上」なんてものは全くと言っていいほど目指しもしない点。
長時間の三点倒立耐久とかの、かなり厳しいこともやるにしても、すでにできているような、
おばさんの中ではエリートな部類の人々を囲い込むことに特化しているというだけのこと。
若い頃に体操選手だったとかバレエをやってたとかで、加齢後もそれなりに身体能力が
高いほうでいるおばさん達に、現状でもできるような範囲のことだけをやらせる。
そんなおばさんたちでも女性である以上は、中年以降の劇的な能力向上なんかはまず
見込めないので、とにかく「今以上」だけは禁忌中の禁忌扱いとしてしまうのである。
レッスン生に対して、インストラクターが「まあそんなこと気にするな」的な
ことをいってなだめている姿を、俺も体験教室で目撃したことがあるのだが。
そこももちろん完全な無宗教で、なおかつ一般に広められている内ではかなり上級で、
厳しいヨガもやるような所でいながら、やはり所属者の大半が中高年の女性で、
嫁に誘われてでもなく独自に参加していた男性は、俺のほかには、新しく船を
買ったので健康維持のために来てみた漁師とかの、ごく一部だけに限られていた。
なおかつ、そこでも他のレディーファースト系なヨガ教室と共通していたのが、
「今以上」なんてものは全くと言っていいほど目指しもしない点。
長時間の三点倒立耐久とかの、かなり厳しいこともやるにしても、すでにできているような、
おばさんの中ではエリートな部類の人々を囲い込むことに特化しているというだけのこと。
若い頃に体操選手だったとかバレエをやってたとかで、加齢後もそれなりに身体能力が
高いほうでいるおばさん達に、現状でもできるような範囲のことだけをやらせる。
そんなおばさんたちでも女性である以上は、中年以降の劇的な能力向上なんかはまず
見込めないので、とにかく「今以上」だけは禁忌中の禁忌扱いとしてしまうのである。
その、「今以上なんか全く志さなくていい」という甘やかし加減と共に、
自力作善の王道中の王道であるヨガ行なんかをやらせたりすることが、
たとえ無宗教を標榜しようとも、正真のカルトに準ずるような悪影響を帯びてしまう。
たとえば念仏なんかは、煩悩愚悪の凡夫であることをよくよくわきまえた上での、
「今以上なんか目指さない」であるものだから、それ相応に健全な情操となるのだが、
同様な志しの低さでいながら、ヨガのような自力作善の行法に取り組んだりすることが、
身の程知らずの思い上がりばかりを増長させる、特別な悪影響を帯びてしまうのである。
それは、ただ家庭内不和などの外的な悪影響をもたらすだけでなく、
本人自身の心身を害するような自滅性までをも帯びてしまうもの。
人間、やりようによっては囲碁とか植物研究みたいな、それ自体が健康法なわけでもない
ような嗜みによってでも健康長寿を実現して行けることが、この人とか牧野富太郎とかの
事例からも知れるのだけれども、それはあくまで今以上の上達を志し続けられるほどの
情熱こそがその糧となるからであって、あえてその情熱を当人から取り上げるような
部類の嗜みなどは、たとえ健康法を標榜していようとも逆効果になりかねないのである。
自力作善の王道中の王道であるヨガ行なんかをやらせたりすることが、
たとえ無宗教を標榜しようとも、正真のカルトに準ずるような悪影響を帯びてしまう。
たとえば念仏なんかは、煩悩愚悪の凡夫であることをよくよくわきまえた上での、
「今以上なんか目指さない」であるものだから、それ相応に健全な情操となるのだが、
同様な志しの低さでいながら、ヨガのような自力作善の行法に取り組んだりすることが、
身の程知らずの思い上がりばかりを増長させる、特別な悪影響を帯びてしまうのである。
それは、ただ家庭内不和などの外的な悪影響をもたらすだけでなく、
本人自身の心身を害するような自滅性までをも帯びてしまうもの。
人間、やりようによっては囲碁とか植物研究みたいな、それ自体が健康法なわけでもない
ような嗜みによってでも健康長寿を実現して行けることが、この人とか牧野富太郎とかの
事例からも知れるのだけれども、それはあくまで今以上の上達を志し続けられるほどの
情熱こそがその糧となるからであって、あえてその情熱を当人から取り上げるような
部類の嗜みなどは、たとえ健康法を標榜していようとも逆効果になりかねないのである。
都知事選のスレ、レスがつかなくなったね。
以前のスレについても下記リンクで指摘されていたのと同様、スレ主がお前だと分かった時点でな。
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1714696310/17...
またお前のデタラメな屁理屈が間違っていることが証明されちゃって、可哀想に。
以前のスレについても下記リンクで指摘されていたのと同様、スレ主がお前だと分かった時点でな。
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1714696310/17...
またお前のデタラメな屁理屈が間違っていることが証明されちゃって、可哀想に。
また人間のクズお得意のネジマゲかよ
だからハゲにも嫌われる
だからハゲにも嫌われる
お前が常駐してる時間帯とか誰も抑えてねーよ
本当に気持ち悪い思考してんなお前
本当に気持ち悪い思考してんなお前
(>>35の続き)
まず以て、ヨガが専ら「リラックス法」として流布されている所からして
おかしいと、俺もだいぶ前から指摘して来たものではあるけれども。
いま普通に「ヨガ」と呼ばれているのは概ね「ハタヨガ」のことで、
体操系はほぼ全てハタヨガ。それ自体にリラックス効果があるのは確かだが、
それはあくまで「ラージャヨガ」というヨガの本分にあたるほうの行法を
補助して行くための、いち手段に過ぎないもの。
ラージャヨガの実践者というのは、たとえば松岡修造とか、WBCでグローブを
投げつけながら吠え猛っていた大谷翔平とか(この二人は天風会のラージャヨガ愛好者)。
あるいはボリウッド映画のやたらとエネルギッシュな作風とかも、どちらかといえば
ラージャヨガ的なものであり、それはリラックスとは真逆というべき熱血さの集成でこそある。
ラージャヨガへの傾倒のあまりに、場合によっては低温火傷や多汗症のような疾病級の
副作用までをも帯びてしまうことがあるために(クンダリニー症候群などとも呼ばれる)、
そうならないための火加減目的で講じられるのが、本来のハタヨガである。
そんなハタヨガだけを独立に行おうものなら、ただなんの効果も得られないだけでなく、
リラックス過剰による虚弱化やヒステリーなどにも見舞われかねず、
それが何もしないでいる場合以上の、健康面への悪影響ともなりかねない。
まず以て、ヨガが専ら「リラックス法」として流布されている所からして
おかしいと、俺もだいぶ前から指摘して来たものではあるけれども。
いま普通に「ヨガ」と呼ばれているのは概ね「ハタヨガ」のことで、
体操系はほぼ全てハタヨガ。それ自体にリラックス効果があるのは確かだが、
それはあくまで「ラージャヨガ」というヨガの本分にあたるほうの行法を
補助して行くための、いち手段に過ぎないもの。
ラージャヨガの実践者というのは、たとえば松岡修造とか、WBCでグローブを
投げつけながら吠え猛っていた大谷翔平とか(この二人は天風会のラージャヨガ愛好者)。
あるいはボリウッド映画のやたらとエネルギッシュな作風とかも、どちらかといえば
ラージャヨガ的なものであり、それはリラックスとは真逆というべき熱血さの集成でこそある。
ラージャヨガへの傾倒のあまりに、場合によっては低温火傷や多汗症のような疾病級の
副作用までをも帯びてしまうことがあるために(クンダリニー症候群などとも呼ばれる)、
そうならないための火加減目的で講じられるのが、本来のハタヨガである。
そんなハタヨガだけを独立に行おうものなら、ただなんの効果も得られないだけでなく、
リラックス過剰による虚弱化やヒステリーなどにも見舞われかねず、
それが何もしないでいる場合以上の、健康面への悪影響ともなりかねない。
「ハタヨガなくしてラージャヨガは成功せず、ラージャヨガなくしてハタヨガも成功しない」
「ラージャヨガを知らずにハタヨガを行ずる者を、我々は努力の効果を逸した人々と呼ぶ」
(ハタヨガの根本聖典「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」より)
いま世の中に広く頒布されているヨガの9割9分9厘以上は、そういう意味での
悪い例に当たるようなヨガばかりで、だからこそ専らリラックス効果ばかりを謳っている。
ラージャヨガによる熱量確保抜きでハタヨガだけを試みたりすれば、
基本的には虚弱化ばかりがどんどん進み、中高年の女性などは特に、それが原因でのヒステリー
なども増悪させて行くのだけれども、ヨガの体操などをしているぶんには、それが癒されている気分
にもなれるので、そのマッチポンプ効果によって、まるで健康になっているようにも勘違いしてしまう。
実際には、潜在的なヒステリー痛などがより進行しているために、普段の不機嫌さもよりひどくなり、
そこにろくな配慮もなく接して来る夫などとの間に、より深刻な軋轢を生じさせたりすることにもなる。
ゆえに、かなり上級のハタヨガをやっているような老年女性なども、夫との不和に悩んだりする
事態に陥ってしまったもの。まさに「やらないほうがマシ」な域の問題性を帯びているわけである。
「ラージャヨガを知らずにハタヨガを行ずる者を、我々は努力の効果を逸した人々と呼ぶ」
(ハタヨガの根本聖典「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」より)
いま世の中に広く頒布されているヨガの9割9分9厘以上は、そういう意味での
悪い例に当たるようなヨガばかりで、だからこそ専らリラックス効果ばかりを謳っている。
ラージャヨガによる熱量確保抜きでハタヨガだけを試みたりすれば、
基本的には虚弱化ばかりがどんどん進み、中高年の女性などは特に、それが原因でのヒステリー
なども増悪させて行くのだけれども、ヨガの体操などをしているぶんには、それが癒されている気分
にもなれるので、そのマッチポンプ効果によって、まるで健康になっているようにも勘違いしてしまう。
実際には、潜在的なヒステリー痛などがより進行しているために、普段の不機嫌さもよりひどくなり、
そこにろくな配慮もなく接して来る夫などとの間に、より深刻な軋轢を生じさせたりすることにもなる。
ゆえに、かなり上級のハタヨガをやっているような老年女性なども、夫との不和に悩んだりする
事態に陥ってしまったもの。まさに「やらないほうがマシ」な域の問題性を帯びているわけである。
(>>45の続き)
それはまさに、統一教会の信者たちの家庭内不和とも遜色ない有様。
教団の指示に従ってさえいれば、信者間では何もかもを認め合い、
何一つとして落ち度を指摘したりすることもないお花畑が形成され、
更年期女性の信者あたりは、もはやそこにしか安堵を抱けなくなる。
いざ家に帰ってみれば、脱会しろだの献金をやめろだのと、強く厳しい
言葉で自らを批判するような言葉を投げかけて来るような家族ばかり。
もはや本当の家族とは儲たちや、その真のお父様お母様たる文鮮鶴子
のほうなのだと心底思い込むようになっての、家庭崩壊一直線となる。
倦怠期に陥った夫婦が、夫のほうは過剰なほどに仕事ばかりに入れ込み、
妻のほうは心開ける仲間や代表者のいる手習いに入れ込むなんてのは、
多くの日本人家庭で見られて来た現象であるけれども、その大元凶が
統一教会のような正真のカルトなら、裾野付近のゲートドラッグ役として
最大級の役割を果たしているのが、今のヨガ教室あたりともなっている。
ヨガをそういう教え方教わり方なんかすれば、自然とそうなってしまう。
たとえオウムのようなカルトそのものであることを徹底拒絶しようとも、
今度は統一教会のような別種のカルトの実質的な下部組織となるのみ。
一旦、ヨガなんてものは一切合切を危険物扱いとして、小林製薬の
紅麹サプリなみの注意喚起対象にし直したぐらいのほうがいいものである。
そこからしか、本当に健全なヨガが広まる余地もないような状態なのだし。
それはまさに、統一教会の信者たちの家庭内不和とも遜色ない有様。
教団の指示に従ってさえいれば、信者間では何もかもを認め合い、
何一つとして落ち度を指摘したりすることもないお花畑が形成され、
更年期女性の信者あたりは、もはやそこにしか安堵を抱けなくなる。
いざ家に帰ってみれば、脱会しろだの献金をやめろだのと、強く厳しい
言葉で自らを批判するような言葉を投げかけて来るような家族ばかり。
もはや本当の家族とは儲たちや、その真のお父様お母様たる文鮮鶴子
のほうなのだと心底思い込むようになっての、家庭崩壊一直線となる。
倦怠期に陥った夫婦が、夫のほうは過剰なほどに仕事ばかりに入れ込み、
妻のほうは心開ける仲間や代表者のいる手習いに入れ込むなんてのは、
多くの日本人家庭で見られて来た現象であるけれども、その大元凶が
統一教会のような正真のカルトなら、裾野付近のゲートドラッグ役として
最大級の役割を果たしているのが、今のヨガ教室あたりともなっている。
ヨガをそういう教え方教わり方なんかすれば、自然とそうなってしまう。
たとえオウムのようなカルトそのものであることを徹底拒絶しようとも、
今度は統一教会のような別種のカルトの実質的な下部組織となるのみ。
一旦、ヨガなんてものは一切合切を危険物扱いとして、小林製薬の
紅麹サプリなみの注意喚起対象にし直したぐらいのほうがいいものである。
そこからしか、本当に健全なヨガが広まる余地もないような状態なのだし。
(>>48の続き)
たとえば、俗人向けのハタヨガの中では最難関中の最難関である、
アシュタンガヨガのマイソール本部での上級クラスともなると、
女性がやると病気や怪我に見舞われかねないほど厳しい行法がいくつか
あるために、不可避に女人禁制となっている部分があったりもする。
最高峰のラージャヨガの総本山である高野山もまた、本来は女人禁制だったように、
本物のヨガはどうあってもレディーファーストなどではあり得ない。
あらゆる求道分野の中でも最もそうであることが許されない代物である。
ラージャヨガ仕込みで、底力からの実力の発露たる松岡や大谷のような覇気と、
底無しな実力の落ち込みへの悲鳴として発露されるおばさんのヒステリーもまた、
まさに人間が発露する激情の両極端とでも呼ぶべき代物同士であり、
人間という生き物を強弱の両極端へといざなう徴しそのものである。
たとえば、俗人向けのハタヨガの中では最難関中の最難関である、
アシュタンガヨガのマイソール本部での上級クラスともなると、
女性がやると病気や怪我に見舞われかねないほど厳しい行法がいくつか
あるために、不可避に女人禁制となっている部分があったりもする。
最高峰のラージャヨガの総本山である高野山もまた、本来は女人禁制だったように、
本物のヨガはどうあってもレディーファーストなどではあり得ない。
あらゆる求道分野の中でも最もそうであることが許されない代物である。
ラージャヨガ仕込みで、底力からの実力の発露たる松岡や大谷のような覇気と、
底無しな実力の落ち込みへの悲鳴として発露されるおばさんのヒステリーもまた、
まさに人間が発露する激情の両極端とでも呼ぶべき代物同士であり、
人間という生き物を強弱の両極端へといざなう徴しそのものである。
それを野球みたいな不合理な運動に載せた大谷が、投球不能となるほどの
故障に見舞われたりもしているように、ラージャヨガもまた必ずしもそれだけで
人間を最大級の能力発揮ばかりへと導くものではなく、そこにハタヨガ的な
自己制御の加味もあってこそ、それ以上の上達までもが見込まれるのだけれども。
逆に、それでこそ大いなる効用を発揮する行法の一つがハタヨガであるがゆえに、
それだけを行じたりするのは、運動もしないのにアスリートなみの
大食を試みたりするのとも同じ、健康被害あらたかな暴挙となるもの。
それは、大いなる志しを確かな方法で達成せんとする益荒男あたりが、
ようやくうまく活用できるか、やっぱりできないかというぐらいのものなれば、
なんならその一切合切を女人禁制にでもしてしまったほうがいいかもしれないぐらいなのだ。
故障に見舞われたりもしているように、ラージャヨガもまた必ずしもそれだけで
人間を最大級の能力発揮ばかりへと導くものではなく、そこにハタヨガ的な
自己制御の加味もあってこそ、それ以上の上達までもが見込まれるのだけれども。
逆に、それでこそ大いなる効用を発揮する行法の一つがハタヨガであるがゆえに、
それだけを行じたりするのは、運動もしないのにアスリートなみの
大食を試みたりするのとも同じ、健康被害あらたかな暴挙となるもの。
それは、大いなる志しを確かな方法で達成せんとする益荒男あたりが、
ようやくうまく活用できるか、やっぱりできないかというぐらいのものなれば、
なんならその一切合切を女人禁制にでもしてしまったほうがいいかもしれないぐらいなのだ。
話をヨガ以外の分野に振り向けてみたところで、やはり似たようなことが言える。
体力一辺倒なスポーツ分野はおろか、囲碁や将棋のような頭を使う分野でも、
軒並み男女の能力差が格段に開いているために、女流も基本別枠に置かれているもの。
女性のほうが得意な分野なんて、軟体芸とかカラーコーディネートとかのごく一部だけに
限られるのに、そういう分野ないのにレディーファースト状態でいるような教室なんかは、
まず以てろくに自己向上も志していないような馴れ合い目的でいることがほぼ間違いない。
料理教室や裁縫教室なみに、主婦としての女性向けに特化したような教室であれば、
やたらと自己向上など志さずとも健全な範疇たるが、実力が低いながらに世に打って
出ようとするような女たちを、着実な実力向上を助けるわけでもないのに、甘い言葉で
たぶらかして、教室内でしか通用しないような検定の合格なりで上達した気にさせる、
そういった部類の教室のほうが。残念ながら昨今はハイソな手習いとして横行している上に、
まさにレディーファースト系カルトにとってのゲートドラッグ的な役回りでもいるもの。
体力一辺倒なスポーツ分野はおろか、囲碁や将棋のような頭を使う分野でも、
軒並み男女の能力差が格段に開いているために、女流も基本別枠に置かれているもの。
女性のほうが得意な分野なんて、軟体芸とかカラーコーディネートとかのごく一部だけに
限られるのに、そういう分野ないのにレディーファースト状態でいるような教室なんかは、
まず以てろくに自己向上も志していないような馴れ合い目的でいることがほぼ間違いない。
料理教室や裁縫教室なみに、主婦としての女性向けに特化したような教室であれば、
やたらと自己向上など志さずとも健全な範疇たるが、実力が低いながらに世に打って
出ようとするような女たちを、着実な実力向上を助けるわけでもないのに、甘い言葉で
たぶらかして、教室内でしか通用しないような検定の合格なりで上達した気にさせる、
そういった部類の教室のほうが。残念ながら昨今はハイソな手習いとして横行している上に、
まさにレディーファースト系カルトにとってのゲートドラッグ的な役回りでもいるもの。
もちろんその手の手習いに入れ込む女たちが、全員が全員、統一や創価級のカルトにまで入信
したりするわけではないが、たとえばその手のカルトがメディアを通じて試みる洗脳工作なんか
にもまんまとはまり、カルトが投票させたい政治家への投票などにも間接的に誘導されてしまう。
近年の国会中継などはよく、自民政治家がノロノロと当たり障りのない発言ばかりをして、
そこに野党が口汚い罵りを踏まえた糾弾を試みるようなのが常套化して来たけれども、
レディーファースト系の教室でヒステリーを増悪させてしまったおばさんなどは、
ただ強い言葉を聞かされただけでも狂いそうなほどの苦痛に見舞われるものだから、
そこで論じられている政策の可否などとも無関係に、野党を避けて自民に投票することとなる。
そういった数多の間接的な助成を通じて、レディーファースト系の組織団体たるや、無宗教を
謳っているような所に至るまで、カルトとも一丸となっての濁世の深化に与して来たのである。
したりするわけではないが、たとえばその手のカルトがメディアを通じて試みる洗脳工作なんか
にもまんまとはまり、カルトが投票させたい政治家への投票などにも間接的に誘導されてしまう。
近年の国会中継などはよく、自民政治家がノロノロと当たり障りのない発言ばかりをして、
そこに野党が口汚い罵りを踏まえた糾弾を試みるようなのが常套化して来たけれども、
レディーファースト系の教室でヒステリーを増悪させてしまったおばさんなどは、
ただ強い言葉を聞かされただけでも狂いそうなほどの苦痛に見舞われるものだから、
そこで論じられている政策の可否などとも無関係に、野党を避けて自民に投票することとなる。
そういった数多の間接的な助成を通じて、レディーファースト系の組織団体たるや、無宗教を
謳っているような所に至るまで、カルトとも一丸となっての濁世の深化に与して来たのである。
心の弱いヒステリー患者にはもちろん、
失敗者が切腹のごとき引責自殺にまで臨むことで、
腐敗を徹底的に根絶してかかる為政などもまた、
峻厳すぎて支持することなどはできない。
国を傾けるほどの落ち度にまみれながら、誰も責任を取ろうともしない、
自民政治の支持基盤にはいつも、厳しいことは何でもイヤなヒステリー状態
のおばさんや、そのおばさんの尻に敷かれっぱなしな夫があり続けて来た。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fcd7eb43b389cda0c99ae...
大メディア等も同様なものだから、自分たちが制作ドラマの原作者を悲痛で
死なせておきながら、その調査報告に際しても匿名だらけ、会見にカメラも入れず、
その理由を「二次被害が懸念されるから」などと、まるで自分たちのほうが
被害者か何かのように言い張る有り様。報道などで他人の落ち度は追究しても、
自分たちが落ち度を認めて積極的に責任をとったりする気は毛頭ない。
そんな大メディアの作る番組などを好んで見続けて来たのもまた、
セクシー田中さんが原作者からの横槍もなく改変され抜いていた場合には、
成り果てていただろう、なんの当たり障りもない恋愛ドラマあたりを特に
好き好んで来たような、厳しいことは何でもイヤなヒステリー患者たちなのだ。
失敗者が切腹のごとき引責自殺にまで臨むことで、
腐敗を徹底的に根絶してかかる為政などもまた、
峻厳すぎて支持することなどはできない。
国を傾けるほどの落ち度にまみれながら、誰も責任を取ろうともしない、
自民政治の支持基盤にはいつも、厳しいことは何でもイヤなヒステリー状態
のおばさんや、そのおばさんの尻に敷かれっぱなしな夫があり続けて来た。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fcd7eb43b389cda0c99ae...
