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カルトとレディーファースト 偉大なる生存の報告 Part318
▼ページ最下部
カルトにも色々あって、イスラム原理主義や日本赤軍あたりも
そのうちに入れるのなら、男尊女卑や男女平等がその活動原理になることも
あるわけだけれども。今この日本で猛威を奮い続けている部類のカルトに
ついては、専ら「レディーファースト系」であるという点が共通している。
別に女性優遇や女性専用を表向きに標榜しているわけでもないが、
主には加齢での体力低下や更年期による陰鬱状態に陥ってしまったような
女性たちを甘く優しい言葉でたぶらかし、まず自分たち側に取り込んで、
そこから場合によっては家族や知人友人に至るまでの征服支配を目論む。
統一教会はその典型例だし、元来は男尊女卑な傾向がある仏教系であるはずの
創価学会ですら、カルト故に某芸能人たちのような女性信者に頼る所が大きい。
明確にカルトと見なされず、さらには宗教団体でもないような組織団体だろうとも、
性別不問にもかかわらず結果的に女性優遇状態となっているような所は大体、
カルトに近い傾向を帯びていて、それがゲートドラッグ的なカルトへの橋渡し役
になってしまうこともある。統一教会などはそれ自体、そんなに大きな組織ではないが、
さような団体に至るまでを裾野と考えた場合の領域展開の規模はきわめて大きく、
ゆえに日本中が連中にとっての「濡れ手に泡」な狩場と化してしまっているのである。
そんなレディーファースト系カルトへの傾向分析と、対策の模索が今回の主題である。
そのうちに入れるのなら、男尊女卑や男女平等がその活動原理になることも
あるわけだけれども。今この日本で猛威を奮い続けている部類のカルトに
ついては、専ら「レディーファースト系」であるという点が共通している。
別に女性優遇や女性専用を表向きに標榜しているわけでもないが、
主には加齢での体力低下や更年期による陰鬱状態に陥ってしまったような
女性たちを甘く優しい言葉でたぶらかし、まず自分たち側に取り込んで、
そこから場合によっては家族や知人友人に至るまでの征服支配を目論む。
統一教会はその典型例だし、元来は男尊女卑な傾向がある仏教系であるはずの
創価学会ですら、カルト故に某芸能人たちのような女性信者に頼る所が大きい。
明確にカルトと見なされず、さらには宗教団体でもないような組織団体だろうとも、
性別不問にもかかわらず結果的に女性優遇状態となっているような所は大体、
カルトに近い傾向を帯びていて、それがゲートドラッグ的なカルトへの橋渡し役
になってしまうこともある。統一教会などはそれ自体、そんなに大きな組織ではないが、
さような団体に至るまでを裾野と考えた場合の領域展開の規模はきわめて大きく、
ゆえに日本中が連中にとっての「濡れ手に泡」な狩場と化してしまっているのである。
そんなレディーファースト系カルトへの傾向分析と、対策の模索が今回の主題である。
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男女平等であれ民主主義であれ自由主義であれ、
言葉面の理想っぽさとは裏腹な羊頭狗肉加減こそを俺もまた論難し、
現実