大メディア等も同様なものだから、自分たちが制作ドラマの原作者を悲痛で
死なせておきながら、その調査報告に際しても匿名だらけ、会見にカメラも入れず、
その理由を「二次被害が懸念されるから」などと、まるで自分たちのほうが
被害者か何かのように言い張る有り様。報道などで他人の落ち度は追究しても、
自分たちが落ち度を認めて積極的に責任をとったりする気は毛頭ない。
そんな大メディアの作る番組などを好んで見続けて来たのもまた、
セクシー田中さんが原作者からの横槍もなく改変され抜いていた場合には、
成り果てていただろう、なんの当たり障りもない恋愛ドラマあたりを特に
好き好んで来たような、厳しいことは何でもイヤなヒステリー患者たちなのだ。
漫画原作に関していえば、次世代の日本人たちには相当な人気を博し、
世界でも長年一番人気であり続けている「ベルセルク」が、
旧世代の年寄りの間ではほぼ名前すら知られてない、なんて現象もあるが。
なにしろ、ヒステリー患者にはまともに読みこなすこともできないほどの
悲壮描写の塊で、ストーリーの根幹の所にまでそのダークさが徹底的に
仕込まれ抜いているものだから、改変でのソフトイメージ化の目途も立たない。
国会中継の野党議員の糾弾だけでも身の毛がよだつ嫌悪感に見舞われるほどの
ヒステリーが常態化しているおばさん達こそが主導権を握っている旧世代が、
まともに聞き知ることもできないほどの悲壮さを帯びた漫画作品こそは、
人口面や経済面で発展を続けている世界の人々からの一番の支持をも得ているわけで、
(国内人気もそれなりであるにしろ、アニメ版進撃の巨人なども同様な傾向がある)
そんなヒステリーありきな世の中のほうが持続不能級に異常なのだとも知れるわけだ。
世界でも長年一番人気であり続けている「ベルセルク」が、
旧世代の年寄りの間ではほぼ名前すら知られてない、なんて現象もあるが。
なにしろ、ヒステリー患者にはまともに読みこなすこともできないほどの
悲壮描写の塊で、ストーリーの根幹の所にまでそのダークさが徹底的に
仕込まれ抜いているものだから、改変でのソフトイメージ化の目途も立たない。
国会中継の野党議員の糾弾だけでも身の毛がよだつ嫌悪感に見舞われるほどの
ヒステリーが常態化しているおばさん達こそが主導権を握っている旧世代が、
まともに聞き知ることもできないほどの悲壮さを帯びた漫画作品こそは、
人口面や経済面で発展を続けている世界の人々からの一番の支持をも得ているわけで、
(国内人気もそれなりであるにしろ、アニメ版進撃の巨人なども同様な傾向がある)
そんなヒステリーありきな世の中のほうが持続不能級に異常なのだとも知れるわけだ。
カルトであれ非カルトであれ、レディーファースト系でおばさん達を
たぶらかす互助組織は、要するに「心の老い」を助長している点で共通する。
フィクション作品なんかは、あくまでフィクションなんだから、
えげつない悲壮描写なども必要とあらばどんどんと取り入れて行けばいい。
だからこそ、仁義道徳が広く通用していた江戸時代の日本などでも、
女遊びにうつつを抜かして身を滅ぼす匹夫の男の姿などが、そこに
教訓を込める意味も込めて悲壮の限りを尽くして描かれていたものだが。
(思い上がりのせいで生涯独身の苦難に陥った元美女を描く老女物の能楽なども同様)
あまりにも心が老い過ぎれば、さような描写の一切が受け付けられなくなり、
ベルセルクや進撃の巨人や、原作通りのセクシー田中さんみたいな厳しい描写もある
漫画作品ですらほとんど読めない、無理に読んでも楽しめないなんてことになる。
セクシー田中さんについていえば、世代総出で極貧状態にある次世代の中年女性の、
実地に根差した苦難描写などもあるようだけれども、そこからも目を逸らすことを通じて、
現実の次世代たちの苦悩からも完全に目を背け抜く怠慢が派生することともなる。
悲壮なフィクションも受け付けられない心の老いが、現実の非道にも直結するわけである。
たぶらかす互助組織は、要するに「心の老い」を助長している点で共通する。
フィクション作品なんかは、あくまでフィクションなんだから、
えげつない悲壮描写なども必要とあらばどんどんと取り入れて行けばいい。
だからこそ、仁義道徳が広く通用していた江戸時代の日本などでも、
女遊びにうつつを抜かして身を滅ぼす匹夫の男の姿などが、そこに
教訓を込める意味も込めて悲壮の限りを尽くして描かれていたものだが。
(思い上がりのせいで生涯独身の苦難に陥った元美女を描く老女物の能楽なども同様)
あまりにも心が老い過ぎれば、さような描写の一切が受け付けられなくなり、
ベルセルクや進撃の巨人や、原作通りのセクシー田中さんみたいな厳しい描写もある
漫画作品ですらほとんど読めない、無理に読んでも楽しめないなんてことになる。
セクシー田中さんについていえば、世代総出で極貧状態にある次世代の中年女性の、
実地に根差した苦難描写などもあるようだけれども、そこからも目を逸らすことを通じて、
現実の次世代たちの苦悩からも完全に目を背け抜く怠慢が派生することともなる。
悲壮なフィクションも受け付けられない心の老いが、現実の非道にも直結するわけである。
ベルセルクの一大典拠となっている座頭市なども、
市以外の登場人物は誰も生き残らないような、
悲壮を極めて終わる回などが結構あったものだけれども。
それを作ってたのも、見て楽しんでたのも、
家庭は夫唱婦随が当たり前だった戦前世代。
もちろん戦争を経験してるから悲壮さに強いというのもあるが、
こんな辛い話なんか見たくもない聞きたくもないなんて我を張りながら
偉そうに主張できるおばさんなんかが一人もいなかったからというのもある。
ベルセルクの典拠には「デビルマン」なんかもあるが、
これの作者の永井豪なんかも、過激なエログロ描写で
PTAから目の敵にされ続けていた代表的な漫画家なわけで。
たしかに不健全描写をまだ分別もないような子供にまで見せつけるのは
やり過ぎとなる場合もあるにしろ、そこからヒスおばさん達の願望が
全年齢の社会にまで行き渡り過ぎて、教訓的な意味合いもあっての
悲壮描写すら許されなくなったのが昨今のフィクション業界だったり
もするわけで。それはそれで逆方向への不健全化を来たしているのである。
市以外の登場人物は誰も生き残らないような、
悲壮を極めて終わる回などが結構あったものだけれども。
それを作ってたのも、見て楽しんでたのも、
家庭は夫唱婦随が当たり前だった戦前世代。
もちろん戦争を経験してるから悲壮さに強いというのもあるが、
こんな辛い話なんか見たくもない聞きたくもないなんて我を張りながら
偉そうに主張できるおばさんなんかが一人もいなかったからというのもある。
ベルセルクの典拠には「デビルマン」なんかもあるが、
これの作者の永井豪なんかも、過激なエログロ描写で
PTAから目の敵にされ続けていた代表的な漫画家なわけで。
たしかに不健全描写をまだ分別もないような子供にまで見せつけるのは
やり過ぎとなる場合もあるにしろ、そこからヒスおばさん達の願望が
全年齢の社会にまで行き渡り過ぎて、教訓的な意味合いもあっての
悲壮描写すら許されなくなったのが昨今のフィクション業界だったり
もするわけで。それはそれで逆方向への不健全化を来たしているのである。
そんな不甲斐ない旦那と、いつも機嫌が悪い女房なんかの間に生まれた子供もまた、
それが夫婦の当たり前な姿だと思い込みながら育ち、結婚意欲なんかも萎えさせる。
息子の場合は不甲斐ない父親の姿ばかりを見せられながら育つせいで、男性ホルモンの
分泌量を根底にまで至らしめ、近年チー牛などとも呼ばれるような魅力のなさともなる。
(親世代が完全な夫唱婦随だった団塊にチー牛がいないのもこの逆の理由に基づく)
嫁が統一教会の信者となった家庭ほど、極端な崩壊に見舞われることは稀であるにしろ、
それに準ずるような家族関係の冷え込みを招くために、近年よく取り沙汰されているような
ほとんどの家庭問題の最たる温床ともなっている。宗教的だからではなく、中高年女性たちを
余計なヒステリーに追い込むような不毛さを帯びているからこそ、そうなるのである。
それが夫婦の当たり前な姿だと思い込みながら育ち、結婚意欲なんかも萎えさせる。
息子の場合は不甲斐ない父親の姿ばかりを見せられながら育つせいで、男性ホルモンの
分泌量を根底にまで至らしめ、近年チー牛などとも呼ばれるような魅力のなさともなる。
(親世代が完全な夫唱婦随だった団塊にチー牛がいないのもこの逆の理由に基づく)
嫁が統一教会の信者となった家庭ほど、極端な崩壊に見舞われることは稀であるにしろ、
それに準ずるような家族関係の冷え込みを招くために、近年よく取り沙汰されているような
ほとんどの家庭問題の最たる温床ともなっている。宗教的だからではなく、中高年女性たちを
余計なヒステリーに追い込むような不毛さを帯びているからこそ、そうなるのである。
実際、うちの親も少なからずそういった問題性を帯びていたのは確かだが。
今の日本人家庭なんて9割9分9厘がそうなんだから、
それを特別な醜態として恥じる余地などもない。
おそらくは否定派の親あたりもその傾向が濃厚だったせいで、
先祖返りの父権志向から極度の親嫌い、女嫌いともなったのだろうし。
そこに異常さを感知できるだけマシな部類とも言えるだろう。
今の日本人家庭なんて9割9分9厘がそうなんだから、
それを特別な醜態として恥じる余地などもない。
おそらくは否定派の親あたりもその傾向が濃厚だったせいで、
先祖返りの父権志向から極度の親嫌い、女嫌いともなったのだろうし。
そこに異常さを感知できるだけマシな部類とも言えるだろう。
おばさん達がヒステリーを増悪させる作用機序の委細については、
たとえば以下のようなものが挙げられる。
女や子供は、大人の男と比べて格段に弱いからこそ、
助けを求める悲鳴がよく聞こえるように、声の音域も高くなっている。
そしてその悲鳴をいざという時には間髪入れず上げられるように、
危機に際しては敏感に戦慄できるような精神構造をも持ち合わせている。
さような生態を持ち合わせている女たちが、中年以降に段違いの体力低下や
更年期に見舞われて、もはや自分だけでは生きて行けなくなりそうだという
危機感を本能的に抱き、常時精神が戦慄状態のままであり続けるようになってしまう。
男でも常時戦場にいたりすれば相当なストレスを感じさせられるものだが、
女たちはただ加齢に見舞われるだけでもそれと同等なストレスを抱き始める。
それでもたとえば、昔話の鬼婆みたいな身寄りのない一人暮らしだったりすると、
助けを求められる相手もいないために、ストレスをこじらせてのヒステリー状態となる。
(つまり鬼婆伝説は希少種だった頃のヒス婆の寓話なのである)
そうでなくとも、男女平等や女性の独立が声高に謳われて、
「今は女のほうが男よりも強い生き物であることが認知された時代」なんていう
思い込みまでもが通用している昨今ともなれば、女たちもたとえ結婚した所で、
下手に夫に助けを求めたり、依存心を抱いたりするのが許されないために、
自業自得でヒス化を強いられるようになっているのである。
たとえば以下のようなものが挙げられる。
女や子供は、大人の男と比べて格段に弱いからこそ、
助けを求める悲鳴がよく聞こえるように、声の音域も高くなっている。
そしてその悲鳴をいざという時には間髪入れず上げられるように、
危機に際しては敏感に戦慄できるような精神構造をも持ち合わせている。
さような生態を持ち合わせている女たちが、中年以降に段違いの体力低下や
更年期に見舞われて、もはや自分だけでは生きて行けなくなりそうだという
危機感を本能的に抱き、常時精神が戦慄状態のままであり続けるようになってしまう。
男でも常時戦場にいたりすれば相当なストレスを感じさせられるものだが、
女たちはただ加齢に見舞われるだけでもそれと同等なストレスを抱き始める。
それでもたとえば、昔話の鬼婆みたいな身寄りのない一人暮らしだったりすると、
助けを求められる相手もいないために、ストレスをこじらせてのヒステリー状態となる。
(つまり鬼婆伝説は希少種だった頃のヒス婆の寓話なのである)
そうでなくとも、男女平等や女性の独立が声高に謳われて、
「今は女のほうが男よりも強い生き物であることが認知された時代」なんていう
思い込みまでもが通用している昨今ともなれば、女たちもたとえ結婚した所で、
下手に夫に助けを求めたり、依存心を抱いたりするのが許されないために、
自業自得でヒス化を強いられるようになっているのである。
鬼婆伝説には、宿泊客を56してその肝を喰らうような、
おぞましい他害の逸話もまた付き物だけれども。
なぜヒス婆がさような他害にまで及びかねないと思われていたのか
について、もう少し身近な現代の実話に即して説明してみればーー
俺が昔、小型の耐火金庫の合鍵を作りたくて鍵屋にいった時のこと。
最初に入った店で出て来たのは、見た目アラフォーぐらいの女の鍵師で、
俺が持って来た鍵と金庫をひとしきり眺めまわした後に、
「これおもちゃも同然な鍵なんですよね」などと、
変な言い訳をして合鍵製作を拒絶しよった。
次に入った鍵屋では、40代ぐらいの男性の鍵師が出て来て、
あっという間にその合鍵を作ってくれた。
鍵師でいながら、ろくに作れる合鍵の種類もないような自らの能力の低さを、
あろうことか鍵の側の責任に転嫁しようとするような卑劣さ。
ただでさえあらゆる能力の低下に苦しめられて、さりとて弱者としての
助けを求めることも出来ないという追い詰められ加減の手前、
自らの責任や落ち度を何もかも認めず、どんな手を使ってでも、
他者にそれを擦り付けようとする、それが時には他害の事態にまで至る。
セクシー田中さんの作者を死なせた、ドラマ制作陣の女たちもまた、
おそらくはそれと同様であり、そこで罪悪感の一つも感じてはいないのである。
おぞましい他害の逸話もまた付き物だけれども。
なぜヒス婆がさような他害にまで及びかねないと思われていたのか
について、もう少し身近な現代の実話に即して説明してみればーー
俺が昔、小型の耐火金庫の合鍵を作りたくて鍵屋にいった時のこと。
最初に入った店で出て来たのは、見た目アラフォーぐらいの女の鍵師で、
俺が持って来た鍵と金庫をひとしきり眺めまわした後に、
「これおもちゃも同然な鍵なんですよね」などと、
変な言い訳をして合鍵製作を拒絶しよった。
次に入った鍵屋では、40代ぐらいの男性の鍵師が出て来て、
あっという間にその合鍵を作ってくれた。
鍵師でいながら、ろくに作れる合鍵の種類もないような自らの能力の低さを、
あろうことか鍵の側の責任に転嫁しようとするような卑劣さ。
ただでさえあらゆる能力の低下に苦しめられて、さりとて弱者としての
助けを求めることも出来ないという追い詰められ加減の手前、
自らの責任や落ち度を何もかも認めず、どんな手を使ってでも、
他者にそれを擦り付けようとする、それが時には他害の事態にまで至る。
セクシー田中さんの作者を死なせた、ドラマ制作陣の女たちもまた、
おそらくはそれと同様であり、そこで罪悪感の一つも感じてはいないのである。
勝俣州和がこの前、仕事場で最年少だったのが
49歳のビビアン・スーだったことを告白したりもしてたものだし、
テレビ業界も多くの大企業などと同じく、氷河期以下の次世代を
締め出し続けて来たことによる高齢化が著しいようで。
なおかつ、テレビ局の中枢には在日韓国人なども多いから、保身のためにも
やり手の日本人なんか寄せ付けたくもない、ましてや男など真っ平御免で、
縁故採用や元タレントの女なんかが優先登用されるようにもなってるんだろう。
そしたらもう、全体が無能だらけな烏合の衆となって、
ドラマの撮影現場などもまったく配慮の余地もない有様となり。
原作に忠実なドラマ化なんかもまともに試みることもできなくなったと。
49歳のビビアン・スーだったことを告白したりもしてたものだし、
テレビ業界も多くの大企業などと同じく、氷河期以下の次世代を
締め出し続けて来たことによる高齢化が著しいようで。
なおかつ、テレビ局の中枢には在日韓国人なども多いから、保身のためにも
やり手の日本人なんか寄せ付けたくもない、ましてや男など真っ平御免で、
縁故採用や元タレントの女なんかが優先登用されるようにもなってるんだろう。
そしたらもう、全体が無能だらけな烏合の衆となって、
ドラマの撮影現場などもまったく配慮の余地もない有様となり。
原作に忠実なドラマ化なんかもまともに試みることもできなくなったと。
他に、タレント事務所の横暴な意向の聞き入れとかもあるだろうけれども、
セクシー田中さんについてはむしろそういう問題のほうが多かったようだ。
無能だらけの職場で、さらに更年期のおばさんだったりもするようなスタッフたるや、
まったく心の余裕もなく、原作無視のドラマ化なんかも、そんな自分たちに
とっての当然の権利ぐらいに思ってたろうし、そのせいで原作者が死んだなんてのも
あまりにも不本意すぎて、自分たちが悪いなどとは到底思えないでいることだろう。
そして、そんな自分たちが弱者としての弱音を吐くことも決して許さない、
男女平等、女性の社会進出推進という風潮。それ自体を敵に回すわけにもいかないので、
結局は夫や彼氏や男一般に怒りを転嫁しての狂乱にでも明け暮れるしかないのだ。
セクシー田中さんについてはむしろそういう問題のほうが多かったようだ。
無能だらけの職場で、さらに更年期のおばさんだったりもするようなスタッフたるや、
まったく心の余裕もなく、原作無視のドラマ化なんかも、そんな自分たちに
とっての当然の権利ぐらいに思ってたろうし、そのせいで原作者が死んだなんてのも
あまりにも不本意すぎて、自分たちが悪いなどとは到底思えないでいることだろう。
そして、そんな自分たちが弱者としての弱音を吐くことも決して許さない、
男女平等、女性の社会進出推進という風潮。それ自体を敵に回すわけにもいかないので、
結局は夫や彼氏や男一般に怒りを転嫁しての狂乱にでも明け暮れるしかないのだ。
人間が「心の老い」とでも呼ぶべき精神現象に見舞われる機序についても詳述すればーー
心そのものは、原理的には老いることを完全に防げる事物ではあるのだが、
ヒトも生物である以上は、身体の老化から完全に免れられることはない。
その、身体の老化に心までもが取り込まれた時に、心の老いまでもが生じてしまう。
囲碁や植物研究のような、それ自体が健康法なわけでもないような
手段であっても、そこへの熱心な取り組みによって心の張りを保てたなら、
心の老いを終身にわたって撃退し抜くことが可能となるものである。
なおかつ、ラージャヨガや座禅行なみに専門的な手段をも正しく修めれば、
心の張りで体の老化を遅らせることまでもが可能となるわけだけれども。
残念ながら、現在ヨガなどと呼ばれているような行法のほとんどは、
そのどちらの効果も発揮することなく、場合によっては体の老化に心が取り込まれての、
心の老いを助長するような逆効果までをも帯びてしまっているのが常となっている。
大メディアが延々とテレビで垂れ流し続けているバラエティやスポーツ番組などもまた、
えてして同様な心の老いを助長する悪影響を帯びているもので、たとえば自分よりも
はるかに若い大谷みたいなスポーツ選手の活躍を見て、それを楽しんだ所で、自分自身
については「もういいや」という諦めが助長されて、心の老いも盤石化するのみとなる。
心そのものは、原理的には老いることを完全に防げる事物ではあるのだが、
ヒトも生物である以上は、身体の老化から完全に免れられることはない。
その、身体の老化に心までもが取り込まれた時に、心の老いまでもが生じてしまう。
囲碁や植物研究のような、それ自体が健康法なわけでもないような
手段であっても、そこへの熱心な取り組みによって心の張りを保てたなら、
心の老いを終身にわたって撃退し抜くことが可能となるものである。
なおかつ、ラージャヨガや座禅行なみに専門的な手段をも正しく修めれば、
心の張りで体の老化を遅らせることまでもが可能となるわけだけれども。
残念ながら、現在ヨガなどと呼ばれているような行法のほとんどは、
そのどちらの効果も発揮することなく、場合によっては体の老化に心が取り込まれての、
心の老いを助長するような逆効果までをも帯びてしまっているのが常となっている。
大メディアが延々とテレビで垂れ流し続けているバラエティやスポーツ番組などもまた、
えてして同様な心の老いを助長する悪影響を帯びているもので、たとえば自分よりも
はるかに若い大谷みたいなスポーツ選手の活躍を見て、それを楽しんだ所で、自分自身
については「もういいや」という諦めが助長されて、心の老いも盤石化するのみとなる。
四六時中他者への嫌がらせをすることしか考えてないクズが!
とっとと消えちまえ
とっとと消えちまえ
社会不適合者が開き直るなよ
1秒でも早く此の世からきえてくらはい
1秒でも早く此の世からきえてくらはい
(>>74の続き)
昨今の世人は、むしろ心の老いを開き直って増悪させて行くことのほうを、
精神的な成長とまで思い込んで開き直っているような場合までもが多々あり、
ラージャヨガ的な嗜みによって、心の張りで体の老いを撃退することはおろか、
牧野富太郎や>>35画の女流棋士のように、たとえ身体が老いようとも、
心の張りだけは保ち続けるといった真似すらそうそうには務まらない。
「ヨガ」を名乗るものがそこら中に広まってるんだから、ラージャヨガだって
修めやすい時代なのかと思いきや、むしろより遠ざかった状態にあるのが現実。
その証拠に、ラージャヨガ仕込みだからこそ常にアゲアゲなここでの
俺の物言いなどにも、嫌悪感を抱いて執拗に叩いてくるような連中が一定数いる。
そういう連中は大体、俺個人の病的な問題性などにその責任を押し付けようとするのだが、
どうせ似たような猛烈さを大谷翔平や松岡修造だって持ち合わせているものだし、それらもただ
遠目に見てるから格好いい面白いと思えるだけで、身近にいれば絶対に対俺並みの嫌悪感を催すもの。
もちろんそれも、大谷や松岡に問題があるからではない。
おまえらのような、最大級に現代の通俗的な価値観に浸かり切っている連中のほうが、
極限まで心を老いさらばえさせながら、それこそを健康で成熟した精神状態だなどと開き直って
いるからこそ、それとは相容れないラージャヨガ的な熱血さが受け付けられないでいるだけなのだ。
昨今の世人は、むしろ心の老いを開き直って増悪させて行くことのほうを、
精神的な成長とまで思い込んで開き直っているような場合までもが多々あり、
ラージャヨガ的な嗜みによって、心の張りで体の老いを撃退することはおろか、
牧野富太郎や>>35画の女流棋士のように、たとえ身体が老いようとも、
心の張りだけは保ち続けるといった真似すらそうそうには務まらない。
「ヨガ」を名乗るものがそこら中に広まってるんだから、ラージャヨガだって
修めやすい時代なのかと思いきや、むしろより遠ざかった状態にあるのが現実。
その証拠に、ラージャヨガ仕込みだからこそ常にアゲアゲなここでの
俺の物言いなどにも、嫌悪感を抱いて執拗に叩いてくるような連中が一定数いる。
そういう連中は大体、俺個人の病的な問題性などにその責任を押し付けようとするのだが、
どうせ似たような猛烈さを大谷翔平や松岡修造だって持ち合わせているものだし、それらもただ
遠目に見てるから格好いい面白いと思えるだけで、身近にいれば絶対に対俺並みの嫌悪感を催すもの。
もちろんそれも、大谷や松岡に問題があるからではない。
おまえらのような、最大級に現代の通俗的な価値観に浸かり切っている連中のほうが、
極限まで心を老いさらばえさせながら、それこそを健康で成熟した精神状態だなどと開き直って
いるからこそ、それとは相容れないラージャヨガ的な熱血さが受け付けられないでいるだけなのだ。
ラージャヨガ的な熱血さを帯びた者の人間性は、まさに太陽の如く。
生身の人間が到達はおろか、水星程度の距離にまで近づいただけでも400度以上の高熱で即死する。
地球上ですら、砂漠や真夏のアスファルト上などの環境によっては、熱中症や脱水症状からの
死傷にも見舞われかねないし、そうでなくたって日光を直視しただけでも目を傷めるがごとく、
太陽は決して人間のような有機生物に対して優しいばかりの存在ではなく、
接し方によっては大いなる危害をももたらしかねないものである。
一方で、太陽光こそは地球上の生態系を育む一大エネルギーともなっていて、
火山噴火などでそれが遮られた場合の冷害や氷河期化などの害も著しい。
仮に火星や冥王星のような、地球よりも太陽から遠くて日光があまり届かない星への移住などを
試みようとも、それ故のエネルギー源の少なさこそが致命的な仇となっての非現実性を帯びたままでいる。
人間という生き物は、太陽に対して近づきすぎず遠ざかり過ぎない、適度な距離感を
保つことで最大級の繁栄を獲得する種族であるのと同じように、ラージャヨガ的な素養の
持ち主もまた、常人が適度な距離感で接することにより最大級の福徳をもたらし得るものである。
そういう人種が疎ましいあまりに、なるべく根絶して、いても徹底的に遠ざけようなどとしている
今の世間一般たるや、それ故に冷害や冥王星への移住にも似た冷え込みに見舞われているわけである。
生身の人間が到達はおろか、水星程度の距離にまで近づいただけでも400度以上の高熱で即死する。
地球上ですら、砂漠や真夏のアスファルト上などの環境によっては、熱中症や脱水症状からの
死傷にも見舞われかねないし、そうでなくたって日光を直視しただけでも目を傷めるがごとく、
太陽は決して人間のような有機生物に対して優しいばかりの存在ではなく、
接し方によっては大いなる危害をももたらしかねないものである。
一方で、太陽光こそは地球上の生態系を育む一大エネルギーともなっていて、
火山噴火などでそれが遮られた場合の冷害や氷河期化などの害も著しい。
仮に火星や冥王星のような、地球よりも太陽から遠くて日光があまり届かない星への移住などを
試みようとも、それ故のエネルギー源の少なさこそが致命的な仇となっての非現実性を帯びたままでいる。
人間という生き物は、太陽に対して近づきすぎず遠ざかり過ぎない、適度な距離感を
保つことで最大級の繁栄を獲得する種族であるのと同じように、ラージャヨガ的な素養の
持ち主もまた、常人が適度な距離感で接することにより最大級の福徳をもたらし得るものである。
そういう人種が疎ましいあまりに、なるべく根絶して、いても徹底的に遠ざけようなどとしている
今の世間一般たるや、それ故に冷害や冥王星への移住にも似た冷え込みに見舞われているわけである。
誰しもが篤く仏門に帰依していた時代の日本でも、必ずしも誰しもが
密教や禅や武芸の修行で、ラージャヨガ的な素養までをも十分に身に付けて
いたわけではなく、大多数は他力本願の念仏あたりに留まっていたのが実情である。
さりとて、現代などとは違って、当時は万民にまでその功徳が行き届き、
人間たち自身の不届きさからの自業自得による戦乱や経済破綻などを
邦から絶やすこともまた、幾度となく実現されていたのには違いない。
それは、自らがラージャヨガ級の熱血さにまでは及ぶことも、その傍らで
平気でいられもしないような凡人もまた、念仏信仰などによって己が至らなさを
相応に弁えての、人との適度な距離感を保つ務めぐらいは果たしていたからである。
廃仏毀釈によって、さような万民向けの仏教的な嗜みまでもが剥奪されて、
なおかつ心の老いこそを精神的な成熟として開き直っておごり高ぶるような
西洋的悪徳が近代以降の日本に持ち込まれたために、ラージャヨガ的な志向性の
持ち主が無宗教的にすら、その本領を発揮できることがほとんどなくなってしまった。
戦前の、末端の日本兵などにはその手の達者も多かったようだが、西洋的悪徳のほうに
取り込まれた軍上層部に捨て駒としてのひどい扱いを受け、なおかつ軍部全体もまた、
より悪徳を極める財閥などの捨て駒扱いにされての敗亡に陥ったのだった。
密教や禅や武芸の修行で、ラージャヨガ的な素養までをも十分に身に付けて
いたわけではなく、大多数は他力本願の念仏あたりに留まっていたのが実情である。
さりとて、現代などとは違って、当時は万民にまでその功徳が行き届き、
人間たち自身の不届きさからの自業自得による戦乱や経済破綻などを
邦から絶やすこともまた、幾度となく実現されていたのには違いない。
それは、自らがラージャヨガ級の熱血さにまでは及ぶことも、その傍らで
平気でいられもしないような凡人もまた、念仏信仰などによって己が至らなさを
相応に弁えての、人との適度な距離感を保つ務めぐらいは果たしていたからである。
廃仏毀釈によって、さような万民向けの仏教的な嗜みまでもが剥奪されて、
なおかつ心の老いこそを精神的な成熟として開き直っておごり高ぶるような
西洋的悪徳が近代以降の日本に持ち込まれたために、ラージャヨガ的な志向性の
持ち主が無宗教的にすら、その本領を発揮できることがほとんどなくなってしまった。
戦前の、末端の日本兵などにはその手の達者も多かったようだが、西洋的悪徳のほうに
取り込まれた軍上層部に捨て駒としてのひどい扱いを受け、なおかつ軍部全体もまた、
より悪徳を極める財閥などの捨て駒扱いにされての敗亡に陥ったのだった。
まだ重機もない時代に、満濃池造成や利根川東遷のような絶大な土木事業を成し遂げて
いた近世以前の日本人なども、ラージャヨガ的な素養をその原動力としていたのだけれども。
近代以降もしばらくの間、大多数の日本人はそれに準ずるような底力を持ち越していたために、
戦争で外国人の捕虜を徒歩で行進させると、自分たちも一緒に歩いてるのに、あまりにも
過酷すぎて死者を出したり、足腰が強すぎて洋式トイレも嫌がったりといった風であった。
戦後はついに、さような世界平均を大きく上回る域の強靭さも凋落に陥ることとなり、
特に椅子や車に頼る生活のせいで、骨盤底筋からの底力を格段に下落させ、そのうえに古来の
低たんぱくな食生活から脱却できないでいるせいでの、外国人以上の虚弱化までをも来たすに至った。
いた近世以前の日本人なども、ラージャヨガ的な素養をその原動力としていたのだけれども。
近代以降もしばらくの間、大多数の日本人はそれに準ずるような底力を持ち越していたために、
戦争で外国人の捕虜を徒歩で行進させると、自分たちも一緒に歩いてるのに、あまりにも
過酷すぎて死者を出したり、足腰が強すぎて洋式トイレも嫌がったりといった風であった。
戦後はついに、さような世界平均を大きく上回る域の強靭さも凋落に陥ることとなり、
特に椅子や車に頼る生活のせいで、骨盤底筋からの底力を格段に下落させ、そのうえに古来の
低たんぱくな食生活から脱却できないでいるせいでの、外国人以上の虚弱化までをも来たすに至った。
スポーツ観戦で大谷みたいなデカマッチョを持て囃すことがあれども、大多数の日本人は
それに多少あやかることすら諦めての、虚弱化一辺倒からの病院頼みという醜態のままでいる。
逆に、他人のスポーツ頼みがそれを助長しているような所すらあるし、ラージャヨガ的な修養の功徳を
他力本願の範疇で万民に広めていた、念仏の代役を果たすようなことも全く達成できていないのである。
その原因は知れたことで、スポーツ観戦でラージャヨガ愛好者の大谷を応援してるような人間も、
所詮は心の老いを精神的な成熟だと思い込んで開き直るような悪徳にドップリと浸かったまま、ただ
そこから遠目に眺めて面白がっているだけなのだから、そこに念仏ほどの功徳もあるはずがないのだ。
それに多少あやかることすら諦めての、虚弱化一辺倒からの病院頼みという醜態のままでいる。
逆に、他人のスポーツ頼みがそれを助長しているような所すらあるし、ラージャヨガ的な修養の功徳を
他力本願の範疇で万民に広めていた、念仏の代役を果たすようなことも全く達成できていないのである。
その原因は知れたことで、スポーツ観戦でラージャヨガ愛好者の大谷を応援してるような人間も、
所詮は心の老いを精神的な成熟だと思い込んで開き直るような悪徳にドップリと浸かったまま、ただ
そこから遠目に眺めて面白がっているだけなのだから、そこに念仏ほどの功徳もあるはずがないのだ。
俺が、自分を大谷あたりと並べて語ったりすれば、「身の程知らずw」などと揶揄する者が現れる。
じゃあ、そういう連中は身の程をわきまえているのかというと、実はそういうわけでもない。
「自分たちは大谷みたいなスターとは別次元の人間」という決め込みがまずあった上で、
大谷が愛好しているラージャヨガの熱血志向などとはまるで真逆な、心の老いを開き直って、
精神的な成熟者気取りで驕り高ぶるような、ヒスおばさんなどにもありがちな下劣さでいるのみ。
なればこそ、執拗なダイエットによって、大谷のようなキャプ翼体型とは真逆な片岡鶴太郎体型へと
自分たちがなろうとすることすら厭わない。別に、身の程をわきまえて謙るような殊勝さもないのに、
凄いと見た相手を持て囃すような真似に及んだものだから、その相手との間に勝手に鉄壁を建立して、
その真逆を行くことでコンプレックスを紛らわすような真似をも兼ね行わねばならなくなっている。
それこそ、太陽の熱さを嫌がるあまりに、火星か冥王星まで逃亡したような状態であり、
地球上での適切な暑熱対策で、太陽とうまく付き合って行く場合のような好影響がないのみならず、
実際に誰も彼もが筋肉量不足で冷え性だらけとなるような、如実な悪影響をも招いているのである。
じゃあ、そういう連中は身の程をわきまえているのかというと、実はそういうわけでもない。
「自分たちは大谷みたいなスターとは別次元の人間」という決め込みがまずあった上で、
大谷が愛好しているラージャヨガの熱血志向などとはまるで真逆な、心の老いを開き直って、
精神的な成熟者気取りで驕り高ぶるような、ヒスおばさんなどにもありがちな下劣さでいるのみ。
なればこそ、執拗なダイエットによって、大谷のようなキャプ翼体型とは真逆な片岡鶴太郎体型へと
自分たちがなろうとすることすら厭わない。別に、身の程をわきまえて謙るような殊勝さもないのに、
凄いと見た相手を持て囃すような真似に及んだものだから、その相手との間に勝手に鉄壁を建立して、
その真逆を行くことでコンプレックスを紛らわすような真似をも兼ね行わねばならなくなっている。
それこそ、太陽の熱さを嫌がるあまりに、火星か冥王星まで逃亡したような状態であり、
地球上での適切な暑熱対策で、太陽とうまく付き合って行く場合のような好影響がないのみならず、
実際に誰も彼もが筋肉量不足で冷え性だらけとなるような、如実な悪影響をも招いているのである。
それには、ちゃんと理由があってな。
しかも精神論に止まらない、即物的な理由が。
ヨガは元来「心身統一」を意味する言葉だけれども、
ラージャヨガは骨盤底筋からの底力を、まず心身統一によって
増進させるために、修めている人々はまず下半身から強くなる。
人間の筋肉は下半身が7割だから、
ビルダーが好んでやりたがる上半身の鍛錬なんかよりも、
はるかに直接的な「貯筋」の作用をももたらし、
食事のエネルギーを効率的に体の強さの源とする効果をももたらす。
日本人は、特にそのような体質を、畳や床に直接座る生活で
保っていたわけだけれども、戦後は椅子や車の導入でそれが反故になった上、
心身統一を促すような考え方自体もまた「古臭い精神論」などと
片づけて遠ざけるようになっってしまったのだった。
実際、身体性や物質性を完全に無視するような過度の精神論も
戦前に電通などが広めて横行してしまっていたわけだけれども、
それとはまた別に、心身統一による着実な体力増進を企図した
精神論もまた別にあったわけで、そこまでクソミソに反故にして
しまったのは、本当にもったいないことだと言えるのだ。
しかも精神論に止まらない、即物的な理由が。
ヨガは元来「心身統一」を意味する言葉だけれども、
ラージャヨガは骨盤底筋からの底力を、まず心身統一によって
増進させるために、修めている人々はまず下半身から強くなる。
人間の筋肉は下半身が7割だから、
ビルダーが好んでやりたがる上半身の鍛錬なんかよりも、
はるかに直接的な「貯筋」の作用をももたらし、
食事のエネルギーを効率的に体の強さの源とする効果をももたらす。
日本人は、特にそのような体質を、畳や床に直接座る生活で
保っていたわけだけれども、戦後は椅子や車の導入でそれが反故になった上、
心身統一を促すような考え方自体もまた「古臭い精神論」などと
片づけて遠ざけるようになっってしまったのだった。
実際、身体性や物質性を完全に無視するような過度の精神論も
戦前に電通などが広めて横行してしまっていたわけだけれども、
それとはまた別に、心身統一による着実な体力増進を企図した
精神論もまた別にあったわけで、そこまでクソミソに反故にして
しまったのは、本当にもったいないことだと言えるのだ。
昔の日本人の誰しもが、必ずしも密教や禅でラージャヨガを直接的に
修めていたわけではないけれども、それでもそのおこぼれに与れる
ぐらいの心がけは万人にあったらしい証拠となる言葉が、これ。
「精神的に向上心のない者はばかだ」(夏目漱石「こゝろ」より)
真宗の寺の息子だったKが友人に吐いた言葉だけれども、
その主張が友人にすら通じなかったことを通じてKは自殺し、
友人先生も後を追うという話を通じて、世の中全体が
この程度のわきまえすら失いつつあることを示唆していた。
自らに向上心があるのであれないのであれ、
その認識さえあれば、向上心でアゲアゲになるラージャヨガの功徳に、
馬鹿な側からでも与れる余地が残される一方、精神的な向上心がないことを
開き直って偉ぶり始めたりすれば、それすらもが叶わなくなってしまう。
昔の日本人には、それだけはなかったから、その辺の一般人でも、
世界平均をはるかに上回るほどの底力からの強さを持ち合わせていた。
世の中にラージャヨガの功徳が行き渡る内実たるや、如是なわけだ。
修めていたわけではないけれども、それでもそのおこぼれに与れる
ぐらいの心がけは万人にあったらしい証拠となる言葉が、これ。
「精神的に向上心のない者はばかだ」(夏目漱石「こゝろ」より)
真宗の寺の息子だったKが友人に吐いた言葉だけれども、
その主張が友人にすら通じなかったことを通じてKは自殺し、
友人先生も後を追うという話を通じて、世の中全体が
この程度のわきまえすら失いつつあることを示唆していた。
自らに向上心があるのであれないのであれ、
その認識さえあれば、向上心でアゲアゲになるラージャヨガの功徳に、
馬鹿な側からでも与れる余地が残される一方、精神的な向上心がないことを
開き直って偉ぶり始めたりすれば、それすらもが叶わなくなってしまう。
昔の日本人には、それだけはなかったから、その辺の一般人でも、
世界平均をはるかに上回るほどの底力からの強さを持ち合わせていた。
世の中にラージャヨガの功徳が行き渡る内実たるや、如是なわけだ。
結局、ラージャヨガってのは、現代人の多くが
ステレオタイプに考えている所の「精神論」でもあるんだ。
ただ、たとえば武田信玄の師、快川紹喜和尚の名言
「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火もまた涼し」
などもまた精神論の一つではあるし、これまた法華経の
記述などにも裏打ちされた由緒正しい精神論なのだけれども。
これは、快川和尚が織田信長に焼き討ちを受けて、
もはや死ぬしかないとなった時の、辞世の言葉。
まだ生きていて、しかもまだ人生を盛り立てて行くべき様な
立場にある人間が抱負とすべきような言葉ではないし、それは
赤穂義士が認めていた辞世の句などにも同様のことがいえる。
真言密教の根本教理は「即身成仏」だし、中村天風氏も
「死後のことはここではなく宗教で聞け」と言っていた通り、
ラージャヨガはあくまで存命中の精神論の集成であり、
ゆえに身体面からの生命力をより高めるような効能をも帯びている。
そこを混同して、精神論は何でも身体に悪いと思い込んで
いるような人間が大多数に上ってしまっているのが現代。
その正体も知ることなく遠ざけている人間がほとんどなのである。
ステレオタイプに考えている所の「精神論」でもあるんだ。
ただ、たとえば武田信玄の師、快川紹喜和尚の名言
「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火もまた涼し」
などもまた精神論の一つではあるし、これまた法華経の
記述などにも裏打ちされた由緒正しい精神論なのだけれども。
これは、快川和尚が織田信長に焼き討ちを受けて、
もはや死ぬしかないとなった時の、辞世の言葉。
まだ生きていて、しかもまだ人生を盛り立てて行くべき様な
立場にある人間が抱負とすべきような言葉ではないし、それは
赤穂義士が認めていた辞世の句などにも同様のことがいえる。
真言密教の根本教理は「即身成仏」だし、中村天風氏も
「死後のことはここではなく宗教で聞け」と言っていた通り、
ラージャヨガはあくまで存命中の精神論の集成であり、
ゆえに身体面からの生命力をより高めるような効能をも帯びている。
そこを混同して、精神論は何でも身体に悪いと思い込んで
いるような人間が大多数に上ってしまっているのが現代。
その正体も知ることなく遠ざけている人間がほとんどなのである。
いま、ヨガだピラティスだを謳っているような教室の、どこに精神論がある?
むしろ、精神論を徹底的にかなぐり捨ててのひ弱志向ばかりだろ?
(だからこそ心身の衰えたヒスおばさんたちの慰み物ともなっている)
ヨガどころか武道ですら、居合道や古武道などの流派によっては、
心身の衰えた年寄りの慰み物止まりで、精神論なんて排し去っている所も多い。
じゃあ、精神論をしっかり嗜んでいる所はといえば、それはそれで
「武士道とは死ぬことと見つけたり」みたいな極論に走っている所ばかり。
(これは丁稚の滅私奉公を武士道に見立てた葉隠の言葉だけれども)
精神論でもありながら、心身統一によって着実な体力増進をも企図して行くのが、
古来の密教や禅にも即したラージャヨガ的姿勢だというのに、精神論を肯定する側も
否定する側もそこから逸脱しての、水火の害に苛まれているような有り様。
それこそ、その水火の間隙に一本だけ通っている、極楽往生への白道に、まず
心情面が安住するように促す、念仏あたりのほうがまだマシな効能を帯びているもの。
なにしろ、そんなことはしないほうがマシだったりすらしかねないのだから。
むしろ、精神論を徹底的にかなぐり捨ててのひ弱志向ばかりだろ?
(だからこそ心身の衰えたヒスおばさんたちの慰み物ともなっている)
ヨガどころか武道ですら、居合道や古武道などの流派によっては、
心身の衰えた年寄りの慰み物止まりで、精神論なんて排し去っている所も多い。
じゃあ、精神論をしっかり嗜んでいる所はといえば、それはそれで
「武士道とは死ぬことと見つけたり」みたいな極論に走っている所ばかり。
(これは丁稚の滅私奉公を武士道に見立てた葉隠の言葉だけれども)
精神論でもありながら、心身統一によって着実な体力増進をも企図して行くのが、
古来の密教や禅にも即したラージャヨガ的姿勢だというのに、精神論を肯定する側も
否定する側もそこから逸脱しての、水火の害に苛まれているような有り様。
それこそ、その水火の間隙に一本だけ通っている、極楽往生への白道に、まず
心情面が安住するように促す、念仏あたりのほうがまだマシな効能を帯びているもの。
なにしろ、そんなことはしないほうがマシだったりすらしかねないのだから。
話を少し、日テレの某過失致死事件のほうに戻すけれども。
>>55にも書いた通り、日テレは自分たちが小学館所属の漫画家を、ひどい実写ドラマ化への
ショックで死なせるような暴挙に及んだのにも関わらず、そこからドラマ制作サイドなどに
至るまで自殺の連鎖が発生したりする可能性を「二次被害の危険」などと称していた。
これはどういうことかというと、自分たちも原作者も全員が被害者であり、真の加害者は、
全くの部外者にも関わらず怒りをぶちまけて炎上していたネット民たちであるとしているわけだ。
自分たちこそが劣悪極まる実写ドラマ化で、原作者に死ぬほどつらい思いをさせていたのにも関わらず、
なぜその全ての責任をネット民なんかに押し付けたりするような、餓鬼畜生もいいとこな非道さを
平気でひけらかせるのかというに、そこには以下のような理由が考えられるものである。
>>55にも書いた通り、日テレは自分たちが小学館所属の漫画家を、ひどい実写ドラマ化への
ショックで死なせるような暴挙に及んだのにも関わらず、そこからドラマ制作サイドなどに
至るまで自殺の連鎖が発生したりする可能性を「二次被害の危険」などと称していた。
これはどういうことかというと、自分たちも原作者も全員が被害者であり、真の加害者は、
全くの部外者にも関わらず怒りをぶちまけて炎上していたネット民たちであるとしているわけだ。
自分たちこそが劣悪極まる実写ドラマ化で、原作者に死ぬほどつらい思いをさせていたのにも関わらず、
なぜその全ての責任をネット民なんかに押し付けたりするような、餓鬼畜生もいいとこな非道さを
平気でひけらかせるのかというに、そこには以下のような理由が考えられるものである。
日テレ側のドラマ制作陣にも、誰一人として原作者を殺してやろうなんていう害意まではなかった。
ただ、生粋の無能ばかりをあえて重用している自分たち側の至らなさのせいで、やむなく原作に忠実な
ドラマ化なんかできなかっただけで、事件であるとしても上記の通り「過失致死」止まりであると。
それに比して、原作者の自殺前から炎上していたようなネット界隈では、「おまえが死ねよ」
などと明記するようなものまでもが後を絶たないほどの、確信犯の殺意で埋め尽くされている。
自分たちには殺意まではないが、ネット民どもにはそれまでもがある。だから本当の加害者は
ネット民どものほうなのだと、苦しい言い訳ではあるけれどもそういう認識でいるわけである。
ただ、生粋の無能ばかりをあえて重用している自分たち側の至らなさのせいで、やむなく原作に忠実な
ドラマ化なんかできなかっただけで、事件であるとしても上記の通り「過失致死」止まりであると。
それに比して、原作者の自殺前から炎上していたようなネット界隈では、「おまえが死ねよ」
などと明記するようなものまでもが後を絶たないほどの、確信犯の殺意で埋め尽くされている。
自分たちには殺意まではないが、ネット民どもにはそれまでもがある。だから本当の加害者は
ネット民どものほうなのだと、苦しい言い訳ではあるけれどもそういう認識でいるわけである。
心の老いを開き直って、精神的な成熟者気取りでいるような連中には、極めてありがちな挙動。
基本的に、体の老化に心が乗っ取られているものだから、若者などに比して覇気も萎えている。
そのため戦意とか殺意とかも基本的には衰え果てていて、戦いなんか想像するのも嫌という状態。
そんな自分たちこそは生粋の平和主義者であり、ネット上で殺意や戦意をあらわにしているような
連中こそは、その対極にあたる不穏分子であるといったような認識を強固ならしめているもの。
(だからこそ大メディア関係者には、あからさまにネットを敵視するような者も多い)
実際には、自分たちのほうが無能にも拘らず絶大な権益を占有し続けているせいで、世の中に死傷級の
迷惑をまき散らしている害悪の大元凶だったりするのだけれども、それらもあくまで過失致死傷の
範疇であるものだから、殺意すら隠さないような連中よりはマシな姿だなどと思い込んでいる。
江戸期の武士たちが、泰平の世にも常在戦場の心持ちで帯刀を欠かさず、その緊張感によって
権力腐敗や戦乱を防止し、以て治世の礎となっていた姿などとはまさに真逆の有様であることだし、
心の老いのせいで、もはや戦意や殺意を抱けるほどの気力もないからといって、自分たちこそは真の
平和主義者だなどと自負する蒙昧がもたらす危害の大きさを、決して見くびってはならないのである。
基本的に、体の老化に心が乗っ取られているものだから、若者などに比して覇気も萎えている。
そのため戦意とか殺意とかも基本的には衰え果てていて、戦いなんか想像するのも嫌という状態。
そんな自分たちこそは生粋の平和主義者であり、ネット上で殺意や戦意をあらわにしているような
連中こそは、その対極にあたる不穏分子であるといったような認識を強固ならしめているもの。
(だからこそ大メディア関係者には、あからさまにネットを敵視するような者も多い)
実際には、自分たちのほうが無能にも拘らず絶大な権益を占有し続けているせいで、世の中に死傷級の
迷惑をまき散らしている害悪の大元凶だったりするのだけれども、それらもあくまで過失致死傷の
範疇であるものだから、殺意すら隠さないような連中よりはマシな姿だなどと思い込んでいる。
江戸期の武士たちが、泰平の世にも常在戦場の心持ちで帯刀を欠かさず、その緊張感によって
権力腐敗や戦乱を防止し、以て治世の礎となっていた姿などとはまさに真逆の有様であることだし、
心の老いのせいで、もはや戦意や殺意を抱けるほどの気力もないからといって、自分たちこそは真の
平和主義者だなどと自負する蒙昧がもたらす危害の大きさを、決して見くびってはならないのである。
要は、自らの放辟邪侈をどこまでも増長させたいあまりに、
他者への致命的な侵害、迫害をも厭わないような志向性が、
法による規制を待つまでもなく控えられるだけでいいのだが。
見るに明らかな暴徒、無法者の類いのみならず、
心の老いによって穏健をめかしこんでいるような者の中にすら、
さような不埒さを滾らせたままでいる者の、いかに多いことか。
他者への致命的な侵害、迫害をも厭わないような志向性が、
法による規制を待つまでもなく控えられるだけでいいのだが。
見るに明らかな暴徒、無法者の類いのみならず、
心の老いによって穏健をめかしこんでいるような者の中にすら、
さような不埒さを滾らせたままでいる者の、いかに多いことか。
心の老いによって、殺意を抱けるほどの覇気も萎えているからこそ、
ヤクザやテロリストのような無法者の暴力集団はおろか、公儀の側から
必要があっての武威を司っている軍隊や武家までをも忌み嫌うような精神状態。
にもかかわらずではなくだからこそ、そんな自分たちこそはこの世における
平和主義の長者であるなどとまで思い込み、それによって捏造された、
歪んだ正義感の下に、武威とは無縁な範囲での際限なき利権の囲い込みを目論む。
そんな連中こそは、この世における最大級の権力腐敗を招き、以てその
結実としての戦乱や破滅を招く大元凶ともなるのが、たとえば文官の立場から、
軍部の大将だった章邯や岳飛を迫害してまでの、自らへの権力集中に
躍起となった趙高や秦檜こそは、亡国からの大戦争や異民族侵略を招く
張本人となったが如き、歴史上の事跡からもうかがい知ることができるわけである。
その逆である所の、武家統治による恒久平和の実現などと兼ね合わせて考えてみても、
むしろ常在戦場の心持ちでいられる大丈夫こそを、争いをアレルギー的に忌み嫌うような
ヒステリー人種よりも重用したほうが、治世を実現する現実的な手立てになると知れるのだが。
ヤクザやテロリストのような無法者の暴力集団はおろか、公儀の側から
必要があっての武威を司っている軍隊や武家までをも忌み嫌うような精神状態。
にもかかわらずではなくだからこそ、そんな自分たちこそはこの世における
平和主義の長者であるなどとまで思い込み、それによって捏造された、
歪んだ正義感の下に、武威とは無縁な範囲での際限なき利権の囲い込みを目論む。
そんな連中こそは、この世における最大級の権力腐敗を招き、以てその
結実としての戦乱や破滅を招く大元凶ともなるのが、たとえば文官の立場から、
軍部の大将だった章邯や岳飛を迫害してまでの、自らへの権力集中に
躍起となった趙高や秦檜こそは、亡国からの大戦争や異民族侵略を招く
張本人となったが如き、歴史上の事跡からもうかがい知ることができるわけである。
その逆である所の、武家統治による恒久平和の実現などと兼ね合わせて考えてみても、
むしろ常在戦場の心持ちでいられる大丈夫こそを、争いをアレルギー的に忌み嫌うような
ヒステリー人種よりも重用したほうが、治世を実現する現実的な手立てになると知れるのだが。
現代社会で、それに反することで、また同じ過ちを繰り返そうとしている連中たるや、
自分たちは今までの人類史上でろくに実権を持てないで来た女たちを重用しているが故に、
ほぼ男たちだけで作り上げられて来たこれまでの人類史の法則などは打ち破っての、
アレルギー的な戦争嫌いによる恒久平和が実現できるなどとも思い込んでいる節がある。
残念ながら、「乱世には男女の区別がなくなる(左伝)」というのも、何千年も前から
知られて来た一般法則でしかなく、むしろ妲己や虞姫や淀殿のような女たちの意見が、
カカア天下やマザコン級に聞き入れられながら、最大級の戦乱や破滅も招かれて来たもの。
むしろ、乱世の裏には必ずと言っていいほど、表向きの権力者であるような男たち
をも尻に敷いて支配下に置いているような悪婦が付き物なのだし、それと比べれば、
より女たち自身がカルト信仰などを通じて前に出て来ている頻度が高いという所ぐらいしか、
現代の権力腐敗が昔と違っている箇所などありはしない。それによってむしろ、女たちが
心の老いやヒステリーを糧に権力掌握に及ぶことの致命的な問題性があらわとなって、
昔以上にそこへの警戒意識が高められて行く、より教訓的な機縁になっているとは言えよう。
自分たちは今までの人類史上でろくに実権を持てないで来た女たちを重用しているが故に、
ほぼ男たちだけで作り上げられて来たこれまでの人類史の法則などは打ち破っての、
アレルギー的な戦争嫌いによる恒久平和が実現できるなどとも思い込んでいる節がある。
残念ながら、「乱世には男女の区別がなくなる(左伝)」というのも、何千年も前から
知られて来た一般法則でしかなく、むしろ妲己や虞姫や淀殿のような女たちの意見が、
カカア天下やマザコン級に聞き入れられながら、最大級の戦乱や破滅も招かれて来たもの。
むしろ、乱世の裏には必ずと言っていいほど、表向きの権力者であるような男たち
をも尻に敷いて支配下に置いているような悪婦が付き物なのだし、それと比べれば、
より女たち自身がカルト信仰などを通じて前に出て来ている頻度が高いという所ぐらいしか、
現代の権力腐敗が昔と違っている箇所などありはしない。それによってむしろ、女たちが
心の老いやヒステリーを糧に権力掌握に及ぶことの致命的な問題性があらわとなって、
昔以上にそこへの警戒意識が高められて行く、より教訓的な機縁になっているとは言えよう。
心の老いによって、殺意を抱けるほどの気力もなくなっているような輩といえども、
虚栄心によって他者を出し抜くための争いに興じたがるのには変わりない。
ただ、そこで本式の戦闘行為なみの殺し合いは当然避けるし、
殴る蹴る程度のどつき合いだって、特に自分自身が虚弱な女や年寄りなら避けたがる。
なおかつ、不法な詐謀などに手を染めることすら、世間体を保つため程度には避けながら、
それでも争い相手が死傷した場合には、最悪でも過失致死傷に止まるように警戒を凝らす。
ユダヤ金融が世界中での穀物投機によって人工的な餓死者を増産し続けているにしたって、
当人たちはただ儲けのため、会社の仕事をしているだけだという体裁でいて、
そのせいで死者が続出しているのも、あくまで過失致死の範疇だという体裁だから、
今のロシアみたいに確信的な殺戮行為にまで及んだりするのと比べれば、
まだ最低限の一線までは超えてはいないという、自己正当化状態でいる。
虚栄心によって他者を出し抜くための争いに興じたがるのには変わりない。
ただ、そこで本式の戦闘行為なみの殺し合いは当然避けるし、
殴る蹴る程度のどつき合いだって、特に自分自身が虚弱な女や年寄りなら避けたがる。
なおかつ、不法な詐謀などに手を染めることすら、世間体を保つため程度には避けながら、
それでも争い相手が死傷した場合には、最悪でも過失致死傷に止まるように警戒を凝らす。
ユダヤ金融が世界中での穀物投機によって人工的な餓死者を増産し続けているにしたって、
当人たちはただ儲けのため、会社の仕事をしているだけだという体裁でいて、
そのせいで死者が続出しているのも、あくまで過失致死の範疇だという体裁だから、
今のロシアみたいに確信的な殺戮行為にまで及んだりするのと比べれば、
まだ最低限の一線までは超えてはいないという、自己正当化状態でいる。
それと同じような、殺人狂とまではいかないから平和主義者であるという歪んだ自負によって、
過失致死傷の被害者を増産し続け、ついには戦争を上回るほどもの犠牲者をはじき出し、
だったらそんな連中全体を殲滅してかかる武力支配のほうがマシではないか、とまでなる。
(イギリスの実質的植民地化を拒んだミャンマーがやむなく軍国化したが如く)
元より、心の老いによって殺意を抱く気力も萎えているようなヒステリー患者が、
殺人犯とまで行かない過失致死犯としての横暴を繰り返すような真似全般が、
平和主義の名の下に正当化されたりすることから禁止して行けばいいのであり、
その手の人種こそは、軍人や武士はおろか、時にはテロリストやマフィア以上に、
この世に最悪の乱世をもたらしかねない凶賊となることが総出でわきまえられて、
決して要職に就かせたり、家庭を含む組織派閥内で偉そうな支配者ヅラをさせたり
しないようにしさえすれば、それだけでそういった人種をこの世から根絶するまでもなく、
世の中のほうが恒久的な平穏を獲得するには足ることとなるのである。
過失致死傷の被害者を増産し続け、ついには戦争を上回るほどもの犠牲者をはじき出し、
だったらそんな連中全体を殲滅してかかる武力支配のほうがマシではないか、とまでなる。
(イギリスの実質的植民地化を拒んだミャンマーがやむなく軍国化したが如く)
元より、心の老いによって殺意を抱く気力も萎えているようなヒステリー患者が、
殺人犯とまで行かない過失致死犯としての横暴を繰り返すような真似全般が、
平和主義の名の下に正当化されたりすることから禁止して行けばいいのであり、
その手の人種こそは、軍人や武士はおろか、時にはテロリストやマフィア以上に、
この世に最悪の乱世をもたらしかねない凶賊となることが総出でわきまえられて、
決して要職に就かせたり、家庭を含む組織派閥内で偉そうな支配者ヅラをさせたり
しないようにしさえすれば、それだけでそういった人種をこの世から根絶するまでもなく、
世の中のほうが恒久的な平穏を獲得するには足ることとなるのである。
まあ、どっかの誰かの「おまえはモノが専門の人種だろうが!」
という言いがかりから着想を得て立てたスレだったわけだが。
ヒトが専門なら、モノが相手である場合以上の尽力を果たせや。
そういうわけでもなく、それ専門を自負するような連中ほど、
理工系以上に軽薄で、実直さに欠けていて、人様をモノ未満の扱いに
処したくてたまらないような人種ばかりでいるのはなんぞや?
そこには、理系ほどにも人使いが務まらない下衆ばかりが集まっているというだけの話ではないか。
よくそれで、対人のプロフェッショナルだなどと自負できたものだな。
対人の背理法実験のプロだというのなら納得はできるが、その場合の
引責手段は当然、出家で済めば大当たりなんかにもなるわな。
という言いがかりから着想を得て立てたスレだったわけだが。
ヒトが専門なら、モノが相手である場合以上の尽力を果たせや。
そういうわけでもなく、それ専門を自負するような連中ほど、
理工系以上に軽薄で、実直さに欠けていて、人様をモノ未満の扱いに
処したくてたまらないような人種ばかりでいるのはなんぞや?
そこには、理系ほどにも人使いが務まらない下衆ばかりが集まっているというだけの話ではないか。
よくそれで、対人のプロフェッショナルだなどと自負できたものだな。
対人の背理法実験のプロだというのなら納得はできるが、その場合の
引責手段は当然、出家で済めば大当たりなんかにもなるわな。
(削除されたスレに書きこむ予定だったレス)
別に、ヒトの上に立ち、ヒトを使う側となる人間が、
必ずしも大卒級の理系でなければならないというわけではないが、
やはりヒトをモノ以上の存在として扱うわきまえぐらいは必要なものである。
学問に理系と文系の区別もなかった時代の日本人などが、
どうやってその素養を身に付けていたのかというと、
たとえば「格物致知」(礼記・大学)である。
「名刀よりも人」という名言を残した家康公が、
別に刀嫌いだったり、刀を蔑ろにしていたわけでもない。
武家の棟梁たる幕府将軍なだけあって、最上の名刀を取り揃え、
晩年に至るまでそれらを振りこなしての鍛錬を欠かさなかった有り様などは、
自分の好みで得手勝手に名刀を切り詰めていた信長などよりもよほど、
刀に対するねんごろな愛着までも垣間見られるものである。
さような刀への思いもまたあった上で、さらにそれ以上のヒトへの思いがあり、
それが最晩年に至るまで、最底辺の部下にも敬語を欠かさなかった姿勢などとして現れていた。
つまり、モノの価値をも尊ぶことで、それ以上なヒトへの尊重にも至っていた。
「格物致知誠意正心」というわきまえが、昔の偉大な上司にはあったわけである。
別に、ヒトの上に立ち、ヒトを使う側となる人間が、
必ずしも大卒級の理系でなければならないというわけではないが、
やはりヒトをモノ以上の存在として扱うわきまえぐらいは必要なものである。
学問に理系と文系の区別もなかった時代の日本人などが、
どうやってその素養を身に付けていたのかというと、
たとえば「格物致知」(礼記・大学)である。
「名刀よりも人」という名言を残した家康公が、
別に刀嫌いだったり、刀を蔑ろにしていたわけでもない。
武家の棟梁たる幕府将軍なだけあって、最上の名刀を取り揃え、
晩年に至るまでそれらを振りこなしての鍛錬を欠かさなかった有り様などは、
自分の好みで得手勝手に名刀を切り詰めていた信長などよりもよほど、
刀に対するねんごろな愛着までも垣間見られるものである。
さような刀への思いもまたあった上で、さらにそれ以上のヒトへの思いがあり、
それが最晩年に至るまで、最底辺の部下にも敬語を欠かさなかった姿勢などとして現れていた。
つまり、モノの価値をも尊ぶことで、それ以上なヒトへの尊重にも至っていた。
「格物致知誠意正心」というわきまえが、昔の偉大な上司にはあったわけである。
ヒトとモノを対立項で捉えて、自分はモノは専門外だからと、
モノを粗末に扱うような輩が、ヒトだけは大事に扱えたりするわけもない。
モノのうちでは最も下劣で不浄な扱いを受ける、
ウ●コやゲロにあらゆるヒトやモノを比肩させての、
粗末の限りを尽くす暴慢こそが本望であるような人種また同様。
モノの中では最も尊い宝刀、宝物などもまた尊び、
さらにそれ以上に尊いモノ以上の存在としてのヒトもまた尊ぶ。
そういった君子士人のみが、ただ理系だったりするために、
ヒトとモノを同列程度に扱う者以上に人間社会を隆盛ならしめる一方、
ヒトをモノ以下やゴミクソ並みに扱おうとする連中たるや、
理系が世の中や各種組織を司る場合ほどの健全な成果を挙げられることもなく、
ただ人材をすり減らしてまで短期的な収益を上げることぐらいにしか能がない。
文系最高学府のハーバード閥がCIAなどを通じて、世界中への権力犯罪
による危害を加えることでアメリカへの利権の集約を試みて来たように、
そういう人種ならではの害心を、賊徒ならではの確信犯な切り取り活動などに
転じれば、それなりに絶大な成果を挙げることもあれど、それもまた
ろくでもない所業であることには変わりがないし、やはり別段、そういう
人種の普遍的な存在価値の高さの証拠などにもなり得ないものである。
モノを粗末に扱うような輩が、ヒトだけは大事に扱えたりするわけもない。
モノのうちでは最も下劣で不浄な扱いを受ける、
ウ●コやゲロにあらゆるヒトやモノを比肩させての、
粗末の限りを尽くす暴慢こそが本望であるような人種また同様。
モノの中では最も尊い宝刀、宝物などもまた尊び、
さらにそれ以上に尊いモノ以上の存在としてのヒトもまた尊ぶ。
そういった君子士人のみが、ただ理系だったりするために、
ヒトとモノを同列程度に扱う者以上に人間社会を隆盛ならしめる一方、
ヒトをモノ以下やゴミクソ並みに扱おうとする連中たるや、
理系が世の中や各種組織を司る場合ほどの健全な成果を挙げられることもなく、
ただ人材をすり減らしてまで短期的な収益を上げることぐらいにしか能がない。
文系最高学府のハーバード閥がCIAなどを通じて、世界中への権力犯罪
による危害を加えることでアメリカへの利権の集約を試みて来たように、
そういう人種ならではの害心を、賊徒ならではの確信犯な切り取り活動などに
転じれば、それなりに絶大な成果を挙げることもあれど、それもまた
ろくでもない所業であることには変わりがないし、やはり別段、そういう
人種の普遍的な存在価値の高さの証拠などにもなり得ないものである。
文系の洋学は、ギリシャ神話や旧約聖書の頃から、
人間の悪徳を最大級に網羅し抜くことに特化して来たために、
そんなものを勉強しようものなら、並み以上に他害や放蕩への
意欲ばかりを募らせたならず者とならざるを得ない。
「人間が本来そうあってはならない姿」として、
反面教師的に取り扱うのであれば、まだその勉強に意義を見出す余地はあるし、
俺も若い頃に得てしまった知識をそういう扱いに処しているわけだけれども。
日本でも海外でも、今のところそういった扱いにされることは全くなく、
もっぱら「人間の本質を捉えた精緻な学問分野」としての扱いを受け、
忠実な模倣の対象とするために学ぶのが通例となってしまっている。
結果、世界では国際間や貧富間での他害意欲に満ちた争いを激化させ、
日本では経営者が従業員を、旧世代が次世代をモノ以下の扱いに
処しての迫害が横行するような惨状を招き続けている。
自害行為としての悪影響が覿面なために、日本のほうが見るに明らかな
無様さを帯びてはいるけれども、世界もまた文系洋学の模範としての扱いによって
絶大な災厄を引き入れ、ついには核の危機までをも招いているのには
違いないわけで、いずれも早急な改善を要することには変わりないのである。
人間の悪徳を最大級に網羅し抜くことに特化して来たために、
そんなものを勉強しようものなら、並み以上に他害や放蕩への
意欲ばかりを募らせたならず者とならざるを得ない。
「人間が本来そうあってはならない姿」として、
反面教師的に取り扱うのであれば、まだその勉強に意義を見出す余地はあるし、
俺も若い頃に得てしまった知識をそういう扱いに処しているわけだけれども。
日本でも海外でも、今のところそういった扱いにされることは全くなく、
もっぱら「人間の本質を捉えた精緻な学問分野」としての扱いを受け、
忠実な模倣の対象とするために学ぶのが通例となってしまっている。
結果、世界では国際間や貧富間での他害意欲に満ちた争いを激化させ、
日本では経営者が従業員を、旧世代が次世代をモノ以下の扱いに
処しての迫害が横行するような惨状を招き続けている。
自害行為としての悪影響が覿面なために、日本のほうが見るに明らかな
無様さを帯びてはいるけれども、世界もまた文系洋学の模範としての扱いによって
絶大な災厄を引き入れ、ついには核の危機までをも招いているのには
違いないわけで、いずれも早急な改善を要することには変わりないのである。
>>100で取り上げた夏目漱石の「こゝろ」なんかもまた、
洋学に即した日本文学のうちでの金字塔であるわけだけれども。
俺もそんなものまで一応程度には読み抜いて来たからこそ、
儒仏を排し去っての洋学一辺倒に耽溺し続けて来た、
近代以降の日本社会の病理などを、より如実に把握することができた。
もちろん反面教師的な扱いではあるし、正学への傾倒もまた
入念たればこその結実であるわけだから、無防備な勉学の対象として
漱石文学を推奨できるようなこともまた、今のところないわけだけれども。
消防士が最悪の火災事故を予防目的で学んでおく程度の価値はある。
そういった文系洋学の扱い方を守れないのなら、学ばないほうがマシなのである。
洋学に即した日本文学のうちでの金字塔であるわけだけれども。
俺もそんなものまで一応程度には読み抜いて来たからこそ、
儒仏を排し去っての洋学一辺倒に耽溺し続けて来た、
近代以降の日本社会の病理などを、より如実に把握することができた。
もちろん反面教師的な扱いではあるし、正学への傾倒もまた
入念たればこその結実であるわけだから、無防備な勉学の対象として
漱石文学を推奨できるようなこともまた、今のところないわけだけれども。
消防士が最悪の火災事故を予防目的で学んでおく程度の価値はある。
そういった文系洋学の扱い方を守れないのなら、学ばないほうがマシなのである。
『セクシー田中さん』報告書で見えた“改変・修正無視”
https://www.jprime.jp/articles/-/32340?display=...
>在京各社ドラマプロデューサー「これで怖がっちゃいけない。安全にドラマを作る方法なんてない」
×安全にドラマを作る方法なんてない
〇(いないほうがマシなレベルの無能である私らが)安全にドラマを作る方法なんてない
「怖がっちゃいけない」なんて言ってるのは、結局、怖がってるからでもある。
自分たちみたいな出たがりの無能によって、本物の才能の持ち主たちが犠牲になることを。
もちろんそういう人々を尊重しているからじゃない。自分たちの引責が怖いから。
今回はまだ過失致死の範疇なうえ、刑事責任も問えないほどに迂遠な経緯に基づいている。
それがいずれは刑事沙汰にも発展しかねない上、過失で済まない殺人にすらなり得ることも。
そこを恐れられる程度には、確信犯の殺人犯などより穏健な側面もあるのだが、
京アニ放火だって過失致死だったのには変わりないし、今のネタニヤフやプーチンにだって
大量虐殺を正当化する言い訳はあるしで、だからといって少しも人を死なせないで済む
人種としての資格を満たしているわけではないし、さらには「怖がっちゃいけない」などと、
奮い立つべきでもないような処で蛮勇を抱いての立ち向かいにも臨もうとしているしで、
結果的に擁護できるような所はどこにもなくなっている。これが、心の老いのせいで、
殺意を抱いたりすることも忌む域にある連中が、殺人犯並みと化す典型的な実例なわけである。
https://www.jprime.jp/articles/-/32340?display=...
>在京各社ドラマプロデューサー「これで怖がっちゃいけない。安全にドラマを作る方法なんてない」
×安全にドラマを作る方法なんてない
〇(いないほうがマシなレベルの無能である私らが)安全にドラマを作る方法なんてない
「怖がっちゃいけない」なんて言ってるのは、結局、怖がってるからでもある。
自分たちみたいな出たがりの無能によって、本物の才能の持ち主たちが犠牲になることを。
もちろんそういう人々を尊重しているからじゃない。自分たちの引責が怖いから。
今回はまだ過失致死の範疇なうえ、刑事責任も問えないほどに迂遠な経緯に基づいている。
それがいずれは刑事沙汰にも発展しかねない上、過失で済まない殺人にすらなり得ることも。
そこを恐れられる程度には、確信犯の殺人犯などより穏健な側面もあるのだが、
京アニ放火だって過失致死だったのには変わりないし、今のネタニヤフやプーチンにだって
大量虐殺を正当化する言い訳はあるしで、だからといって少しも人を死なせないで済む
人種としての資格を満たしているわけではないし、さらには「怖がっちゃいけない」などと、
奮い立つべきでもないような処で蛮勇を抱いての立ち向かいにも臨もうとしているしで、
結果的に擁護できるような所はどこにもなくなっている。これが、心の老いのせいで、
殺意を抱いたりすることも忌む域にある連中が、殺人犯並みと化す典型的な実例なわけである。
「自分の親も犠牲になりかねないような革命なんかを急がない」
まともな人間性の持ち主であれば、誰しもが納得いくはずの理由付けを
とうの昔から提示済みなのだから、人でなし以外からの糾弾を心配する余地はない。
人でなしの声ばかりが大きければ、真っ当な人間ほどその場での発言は控える。
そんな連中のせいで、まるで眼前が敵ばかりのように化しているのもまた必然でしかない。
そうでいながら、さような状況を嘲笑うような者がいたとしても、
根拠もなく悪念を滾らせるような無理によって、自らの寿命をすり減らしている
だけのことでしかないからには、供養の心持ちで応じる以上にすべきこともあるまい。
まともな人間性の持ち主であれば、誰しもが納得いくはずの理由付けを
とうの昔から提示済みなのだから、人でなし以外からの糾弾を心配する余地はない。
人でなしの声ばかりが大きければ、真っ当な人間ほどその場での発言は控える。
そんな連中のせいで、まるで眼前が敵ばかりのように化しているのもまた必然でしかない。
そうでいながら、さような状況を嘲笑うような者がいたとしても、
根拠もなく悪念を滾らせるような無理によって、自らの寿命をすり減らしている
だけのことでしかないからには、供養の心持ちで応じる以上にすべきこともあるまい。
https://newsmatomedia.com/koyanagi-nagis...
詳しくはここでも参照してもらいたいんだが。
6年前、中年女性が、ネット上でも自慢げにひけらかしていたチワワ6匹を、
真夏のファミレスの駐車場で熱中症で全頭死亡させるという事件があったんだが、
その遺体画像を観光旅行の自慢話と共にネットに上げるなど、その後の対応が
あまりにも非道すぎたために大炎上するという「火に油」案件ともなったもの。
「自分の命よりも大切な存在」とまで言っておきながら、
いざそれが死のうものならただひたすら保身、ネットで叩かれたからといって
被害者ムーブに徹し始めたその姿はまさに、今の日テレなどにも通じる有り様。
「男らしさ」なんて蛮族の遺物扱いで否定され抜かれている昨今、
男にも似たような真似に及ぶ者は一定数あれど、この、自責の念と被害者意識が
ほぼ反比例の関係となっての狂乱に及ぶ様は、さすがに女たちならではの姿である。
30の境もすぎた自分たちにはもう、体力も衰えきってのBBA化の余生あるのみ
という境遇への絶望のあまり、自責の念を抱くことは完全にシャットアウトし、
それと引き換えのように、できる限り他者への責任転嫁意識は滾らせ抜く。
たとえ人や愛犬が死のうともそれは変わらず、「怖れちゃいけない」となるのみ。
本人たちにはもはや自制心を抱く余地などないのだから、外的な制限あるのみとなる。
詳しくはここでも参照してもらいたいんだが。
6年前、中年女性が、ネット上でも自慢げにひけらかしていたチワワ6匹を、
真夏のファミレスの駐車場で熱中症で全頭死亡させるという事件があったんだが、
その遺体画像を観光旅行の自慢話と共にネットに上げるなど、その後の対応が
あまりにも非道すぎたために大炎上するという「火に油」案件ともなったもの。
「自分の命よりも大切な存在」とまで言っておきながら、
いざそれが死のうものならただひたすら保身、ネットで叩かれたからといって
被害者ムーブに徹し始めたその姿はまさに、今の日テレなどにも通じる有り様。
「男らしさ」なんて蛮族の遺物扱いで否定され抜かれている昨今、
男にも似たような真似に及ぶ者は一定数あれど、この、自責の念と被害者意識が
ほぼ反比例の関係となっての狂乱に及ぶ様は、さすがに女たちならではの姿である。
30の境もすぎた自分たちにはもう、体力も衰えきってのBBA化の余生あるのみ
という境遇への絶望のあまり、自責の念を抱くことは完全にシャットアウトし、
それと引き換えのように、できる限り他者への責任転嫁意識は滾らせ抜く。
たとえ人や愛犬が死のうともそれは変わらず、「怖れちゃいけない」となるのみ。
本人たちにはもはや自制心を抱く余地などないのだから、外的な制限あるのみとなる。
自責の念を丸ごと被害者意識に転嫁する暴慢は、右脳と左脳の
分離性が弱く、論理と感情を分けてものを考えることが
疎かになりがちな女たちに特にありがちな病理ではあるけれども。
政財界の権力者であるような年寄りの男などが、不祥事に際して、
保身のあまりに似たような真似に及ぶこともままあることだし、
男もまた目的のための手段として、あるいはカカア天下な夫婦関係
によるヒス嫁からの感染などによって同類となりがちなものである。
ただやはり、男はそのような痴態を開き直ることに普通は躊躇を
抱く生き物であることだし、世の中全体がトップの権力機構から
さような狂乱によって致命的な腐敗を進行させて行くにはやはり、
ヒスによる開き直りの専門家としての、女様たちの、鬼嫁なり
フェミなりとしての顧問働きまでもが必要となるものである。
男女共同参画、一億総活躍社会なぞを謳う今の日本においてこそ、
誰も傾国の責任すら取ろうともしない権力腐敗もまた極まれり。
完全な世捨て人でもなく、世の中の趨勢に深く関わり合って来た
身の上でありながら、いざその世の中のほうが破綻の域に陥ろう
ものなら、まったくの他人事のように扱って怒り散らしたりする
恥知らずもそこら中にいることだし、ほぼ全国民に共通の病理である。
分離性が弱く、論理と感情を分けてものを考えることが
疎かになりがちな女たちに特にありがちな病理ではあるけれども。
政財界の権力者であるような年寄りの男などが、不祥事に際して、
保身のあまりに似たような真似に及ぶこともままあることだし、
男もまた目的のための手段として、あるいはカカア天下な夫婦関係
によるヒス嫁からの感染などによって同類となりがちなものである。
ただやはり、男はそのような痴態を開き直ることに普通は躊躇を
抱く生き物であることだし、世の中全体がトップの権力機構から
さような狂乱によって致命的な腐敗を進行させて行くにはやはり、
ヒスによる開き直りの専門家としての、女様たちの、鬼嫁なり
フェミなりとしての顧問働きまでもが必要となるものである。
男女共同参画、一億総活躍社会なぞを謳う今の日本においてこそ、
誰も傾国の責任すら取ろうともしない権力腐敗もまた極まれり。
完全な世捨て人でもなく、世の中の趨勢に深く関わり合って来た
身の上でありながら、いざその世の中のほうが破綻の域に陥ろう
ものなら、まったくの他人事のように扱って怒り散らしたりする
恥知らずもそこら中にいることだし、ほぼ全国民に共通の病理である。
自責の念によって、時には引責自殺すら辞さない心意気と、
ヒステリーによって自責の念を被害者意識や他害意識に
転嫁する卑劣さほど相容れないものもまたあり得ないからには、
前者による清廉な統治と、ヒスおば支配もまた、到底相容れるものではない。
女子と小人を反面教師とした修養を重んずる儒学こそが、
江戸期の日本のほか、儒学が初めて国学に指定された漢代の中国などでも、
引責自殺を続出させていたというし、儒学は当然その最たる助けとなるものである。
飢饉時に口減らし目的で仏僧が即身仏を称するミイラ化を試みたり、
出家皇族である公弁法親王の一存で赤穂義士の切腹も決定したりと、
仏門もまたそれによる治世の実現の扶けになることこそあれど、妨げになることはない。
神道は残念ながら、世俗を直接的に司る分には全くその役割を果たさず、
カルトの走狗と化した汚職政治家の片棒を担ぐような真似にまで及んでしまうことが
すでに発覚してしまっていることだし、老荘列の教えなどにも厳格に即した、
超俗への回帰によってその恥を漱いでいくことが必要となろう。
まさに件のような責任転嫁系のヒスこそを強大化させてかかる、
カルト信仰や文系の洋学などは、当然のこととして排除の対象とするしかない。
ヒスおばたち自身への制限以上に、そちらのほうがより抜本的な対策ともなろう。
ヒステリーによって自責の念を被害者意識や他害意識に
転嫁する卑劣さほど相容れないものもまたあり得ないからには、
前者による清廉な統治と、ヒスおば支配もまた、到底相容れるものではない。
女子と小人を反面教師とした修養を重んずる儒学こそが、
江戸期の日本のほか、儒学が初めて国学に指定された漢代の中国などでも、
引責自殺を続出させていたというし、儒学は当然その最たる助けとなるものである。
飢饉時に口減らし目的で仏僧が即身仏を称するミイラ化を試みたり、
出家皇族である公弁法親王の一存で赤穂義士の切腹も決定したりと、
仏門もまたそれによる治世の実現の扶けになることこそあれど、妨げになることはない。
神道は残念ながら、世俗を直接的に司る分には全くその役割を果たさず、
カルトの走狗と化した汚職政治家の片棒を担ぐような真似にまで及んでしまうことが
すでに発覚してしまっていることだし、老荘列の教えなどにも厳格に即した、
超俗への回帰によってその恥を漱いでいくことが必要となろう。
まさに件のような責任転嫁系のヒスこそを強大化させてかかる、
カルト信仰や文系の洋学などは、当然のこととして排除の対象とするしかない。
ヒスおばたち自身への制限以上に、そちらのほうがより抜本的な対策ともなろう。
一昨年のあの事件で、自民党と統一教会の致命的な癒着が
全国に知れ渡るまで、巷ではそんな問題などないも同然のものとして
扱われていたのと同じように、ヒスおばの毒気こそが全国に
まき散らされての世の停滞もまた、未だ認知が皆無に等しい状態。
そういうおばさんが忌まわしい存在だということぐらいは、
それなりに囁かれているものだけれども、画像のようなコラもネット上に長年
流通しておきながら、一昨年まで表社会ではほぼ黙殺状態だったのと同じように、
それが本当に大いなる国難の元凶になっているとまでは承認されないままでいる。
あまりにも当たり前にそこら中に出回っているものというのは、
もはやそれが致命的な害悪を帯びているのだろうとも問題視されないというのは、
たとえばインド人やアフリカ人が、今でも狂犬病持ちの犬やマラリア持ちの蚊や
エボラ持ちの猿と平気で共存している姿などからも察せられることだけれども。
その分だけ、世の中全体の身命への慈しみもまたいつの間にか下がっているもので、
それは結局のところ日本でもまた、Z世代の闇バイトや頂き女子のようなかたちで
非業の噴出を始めているものでもある。今すでに知れている範囲の外側にも、
なんらかの致命的な落ち度が存在し得ることへの警戒を欠かしている以上は、
表向き平和が確立されているように見える世の中にも、必ず破綻の危険が迫るのである。
全国に知れ渡るまで、巷ではそんな問題などないも同然のものとして
扱われていたのと同じように、ヒスおばの毒気こそが全国に
まき散らされての世の停滞もまた、未だ認知が皆無に等しい状態。
そういうおばさんが忌まわしい存在だということぐらいは、
それなりに囁かれているものだけれども、画像のようなコラもネット上に長年
流通しておきながら、一昨年まで表社会ではほぼ黙殺状態だったのと同じように、
それが本当に大いなる国難の元凶になっているとまでは承認されないままでいる。
あまりにも当たり前にそこら中に出回っているものというのは、
もはやそれが致命的な害悪を帯びているのだろうとも問題視されないというのは、
たとえばインド人やアフリカ人が、今でも狂犬病持ちの犬やマラリア持ちの蚊や
エボラ持ちの猿と平気で共存している姿などからも察せられることだけれども。
その分だけ、世の中全体の身命への慈しみもまたいつの間にか下がっているもので、
それは結局のところ日本でもまた、Z世代の闇バイトや頂き女子のようなかたちで
非業の噴出を始めているものでもある。今すでに知れている範囲の外側にも、
なんらかの致命的な落ち度が存在し得ることへの警戒を欠かしている以上は、
表向き平和が確立されているように見える世の中にも、必ず破綻の危険が迫るのである。
今から30年以上前、>>1画で引用させてもらった部分なども含む
最初期のゴー宣で、この人が実は「はやくじじいになりたい」と言ってて、
そこから作中での一人称を「わし」に統一し始めたのを覚えてるんだが。
当時はまだ老人といえば戦前世代で、団塊ですらアラフォーやそこら。
そんな中年期の自分たちから見た場合の年寄りたちの中には、
たとえば四元義隆氏や田中清玄氏のような、命がけで外患スパイ
などから日本の権益を守り抜いていた人々もまだいたりで、
まだそれなりに羨望できるようなところもあったものだから、
(たしかこの人は座頭市や勝新の大ファンでもあったはず)
自分もそのうちの一人のような頑固ジジイになりたかったのだろう。
しかし現実は非情である。
自分たち戦後旧世代たるや、ろくに内憂外患を退けることも能わず、
総員で医療利権頼みによる長生きで若い世代に負担をかけるような
老害集団と化してしまったために、たとえ若者たちの見るに明らかな
落ち度を指摘して怒るような真似に及ぼうとも、邪険にしか扱われない。
オウムにVXで殺されかけたりと、それなりに修羅場も潜り抜けて来た
人ではあるけれども、それでも四元氏らが亡き後に、統一教会に完全に
乗っ取られた自民政権による暴慢を食い止めるほどの力まではなく、
世の中どころか自分自身の現状の体たらくまでをも嘆く羽目に陥っている。
さような戦後旧世代ならではの無念を晴らしてやれるぐらいの革命でもなくば。
最初期のゴー宣で、この人が実は「はやくじじいになりたい」と言ってて、
そこから作中での一人称を「わし」に統一し始めたのを覚えてるんだが。
当時はまだ老人といえば戦前世代で、団塊ですらアラフォーやそこら。
そんな中年期の自分たちから見た場合の年寄りたちの中には、
たとえば四元義隆氏や田中清玄氏のような、命がけで外患スパイ
などから日本の権益を守り抜いていた人々もまだいたりで、
まだそれなりに羨望できるようなところもあったものだから、
(たしかこの人は座頭市や勝新の大ファンでもあったはず)
自分もそのうちの一人のような頑固ジジイになりたかったのだろう。
しかし現実は非情である。
自分たち戦後旧世代たるや、ろくに内憂外患を退けることも能わず、
総員で医療利権頼みによる長生きで若い世代に負担をかけるような
老害集団と化してしまったために、たとえ若者たちの見るに明らかな
落ち度を指摘して怒るような真似に及ぼうとも、邪険にしか扱われない。
オウムにVXで殺されかけたりと、それなりに修羅場も潜り抜けて来た
人ではあるけれども、それでも四元氏らが亡き後に、統一教会に完全に
乗っ取られた自民政権による暴慢を食い止めるほどの力まではなく、
世の中どころか自分自身の現状の体たらくまでをも嘆く羽目に陥っている。
さような戦後旧世代ならではの無念を晴らしてやれるぐらいの革命でもなくば。
ニコニコのこのふざけた復旧スタイルを見るに、ろくに
バックアップも取って来なかったんだろうなというのは知れる。
データカートリッジに定期的にバックアップしてただけでも、
ここまで復旧が遅れることはなかったはずなんだよね。
現行のサーバ内にあるデータを全部ウイルスチェックし直してから
上げ直すとかなったら、それが何十年後になるのか知らないけれども、
それに相当するような真似をひけらかしているような状態。
ビッグデータを十分な安全性と共に取り扱う体制を整えて
いなかったというのは、薄々知れていたことではあるにしても、
そこに本当に実体がなかったのが周知されたのは、ご愁傷様なこったね。
さすが創業者すら逃亡犯状態に追い込んでいる界隈。
バックアップも取って来なかったんだろうなというのは知れる。
データカートリッジに定期的にバックアップしてただけでも、
ここまで復旧が遅れることはなかったはずなんだよね。
現行のサーバ内にあるデータを全部ウイルスチェックし直してから
上げ直すとかなったら、それが何十年後になるのか知らないけれども、
それに相当するような真似をひけらかしているような状態。
ビッグデータを十分な安全性と共に取り扱う体制を整えて
いなかったというのは、薄々知れていたことではあるにしても、
そこに本当に実体がなかったのが周知されたのは、ご愁傷様なこったね。
さすが創業者すら逃亡犯状態に追い込んでいる界隈。
スレの主題にまた話を戻すに。
俺が昔通ってた道場に、
「進歩向上の道には困難が伴い、退歩の道は安易である」
という、松下幸之助だかの発言が元の標語が掲げてあったんだが。
あまりにも当たり前に思えて当時はさほど気にしていなかったけれども、
現代の日本たるや、レディーファースト系カルト志向の蔓延によって、
それすらもが見落とされての顛倒夢想までもがまかり通ってしまっている。
進歩向上なんか志さないというのなら、それはそれでともかくとして、
志すのならやはり、そこには困難や厳しさが伴うもの。スパルタ的な
仕打ちを外的に被ったりせずとも、やはり入念な自制心によって、
他者から以上に自分に厳しくあってこそ、そこに何らかの向上がある。
そこがまず、努力したところでもはや伸びしろが知れてる女たちによって
主に否定されて、困難なんかなくても向上があり得るとまで思い込まれ始めた。
俺が昔通ってた道場に、
「進歩向上の道には困難が伴い、退歩の道は安易である」
という、松下幸之助だかの発言が元の標語が掲げてあったんだが。
あまりにも当たり前に思えて当時はさほど気にしていなかったけれども、
現代の日本たるや、レディーファースト系カルト志向の蔓延によって、
それすらもが見落とされての顛倒夢想までもがまかり通ってしまっている。
進歩向上なんか志さないというのなら、それはそれでともかくとして、
志すのならやはり、そこには困難や厳しさが伴うもの。スパルタ的な
仕打ちを外的に被ったりせずとも、やはり入念な自制心によって、
他者から以上に自分に厳しくあってこそ、そこに何らかの向上がある。
そこがまず、努力したところでもはや伸びしろが知れてる女たちによって
主に否定されて、困難なんかなくても向上があり得るとまで思い込まれ始めた。
ヨガ行も元来が修行の手段だから、本当に痛くて苦しいことを試み続ければ、
それで能力開発や健康長寿のような、着実な成果にも与れるようになっているのだが、
ただ気持ちいい範囲だけでやってみたところで、全くなんの成果も挙げられないのみならず、
虚弱化などの弊害をも帯びかねない。にもかかわらずそこにこそ向上性を見出したりする。
特にひどい教室なんかだと、本当にそういうことをやっただけで上級者認定の
免許状などを発行して、レッスン生に向上できた気分にならせたりまでする。
そこに、「精神的に向上心のない者はばかだ」程度の、
最低限の分別をも欠いた、顛倒夢想の精髄がある。
進歩向上が何の困難もなく、むしろ快楽を得るだけで達成できるなどと思い込むのは、
畢竟、淫乱さから正当化される狂態でもあることだし、特にそれをヨガ行のような本格の
修行手段にまで当てはめたりするのは、もはや罰当たりといっても過言ではない所業となる。
そんなものが平気で商売になってたりする世相ともなれば、そこに惑溺している
おばさんたちのみならず、世の中全体が進歩向上のための大原則を見損ない、
それを目指す以上は困難を伴う努力も怠らないという大前提までもが反故にされての、
成長力著しい子供や若者まで甘やかして伸び悩ませる外ない末路に陥ったのである。
それで能力開発や健康長寿のような、着実な成果にも与れるようになっているのだが、
ただ気持ちいい範囲だけでやってみたところで、全くなんの成果も挙げられないのみならず、
虚弱化などの弊害をも帯びかねない。にもかかわらずそこにこそ向上性を見出したりする。
特にひどい教室なんかだと、本当にそういうことをやっただけで上級者認定の
免許状などを発行して、レッスン生に向上できた気分にならせたりまでする。
そこに、「精神的に向上心のない者はばかだ」程度の、
最低限の分別をも欠いた、顛倒夢想の精髄がある。
進歩向上が何の困難もなく、むしろ快楽を得るだけで達成できるなどと思い込むのは、
畢竟、淫乱さから正当化される狂態でもあることだし、特にそれをヨガ行のような本格の
修行手段にまで当てはめたりするのは、もはや罰当たりといっても過言ではない所業となる。
そんなものが平気で商売になってたりする世相ともなれば、そこに惑溺している
おばさんたちのみならず、世の中全体が進歩向上のための大原則を見損ない、
それを目指す以上は困難を伴う努力も怠らないという大前提までもが反故にされての、
成長力著しい子供や若者まで甘やかして伸び悩ませる外ない末路に陥ったのである。
「進歩向上のための困難を伴う努力」というもの自体が、
これまた大きな誤解と共に受け止められるようになったせいで、
そんなものは不合理扱いして敬遠する者が多くなった、というのもある。
たとえば、年取って体力が衰えてくると、
座っていた状態から立ち上がるだけでも「よっこいしょ」などと言いながら、
ある種の一念発起を試みねばならなくなる者が増えてくる。
若い頃にも、その踏ん張りはあったのだけれども、まだ体力が旺盛なために、
何もしていない状態との落差が小さくて、「よっこいしょ」などという必要もなかった。
それと同じように、若い頃は努力がしやすく、年取るとしにくくなる、
特に元から体力が低い女たちはその傾向が強い、というのもまたあるけれども。
古流の武芸などで嗜まれるような、合理的な身体操法によって、座った状態からの
立ち上がりなどをより負担なく行えるようにもなるし、ラージャヨガなどで
試みられるクンバハカの技法によって、「よっこいしょ」の時だけに限らず、
常日頃から一定以上には体全体がエネルギーで満たされるようになり、それプラス
合理的な身体操法で、加齢後も立ち上がり運動などに全く負担を感じないようにはなれる。
これまた大きな誤解と共に受け止められるようになったせいで、
そんなものは不合理扱いして敬遠する者が多くなった、というのもある。
たとえば、年取って体力が衰えてくると、
座っていた状態から立ち上がるだけでも「よっこいしょ」などと言いながら、
ある種の一念発起を試みねばならなくなる者が増えてくる。
若い頃にも、その踏ん張りはあったのだけれども、まだ体力が旺盛なために、
何もしていない状態との落差が小さくて、「よっこいしょ」などという必要もなかった。
それと同じように、若い頃は努力がしやすく、年取るとしにくくなる、
特に元から体力が低い女たちはその傾向が強い、というのもまたあるけれども。
古流の武芸などで嗜まれるような、合理的な身体操法によって、座った状態からの
立ち上がりなどをより負担なく行えるようにもなるし、ラージャヨガなどで
試みられるクンバハカの技法によって、「よっこいしょ」の時だけに限らず、
常日頃から一定以上には体全体がエネルギーで満たされるようになり、それプラス
合理的な身体操法で、加齢後も立ち上がり運動などに全く負担を感じないようにはなれる。
それを志し会得して行くのもまた、進歩向上のための努力であり、
ただ踏ん張って立ち上がることばかりを頑張るのと比べれば、
心技体のうちの心や技の向上を模索する面もまたはるかに多いのが特徴となる。
古来の武芸などはさような心技体総動員の進歩向上を本分としていたものだから、
「80歳を過ぎるまで向上し続け、若者にも負けない(中山博道)」ともされていたのだが、
ただひたすら「よっこいしょ」な踏ん張りの修練ばかりを目論むような小道では、
年寄りが若者に勝てることもないし、中高年のおばさんが何かを得られるようなこともない。
努力の方向性が心技体全方位に行き渡る部類の努力が見失われて、
どれか一つばかりへの努力しか存在しないぐらいに思われているために、
努力の成果も低い所で天井打ちとなり、誰もそんなものを羨望することもなく、
せいぜい生まれつきの才能の消費だけで済ませるような怠慢を開き直ってしまっている。
その矮小さの範疇において、あらゆる伸びしろが絶えたおばさんたちのヒスなども
格段に増悪して行くものだし、決してそれが人間に与えられた唯一の道というわけでもないのだ。
ただ踏ん張って立ち上がることばかりを頑張るのと比べれば、
心技体のうちの心や技の向上を模索する面もまたはるかに多いのが特徴となる。
古来の武芸などはさような心技体総動員の進歩向上を本分としていたものだから、
「80歳を過ぎるまで向上し続け、若者にも負けない(中山博道)」ともされていたのだが、
ただひたすら「よっこいしょ」な踏ん張りの修練ばかりを目論むような小道では、
年寄りが若者に勝てることもないし、中高年のおばさんが何かを得られるようなこともない。
努力の方向性が心技体全方位に行き渡る部類の努力が見失われて、
どれか一つばかりへの努力しか存在しないぐらいに思われているために、
努力の成果も低い所で天井打ちとなり、誰もそんなものを羨望することもなく、
せいぜい生まれつきの才能の消費だけで済ませるような怠慢を開き直ってしまっている。
その矮小さの範疇において、あらゆる伸びしろが絶えたおばさんたちのヒスなども
格段に増悪して行くものだし、決してそれが人間に与えられた唯一の道というわけでもないのだ。
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1718010877/16...
絶対に譲れないものがある敵対者同士での会話ってのはな、
どちらかが死ぬか、言葉による相互理解を諦めてその場を去るか、
言語道断の戦闘に移行するのでもない限りは、終わることはないんだよ。
絶対に譲れないものがある敵対者同士での会話ってのはな、
どちらかが死ぬか、言葉による相互理解を諦めてその場を去るか、
言語道断の戦闘に移行するのでもない限りは、終わることはないんだよ。
その恫喝とやらも、恫喝だったところで、
おまえらが散々俺相手に試みて来た恫喝の足元にも
及ばないほどささやかな範囲のものでしかないからこそ、
おまえらのほうが優先的な削除規制の対象となって来たうえに、
そのような管理姿勢が立派な健全運営であると広く認められて、
ここ明和も画像掲示板という、旧式で脱落閉鎖する類似サイトも
多いような形式でいながら、今まで生き延びられて来たのである。
おまえらが散々俺相手に試みて来た恫喝の足元にも
及ばないほどささやかな範囲のものでしかないからこそ、
おまえらのほうが優先的な削除規制の対象となって来たうえに、
そのような管理姿勢が立派な健全運営であると広く認められて、
ここ明和も画像掲示板という、旧式で脱落閉鎖する類似サイトも
多いような形式でいながら、今まで生き延びられて来たのである。
なんかアベマで一挙無料やってたんで、
パルプフィクションの脚本家も映画版を絶賛していた
「このすば」の本編を全部観てみたんだが。
なんだろう、基本的にガチクズ、ドクズ、ゴミクズムーブからのバッドエンド
ばかりの繰り返しを、圧倒的な情報量と超高速の演出でやっつけて行く作風。
これを悪評高いアニメ版チェンソーマンのスカスカ演出あたりで
映像化しようものなら、完全な泡沫作品扱いで終わってたんじゃないか。
でもそれが国内外で大絶賛されて、最高峰の映像作品扱いにまで
されてるわけだし、わりと世界の度量も広いもんだな、と。
延々と膨大な嫌口込みの書き込みを畳みかけ続けて、それを勝手に楽しんでいる、
俺に付いて来られる人間だって、別にいないわけでもないだろうとも思えたりな。^^
そりゃあそんなのが嫌で嫌でたまらないヒス患者も中にはいようとて。
パルプフィクションの脚本家も映画版を絶賛していた
「このすば」の本編を全部観てみたんだが。
なんだろう、基本的にガチクズ、ドクズ、ゴミクズムーブからのバッドエンド
ばかりの繰り返しを、圧倒的な情報量と超高速の演出でやっつけて行く作風。
これを悪評高いアニメ版チェンソーマンのスカスカ演出あたりで
映像化しようものなら、完全な泡沫作品扱いで終わってたんじゃないか。
でもそれが国内外で大絶賛されて、最高峰の映像作品扱いにまで
されてるわけだし、わりと世界の度量も広いもんだな、と。
延々と膨大な嫌口込みの書き込みを畳みかけ続けて、それを勝手に楽しんでいる、
俺に付いて来られる人間だって、別にいないわけでもないだろうとも思えたりな。^^
そりゃあそんなのが嫌で嫌でたまらないヒス患者も中にはいようとて。
導師って言葉も、「尊師」と言いたいのをグッと堪えて出てきたワードなのがモロバレ
レディーファースト系カルトやその眷属が、世間にばら撒いての増長を
目論み続けてやまない、心の老いによるヒステリー状態に陥った者たるや、
人間が本来持ち合わせて然るべき健全な範疇の覇気までをも狂気扱いする。
その手のカルトの聖地と化している韓国などでは、ただ鼻血が出る程度の奮闘に
及んだけでも、過度の労苦扱いして被害者ぶるほどの精神薄弱が横行しているようだし、
そこから、別に戦地に送られるわけでもない兵役への嫌悪なども激化しているという。
俺も修行のやり過ぎのせいで鼻血を出したことなどは数えきれないほどあるけれども、
逆に、そろそろ休んだほうがいいサインとして重宝して来たぐらいのものである。
然れども、カルト級の精神薄弱に見舞われている者たちにとっては、そんな風に
平気で鼻血級の荒行を繰り返したりすることが、狂気の内に数えられるもの。
目論み続けてやまない、心の老いによるヒステリー状態に陥った者たるや、
人間が本来持ち合わせて然るべき健全な範疇の覇気までをも狂気扱いする。
その手のカルトの聖地と化している韓国などでは、ただ鼻血が出る程度の奮闘に
及んだけでも、過度の労苦扱いして被害者ぶるほどの精神薄弱が横行しているようだし、
そこから、別に戦地に送られるわけでもない兵役への嫌悪なども激化しているという。
俺も修行のやり過ぎのせいで鼻血を出したことなどは数えきれないほどあるけれども、
逆に、そろそろ休んだほうがいいサインとして重宝して来たぐらいのものである。
然れども、カルト級の精神薄弱に見舞われている者たちにとっては、そんな風に
平気で鼻血級の荒行を繰り返したりすることが、狂気の内に数えられるもの。
オウムは中村元の仏教研究を元手にした洋学仏教。
「尊師」という翻訳表現も古来の仏語ではなく中村の我流。
所詮、洋学ベースでまともに仏教など理解できないということ。
犯罪者予備軍等であってほしくないというのなら、
まずおまえがその言いがかりばかりをベースとした物言いをやめればいい。
韓信や陳平のような英雄になってくれとか、そういう話をすればいいのに、
好き好んで麻原だなんだとカルトやテロの話ばかりを擦り付けてくる。
どうみてもそうなってほしい、そうあって欲しいと希ってるようにしか見えんがな。
「尊師」という翻訳表現も古来の仏語ではなく中村の我流。
所詮、洋学ベースでまともに仏教など理解できないということ。
犯罪者予備軍等であってほしくないというのなら、
まずおまえがその言いがかりばかりをベースとした物言いをやめればいい。
韓信や陳平のような英雄になってくれとか、そういう話をすればいいのに、
好き好んで麻原だなんだとカルトやテロの話ばかりを擦り付けてくる。
どうみてもそうなってほしい、そうあって欲しいと希ってるようにしか見えんがな。
(>>149の続き)
床や畳に直接座る純和風の生活だと、
立ったり座ったりにはるかに大きな労力が必要となる上に、
骨盤を立てて座ることが嫌でも必要となってくる
といった効果もまたあるために、自然と足腰が強くなり、
天寿まで健脚のままでいられたりもするようになるのだが。
子供のころから椅子の生活に甘んじて来た者たちたるや、
まず以て下半身の歪みのために、そのスタート地点に立つことも
できないほどにも、床に座ることが苦痛まみれとなったりもする。
外転筋と内転筋、外側広筋と内側広筋、腓腹筋外側頭と内側頭、
前脛骨筋と後脛骨筋などの、脚の外側と内側の筋肉の、
太さや長さが対称性を損ねてガタガタに狂いきっているものだから、
ただ胡坐や正座で床に座るだけでもう、どこもかしこもが痛いとなる。
それは、足腰の強さではなく、筋配列の対称性の再構築によってのみ
解消されるものであるし、まずそのために修行級のハタヨガのような
強烈なストレッチ運動などを講じておく必要までもが生じるものである。
床や畳に直接座る純和風の生活だと、
立ったり座ったりにはるかに大きな労力が必要となる上に、
骨盤を立てて座ることが嫌でも必要となってくる
といった効果もまたあるために、自然と足腰が強くなり、
天寿まで健脚のままでいられたりもするようになるのだが。
子供のころから椅子の生活に甘んじて来た者たちたるや、
まず以て下半身の歪みのために、そのスタート地点に立つことも
できないほどにも、床に座ることが苦痛まみれとなったりもする。
外転筋と内転筋、外側広筋と内側広筋、腓腹筋外側頭と内側頭、
前脛骨筋と後脛骨筋などの、脚の外側と内側の筋肉の、
太さや長さが対称性を損ねてガタガタに狂いきっているものだから、
ただ胡坐や正座で床に座るだけでもう、どこもかしこもが痛いとなる。
それは、足腰の強さではなく、筋配列の対称性の再構築によってのみ
解消されるものであるし、まずそのために修行級のハタヨガのような
強烈なストレッチ運動などを講じておく必要までもが生じるものである。
生まれた頃から椅子の生活だった典型的な現代日本人としての、
個人的な経験から言わせてもらえば、それだけで10年以上は要したりもする。
今から十五年以上前に、実際に禅寺などにも通いながら座禅を始めたが、
その頃はまったく要領を得ず、しばらく放り出すようなこともあったもの。
そこに、やった後はしばらく寝込むほど強烈なストレッチ運動などでの
下半身主体の矯正を繰り返して来た結果、近頃やっと、脚を組んで
座禅すれば、あえて試みずとも自然と骨盤が立つようになり始めたもの。
それほどにも、椅子の生活が下半身の筋配列を狂わせる程度というのはひどい。
逆言すれば、昔から日本人が当たり前のように勤めて来た床に座る生活が、
いかに重大かつ有意義な意味合いを帯びていたものか、ともいえるもの。
個人的な経験から言わせてもらえば、それだけで10年以上は要したりもする。
今から十五年以上前に、実際に禅寺などにも通いながら座禅を始めたが、
その頃はまったく要領を得ず、しばらく放り出すようなこともあったもの。
そこに、やった後はしばらく寝込むほど強烈なストレッチ運動などでの
下半身主体の矯正を繰り返して来た結果、近頃やっと、脚を組んで
座禅すれば、あえて試みずとも自然と骨盤が立つようになり始めたもの。
それほどにも、椅子の生活が下半身の筋配列を狂わせる程度というのはひどい。
逆言すれば、昔から日本人が当たり前のように勤めて来た床に座る生活が、
いかに重大かつ有意義な意味合いを帯びていたものか、ともいえるもの。
今の日本人が、ただ昔並みの足腰の強さを取り戻すためにだけでも、
10年以上の歳月がかかる上に、鼻血が出るぐらいの奮闘が幾度となく必要にもなる。
ただそれだけでももはや、レディーファースト系カルトが現代日本で広めて来たような
腑抜けさと共にでは絶対に務まらないことだし、その手の連中が、それを可能とする域の
覇気の持ち主を狂人呼ばわりして社会的に退けたりすることが横行し続ける以上は、
世の大多数の人間がそこにまで立ち戻れるめどが立つこともない。
しかし、世の中を持続可能な程度に健全に営めていたのは昔の日本人のほうであり、
カルト級の腑抜けばかりと化した現代の日本人のほうが亡国の危機を招いているからには、
心理面のみならず、社会的な要求に即しても、昔の日本人なら誰でも抱けていたぐらいの
覇気の旺盛さ=正気、現代の日本人にありがちなカルト級の腑抜けさ=狂気と見なさねばならぬ。
無論、そこでまた国家神道やオウムみたいな、カルト由来の決死上等志向などに振りきれるのでも
いけない。鼻血が出るほどの荒行も厭わないが、出た以上は十分な回復のための休息も欠かさない
ような中庸性にこそ正気の本懐を見定め、最大級の健康養生や能力開発をも企図して行くのである。
10年以上の歳月がかかる上に、鼻血が出るぐらいの奮闘が幾度となく必要にもなる。
ただそれだけでももはや、レディーファースト系カルトが現代日本で広めて来たような
腑抜けさと共にでは絶対に務まらないことだし、その手の連中が、それを可能とする域の
覇気の持ち主を狂人呼ばわりして社会的に退けたりすることが横行し続ける以上は、
世の大多数の人間がそこにまで立ち戻れるめどが立つこともない。
しかし、世の中を持続可能な程度に健全に営めていたのは昔の日本人のほうであり、
カルト級の腑抜けばかりと化した現代の日本人のほうが亡国の危機を招いているからには、
心理面のみならず、社会的な要求に即しても、昔の日本人なら誰でも抱けていたぐらいの
覇気の旺盛さ=正気、現代の日本人にありがちなカルト級の腑抜けさ=狂気と見なさねばならぬ。
無論、そこでまた国家神道やオウムみたいな、カルト由来の決死上等志向などに振りきれるのでも
いけない。鼻血が出るほどの荒行も厭わないが、出た以上は十分な回復のための休息も欠かさない
ような中庸性にこそ正気の本懐を見定め、最大級の健康養生や能力開発をも企図して行くのである。
結局、自分自身がオウムや文系洋学の知識しかないものだから、
その範囲でしか物も語れない狭劣見との話は大概にしておいて。
(>>173の続き)
今度世界遺産になりそうな佐渡金山もそうだし、すでになってる軍艦島などもだが、
日本の産業系遺産の登録にはいつも韓国が強制労働云々の妨害を加えてくる。
それは別に、朝魚羊人だけに特別に重労働を負わせたわけでもなく、
数多の日本人たちも同じように従事していたものでありながら、
連中たちだけが腑抜けな性分を開き直っての文句であるのがいつものことなのだが。
それにしたって、現代の日本人もまたその半島級の腑抜けにカルト支配や韓流ゴリ押しなどを
通じて毒されている手前、「おまえらが惰弱すぎるだけだ」などと突っぱねることもできない。
中国人がかつての日本兵の苛烈さを「日本鬼子リーベンクイズ」などと呼んで罵倒するのも、
別に南京大虐殺みたいな捏造抜きにしても、長年文弱支配に甘んじて来た大陸人ならではの
惰弱さから見れば、昔の日本人が恐ろしいほどに厳格に映ったが故の言い張りでもあろう。
その峻厳さを国家神道みたいなカルト性を帯びた捏造文化と共にではなく、
古来の正気に根差した本物の精神文化と共に復興させればこそ、先祖たちの無念を漱ぎながら、
真に畏怖されるべき日本人ならではの威容を持ち直すことともなるであろう。
その範囲でしか物も語れない狭劣見との話は大概にしておいて。
(>>173の続き)
今度世界遺産になりそうな佐渡金山もそうだし、すでになってる軍艦島などもだが、
日本の産業系遺産の登録にはいつも韓国が強制労働云々の妨害を加えてくる。
それは別に、朝魚羊人だけに特別に重労働を負わせたわけでもなく、
数多の日本人たちも同じように従事していたものでありながら、
連中たちだけが腑抜けな性分を開き直っての文句であるのがいつものことなのだが。
それにしたって、現代の日本人もまたその半島級の腑抜けにカルト支配や韓流ゴリ押しなどを
通じて毒されている手前、「おまえらが惰弱すぎるだけだ」などと突っぱねることもできない。
中国人がかつての日本兵の苛烈さを「日本鬼子リーベンクイズ」などと呼んで罵倒するのも、
別に南京大虐殺みたいな捏造抜きにしても、長年文弱支配に甘んじて来た大陸人ならではの
惰弱さから見れば、昔の日本人が恐ろしいほどに厳格に映ったが故の言い張りでもあろう。
その峻厳さを国家神道みたいなカルト性を帯びた捏造文化と共にではなく、
古来の正気に根差した本物の精神文化と共に復興させればこそ、先祖たちの無念を漱ぎながら、
真に畏怖されるべき日本人ならではの威容を持ち直すことともなるであろう。
近年、東北や北海道などで激化しているクマ系の獣害問題などにも、
よく「自衛隊を出動させろ」などという意見を出す者がいるが、
だいたい即座に「左翼がうるさいから」などという反論が入る。
日本の左翼なんてのは中共の手先な反日スパイだらけなのだし、
再軍備で諜報機関まで整備すればあっという間に撃退できるものだけれども。
たとえそれを実現したところで、韓国的カルト的な腑抜けさによって、
日本人が一端の軍人、武人級の働きを見せ始めることに、
アレルギー的な拒絶反応を示す者は絶えないままだろう。
腑抜けから急激に兵員級の覇気を要求されたような者こそは、
開き直りからのキレ散らかしで画像のような事件も起こしかねない。
そこには「友軍でも人に銃口を向けようものなら即座に撃ち返す」という、
ハワイやグアムの射撃場でも通用している並みの規定を設けるなどして、
相応な対応を凝らして行くことが現実的な手立てともなるであろう。
そういったこと全般が、反日左翼のみならず、レディーファースト系カルト
なぞが全ての日本人を惑溺させたままにさせておきたかった腑抜けさ
からの脱却を強いるものとなるために、場合によっては気狂い扱いに
よってまでの反発までもが生じかねない。そこで、「こちらのほうが
おまえら以上に正気なのだ」と断定し返せるだけの健全さがなければならぬ。
よく「自衛隊を出動させろ」などという意見を出す者がいるが、
だいたい即座に「左翼がうるさいから」などという反論が入る。
日本の左翼なんてのは中共の手先な反日スパイだらけなのだし、
再軍備で諜報機関まで整備すればあっという間に撃退できるものだけれども。
たとえそれを実現したところで、韓国的カルト的な腑抜けさによって、
日本人が一端の軍人、武人級の働きを見せ始めることに、
アレルギー的な拒絶反応を示す者は絶えないままだろう。
腑抜けから急激に兵員級の覇気を要求されたような者こそは、
開き直りからのキレ散らかしで画像のような事件も起こしかねない。
そこには「友軍でも人に銃口を向けようものなら即座に撃ち返す」という、
ハワイやグアムの射撃場でも通用している並みの規定を設けるなどして、
相応な対応を凝らして行くことが現実的な手立てともなるであろう。
そういったこと全般が、反日左翼のみならず、レディーファースト系カルト
なぞが全ての日本人を惑溺させたままにさせておきたかった腑抜けさ
からの脱却を強いるものとなるために、場合によっては気狂い扱いに
よってまでの反発までもが生じかねない。そこで、「こちらのほうが
おまえら以上に正気なのだ」と断定し返せるだけの健全さがなければならぬ。
レディーファースト系カルトが危険視して、
全ての日本人から剥奪したままでいたがっている
ラージャヨガ的な覇気が、最低でも他力本願的にぐらいは
女たちにもあるのでなければ、満足に子育てもできはしない。
なればこそ、その手のカルト支配が旺盛な韓国や日本こそは、
世界でもトップ級の少子化に見舞われているのでもある。
自民の石破が「子育て支援の政策ばかり打ち出してるが、
始めから産み育てもしない人々は放っておくのか」と、
ガラにもなく現実的な問題提起をこの前してたものだけれども。
その自民こそが日本中の女たちに、子供を産み育てたりなんて、
ただただ辛いだけに違いないから、始めから手出しもしたくないと
思わせるほどの精神薄弱を植え付けて来たのだから、わけもない。
その危惧は決して酸っぱい葡萄でもなく、実際、レディーファースト系の
ヨガ教室での腑抜けたリラックスが一番の楽しみだなんていう女たちに、
十分な子育てなど務まるまいし、務まった所でそこに喜びなどはあるまい。
全ての日本人から剥奪したままでいたがっている
ラージャヨガ的な覇気が、最低でも他力本願的にぐらいは
女たちにもあるのでなければ、満足に子育てもできはしない。
なればこそ、その手のカルト支配が旺盛な韓国や日本こそは、
世界でもトップ級の少子化に見舞われているのでもある。
自民の石破が「子育て支援の政策ばかり打ち出してるが、
始めから産み育てもしない人々は放っておくのか」と、
ガラにもなく現実的な問題提起をこの前してたものだけれども。
その自民こそが日本中の女たちに、子供を産み育てたりなんて、
ただただ辛いだけに違いないから、始めから手出しもしたくないと
思わせるほどの精神薄弱を植え付けて来たのだから、わけもない。
その危惧は決して酸っぱい葡萄でもなく、実際、レディーファースト系の
ヨガ教室での腑抜けたリラックスが一番の楽しみだなんていう女たちに、
十分な子育てなど務まるまいし、務まった所でそこに喜びなどはあるまい。
育ち盛りで過剰なほどに活発な子供たちを十分に制してかかるためにも、
それなりの覇気がなければならず、その覇気こそを楽しめるぐらいでもなければ、
陰湿な体罰や恫喝などに及んで、子供にトラウマを植え付けることにもなりかねない。
ラージャヨガ的な覇気も子供の活発さも、生命力の旺盛さから来るものだし、
大人にも一定以上そういった覇気があってこそ、子供と同等以上に渡り合っての
教導が可能ともなるもの。そこにこそ子供に畏敬されるに値する大人もまたあり、
人の親たることへの誇りを抱く、真の根拠までもが具わるものである。
昔は当たり前にそこら中に存在していた、そういった親子関係が今やどこにも存在せず、
未だ現存する親子といえども、溺愛にまみれることを以て子供を持つ意義かのように
決めつけて何とかやり過ごしているような始末。それでは世の中の大多数が多くの子供を
産み育てて人口を維持することすら能わないのであり、そんな世の中をもたらして
しまっている腑抜け主義のカルトのほうが不健全な狂態であるとみるべきなのである。
それなりの覇気がなければならず、その覇気こそを楽しめるぐらいでもなければ、
陰湿な体罰や恫喝などに及んで、子供にトラウマを植え付けることにもなりかねない。
ラージャヨガ的な覇気も子供の活発さも、生命力の旺盛さから来るものだし、
大人にも一定以上そういった覇気があってこそ、子供と同等以上に渡り合っての
教導が可能ともなるもの。そこにこそ子供に畏敬されるに値する大人もまたあり、
人の親たることへの誇りを抱く、真の根拠までもが具わるものである。
昔は当たり前にそこら中に存在していた、そういった親子関係が今やどこにも存在せず、
未だ現存する親子といえども、溺愛にまみれることを以て子供を持つ意義かのように
決めつけて何とかやり過ごしているような始末。それでは世の中の大多数が多くの子供を
産み育てて人口を維持することすら能わないのであり、そんな世の中をもたらして
しまっている腑抜け主義のカルトのほうが不健全な狂態であるとみるべきなのである。
(>>178の続き)
日本の男たちが昔並みの凛々しさ、力強さを取り戻すため、
女たちが子を産み育てられる程度の覇気は持ち保つために、
レディーファースト系のカルトが洗脳支配によって、全ての日本人に
植え付けて来た腑抜けさやヒステリーからの脱却が必要不可欠たる。
それはカルトそのものを忌み嫌っているような普通の日本人に至るまで、
普段吸っている空気のように、当たり前にそこら中に流布されて、
自然と享受している病理なればこそ、それをこそ狂気と見定め直し、
今の自分たちからすればちょっと怖いぐらいに思えるぐらいの覇気と
共にある姿のほうが、真に正気を保った人としての在り方なのだと、
確信的に思い直して修正して行くのでもなければならない所である。
かつ、戦後世代の中では最もその手の覇気を旺盛に持ち合わせていた
団塊世代が、総員での学のなさのために暴徒然と化してしまっている
点が多かったところなどは、特効玉砕やオウムの蛮勇修行などと同じく、
「勇を好みて学を好まざればその弊や乱。
剛を好みて学を好まざればその弊や狂」(陽貨第十七・七
なあり様として、取捨選択的な反面教師ともして行かねばならない。
そこに一つ覚えの決め込みなどは一切通用せず、あれもダメ、
これもダメからのいいとこ取りに生涯をかけて行かねばならぬのである。
日本の男たちが昔並みの凛々しさ、力強さを取り戻すため、
女たちが子を産み育てられる程度の覇気は持ち保つために、
レディーファースト系のカルトが洗脳支配によって、全ての日本人に
植え付けて来た腑抜けさやヒステリーからの脱却が必要不可欠たる。
それはカルトそのものを忌み嫌っているような普通の日本人に至るまで、
普段吸っている空気のように、当たり前にそこら中に流布されて、
自然と享受している病理なればこそ、それをこそ狂気と見定め直し、
今の自分たちからすればちょっと怖いぐらいに思えるぐらいの覇気と
共にある姿のほうが、真に正気を保った人としての在り方なのだと、
確信的に思い直して修正して行くのでもなければならない所である。
かつ、戦後世代の中では最もその手の覇気を旺盛に持ち合わせていた
団塊世代が、総員での学のなさのために暴徒然と化してしまっている
点が多かったところなどは、特効玉砕やオウムの蛮勇修行などと同じく、
「勇を好みて学を好まざればその弊や乱。
剛を好みて学を好まざればその弊や狂」(陽貨第十七・七
なあり様として、取捨選択的な反面教師ともして行かねばならない。
そこに一つ覚えの決め込みなどは一切通用せず、あれもダメ、
これもダメからのいいとこ取りに生涯をかけて行かねばならぬのである。
NVIDIA創業者CEOが京都銀閣寺の業務姿勢に感銘
一生懸命に取り組んでいれば「時間は沢山生まれる」
http://pandora11.com/blog-entry-4991.htm...
この記事読んで思い出したのが、精神薄弱由来のヒステリー患者には、
いつも忙しがってるような人間が多い、という法則だな。
何事に対しても注意散漫で、熱心に取り組むということができないから、
何をやっても上の空で充実感がなく、あっという間に時間が過ぎ去って
行くように感じる。そのためあれやこれやと多くの試みに手を付けすぎて、
結果的に大して充実感もないのに自業自得で多忙化してるなんてことがザラ。
しかも、そんな自分たちの在り方こそを充実した生き方だと思い込みたいあまりに、
一つことに一生懸命に取り組めるような部類の人々を総じてアスペだなんだと決めつけ、
自分もまたその姿勢にあやかることで真の充実を得る選択肢を自分から禁止してかかる。
ある程度以上の覇気の持ち主を、自分と毛色が合わないからといって狂人扱いしたり
するのと同様、とにかく自分を正当化したくてたまらないあまりに他者を落ち度ある
人種であると決めつけての排除を目論まないではいられなくなる。
その心中の根本の所にあるのは結局、どうあっても己が人生が充実しない苦悩なのである。
一生懸命に取り組んでいれば「時間は沢山生まれる」
http://pandora11.com/blog-entry-4991.htm...
この記事読んで思い出したのが、精神薄弱由来のヒステリー患者には、
いつも忙しがってるような人間が多い、という法則だな。
何事に対しても注意散漫で、熱心に取り組むということができないから、
何をやっても上の空で充実感がなく、あっという間に時間が過ぎ去って
行くように感じる。そのためあれやこれやと多くの試みに手を付けすぎて、
結果的に大して充実感もないのに自業自得で多忙化してるなんてことがザラ。
しかも、そんな自分たちの在り方こそを充実した生き方だと思い込みたいあまりに、
一つことに一生懸命に取り組めるような部類の人々を総じてアスペだなんだと決めつけ、
自分もまたその姿勢にあやかることで真の充実を得る選択肢を自分から禁止してかかる。
ある程度以上の覇気の持ち主を、自分と毛色が合わないからといって狂人扱いしたり
するのと同様、とにかく自分を正当化したくてたまらないあまりに他者を落ち度ある
人種であると決めつけての排除を目論まないではいられなくなる。
その心中の根本の所にあるのは結局、どうあっても己が人生が充実しない苦悩なのである。
ラージャヨガ的な覇気の持ち主が、
ハタヨガ的な制御で心身の壮健さを保つ姿たるや、
水 水
火
水 水
たとえばこういったあり様で、
心底からたぎらせている暑い炎を、
ストレッチなり水行なり座禅なりで覆っている状態。
しかるに、精神薄弱由来のヒステリーに陥っている者は、
火 火
水
火 火
とでもいったあり様で、
心底からの冷え切りによって苦悩に苛まれるのはもちろんのこと、
身体的にも冷え性などに悩まされる状態になっているのを、
表面的な燃え上がりで何とか補おうとしている状態。
ただ、それは心身ともに最悪級の様相であるために、
多くの大病を招きかねない上、心中からの苦痛も晴れることはない。
なおかつ、ハタヨガ的な制御を試みようとも
水 水
水
水 水
となるだけで、より一層の心身全体の冷え込みを招き、
ヨガをやってない時のヒステリーなどもよりひどくなる。
心身の水火の位相が根本の所から反転しているために、
ヨガでの健康養生などは全く覚束ないわけである。
ハタヨガ的な制御で心身の壮健さを保つ姿たるや、
水 水
火
水 水
たとえばこういったあり様で、
心底からたぎらせている暑い炎を、
ストレッチなり水行なり座禅なりで覆っている状態。
しかるに、精神薄弱由来のヒステリーに陥っている者は、
火 火
水
火 火
とでもいったあり様で、
心底からの冷え切りによって苦悩に苛まれるのはもちろんのこと、
身体的にも冷え性などに悩まされる状態になっているのを、
表面的な燃え上がりで何とか補おうとしている状態。
ただ、それは心身ともに最悪級の様相であるために、
多くの大病を招きかねない上、心中からの苦痛も晴れることはない。
なおかつ、ハタヨガ的な制御を試みようとも
水 水
水
水 水
となるだけで、より一層の心身全体の冷え込みを招き、
ヨガをやってない時のヒステリーなどもよりひどくなる。
心身の水火の位相が根本の所から反転しているために、
ヨガでの健康養生などは全く覚束ないわけである。
「『諦める』ということを諦める」
「何事にかけても最善を尽くすのは当たり前」
「世界一なんかも当然のこととして生涯目指し続ける」
ラージャヨガ的な気質の持ち主であれば、誰しもが抱いてるだろう感覚。
無論、これだけでは空回り状態にもなりかねないので、
「志しは宇宙の果てを突き、行いは子供の足下を拝む」(禅語)
のような虚心のわきまえもまたあって然るべきこととなる。
下等生物を模した体操などを試みるハタヨガもまたそのためのもので、
それは一定以上の志しの高さがあった上での取り組みでなければ、
より自嘲心を募らせての後ろ向き志向などにも陥りかねないもの。
汚れ芸人か何かのように珍妙なポーズなどをしようとも、
それによる能力開発や健康長寿の獲得に一生懸命であり続けられる者
だけがその功徳に与り、やらないでいるよりも良好な何かの結果を得る。
「何事にかけても最善を尽くすのは当たり前」
「世界一なんかも当然のこととして生涯目指し続ける」
ラージャヨガ的な気質の持ち主であれば、誰しもが抱いてるだろう感覚。
無論、これだけでは空回り状態にもなりかねないので、
「志しは宇宙の果てを突き、行いは子供の足下を拝む」(禅語)
のような虚心のわきまえもまたあって然るべきこととなる。
下等生物を模した体操などを試みるハタヨガもまたそのためのもので、
それは一定以上の志しの高さがあった上での取り組みでなければ、
より自嘲心を募らせての後ろ向き志向などにも陥りかねないもの。
汚れ芸人か何かのように珍妙なポーズなどをしようとも、
それによる能力開発や健康長寿の獲得に一生懸命であり続けられる者
だけがその功徳に与り、やらないでいるよりも良好な何かの結果を得る。
残念ながら、さような手段としてハタヨガが講じられることはほとんどなく、
逆に志しの低さを開き直ってのおごり高ぶりを助長している場合すらもが多い。
さような悪循環に陥った者たちたるや、ただ自らが進歩向上の道を
諦めるのみならず、その道に邁進し続ける者への尊重意識をも反故にし、
自分たち並みの所まで堕ちて来るように足を引っ張るような真似にまで及ぶ。
己が進歩向上なんて諦めた上で、念仏などで他力本願の思いでも温めていた方が、
ただ人の邪魔にならないだけでなく、日光の温かみを適切に享受することで、
自らもまた冷えを凌ぐがごとき功徳が期待できるものなのだけれども。
カルトであれそれに準ずる奇形志向であれ、人々からその道すら奪い去っての、
最悪級の心身の不健康をもたらしながら、教団内でのお話なりヨガ体操なりを
しているあいだ限定の安堵によるマッチポンプで儲けをせしめることに余念がない。
インド人の大半も、ヨガはやるけど自分で勝手にやるだけで教室に通ったりも
しないというし、最低限、金カネが絡まずともやってられる気概はなければならぬ。
それすらないからこそ、自分の活動で金カネが動くことにでも躍起になってしまうのだし。
逆に志しの低さを開き直ってのおごり高ぶりを助長している場合すらもが多い。
さような悪循環に陥った者たちたるや、ただ自らが進歩向上の道を
諦めるのみならず、その道に邁進し続ける者への尊重意識をも反故にし、
自分たち並みの所まで堕ちて来るように足を引っ張るような真似にまで及ぶ。
己が進歩向上なんて諦めた上で、念仏などで他力本願の思いでも温めていた方が、
ただ人の邪魔にならないだけでなく、日光の温かみを適切に享受することで、
自らもまた冷えを凌ぐがごとき功徳が期待できるものなのだけれども。
カルトであれそれに準ずる奇形志向であれ、人々からその道すら奪い去っての、
最悪級の心身の不健康をもたらしながら、教団内でのお話なりヨガ体操なりを
しているあいだ限定の安堵によるマッチポンプで儲けをせしめることに余念がない。
インド人の大半も、ヨガはやるけど自分で勝手にやるだけで教室に通ったりも
しないというし、最低限、金カネが絡まずともやってられる気概はなければならぬ。
それすらないからこそ、自分の活動で金カネが動くことにでも躍起になってしまうのだし。
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1718837315/6...
もちろんそういうことも言えなくはないが、
今や掃き溜めもいいとこな芸能界隈ですら、
日本人が独立自尊を守りながら営んでいた頃には、
世界中が仰ぎ見るほどの輝きを放っていたことがある
というのもまた特筆に値することだと思うわけでね。
当時の芸能すらアメリカあってのものだなんていう
恩着せが失敗した途端に、芸能全般を否定なんていう、
極端から極端へのヒステリーじみた振り切れに及ぶよりは、
それぞれの段階における長所に目を向けるべきだろう。
それすら見つからない最低最悪の部類は措くとして。
もちろんそういうことも言えなくはないが、
今や掃き溜めもいいとこな芸能界隈ですら、
日本人が独立自尊を守りながら営んでいた頃には、
世界中が仰ぎ見るほどの輝きを放っていたことがある
というのもまた特筆に値することだと思うわけでね。
当時の芸能すらアメリカあってのものだなんていう
恩着せが失敗した途端に、芸能全般を否定なんていう、
極端から極端へのヒステリーじみた振り切れに及ぶよりは、
それぞれの段階における長所に目を向けるべきだろう。
それすら見つからない最低最悪の部類は措くとして。
近ごろ話しているような内容にことかけて少し考えてみたのが、
スポーツ観戦などの他人のスポーツ好きもまた、
他力本願による最低限の覇気の養生手段になるのではないか、ということだが。
確かにそれ自体は、ヨガ教室で金カネ払ってより一層の精神薄弱に陥っている
おばさんなどよりも、精神衛生面で多少程度にはマシたり得るのだが。
まず以て、他人のスポーツ好きは圧倒的に男のほうが多い上に、
そんなものに現を抜かしている男の姿を見て、頼り甲斐があるなどと思う女もいない。
仮にそんな男が結婚しようものなら、女たちも夫に頼ることなどは極力避けて、
ヨガの先生でもカルト教団でも間男でも、他の相手に依存心を抱こうとし始める。
なおかつ、他人のスポーツ好きなんかでいるような人間は、軒並み
自分自身の運動を疎かにしての、不養生からの健康被害にも陥りかねないもので、
心理面で他力本願な情熱を育むことと、体の不健康とでプラマイゼロになってしまう。
念仏信仰のような、古来、他力本願による養生手段として重宝されて来た手法と
比べればあまりにも弊害が多すぎるために、やはり推奨の対象にまではできない。
西洋発祥の文化が心身両面から真の合理性を帯びていることなど、やはりないのである。
スポーツ観戦などの他人のスポーツ好きもまた、
他力本願による最低限の覇気の養生手段になるのではないか、ということだが。
確かにそれ自体は、ヨガ教室で金カネ払ってより一層の精神薄弱に陥っている
おばさんなどよりも、精神衛生面で多少程度にはマシたり得るのだが。
まず以て、他人のスポーツ好きは圧倒的に男のほうが多い上に、
そんなものに現を抜かしている男の姿を見て、頼り甲斐があるなどと思う女もいない。
仮にそんな男が結婚しようものなら、女たちも夫に頼ることなどは極力避けて、
ヨガの先生でもカルト教団でも間男でも、他の相手に依存心を抱こうとし始める。
なおかつ、他人のスポーツ好きなんかでいるような人間は、軒並み
自分自身の運動を疎かにしての、不養生からの健康被害にも陥りかねないもので、
心理面で他力本願な情熱を育むことと、体の不健康とでプラマイゼロになってしまう。
念仏信仰のような、古来、他力本願による養生手段として重宝されて来た手法と
比べればあまりにも弊害が多すぎるために、やはり推奨の対象にまではできない。
西洋発祥の文化が心身両面から真の合理性を帯びていることなど、やはりないのである。
村上宗隆ですら、WBC共演時に実力の差を見せつけられて
ショックを受けて、最初は不調に陥っていた大谷のプレーなんかを見て、
自分も運動を頑張ろうなんて志す人間もほとんどいない。
さような弊害なくして、スポーツ観戦による興奮などもあり得ない。
阿弥陀様は、お釈迦様ほどにも歴史上の人物としての実在性が認められない
ような方便上の尊格なればこそ、そこに帰依の思いを込めたからといって、
自分はもう何は頑張らないなどと、諦めを増長させる弊害を伴うことがない。
ゆえに他力本願一辺倒な念仏信者のみならず、本格の求道者などの間でも、
独り善がりに陥らないための副次的な嗜みとされて来たものである。
禅門などは、自分もまた本格の求道に専念する祈りを込めて、
南無釈迦牟尼仏などと唱える。そこではお釈迦様を遠い雲上の存在として
敬遠しているわけではなく、自らもまたいずれはその域に至ろうとしている、
近場の先生としてぐらいの敬意を込めているものである。
ショックを受けて、最初は不調に陥っていた大谷のプレーなんかを見て、
自分も運動を頑張ろうなんて志す人間もほとんどいない。
さような弊害なくして、スポーツ観戦による興奮などもあり得ない。
阿弥陀様は、お釈迦様ほどにも歴史上の人物としての実在性が認められない
ような方便上の尊格なればこそ、そこに帰依の思いを込めたからといって、
自分はもう何は頑張らないなどと、諦めを増長させる弊害を伴うことがない。
ゆえに他力本願一辺倒な念仏信者のみならず、本格の求道者などの間でも、
独り善がりに陥らないための副次的な嗜みとされて来たものである。
禅門などは、自分もまた本格の求道に専念する祈りを込めて、
南無釈迦牟尼仏などと唱える。そこではお釈迦様を遠い雲上の存在として
敬遠しているわけではなく、自らもまたいずれはその域に至ろうとしている、
近場の先生としてぐらいの敬意を込めているものである。
[YouTubeで再生]
他力本願的な姿勢にもやはり健全、不健全の相違があるもので、
仏門の範疇においてですら、日蓮宗系などに本願誇りを増長させての暴慢に
及ぶ者などがいるし、「門前の犬」的な思い上がりの弊害もまた招きかねない。
よく己が身の程をわきまえながら、ラージャヨガ的な覇気もまた、
のぼせ上ったりしない範囲で同調的に享受して行ける程度までが、他力本願で
健全な精神を養う姿勢たり、それはやはり相手が何でもいいというわけではない。
カカア天下状態な夫が嫁をその対象にしたりするのも、やはり
その条件は満たさないようだし、夫婦関係ではやはり、妻が夫を
頼りにするのが本分となろう。それもまたATM役としての自慢材料に
するようなぞんざいさと共にであるようならダメになってしまうようだし、
10あるうちの1程度にも、他力本願が健全たる率は低いのである。
他力本願的な姿勢にもやはり健全、不健全の相違があるもので、
仏門の範疇においてですら、日蓮宗系などに本願誇りを増長させての暴慢に
及ぶ者などがいるし、「門前の犬」的な思い上がりの弊害もまた招きかねない。
よく己が身の程をわきまえながら、ラージャヨガ的な覇気もまた、
のぼせ上ったりしない範囲で同調的に享受して行ける程度までが、他力本願で
健全な精神を養う姿勢たり、それはやはり相手が何でもいいというわけではない。
カカア天下状態な夫が嫁をその対象にしたりするのも、やはり
その条件は満たさないようだし、夫婦関係ではやはり、妻が夫を
頼りにするのが本分となろう。それもまたATM役としての自慢材料に
するようなぞんざいさと共にであるようならダメになってしまうようだし、
10あるうちの1程度にも、他力本願が健全たる率は低いのである。
相変わらず健さん文太さんひばりちゃんの話に
色めきだってるお年寄りたちが多いようだが。
確かに、彼らが活躍していた時代の芸能界は、「ないよりもマシ」以上に輝いていた。
健全な国民たちの心の糧となり、海外からも多くの評価を受ける黄金期たり得ていた。
CIA在日に乗っ取られた今の芸能界たるや、まさに
「ないほうがマシ」「国の恥」「漫画アニメの羊頭狗肉詐欺グループ」
といった有様で、その存在価値の正負からひっくり返っているザマなれば、
並べて語るのも汚らわしいといったところである。
それにより、外患による日本支配なんてものもまた、
ないほうがマシであることが如実となっている。
それはそれで大変有意義な事態であることだし、福に転じやすい禍だとも言えよう。
色めきだってるお年寄りたちが多いようだが。
確かに、彼らが活躍していた時代の芸能界は、「ないよりもマシ」以上に輝いていた。
健全な国民たちの心の糧となり、海外からも多くの評価を受ける黄金期たり得ていた。
CIA在日に乗っ取られた今の芸能界たるや、まさに
「ないほうがマシ」「国の恥」「漫画アニメの羊頭狗肉詐欺グループ」
といった有様で、その存在価値の正負からひっくり返っているザマなれば、
並べて語るのも汚らわしいといったところである。
それにより、外患による日本支配なんてものもまた、
ないほうがマシであることが如実となっている。
それはそれで大変有意義な事態であることだし、福に転じやすい禍だとも言えよう。
すごいな、完全に個人攻撃でスレ違いなレスを、人様のスレに喃喃と。
その悩乱加減は必ずや、ここにこそ書き込まれるべきものなのである。
全ての逃げ要素はおまえら自身のもの。おまえら自身が自覚せずとも、
人類80億の大多数を占める第三者もまたそうとしか思えんだろう。
その悩乱加減は必ずや、ここにこそ書き込まれるべきものなのである。
全ての逃げ要素はおまえら自身のもの。おまえら自身が自覚せずとも、
人類80億の大多数を占める第三者もまたそうとしか思えんだろう。
話をスレの主題に戻すに、この世にヒステリー蔓延の災禍をもたらす
カルト的レディーファーストの危害からの自己防衛の手法を色々と模索して
来たわけだが、まだ抽象的過ぎたり難関過ぎたりする面があるように思われる。
ラージャヨガ的な覇気を養うことは、自らがその手のカルトに囚われるのを
防ぎとめるのみならず、すでに囚われてしまったヒスおばなどを撃退できる
だけの効用をも併せ持つものではあるが、いつの時代にも健全な修得が難儀過ぎて
少数精鋭に限られるうえ、今みたいなカルト洗脳が蔓延している時代には、
多くの敵を作り、自らの住まう環境によっては孤立すらをも招きかねないものである。
念仏のような健全な他力本願によってカルト的ヒスをや腑抜けを退けてかかるのもまた、
スポーツ観戦のようなより刺激が強い代わりに、自分自身の運動などを諦めてかかる
のを助長するような弊害を伴う嗜みへの誘惑に負けるなどして務まらない場合が多い。
上記のような手法を、仏門帰依などを通じて総員で実現していた近世までの日本人の
在り方が、多くの現代人から見てそこまで魅力的に思われない、というのも事実であり、
それは洗脳支配のせいという所もあるが、ヤク中患者がヤク抜き生活を想像しただけでも
苦悩に見舞われるような即物的な原因にも基づくもので、決して侮っていい問題でもない。
カルト的レディーファーストの危害からの自己防衛の手法を色々と模索して
来たわけだが、まだ抽象的過ぎたり難関過ぎたりする面があるように思われる。
ラージャヨガ的な覇気を養うことは、自らがその手のカルトに囚われるのを
防ぎとめるのみならず、すでに囚われてしまったヒスおばなどを撃退できる
だけの効用をも併せ持つものではあるが、いつの時代にも健全な修得が難儀過ぎて
少数精鋭に限られるうえ、今みたいなカルト洗脳が蔓延している時代には、
多くの敵を作り、自らの住まう環境によっては孤立すらをも招きかねないものである。
念仏のような健全な他力本願によってカルト的ヒスをや腑抜けを退けてかかるのもまた、
スポーツ観戦のようなより刺激が強い代わりに、自分自身の運動などを諦めてかかる
のを助長するような弊害を伴う嗜みへの誘惑に負けるなどして務まらない場合が多い。
上記のような手法を、仏門帰依などを通じて総員で実現していた近世までの日本人の
在り方が、多くの現代人から見てそこまで魅力的に思われない、というのも事実であり、
それは洗脳支配のせいという所もあるが、ヤク中患者がヤク抜き生活を想像しただけでも
苦悩に見舞われるような即物的な原因にも基づくもので、決して侮っていい問題でもない。
おそらく、そういったあまり魅力的に思われない手段と違って、より現実的かつ
魅力的にも思われ得るカルト的レディーファーストの撃退手段というものがある。
それが、「女はヘタレであれ」というもの。
大人の男などと比べれば色々とうまくできないこともあるのを素直に認めて、
無理を強いられようものならあれもできない、これもできないとすぐ諦めればいい。
そして、男はそういう女のヘタレさを邪険に扱うべからず。
男女平等や女性の社会進出が謳われているような時代に、女が人並みのこともできない
のを開き直ったりしていれば「なんたる不届きさ」と目くじらを立てたい思いにも
駆られるかもしれないが、そこでさらに無理してイキリ回って仕事をやっつけたり
した先にあるのがヒス化なれば、もうそっち方向への狂乱をやめてほしいと思う
のであれば、その代わりに大変なことは何でもすぐ諦めるのを認めてやらねばならない。
そういう男女関係が通用化すれば、男勝りの無理によってヒス化する女たちを有料で
慰めて開き直らせようとするような、不埒な手合いのつけ入る余地はなくなるのである。
魅力的にも思われ得るカルト的レディーファーストの撃退手段というものがある。
それが、「女はヘタレであれ」というもの。
大人の男などと比べれば色々とうまくできないこともあるのを素直に認めて、
無理を強いられようものならあれもできない、これもできないとすぐ諦めればいい。
そして、男はそういう女のヘタレさを邪険に扱うべからず。
男女平等や女性の社会進出が謳われているような時代に、女が人並みのこともできない
のを開き直ったりしていれば「なんたる不届きさ」と目くじらを立てたい思いにも
駆られるかもしれないが、そこでさらに無理してイキリ回って仕事をやっつけたり
した先にあるのがヒス化なれば、もうそっち方向への狂乱をやめてほしいと思う
のであれば、その代わりに大変なことは何でもすぐ諦めるのを認めてやらねばならない。
そういう男女関係が通用化すれば、男勝りの無理によってヒス化する女たちを有料で
慰めて開き直らせようとするような、不埒な手合いのつけ入る余地はなくなるのである。
(>>240の続き)
近年の女には極めてありがちな、女のプライドなんてものも丸ごと捨て去って、
ヘタレを開き直っている状態の女と、それを温かく受け止めてやれる男には、
女のプライドこそを洗脳の具材にする部類のカルトがつけ入る余地がどこにもない。
女は変な背伸びをする必要がなくなり、男は女のヒスに苦しめられることがなくなり、
どちらも無益なストレスに苦しめられたりする徒労がなくなってWin-Winとなるうえに、
なればこそ子育てなどのどうしても必要な苦役へのリソースも多く割り振れるようになる。
女のほうが男頼みのヘタレ加減を大っぴらに開き直っているのだから、
カカア天下なんてハナから不能な話ともなる。ここで書いてきたようなカルト的
レディーファーストが男女関係に影を差すことなんて、ただ男が女のヘタレさを
大々的に受け入れてやるだけでも予防できるものなのに、まずそこからの挫折の多いこと。
男の側にも自意識過剰のクズ男が多いせいで、女の側は大々的にヘタレを
開き直った場合に虐げられかねないことを恐れるし、女のプライドなんてものが
持て囃されているこのご時世に、下手に女の無能さなんかを受け入れてやろうものなら、
そのせいで自らのアッシー化を招きかねないんじゃないかという恐れが男側にもあるため。
近年の女には極めてありがちな、女のプライドなんてものも丸ごと捨て去って、
ヘタレを開き直っている状態の女と、それを温かく受け止めてやれる男には、
女のプライドこそを洗脳の具材にする部類のカルトがつけ入る余地がどこにもない。
女は変な背伸びをする必要がなくなり、男は女のヒスに苦しめられることがなくなり、
どちらも無益なストレスに苦しめられたりする徒労がなくなってWin-Winとなるうえに、
なればこそ子育てなどのどうしても必要な苦役へのリソースも多く割り振れるようになる。
女のほうが男頼みのヘタレ加減を大っぴらに開き直っているのだから、
カカア天下なんてハナから不能な話ともなる。ここで書いてきたようなカルト的
レディーファーストが男女関係に影を差すことなんて、ただ男が女のヘタレさを
大々的に受け入れてやるだけでも予防できるものなのに、まずそこからの挫折の多いこと。
男の側にも自意識過剰のクズ男が多いせいで、女の側は大々的にヘタレを
開き直った場合に虐げられかねないことを恐れるし、女のプライドなんてものが
持て囃されているこのご時世に、下手に女の無能さなんかを受け入れてやろうものなら、
そのせいで自らのアッシー化を招きかねないんじゃないかという恐れが男側にもあるため。
ああそうか、本質がルサンチマンだと未だに思い込んでるから、
全ての無駄吠えが言いがかり止まりで空を切ってるのか。
そこからの解放が、2008年だったというのに。
もう16年も経つことだし、未だにそちら側での頑迷に
くすぶっているような老廃物の再利用の余地はないな。
まあ始めから、これが駄目とあらばもはや一巻の終わりな
範囲で雇い入れられた、捨て駒要員ではあるのだろうけど。
そういった人使いの非道さが、おまえらの御主人を自業自得で
人材難の窮地に陥れていることもまた、知られねばなるまい。
全ての無駄吠えが言いがかり止まりで空を切ってるのか。
そこからの解放が、2008年だったというのに。
もう16年も経つことだし、未だにそちら側での頑迷に
くすぶっているような老廃物の再利用の余地はないな。
まあ始めから、これが駄目とあらばもはや一巻の終わりな
範囲で雇い入れられた、捨て駒要員ではあるのだろうけど。
そういった人使いの非道さが、おまえらの御主人を自業自得で
人材難の窮地に陥れていることもまた、知られねばなるまい。
おっとすまない、ルサンチマンではなく四無量心だったね
君はもうすでに解脱したんだよな?
君はもうすでに解脱したんだよな?
絶対にオウムのような過去の小物カルトか、
洋学の知識の範囲でしかものが言えない。
本物の仏教や儒学について語れないのはもちろんのこと、
統一や創価みたいな現在進行形の大物カルトについてすら、
フレンドリーファイアを恐れてか絶対に言及しない。
まるで、標的暗殺のための最低限の凶器だけ持たされて、
自分でもそれ以外には何も用意できない鉄砲玉要員のようだな。
昔からそれは察して来たことだし、
相手をするだけムダだという結論にも何度でも至るものだな。
匿名で新手のフリをしてみた所で、底の浅さは丸出しでしかなく。
洋学の知識の範囲でしかものが言えない。
本物の仏教や儒学について語れないのはもちろんのこと、
統一や創価みたいな現在進行形の大物カルトについてすら、
フレンドリーファイアを恐れてか絶対に言及しない。
まるで、標的暗殺のための最低限の凶器だけ持たされて、
自分でもそれ以外には何も用意できない鉄砲玉要員のようだな。
昔からそれは察して来たことだし、
相手をするだけムダだという結論にも何度でも至るものだな。
匿名で新手のフリをしてみた所で、底の浅さは丸出しでしかなく。
(>>246の続き)
女がヘタレを開き直るのは、簡単なようでいて実は、かなり難しい。
儲け目的の痴れ者があの手この手を使って女たちをのぼせ上がらせて、
さも女は男よりも強い生き物だなどと思い込ませて驕り高ぶらせたりすることもあるし、
それともまた別口に、女たち同士の付き合いの上でのマウント合戦によって、
知らず知らずのうちから思い上がりを募らせての誇り高ぶりに至ったりもする。
この作品のヒロインのように、世の中全体を心から恐れるヒキニートであるぐらいで
あって初めて、ヘタレさへの自覚が盤石に保たれるようなところもあるし、
なればこそ、昔から女は内にいて家を守るべきだなどともされて来たのであろう。
ヘタレを開き直っているような女が、間男などからの攻め寄りにも十分に耐えられる
なんてわけもないわけで、不倫には無礼討ちを以て臨むのが公認されるぐらいでもないと、
そういう女が家から一歩出るに際しての安全すら保障はされないことにもなろう。
女がヘタレであるのを許容するのなら、その分だけ男がより勇猛たらねばならない所もある。
世の中がそれを公認するのでなければ893並みの立場に身をやつすのでもなければ
済まなくもなってしまうし、個人レベルだけで遂行できる目途もなかなか立たないわけである。
女がヘタレを開き直るのは、簡単なようでいて実は、かなり難しい。
儲け目的の痴れ者があの手この手を使って女たちをのぼせ上がらせて、
さも女は男よりも強い生き物だなどと思い込ませて驕り高ぶらせたりすることもあるし、
それともまた別口に、女たち同士の付き合いの上でのマウント合戦によって、
知らず知らずのうちから思い上がりを募らせての誇り高ぶりに至ったりもする。
この作品のヒロインのように、世の中全体を心から恐れるヒキニートであるぐらいで
あって初めて、ヘタレさへの自覚が盤石に保たれるようなところもあるし、
なればこそ、昔から女は内にいて家を守るべきだなどともされて来たのであろう。
ヘタレを開き直っているような女が、間男などからの攻め寄りにも十分に耐えられる
なんてわけもないわけで、不倫には無礼討ちを以て臨むのが公認されるぐらいでもないと、
そういう女が家から一歩出るに際しての安全すら保障はされないことにもなろう。
女がヘタレであるのを許容するのなら、その分だけ男がより勇猛たらねばならない所もある。
世の中がそれを公認するのでなければ893並みの立場に身をやつすのでもなければ
済まなくもなってしまうし、個人レベルだけで遂行できる目途もなかなか立たないわけである。
いま女がそうであることを推奨している部類の「ヘタレ」と、
カルト的レディーファーストに被れているような「腑抜け」の違いを
もう少し綿密に解説しておくと。
結局、どちらも腑抜けには違いないのだけれども、
それをちゃんとわきまえて隠しもしないのを「ヘタレ」と、
ヒスによるイキリ回りでさも男勝りであるように見せかけながら、
内実、ラージャヨガ的な覇気の持ち主の前では恐れひるんで
たじろぐしかないようなのを「腑抜け」と、今は区別して述べている。
ただそれだけのことなのかというと、そういうわけでもなく、
むしろ自分が本質的に弱い心の持ち主であることを素直にわきまえている、
ヘタレな女のほうが、自業自得のストレスによる一層の障りなどがないため、
子育てなどもそれ相応に務まる一方、ヒスで腑抜けを隠そうとしているような
部類の女はそれが務まらないといった、能力面からの相違も生じるものである。
ヒスおばさんたちも、何か社会的な業績を男並みに上げようとして、
実際にそれなりに達成しながらそうなっていたりもするものだけれども、
それも所詮は子育て未満な労力しか要さないようなデスクワークなどに限られる。
故に、ヒスおばが子育て以上の業績を挙げたことなども畢竟ないのである。
カルト的レディーファーストに被れているような「腑抜け」の違いを
もう少し綿密に解説しておくと。
結局、どちらも腑抜けには違いないのだけれども、
それをちゃんとわきまえて隠しもしないのを「ヘタレ」と、
ヒスによるイキリ回りでさも男勝りであるように見せかけながら、
内実、ラージャヨガ的な覇気の持ち主の前では恐れひるんで
たじろぐしかないようなのを「腑抜け」と、今は区別して述べている。
ただそれだけのことなのかというと、そういうわけでもなく、
むしろ自分が本質的に弱い心の持ち主であることを素直にわきまえている、
ヘタレな女のほうが、自業自得のストレスによる一層の障りなどがないため、
子育てなどもそれ相応に務まる一方、ヒスで腑抜けを隠そうとしているような
部類の女はそれが務まらないといった、能力面からの相違も生じるものである。
ヒスおばさんたちも、何か社会的な業績を男並みに上げようとして、
実際にそれなりに達成しながらそうなっていたりもするものだけれども、
それも所詮は子育て未満な労力しか要さないようなデスクワークなどに限られる。
故に、ヒスおばが子育て以上の業績を挙げたことなども畢竟ないのである。
批判的な話の含蓄を楽しむ心の余裕って、まずヒスにはないな。
謂れなき誹謗中傷の吐き捨てに酔い痴れるのは大好きなのに。
謂れなき誹謗中傷の吐き捨てに酔い痴れるのは大好きなのに。
だからか。
子育ても務まらないほどの惰弱さをうちに抱えながら、
ヒスによるイキリ回りでどうにか仕事をやっつけてるような女たちを
女性の社会進出の主人公格に据えたりするものだから、
そんな真似を試みている世の中全体が日本のような低迷に陥ったり、
そこを金融緩和や大量移民のような反則的手段でどうにか
補おうとした米欧諸国のような荒廃に陥ったりすることが免れ得ない。
近年の日本の女性漫画家などのように、本当に最上級の社会的業績を挙げる女たち
もまたそれなりにいようとて、どうあってもそういう人々はごく少数でしかあり得ず、
そういうわけでもないような世の大多数の女たちが男並みの扱いを受けるとなれば、
それはヒスによるイキリのような、不毛な手段に頼らざるを得ないこととなる。
ヒスによる上げ底で女性全体の社会進出を試みる界隈と、
本当に実力一本で女が男並みの業績を挙げて行く界隈もまた、
水と油のように相容れない側面があるがために、両者の無理なかけ合わせの結果、
最悪の事態に陥ってしまったのが、例の漫画原作ドラマ化に際しての自殺沙汰でもある。
しかもその内実たるや、近年の中年独身女性の非業な現実を如実に描きたてた原作を、
安易なお花畑状態の恋愛劇に改変させられそうになったことへのショックからの
死なんかであったわけで、両者が最も相容れない部分というのも結局の所は、
「現実をちゃんと直視しているか否か」という点に集約されるものなのである。
ヒスによるイキリ回りでどうにか仕事をやっつけてるような女たちを
女性の社会進出の主人公格に据えたりするものだから、
そんな真似を試みている世の中全体が日本のような低迷に陥ったり、
そこを金融緩和や大量移民のような反則的手段でどうにか
補おうとした米欧諸国のような荒廃に陥ったりすることが免れ得ない。
近年の日本の女性漫画家などのように、本当に最上級の社会的業績を挙げる女たち
もまたそれなりにいようとて、どうあってもそういう人々はごく少数でしかあり得ず、
そういうわけでもないような世の大多数の女たちが男並みの扱いを受けるとなれば、
それはヒスによるイキリのような、不毛な手段に頼らざるを得ないこととなる。
ヒスによる上げ底で女性全体の社会進出を試みる界隈と、
本当に実力一本で女が男並みの業績を挙げて行く界隈もまた、
水と油のように相容れない側面があるがために、両者の無理なかけ合わせの結果、
最悪の事態に陥ってしまったのが、例の漫画原作ドラマ化に際しての自殺沙汰でもある。
しかもその内実たるや、近年の中年独身女性の非業な現実を如実に描きたてた原作を、
安易なお花畑状態の恋愛劇に改変させられそうになったことへのショックからの
死なんかであったわけで、両者が最も相容れない部分というのも結局の所は、
「現実をちゃんと直視しているか否か」という点に集約されるものなのである。
カルト的レディーファーストの虜たる女たちたるや、自らのヒスでのイキリ回り
による上げ底からの暴挙によって、自他に何もしないでいたほうがマシなほどの
不幸ばかりを招き入れている現実からの全力逃避が日常茶飯事となり果てての、
脳内お花畑がデフォとなり、そういう側面では国を挙げての精鋭ぞろいと
化している韓国や韓国人あたりを心の底からの羨望の対象としたりもする。
近年の女性漫画家であれ、ベルセルクの作者も心酔していたグインサーガの作者であれ、
女性作家は男性以上に夢見心地のファンタジーを描き込むことにも秀でることが多いが、
(男性作家も苦手なわけではないが、現実リンクの考証により入れ込むところがある)
それで読者を楽しませられるような女性が、ヒスでの現実逃避なんかにリソースを割いてて
済むわけもなく、そういう焦燥とは無縁な域での空想の豊かさなればこそ魅力的たるもの。
なればこそ、上げ底界隈の女たちが漫画実写化なぞを試みようものなら、
目も当てられない産廃にもなり果てる。子育てでも、真に評価に値する社会的業績でも、
女だてらにできることすらできなくさせるのが、その不毛な上げ底なのである。
による上げ底からの暴挙によって、自他に何もしないでいたほうがマシなほどの
不幸ばかりを招き入れている現実からの全力逃避が日常茶飯事となり果てての、
脳内お花畑がデフォとなり、そういう側面では国を挙げての精鋭ぞろいと
化している韓国や韓国人あたりを心の底からの羨望の対象としたりもする。
近年の女性漫画家であれ、ベルセルクの作者も心酔していたグインサーガの作者であれ、
女性作家は男性以上に夢見心地のファンタジーを描き込むことにも秀でることが多いが、
(男性作家も苦手なわけではないが、現実リンクの考証により入れ込むところがある)
それで読者を楽しませられるような女性が、ヒスでの現実逃避なんかにリソースを割いてて
済むわけもなく、そういう焦燥とは無縁な域での空想の豊かさなればこそ魅力的たるもの。
なればこそ、上げ底界隈の女たちが漫画実写化なぞを試みようものなら、
目も当てられない産廃にもなり果てる。子育てでも、真に評価に値する社会的業績でも、
女だてらにできることすらできなくさせるのが、その不毛な上げ底なのである。
個人の金融資産、過去最高 3月末、2199兆円―日銀
https://www.jiji.com/jc/article?k=202406270029...
相変わらずある所にはある上に、さらに増えて行く。
Z世代も真面目に働いて最低時給もらうのがバカみたいに思えすぎて、
闇バイトだ頂き女子だに走ってしまうわけである。
仮に革命でそれを再分配してみたところで、やったことは超大規模な強盗と変わらん。
金カネぶくれの張本人たる年寄りたちがいつまでも儲け続けたい、一銭たりとも手放したくない
という思いであり続けている以上は、その意思に反する仕打ちが虐待となることには変わりない。
倫理観が極限まで崩壊し尽くした時代の、老害を極めた年寄りといえども、
あえてより苦しませて死なせるような、介護殺人にも似たような真似に及ぶのは、
こちらの寝覚めが悪くなることだからこそやりたくないという思いがある。
それぐらいであってこそ、こちらは正気を守っていることになるし、
狂気と共なる革命よりはまだ、その正気と共なる死を選ぶのである。
https://www.jiji.com/jc/article?k=202406270029...
相変わらずある所にはある上に、さらに増えて行く。
Z世代も真面目に働いて最低時給もらうのがバカみたいに思えすぎて、
闇バイトだ頂き女子だに走ってしまうわけである。
仮に革命でそれを再分配してみたところで、やったことは超大規模な強盗と変わらん。
金カネぶくれの張本人たる年寄りたちがいつまでも儲け続けたい、一銭たりとも手放したくない
という思いであり続けている以上は、その意思に反する仕打ちが虐待となることには変わりない。
倫理観が極限まで崩壊し尽くした時代の、老害を極めた年寄りといえども、
あえてより苦しませて死なせるような、介護殺人にも似たような真似に及ぶのは、
こちらの寝覚めが悪くなることだからこそやりたくないという思いがある。
それぐらいであってこそ、こちらは正気を守っていることになるし、
狂気と共なる革命よりはまだ、その正気と共なる死を選ぶのである。
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1719407331...
ただの感想を述べてるだけなのは、おまえらも何ら変わらない。
しかも、どちらかといえばおまえらのほうが、
健全運営を認められて盛況を保ち続けているBBSの管理人の、
公平な判断に即して削除規制の対象にされて来ている、
天下公認のネット荒らし側でもある。
ただの感想を述べてるだけなのは、おまえらも何ら変わらない。
しかも、どちらかといえばおまえらのほうが、
健全運営を認められて盛況を保ち続けているBBSの管理人の、
公平な判断に即して削除規制の対象にされて来ている、
天下公認のネット荒らし側でもある。
ニコニコ、KADOKAWAが未だに再起不能状態な中、
今度はリクルートもと、いよいよ日本のITも限界突破の様相を来している。
甲 インド人は論理的かつ人数が多い
乙 中国人は非論理的だが人数が多い
丙 欧米エリートは論理的だが人数が少ない
丁 日本人は非論理的な上に人数が少ない
上記のような理由で、日本人は最もITに向かない人種だと
以前から述べて来たものだが、それに輪をかけて非ネットネイティブな
旧世代がいつまでも既得権益を牛耳り、IT知識のある次世代を虐げ抜いて来た
なんていうダメ押しもあるわけで、今まで持ち堪えて来たことのほうが奇跡なぐらい。
自分たちでやりきれないのなら、せめてでもアメリカのように、
インドにIT開発を外注すればいいものを、よりにもよって中韓みたいな
敵性国に外注して来たのは(LINEがそのいい例)、まったく戦略的意識に
欠ける9条の国の民ならではの暗愚さからの妄断であったもの。
今度はリクルートもと、いよいよ日本のITも限界突破の様相を来している。
甲 インド人は論理的かつ人数が多い
乙 中国人は非論理的だが人数が多い
丙 欧米エリートは論理的だが人数が少ない
丁 日本人は非論理的な上に人数が少ない
上記のような理由で、日本人は最もITに向かない人種だと
以前から述べて来たものだが、それに輪をかけて非ネットネイティブな
旧世代がいつまでも既得権益を牛耳り、IT知識のある次世代を虐げ抜いて来た
なんていうダメ押しもあるわけで、今まで持ち堪えて来たことのほうが奇跡なぐらい。
自分たちでやりきれないのなら、せめてでもアメリカのように、
インドにIT開発を外注すればいいものを、よりにもよって中韓みたいな
敵性国に外注して来たのは(LINEがそのいい例)、まったく戦略的意識に
欠ける9条の国の民ならではの暗愚さからの妄断であったもの。
その背景には、韓国資本に乗っ取られたフジなどが主にけしかけて来た、
韓流ブームにまんまと女たちが乗せられての、世を挙げての篭絡などもあろう。
韓国や在日が日本に対してやって来たことは明らかに敵対行為なのに、
テレビの情報を丸呑みする年寄りのみならず、ヒス女たちもまた、
自分たちと波長が合いすぎるほどに合う色仕掛けでまんまと誑かされて来たもの。
ネットで嫌韓を謳ってるような男たちが最も非モテの嫌われ者扱いになったりしたのは、
当然在日スパイのメディア構成などによる印象操作があってのことではあるが、
そこになんの疑いもなく乗っかって行ったのが被洗脳民としての女たちだし、
未だに心の底からそういう相手のほうに嫌悪感を抱き、ネトウヨなぞのほうを
蛇蝎のように忌み嫌っているのにも違いない。
故に、今や女の好悪にあくまで従うというのなら国が亡ぶしかない、という事態にも
至っているというほかない。哀れな被洗脳民であるのにも違いないが、さりとて
現在進行形で忠実な操り人形のままであり続けているのにも変わりはないし、
そこに狂死級のショックを伴う仕打ちすら辞されないのにも違いない。
韓流ブームにまんまと女たちが乗せられての、世を挙げての篭絡などもあろう。
韓国や在日が日本に対してやって来たことは明らかに敵対行為なのに、
テレビの情報を丸呑みする年寄りのみならず、ヒス女たちもまた、
自分たちと波長が合いすぎるほどに合う色仕掛けでまんまと誑かされて来たもの。
ネットで嫌韓を謳ってるような男たちが最も非モテの嫌われ者扱いになったりしたのは、
当然在日スパイのメディア構成などによる印象操作があってのことではあるが、
そこになんの疑いもなく乗っかって行ったのが被洗脳民としての女たちだし、
未だに心の底からそういう相手のほうに嫌悪感を抱き、ネトウヨなぞのほうを
蛇蝎のように忌み嫌っているのにも違いない。
故に、今や女の好悪にあくまで従うというのなら国が亡ぶしかない、という事態にも
至っているというほかない。哀れな被洗脳民であるのにも違いないが、さりとて
現在進行形で忠実な操り人形のままであり続けているのにも変わりはないし、
そこに狂死級のショックを伴う仕打ちすら辞されないのにも違いない。
日本人の台湾料理への印象が悪いことに、台湾で驚きの声
https://www.recordchina.co.jp/b935993-s25-c30-d0192.htm...
行って色々と食べて来たから分かるけど、台湾の料理は本当に美味い。
普通に王道的な中華料理もたくさんある上に、大陸みたいな不潔さもなく、
日本人が本場の中華を味わいたいのなら、まず台湾に行くべきなぐらい。
しかし、日本人の大半はその台湾料理にろくな印象を抱いてない。
その真因も知れたこと。日本の大メディアはしょっちゅう芸能人の
グルメ食べ歩き番組なんかを放映してるし、そこで外国料理を紹介
したりすることも極めて多いのだけれども、その内容が偏ってるから。
とにかく多いのが韓国料理のゴリ押しで、それとは裏腹に、
台湾料理のほうは八角まみれなゲテモノ扱い程度にしか映さないから。
そんな在日だらけなメディアの攻勢もあって、付和雷同な女たちが
グルメ目的で一番行きたがるのも韓国になってしまっている始末。
韓国料理が不味いとまでは言わないが、レパートリーが少なくて
ジャンク傾向が強いものばかりだし、とにかく辛いものが多い
ことぐらいしか、台湾料理を上回る点なんか見受けられない。
それでもメディア洗脳一つで、女たちはみんな韓国料理のほうに飛びついている。
世界一の品質を誇る日本人の味覚すら、集団ヒステリーの前では無力と化すわけだ。
https://www.recordchina.co.jp/b935993-s25-c30-d0192.htm...
行って色々と食べて来たから分かるけど、台湾の料理は本当に美味い。
普通に王道的な中華料理もたくさんある上に、大陸みたいな不潔さもなく、
日本人が本場の中華を味わいたいのなら、まず台湾に行くべきなぐらい。
しかし、日本人の大半はその台湾料理にろくな印象を抱いてない。
その真因も知れたこと。日本の大メディアはしょっちゅう芸能人の
グルメ食べ歩き番組なんかを放映してるし、そこで外国料理を紹介
したりすることも極めて多いのだけれども、その内容が偏ってるから。
とにかく多いのが韓国料理のゴリ押しで、それとは裏腹に、
台湾料理のほうは八角まみれなゲテモノ扱い程度にしか映さないから。
そんな在日だらけなメディアの攻勢もあって、付和雷同な女たちが
グルメ目的で一番行きたがるのも韓国になってしまっている始末。
韓国料理が不味いとまでは言わないが、レパートリーが少なくて
ジャンク傾向が強いものばかりだし、とにかく辛いものが多い
ことぐらいしか、台湾料理を上回る点なんか見受けられない。
それでもメディア洗脳一つで、女たちはみんな韓国料理のほうに飛びついている。
世界一の品質を誇る日本人の味覚すら、集団ヒステリーの前では無力と化すわけだ。
日本での評価が韓国料理>>台湾料理なうちは、
カルト洗脳も盤石なままだというのは、一つの指標として覚えておこう。
どちらも食えないほど不味いわけではないが、
安易な甘さや辛さ頼みに振り切れることなく、絶妙な美味さを
追究している点では、どちらのほうが上なのかも知れたことだし、な。
カルト洗脳も盤石なままだというのは、一つの指標として覚えておこう。
どちらも食えないほど不味いわけではないが、
安易な甘さや辛さ頼みに振り切れることなく、絶妙な美味さを
追究している点では、どちらのほうが上なのかも知れたことだし、な。
[YouTubeで再生]
どうせ見る価値もなさそうだし、まだ全編を見てもいないが、
どうやらここでの俺へのアンチの暴言ともいい勝負な、
雑言の応酬だけに終始し抜いたようで。
しかし、それをある程度ちゃんと見たらしい親父が、
「考えの内容はともかく、これなら普通トランプを支持するな」
と言ってたぐらい、バイデンの壊れっぷりのほうがひどかったとも。
どうせ米民主党の大統領なんてCIAの傀儡でしかないのだから、
自分では何もできなくていい、むしろボケジジイぐらい軽い神輿で
あってくれて上等というのが裏手の陣営の本音ではあろうけれども。
一応、ケネディ暗殺もCIAの仕業だったなどと未だに明示しているわけではないし、
(それを示唆する状況証拠は、公文書の公開などからも山ほど示されてるが)
劇場型国家たるアメリカの表向きの政治を何もかも本物だと思い込んでいる
部類の下民に至るまでの支持を集めるためには、やはりそれなりに個人
としての魅力なり素質なりに秀でてそうな人材を大統領に据えねばならぬ。
オバマなんかはまさに、その点で最大級に優れた人材だったわけだが、
バイデンはおろか、前々回の大統領選でトランプに敗れたヒラリーすら、
その条件を満たすだけの虚飾を決め込められていなかったあたり、
民主党勢のおためごかしにもガス欠の様相を垣間見ざるを得ない。
どうせ見る価値もなさそうだし、まだ全編を見てもいないが、
どうやらここでの俺へのアンチの暴言ともいい勝負な、
雑言の応酬だけに終始し抜いたようで。
しかし、それをある程度ちゃんと見たらしい親父が、
「考えの内容はともかく、これなら普通トランプを支持するな」
と言ってたぐらい、バイデンの壊れっぷりのほうがひどかったとも。
どうせ米民主党の大統領なんてCIAの傀儡でしかないのだから、
自分では何もできなくていい、むしろボケジジイぐらい軽い神輿で
あってくれて上等というのが裏手の陣営の本音ではあろうけれども。
一応、ケネディ暗殺もCIAの仕業だったなどと未だに明示しているわけではないし、
(それを示唆する状況証拠は、公文書の公開などからも山ほど示されてるが)
劇場型国家たるアメリカの表向きの政治を何もかも本物だと思い込んでいる
部類の下民に至るまでの支持を集めるためには、やはりそれなりに個人
としての魅力なり素質なりに秀でてそうな人材を大統領に据えねばならぬ。
オバマなんかはまさに、その点で最大級に優れた人材だったわけだが、
バイデンはおろか、前々回の大統領選でトランプに敗れたヒラリーすら、
その条件を満たすだけの虚飾を決め込められていなかったあたり、
民主党勢のおためごかしにもガス欠の様相を垣間見ざるを得ない。
前々回の大統領選でトランプに敗れた瞬間、
ヒラリーはもはや発狂状態と化していたというし、
表向きにそこまでヒスおばのイメージはないにしろ、
やはり内なるヒスを隠し持った女だったのだろうな、と。
今の都知事選でいえば、蓮舫なんかは大昔から見るに明らかなヒスおばそのもので、
与党を批判する側から票を取り付ける側に回った途端に柔和な態度となって
笑顔を見せ始めたところでその記憶を上書きすることもできないわけだが。
小池のほうは昔から特にヒスってるイメージなどはない。さりとて、
コロナ禍の狂騒に際して体調不良で公務不能になったりと、
少しも心の強さを感じられるような体であった試しもない。
実はヒス的な傾向もあった所で、それを隠しこんでいる部類。
ヒスおばが必ずしも表向きにヒスをひけらかしているとも限らず、
部分的には、ボロが出ることを恐れて徹底的に隠し立てている場合もある。
さりとて、カルト的レディーファーストの上げ底に乗っかっている
女たちならではの無能デミックの公害が世にまき散らされることには
変わりないために、さすがにそれを米大統領にまで据えるわけにもいかなかった。
トランプとバイデンでどちらのほうが史上最悪の大統領だったのかは
ともかくとして、さらにそれ以下すら実はあり得るというわけである。
ヒラリーはもはや発狂状態と化していたというし、
表向きにそこまでヒスおばのイメージはないにしろ、
やはり内なるヒスを隠し持った女だったのだろうな、と。
今の都知事選でいえば、蓮舫なんかは大昔から見るに明らかなヒスおばそのもので、
与党を批判する側から票を取り付ける側に回った途端に柔和な態度となって
笑顔を見せ始めたところでその記憶を上書きすることもできないわけだが。
小池のほうは昔から特にヒスってるイメージなどはない。さりとて、
コロナ禍の狂騒に際して体調不良で公務不能になったりと、
少しも心の強さを感じられるような体であった試しもない。
実はヒス的な傾向もあった所で、それを隠しこんでいる部類。
ヒスおばが必ずしも表向きにヒスをひけらかしているとも限らず、
部分的には、ボロが出ることを恐れて徹底的に隠し立てている場合もある。
さりとて、カルト的レディーファーストの上げ底に乗っかっている
女たちならではの無能デミックの公害が世にまき散らされることには
変わりないために、さすがにそれを米大統領にまで据えるわけにもいかなかった。
トランプとバイデンでどちらのほうが史上最悪の大統領だったのかは
ともかくとして、さらにそれ以下すら実はあり得るというわけである。
>272書いててとっさに思い付いた「無能デミック」というのが、
(パンデミックの派生語「インフォデミック」などと同じ意味合い)
要はカルト的レディーファーストやレディーファースト系カルトが
この世にまき散らす最悪級の危害であるわけだけれども。
その害悪性は、統一教会における信者の家庭崩壊からの自殺のような
極端な事例に限らず、世の中の微にわたり細にわたり浸潤しているもの。
昔は医者のような高給職に限らず、理系職の人間なども普通に市民権を得て、
なんなら普通の文系よりも敬意を抱かれるぐらいの扱いだったのが、
ただ気難しいアスペ傾向の人間が多いというだけの理由で、
その手の人種と致命的に波長が合わないヒスおばたちなどが
一丸となっての嫌悪攻勢によって日本社会から締め出され、
今や絶滅をも危惧されるような事態にまで陥っているが如く、
真綿で首を締めるが如き緩慢さと共なる危害もまた多くあったもの。
そもそもが、理系がコミュ力に欠けるなんていうレッテル自体、
非論理的で情緒障害じみた(あるいはそれそのものな)ヒスおばなどとの、
相手の機嫌を伺いながらの付き合いなどが苦手だから定着したものに過ぎず、
理系同士で特段コミュ障が問題になることもなければ、分をわきまえて
大人しくしていた昔の女たちとの付き合いなどにも特段問題はなかった。
(パンデミックの派生語「インフォデミック」などと同じ意味合い)
要はカルト的レディーファーストやレディーファースト系カルトが
この世にまき散らす最悪級の危害であるわけだけれども。
その害悪性は、統一教会における信者の家庭崩壊からの自殺のような
極端な事例に限らず、世の中の微にわたり細にわたり浸潤しているもの。
昔は医者のような高給職に限らず、理系職の人間なども普通に市民権を得て、
なんなら普通の文系よりも敬意を抱かれるぐらいの扱いだったのが、
ただ気難しいアスペ傾向の人間が多いというだけの理由で、
その手の人種と致命的に波長が合わないヒスおばたちなどが
一丸となっての嫌悪攻勢によって日本社会から締め出され、
今や絶滅をも危惧されるような事態にまで陥っているが如く、
真綿で首を締めるが如き緩慢さと共なる危害もまた多くあったもの。
そもそもが、理系がコミュ力に欠けるなんていうレッテル自体、
非論理的で情緒障害じみた(あるいはそれそのものな)ヒスおばなどとの、
相手の機嫌を伺いながらの付き合いなどが苦手だから定着したものに過ぎず、
理系同士で特段コミュ障が問題になることもなければ、分をわきまえて
大人しくしていた昔の女たちとの付き合いなどにも特段問題はなかった。
世の中に無能デミックを蔓延させて有能を退けながらでもなければ、
社会に進出して行けないのがヒスおばたちのほうなれば、むしろそちらの
ほうがコミュ障であると見なされての矯正が取り組まれるべきなのだが。
女たちの内なる病理を無視した欺瞞まみれな男女平等政策によって、
ヒスおばのほうが己が性分を健康優良状態だなどと開き直っての進出なぞを
助長して来たために、健全な人々との人間関係については何の問題もない
一方で、病人との付き合いだけは苦手な能力者などのほうが、コミュ障などの
冤病のレッテルを貼られての、冷遇を被らざるを得なくなったのだった。
あくまで男女平等を推し進めるのだとしても、それでは逆差別への転換に
陥るだけでしかないのだし、さような欺瞞を排するのであれば、女たちが
世に進出するに際しては、ヒスとの付き合いの円滑化の強要による無能デミック
などを招かないための、己が性分の矯正のほうを義務付けるべきである。
そのせいで、そんな真似が達成できる女たちがほとんど現れないために、
相変わらず世の大半を男たちが司り続けることになったとしても、それはそれである。
そのせいで真に有能な女が迫害を受けるようなこともないのだから。
社会に進出して行けないのがヒスおばたちのほうなれば、むしろそちらの
ほうがコミュ障であると見なされての矯正が取り組まれるべきなのだが。
女たちの内なる病理を無視した欺瞞まみれな男女平等政策によって、
ヒスおばのほうが己が性分を健康優良状態だなどと開き直っての進出なぞを
助長して来たために、健全な人々との人間関係については何の問題もない
一方で、病人との付き合いだけは苦手な能力者などのほうが、コミュ障などの
冤病のレッテルを貼られての、冷遇を被らざるを得なくなったのだった。
あくまで男女平等を推し進めるのだとしても、それでは逆差別への転換に
陥るだけでしかないのだし、さような欺瞞を排するのであれば、女たちが
世に進出するに際しては、ヒスとの付き合いの円滑化の強要による無能デミック
などを招かないための、己が性分の矯正のほうを義務付けるべきである。
そのせいで、そんな真似が達成できる女たちがほとんど現れないために、
相変わらず世の大半を男たちが司り続けることになったとしても、それはそれである。
そのせいで真に有能な女が迫害を受けるようなこともないのだから。
こちら側のコミュニケーション方式への、
おまえら側のあらゆる点における妥協、迎合を要求する。
逆は一切受け付けない。
国賊や売国奴でもないような、
全ての日本人が志操とすべきところである。
まあできてるからろくに英語も喋れないわけだが。
おまえら側のあらゆる点における妥協、迎合を要求する。
逆は一切受け付けない。
国賊や売国奴でもないような、
全ての日本人が志操とすべきところである。
まあできてるからろくに英語も喋れないわけだが。
こういう女のわがままなんか一切聞き入れずに、
自分たちのほうが好き勝手放題でいた団塊男あたりのほうが
よっぽど、女にも不自由せずに生きて来られたという事実。
無論、次世代の軽く4倍程度にも達するような平均所得からの恵まれようが
支えていたより取り見取りではあるにしても、そういう領域にはちゃんと、
女の側もまた何不自由なくストレスもなくやっていける、堂に入った
コミュニケーションというものがまた別個にあったという現実。
男が家族全体を養って余りあるほど十二分に稼ぎ、
女は専業主婦として世知辛さから隔絶されたストレスフリーな生活を送る、
そこでこそ男女夫婦が絶大な性差を乗り越えて共存共栄して来られたのが
人類という生き物であるし、それを上回るような円滑さの異性関係を、
今の所ジェンダーフリー社会などが少数ほどに実現できた試しもない。
あまりにも成果のなさ過ぎる徒労を、部分的どころか世の中全体に
ファシズム的に強要している現状たるや、ただ男女の不和という唯一の
原因だけによって亡国が招かれるのだろうとも必然という他ない事態だといえる。
自分たちのほうが好き勝手放題でいた団塊男あたりのほうが
よっぽど、女にも不自由せずに生きて来られたという事実。
無論、次世代の軽く4倍程度にも達するような平均所得からの恵まれようが
支えていたより取り見取りではあるにしても、そういう領域にはちゃんと、
女の側もまた何不自由なくストレスもなくやっていける、堂に入った
コミュニケーションというものがまた別個にあったという現実。
男が家族全体を養って余りあるほど十二分に稼ぎ、
女は専業主婦として世知辛さから隔絶されたストレスフリーな生活を送る、
そこでこそ男女夫婦が絶大な性差を乗り越えて共存共栄して来られたのが
人類という生き物であるし、それを上回るような円滑さの異性関係を、
今の所ジェンダーフリー社会などが少数ほどに実現できた試しもない。
あまりにも成果のなさ過ぎる徒労を、部分的どころか世の中全体に
ファシズム的に強要している現状たるや、ただ男女の不和という唯一の
原因だけによって亡国が招かれるのだろうとも必然という他ない事態だといえる。
無論、団塊男は無学で粗暴すぎるせいで、一家の亭主としての
威厳ある振舞いに徹する戦前世代並みの封建性には欠けていたために、
ビートたけしのようなカカア天下状態をも頻繁に招いていたのだが。
それでも大昔の田舎の百姓一家程度の家内安全はそこにあったのだった。
夫唱婦随の男女関係なんてのは、またそれとは別個にあるもので、
団塊男がモデルなこち亀の両津が、戦前生まれがモデルな大原部長の
封建的な姿勢を堅物がって嫌がっていたように、十分な所得があるから
といって円滑化する男女関係とはまた格別なものと考えるべきものである。
それは、封建時代でも武家の家内などに限って厳守が義務付けられていたもので、
半ば万民にそれが強いられていた近代~戦前にかけての夫婦関係などは、
武家時代に無理なマウントを取ろうとした新政府の暴挙だったといっていい。
厳格な夫唱婦随の家もまた、昔人口の一割弱を占めていた武家身分程度には
存在していた方が、それが世の中全体の風紀を守る礎としての役割をも果たす
ためにあって然るべきだとは言えるけれども。万民にそれが強いられたりする
必要は決してなく、9割がたは団塊の夫婦程度の円満さでも保てれば十分なもの。
万民にとっての健全な夫婦関係が、実は戦前よりも戦後にあったりもしたわけ。
そこにはまた、極度に子愛にかける親子関係という別問題もまたあったにしろ。
威厳ある振舞いに徹する戦前世代並みの封建性には欠けていたために、
ビートたけしのようなカカア天下状態をも頻繁に招いていたのだが。
それでも大昔の田舎の百姓一家程度の家内安全はそこにあったのだった。
夫唱婦随の男女関係なんてのは、またそれとは別個にあるもので、
団塊男がモデルなこち亀の両津が、戦前生まれがモデルな大原部長の
封建的な姿勢を堅物がって嫌がっていたように、十分な所得があるから
といって円滑化する男女関係とはまた格別なものと考えるべきものである。
それは、封建時代でも武家の家内などに限って厳守が義務付けられていたもので、
半ば万民にそれが強いられていた近代~戦前にかけての夫婦関係などは、
武家時代に無理なマウントを取ろうとした新政府の暴挙だったといっていい。
厳格な夫唱婦随の家もまた、昔人口の一割弱を占めていた武家身分程度には
存在していた方が、それが世の中全体の風紀を守る礎としての役割をも果たす
ためにあって然るべきだとは言えるけれども。万民にそれが強いられたりする
必要は決してなく、9割がたは団塊の夫婦程度の円満さでも保てれば十分なもの。
万民にとっての健全な夫婦関係が、実は戦前よりも戦後にあったりもしたわけ。
そこにはまた、極度に子愛にかける親子関係という別問題もまたあったにしろ。
6宗教法人が解散請求の影響懸念(共同通信アンケート)
https://news.yahoo.co.jp/articles/5c4aa922c47d818eec91e...
この記事なせか全国紙がガン無視なうえに、
地方紙の有料版でしか全文が読めないような状態なんだが。
浄土真宗は全く問題なし、さっさと解散させろやとさ。
葬式仏教の沽券ここにあり。
臨済宗妙心寺派も、もう政治的な付き合いは断絶してるとな。
カルトに政治が乗っ取られている以上は致し方ないこと。
当事者の統一はともかくとして、創価に関する記載が一切ない。
おそらくは連中の圧力で全国報道が自粛されたんだろうな。
まだ連中にもその程度の力は残ってるというわけ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5c4aa922c47d818eec91e...
この記事なせか全国紙がガン無視なうえに、
地方紙の有料版でしか全文が読めないような状態なんだが。
浄土真宗は全く問題なし、さっさと解散させろやとさ。
葬式仏教の沽券ここにあり。
臨済宗妙心寺派も、もう政治的な付き合いは断絶してるとな。
カルトに政治が乗っ取られている以上は致し方ないこと。
当事者の統一はともかくとして、創価に関する記載が一切ない。
おそらくは連中の圧力で全国報道が自粛されたんだろうな。
まだ連中にもその程度の力は残ってるというわけ。
統一自民と創価と国賊神道がタバになれば、
伝統文化を徹底的に破壊隠蔽し尽くした今の日本であれば、
真宗や臨済宗や真言宗を相手取ろうとも、
世の大多数を誑かすのも可能となるのだろうな、と。
天照大神の株もまた、今はこちら側にあるとはいえ。
伝統文化を徹底的に破壊隠蔽し尽くした今の日本であれば、
真宗や臨済宗や真言宗を相手取ろうとも、
世の大多数を誑かすのも可能となるのだろうな、と。
天照大神の株もまた、今はこちら側にあるとはいえ。
男女平等であれ民主主義であれ自由主義であれ、
言葉面の理想っぽさとは裏腹な羊頭狗肉加減こそを俺もまた論難し、
現実主義的な観点から古来の考え方の復権を奨励しているものだが。
じゃあ、男尊女卑とか封建主義とか君父の尊位とかいった言葉面を見て、
ヒスおばやそれに準ずる精神薄弱状態の連中がそれを受け入れられる
のかというと、まず心の底からなどは、どだい無理な話。
なんなら「嫌々ながら仕方なく」程度にすら甘受することもできず、
自分の国がそこに傾こうものならショック死か国外逃亡にでも及びかねないほど。
それほどにも、ヒス患者というのは、言葉の上の概念が理想的でない
ことが受け付けられないもので、たとえそれが羊頭狗肉ゆえの、
より一層の現実荒廃を助長する代物であろうとも、
言葉が奇麗で魅惑的であることのほうを優先しないではいられない。
「言葉は神である(ヨハネ1:1)」と謳うキリスト信仰に集団ヒステリー状態で
溺れ果てた西洋が、1000年以上にわたる暗黒時代に陥った姿などもまさにそれで、
ルネサンス以降にその言葉面信仰とは真逆な、徹底的な即物主義である科学技術を
発展させればこそ、西洋社会もまた文明面からの発展を持ち直すに至ったのだが。
言葉面の理想っぽさとは裏腹な羊頭狗肉加減こそを俺もまた論難し、
現実主義的な観点から古来の考え方の復権を奨励しているものだが。
じゃあ、男尊女卑とか封建主義とか君父の尊位とかいった言葉面を見て、
ヒスおばやそれに準ずる精神薄弱状態の連中がそれを受け入れられる
のかというと、まず心の底からなどは、どだい無理な話。
なんなら「嫌々ながら仕方なく」程度にすら甘受することもできず、
自分の国がそこに傾こうものならショック死か国外逃亡にでも及びかねないほど。
それほどにも、ヒス患者というのは、言葉の上の概念が理想的でない
ことが受け付けられないもので、たとえそれが羊頭狗肉ゆえの、
より一層の現実荒廃を助長する代物であろうとも、
言葉が奇麗で魅惑的であることのほうを優先しないではいられない。
「言葉は神である(ヨハネ1:1)」と謳うキリスト信仰に集団ヒステリー状態で
溺れ果てた西洋が、1000年以上にわたる暗黒時代に陥った姿などもまさにそれで、
ルネサンス以降にその言葉面信仰とは真逆な、徹底的な即物主義である科学技術を
発展させればこそ、西洋社会もまた文明面からの発展を持ち直すに至ったのだが。
未だほぼすべての西洋諸国がキリスト教国を自認したままでいることもあって、
言葉面の理想にすべてを還元しようとする人文的な傾向は極めて濃厚なままで、
それゆえに自国民はおろか、世界中の穏健な文化習俗の国々に至るまで、
偽善的な言葉面の指針を押し付けては不興を買うような真似も繰り返し続けている。
言葉面の理想に囚われることが、より一層なる現実の荒廃を招いてしまうという、
キリスト教暗黒時代の西洋などにも顕著だったこの世界の実相法則をわきまえて、
そこに囚われることなく着実に現実の世相のほうを改善して行くという志向性が、
ヒス患者なんかに務まらないのはもちろんのこと、言葉面信仰であるキリスト教
なんかを未だに国教に据えているような国の人間にも務まることはあるまい。
そういう連中が、無理に現実主義の仁政などに従事しようとしても、言葉の虚飾に
溺れていたいのにいられないもどかしさが祟っての鬱状態などに陥って、ろくに
協力すらままならないということにもなりかねないし、そんな連中の勢力圏では、
もうAIあたりにでもそのための頭脳労働を任せた方がマシともなり得よう。
言葉面の理想にすべてを還元しようとする人文的な傾向は極めて濃厚なままで、
それゆえに自国民はおろか、世界中の穏健な文化習俗の国々に至るまで、
偽善的な言葉面の指針を押し付けては不興を買うような真似も繰り返し続けている。
言葉面の理想に囚われることが、より一層なる現実の荒廃を招いてしまうという、
キリスト教暗黒時代の西洋などにも顕著だったこの世界の実相法則をわきまえて、
そこに囚われることなく着実に現実の世相のほうを改善して行くという志向性が、
ヒス患者なんかに務まらないのはもちろんのこと、言葉面信仰であるキリスト教
なんかを未だに国教に据えているような国の人間にも務まることはあるまい。
そういう連中が、無理に現実主義の仁政などに従事しようとしても、言葉の虚飾に
溺れていたいのにいられないもどかしさが祟っての鬱状態などに陥って、ろくに
協力すらままならないということにもなりかねないし、そんな連中の勢力圏では、
もうAIあたりにでもそのための頭脳労働を任せた方がマシともなり得よう。
[YouTubeで再生]
ここで打ち上げ見守ってたけれども、
軍需直結禁止縛りな面倒くささの中での、
今にも内憂外患の横槍で失敗しそうなスリルがなんとも。
別に技術力自体に心配はなかれども、
それを取り扱っている日本人たちの情報ザル状態なり、
平和ボケ洗脳下ならではの惰弱さなりの、
現代日本ならではの懸念材料は、統一自民のカルト支配に
亀裂が入りかけている現今でもまだ払拭しきれたものではなく。
技術者たち自身に、別に必ずしも軍人並みの警戒意識が
必要なわけではなく、そこはまた別に有能な警護者があるべきなのだが。
理系的な人材を陰キャだアスペだと貶し倒してかかる、カルト支配の
時代ならではの悪しき風潮に流されて、半ばゾーンに入るほどに
研究熱心たること全般をも疎かにしかねないという問題があり、
それが実際に日本の技術力を総体から伸び悩ませて来た所もある。
(どちらかといえば理系の人材が医療ばかりに流れ過ぎた難のほうがより大きいが)
一心不乱に修行に挑む出家修行者なり武芸者なりの共なる復権を通じてこそ、
そこに十全な面目回復の余地もまた見出せるところがあろう。
ここで打ち上げ見守ってたけれども、
軍需直結禁止縛りな面倒くささの中での、
今にも内憂外患の横槍で失敗しそうなスリルがなんとも。
別に技術力自体に心配はなかれども、
それを取り扱っている日本人たちの情報ザル状態なり、
平和ボケ洗脳下ならではの惰弱さなりの、
現代日本ならではの懸念材料は、統一自民のカルト支配に
亀裂が入りかけている現今でもまだ払拭しきれたものではなく。
技術者たち自身に、別に必ずしも軍人並みの警戒意識が
必要なわけではなく、そこはまた別に有能な警護者があるべきなのだが。
理系的な人材を陰キャだアスペだと貶し倒してかかる、カルト支配の
時代ならではの悪しき風潮に流されて、半ばゾーンに入るほどに
研究熱心たること全般をも疎かにしかねないという問題があり、
それが実際に日本の技術力を総体から伸び悩ませて来た所もある。
(どちらかといえば理系の人材が医療ばかりに流れ過ぎた難のほうがより大きいが)
一心不乱に修行に挑む出家修行者なり武芸者なりの共なる復権を通じてこそ、
そこに十全な面目回復の余地もまた見出せるところがあろう。
うおお、NHKも民放も夕方のニュースで完全ノータッチ!
失敗したときは打ち上げはおろか、
ただのエンジンの燃焼試験までしっかり報道してやがったのに。
代わりに、近頃めっきり報道を減らしてた能登半島地震の、
半周年特集の目白押し。その地震での被害をいち早く把握して
分析するための観測衛星の打ち上げだったというのに、
未だに復興が進まない被災地の現況ばかりを他人行儀に映しおって。
この後ろ向きさ加減は、1月2日の羽田空港衝突事故で、
JAL機379人の命を救った日本のCFRP技術の高さに、
日本のメディアだけは完全ノータッチだった有り様にも通じる。
在日や文系ボンクラだらけな大メディアたるや、いまだ健在な
日本の技術力の高さだけは、どうあっても隠し立てたいものと見える。
そしてその裏には数多のカルト組織からの圧力もあればこそ、
>>280-282みたいな報道規制も敷かれる。この国からの排除ないし、
権力の剥奪が必須な輩が誰なのかも、より克明化して来たものだな。
失敗したときは打ち上げはおろか、
ただのエンジンの燃焼試験までしっかり報道してやがったのに。
代わりに、近頃めっきり報道を減らしてた能登半島地震の、
半周年特集の目白押し。その地震での被害をいち早く把握して
分析するための観測衛星の打ち上げだったというのに、
未だに復興が進まない被災地の現況ばかりを他人行儀に映しおって。
この後ろ向きさ加減は、1月2日の羽田空港衝突事故で、
JAL機379人の命を救った日本のCFRP技術の高さに、
日本のメディアだけは完全ノータッチだった有り様にも通じる。
在日や文系ボンクラだらけな大メディアたるや、いまだ健在な
日本の技術力の高さだけは、どうあっても隠し立てたいものと見える。
そしてその裏には数多のカルト組織からの圧力もあればこそ、
>>280-282みたいな報道規制も敷かれる。この国からの排除ないし、
権力の剥奪が必須な輩が誰なのかも、より克明化して来たものだな。
(>>284の続き)
言葉上の理想と現実はかけ離れるのみならず、相反する。
羊頭を掲げる肉屋こそは、豚肉や鶏肉ですらない狗肉を売るという法則。
キリスト教暗黒時代の西欧のほか、史上空前の格差社会化によって、
専制的な側面のある国以上の不自由を自国民に強いている現状のアメリカなども、
まさにその典型的な証拠例となっているものだけれども。
言葉面中毒のヒス患者たちはおろか、その手の病理からある程度
退避できている健常な精神状態の人々といえども、西洋文化にどっぷりと
浸かっている以上は、言葉面の理想を掲げた上での、その実現への挑戦こそは、
全人類がこれからも邁進して行くべき道だと思い込んでいるのには違いない。
不確定性原理やシュレディンガーの猫などの思考実験の妥当性を通じて、
量子論的法則に司られたこの世界この宇宙の実相が、すでに発せられた言葉上の
理想などを追い求めた時点で、それが失敗や逆効果に終わってしまう可能性
程度はすでに科学的にも示唆されているのだけれども。
言葉上の理想と現実はかけ離れるのみならず、相反する。
羊頭を掲げる肉屋こそは、豚肉や鶏肉ですらない狗肉を売るという法則。
キリスト教暗黒時代の西欧のほか、史上空前の格差社会化によって、
専制的な側面のある国以上の不自由を自国民に強いている現状のアメリカなども、
まさにその典型的な証拠例となっているものだけれども。
言葉面中毒のヒス患者たちはおろか、その手の病理からある程度
退避できている健常な精神状態の人々といえども、西洋文化にどっぷりと
浸かっている以上は、言葉面の理想を掲げた上での、その実現への挑戦こそは、
全人類がこれからも邁進して行くべき道だと思い込んでいるのには違いない。
不確定性原理やシュレディンガーの猫などの思考実験の妥当性を通じて、
量子論的法則に司られたこの世界この宇宙の実相が、すでに発せられた言葉上の
理想などを追い求めた時点で、それが失敗や逆効果に終わってしまう可能性
程度はすでに科学的にも示唆されているのだけれども。
科学全否定のキリスト教はおろか、その影響が未だ色濃い文系の洋学もまた、
そんな科学の範疇ですら先端領域にあたる法則などを踏まえた上での論考などが
務まった試しもなく、相変わらず言葉面信仰の域に留まっているものである。
ひるがって、古来の正学の文言を顧みれば、
「巧言令色すくなきは仁なり(学而第一・三)」
「巧言は徳を乱る。小を忍ばざれば、則ち大謀を乱る(衛霊公第十五・二七)」
と。ごく当たり前の法則として最原初からわきまえられているといったあり様。
言葉面信仰ばかりに囚われて来た西方の文化と、最原初からそれを排して来た
東方の文化のあまりにも絶大なる格差を、今さら埋め合わせようたって何千年
かかるか知れたものではなく、アンチ東洋的な考え方の持ち主に限らず、
誰しもがその均ナラしなぞは諦めるしかないところではあるが。
少なくともヒス患者とまで行かない人々ぐらいは、その虚妄から脱しての、
巧言令色を排すればこそ成し得る真の福徳の達成こそを本分とすべきである。
そしてそれが下働きなぞに止まらぬ、人類としての本業たらんことをも恐るべからず。
そんな科学の範疇ですら先端領域にあたる法則などを踏まえた上での論考などが
務まった試しもなく、相変わらず言葉面信仰の域に留まっているものである。
ひるがって、古来の正学の文言を顧みれば、
「巧言令色すくなきは仁なり(学而第一・三)」
「巧言は徳を乱る。小を忍ばざれば、則ち大謀を乱る(衛霊公第十五・二七)」
と。ごく当たり前の法則として最原初からわきまえられているといったあり様。
言葉面信仰ばかりに囚われて来た西方の文化と、最原初からそれを排して来た
東方の文化のあまりにも絶大なる格差を、今さら埋め合わせようたって何千年
かかるか知れたものではなく、アンチ東洋的な考え方の持ち主に限らず、
誰しもがその均ナラしなぞは諦めるしかないところではあるが。
少なくともヒス患者とまで行かない人々ぐらいは、その虚妄から脱しての、
巧言令色を排すればこそ成し得る真の福徳の達成こそを本分とすべきである。
そしてそれが下働きなぞに止まらぬ、人類としての本業たらんことをも恐るべからず。
「巧言は徳を乱る。小を忍ばざれば、則ち大謀を乱る(衛霊公第十五・二七)」
このうちの「小」とは「言葉面の虚飾だけでの満足」、
「大」が現実での最善策の達成といったところであろう。
これが普遍法則であるようなら、まず言葉が奇麗で理想的なようでなければ
済まないヒステリー状態の人間ほど、好んで不幸を呼び込むことにもなろう。
事実、そういうドツボにハマってしまっている者もまた現実に多くいる。
にもかかわらず、さような悪循環の遍在性自体を西洋文化は一切まったく把握
どころか察知したこともないために、その西洋文化に染まり切った今の世で、
そこへの効果的な警戒の啓発などが試みられることもほぼない。
そんな現代の観点から見れば、あまりにも奇異で微妙な領域の話ばかりを
取り扱っているように見える、大昔の能の演目あたりにようやっと、
小を忍ばずして大を乱る部類の相反法則の啓発をも垣間見ることができる。
その能もまた、歌舞伎や文楽などの大衆芸能と比べれば、あまりにも深遠すぎて
とっつきづらいという扱いを昔から受けて来たもので、やはり大小名実の相反法則を直接的に
把握してわきまえることは、いつの時代でも誰しもに務まるようなことではないものである。
このうちの「小」とは「言葉面の虚飾だけでの満足」、
「大」が現実での最善策の達成といったところであろう。
これが普遍法則であるようなら、まず言葉が奇麗で理想的なようでなければ
済まないヒステリー状態の人間ほど、好んで不幸を呼び込むことにもなろう。
事実、そういうドツボにハマってしまっている者もまた現実に多くいる。
にもかかわらず、さような悪循環の遍在性自体を西洋文化は一切まったく把握
どころか察知したこともないために、その西洋文化に染まり切った今の世で、
そこへの効果的な警戒の啓発などが試みられることもほぼない。
そんな現代の観点から見れば、あまりにも奇異で微妙な領域の話ばかりを
取り扱っているように見える、大昔の能の演目あたりにようやっと、
小を忍ばずして大を乱る部類の相反法則の啓発をも垣間見ることができる。
その能もまた、歌舞伎や文楽などの大衆芸能と比べれば、あまりにも深遠すぎて
とっつきづらいという扱いを昔から受けて来たもので、やはり大小名実の相反法則を直接的に
把握してわきまえることは、いつの時代でも誰しもに務まるようなことではないものである。
畢竟、言葉面と現実の相反法則自体の把握よりも、それを成し得た一部の賢聖たち
による最善の施策が、微妙不可思議で意味不明な点を多く含むことをありのままに
受け入れることのほうが、大多数の一般人にとっての責務ともなるわけである。
ゆえに最上の仏法もまた密教たり、その不可思議さを不識なままに尊ぶべしと、
大乗の仏門でも古くから教え倣わされて来たもの。これまた不可思議なものは何もかも
不要なものと見なして切り捨てるオッカムの剃刀的な短絡論理を本分のところに据えている、
洋学やカルト信仰と共にでは、他力本願程度にも務まることのない選択肢でもある。
人の直観による洞察などは、数学的帰納法や信仰による確認、確信よりも一等以上に劣る、
あまり頼りにすべきではない能力とされて来たのが西洋流の常でもあるが、その直観
だけが仏の知恵にまで通じ、この世に最善の福徳をもたらす能力たる上に、精進修行の
如何によっては科学技術や信教以上に盤石な安定性を以て存続し続けるものでもある。
ゆえに、そこを尊べるものだけが人と世にとっての最善の福徳に与るのである。
による最善の施策が、微妙不可思議で意味不明な点を多く含むことをありのままに
受け入れることのほうが、大多数の一般人にとっての責務ともなるわけである。
ゆえに最上の仏法もまた密教たり、その不可思議さを不識なままに尊ぶべしと、
大乗の仏門でも古くから教え倣わされて来たもの。これまた不可思議なものは何もかも
不要なものと見なして切り捨てるオッカムの剃刀的な短絡論理を本分のところに据えている、
洋学やカルト信仰と共にでは、他力本願程度にも務まることのない選択肢でもある。
人の直観による洞察などは、数学的帰納法や信仰による確認、確信よりも一等以上に劣る、
あまり頼りにすべきではない能力とされて来たのが西洋流の常でもあるが、その直観
だけが仏の知恵にまで通じ、この世に最善の福徳をもたらす能力たる上に、精進修行の
如何によっては科学技術や信教以上に盤石な安定性を以て存続し続けるものでもある。
ゆえに、そこを尊べるものだけが人と世にとっての最善の福徳に与るのである。
「鬼滅の刃」柱稽古編、
原作引き伸ばし過ぎなせいで多くの不興を買いながらも、
最終回だけはとにかく凄かったとの高評価を得て終了。
(以下ネタバレ注意)
俺含む原作既読勢は知ってたことだけれども、
鬼殺隊首領の産屋敷が妻子諸ともの自爆で無惨を殺そうとしたり、
それを見た柱の不死川が無惨の仕業だと思い込んで怒り狂ったりと、
ちょっと鬼殺隊のほうもイカレてんじゃねえの、と思われる描写の数々。
そうでなくとも、無惨はただ生きるために人間を食べているだけで、
それは人間が牛豚鶏を食べたりするのともなんら変わりないことなのに、
どうして無惨だけは悪玉扱いされなければならないのかと、むしろ
そこにばかり怒り狂っている鬼殺隊の面々のほうが異常者の集まりだ
という無惨の意見に賛同するような人間も相当数いたりするのだが。
それでも悪鬼滅殺が問答無用な勧善懲悪として推し進められる作風に、
得も言われぬ爽快感を抱かされている人々が多いのもまた確か。
色々と哲学的に考えてみてその論理的な妥当性を探ってみるのもまた、
多少の人間が試みてもいい所にしろ、そこまでいかない範囲での、
感受性の面までで楽しむほうが王道だし、それが人の常でもある。
原作引き伸ばし過ぎなせいで多くの不興を買いながらも、
最終回だけはとにかく凄かったとの高評価を得て終了。
(以下ネタバレ注意)
俺含む原作既読勢は知ってたことだけれども、
鬼殺隊首領の産屋敷が妻子諸ともの自爆で無惨を殺そうとしたり、
それを見た柱の不死川が無惨の仕業だと思い込んで怒り狂ったりと、
ちょっと鬼殺隊のほうもイカレてんじゃねえの、と思われる描写の数々。
そうでなくとも、無惨はただ生きるために人間を食べているだけで、
それは人間が牛豚鶏を食べたりするのともなんら変わりないことなのに、
どうして無惨だけは悪玉扱いされなければならないのかと、むしろ
そこにばかり怒り狂っている鬼殺隊の面々のほうが異常者の集まりだ
という無惨の意見に賛同するような人間も相当数いたりするのだが。
それでも悪鬼滅殺が問答無用な勧善懲悪として推し進められる作風に、
得も言われぬ爽快感を抱かされている人々が多いのもまた確か。
色々と哲学的に考えてみてその論理的な妥当性を探ってみるのもまた、
多少の人間が試みてもいい所にしろ、そこまでいかない範囲での、
感受性の面までで楽しむほうが王道だし、それが人の常でもある。
鬼滅といえども、悪役である邪鬼の哀しい過去を描いて同情を誘ったりと、
アカデミー賞のビンタ事件でウィル・スミスが一方的な悪玉扱いにされていた
ハリウッドなんかよりもよほど多面的な物の見方を帯びた作品であるのには違いない。
一方でやはり、多くの人間を食い殺して来た邪鬼たちを完全に許したりすることはなく、
主人公の炭治郎も同情と共にその首を斬り落としてかかることに余念がない。
同情はするけど許さない、許さないけど同情はするというその姿勢は、
許さないから同情もしなかったり、同情するから何もかもを許したりする短絡と比べれば、
些か以上にたやすく割り切れない中庸さを帯びたものであるために、その程度の
わずらわしさすらストレスになるようなヒス患者ともなれば楽しめないし、
そこまで行かずとも最高の楽しみにまではならない、ということぐらいにはなる。
まず以て血しぶき飛び交う殺し合いなんかをフィクションの範囲ですら見たくもない
というほどにも惰弱さが極まっているせいで楽しめないようなこともあり得るし、
そういう人々が増えたからこそ硬派な時代劇や任侠劇の作品なども減って行き、
何の当たり障りもない恋愛劇などのほうが実写では好まれるようにもなったものである。
アカデミー賞のビンタ事件でウィル・スミスが一方的な悪玉扱いにされていた
ハリウッドなんかよりもよほど多面的な物の見方を帯びた作品であるのには違いない。
一方でやはり、多くの人間を食い殺して来た邪鬼たちを完全に許したりすることはなく、
主人公の炭治郎も同情と共にその首を斬り落としてかかることに余念がない。
同情はするけど許さない、許さないけど同情はするというその姿勢は、
許さないから同情もしなかったり、同情するから何もかもを許したりする短絡と比べれば、
些か以上にたやすく割り切れない中庸さを帯びたものであるために、その程度の
わずらわしさすらストレスになるようなヒス患者ともなれば楽しめないし、
そこまで行かずとも最高の楽しみにまではならない、ということぐらいにはなる。
まず以て血しぶき飛び交う殺し合いなんかをフィクションの範囲ですら見たくもない
というほどにも惰弱さが極まっているせいで楽しめないようなこともあり得るし、
そういう人々が増えたからこそ硬派な時代劇や任侠劇の作品なども減って行き、
何の当たり障りもない恋愛劇などのほうが実写では好まれるようにもなったものである。
さんざん、カルト的レディーファーストにまんまと乗っかって行くような
おばさんなどを批判的に論って来たけれども、そこには紛れもない病理があり、
本当は病人として丁重に扱ってやるべきなのでもあるのだけれども、残念ながら、
その手の誑かしに引っかかっている状態のおばさんなどは、十分に心の病を自覚もせずに、
自らこそを健常者と開き直っての、そこへの迎合を周囲の人々などに強要するような
真似に頻繁に及んでかかるが故に、まずは拒絶、警戒の対象とせねばならない面がある。
十分な病識もなくイキリ回っているうちは断固として許さないが、
心を入れ替えて法師に帰伏して後の卒塔婆小町のごとく、
もはや観念して懇ろな療養に取り組むとなれば、
そこからは救いの対象とみてやらねばならない。
レディーファースト系の思い上がりを募らせて来た以上、
夫となるような男などへの帰伏によって心の平穏を取り戻すことなども、
もはや無理な場合も多かろうて、その場合には尼寺入りのような手段にも依るべきである。
現時点では、さような受け皿が十分に整えられているとも限らないうえに、
ヒスおばの健常者気取りでの社会進出こそを持て囃すようなならず者どもも
多く跋扈している状態なために、世の中からその手の人種が減る兆しも見えはしないが、
それはこの世に蔓延する苦しみの際限なき増幅とほぼ比例関係にあるが故に、
いずれは人の世の常として、そのリセットが必要となるのにも違いないのである。
おばさんなどを批判的に論って来たけれども、そこには紛れもない病理があり、
本当は病人として丁重に扱ってやるべきなのでもあるのだけれども、残念ながら、
その手の誑かしに引っかかっている状態のおばさんなどは、十分に心の病を自覚もせずに、
自らこそを健常者と開き直っての、そこへの迎合を周囲の人々などに強要するような
真似に頻繁に及んでかかるが故に、まずは拒絶、警戒の対象とせねばならない面がある。
十分な病識もなくイキリ回っているうちは断固として許さないが、
心を入れ替えて法師に帰伏して後の卒塔婆小町のごとく、
もはや観念して懇ろな療養に取り組むとなれば、
そこからは救いの対象とみてやらねばならない。
レディーファースト系の思い上がりを募らせて来た以上、
夫となるような男などへの帰伏によって心の平穏を取り戻すことなども、
もはや無理な場合も多かろうて、その場合には尼寺入りのような手段にも依るべきである。
現時点では、さような受け皿が十分に整えられているとも限らないうえに、
ヒスおばの健常者気取りでの社会進出こそを持て囃すようなならず者どもも
多く跋扈している状態なために、世の中からその手の人種が減る兆しも見えはしないが、
それはこの世に蔓延する苦しみの際限なき増幅とほぼ比例関係にあるが故に、
いずれは人の世の常として、そのリセットが必要となるのにも違いないのである。
「まともにコンビニのバイトも務まらなそうな連中ばかりだな」
と、ここでも揶揄しているような者がいた都知事選の候補者。
だいたいがこの選挙自体が大メディアにプロパガンダのごとく
延々と過剰報道され続けている蛮族の奇祭状態なものだから、
その集団ヒステリーじみた狂騒に乗っかって来るような連中もまた、
ヒステリーによって人並み以上に才覚を目減りさせてしまって
いるような者ばかりへと自然になり果ててしまっているのである。
これもまた、カルト的レディーファーストなどと同じく、
ヒス患者こそが健常者気取りで世にのさばらせている実例の一つ。
もはや老若男女を問わず乗っかっているような事例ではあるにしろ、
今ほど誰しもに精神薄弱が植え付けられている時代ともなれば、
特にカモネギなおばさんなどに限らず、多くの人種がそこに没頭して行く。
元航空幕僚長の田母神氏などもそのうちの一人であるのには違いなく、
朱に交われば赤となるが如く、軍人や武人といえども必ずしも避けられる
ものではない。かくいう俺もまた絶対に染まらずにいられるなどと豪語
するものでもなく、さような狂乱の場自体の解消から企図するのみである。
と、ここでも揶揄しているような者がいた都知事選の候補者。
だいたいがこの選挙自体が大メディアにプロパガンダのごとく
延々と過剰報道され続けている蛮族の奇祭状態なものだから、
その集団ヒステリーじみた狂騒に乗っかって来るような連中もまた、
ヒステリーによって人並み以上に才覚を目減りさせてしまって
いるような者ばかりへと自然になり果ててしまっているのである。
これもまた、カルト的レディーファーストなどと同じく、
ヒス患者こそが健常者気取りで世にのさばらせている実例の一つ。
もはや老若男女を問わず乗っかっているような事例ではあるにしろ、
今ほど誰しもに精神薄弱が植え付けられている時代ともなれば、
特にカモネギなおばさんなどに限らず、多くの人種がそこに没頭して行く。
元航空幕僚長の田母神氏などもそのうちの一人であるのには違いなく、
朱に交われば赤となるが如く、軍人や武人といえども必ずしも避けられる
ものではない。かくいう俺もまた絶対に染まらずにいられるなどと豪語
するものでもなく、さような狂乱の場自体の解消から企図するのみである。
▲ページ最上部
ログサイズ:274 KB 有効レス数:200 削除レス数:98
不適切な書き込みやモラルに反する投稿を見つけた時は、書き込み右の マークをクリックしてサイト運営者までご連絡をお願いします。確認しだい削除いたします。
とりあえず掲示板に戻る 全部 次100 最新50
スレッドタイトル:カルトとレディーファースト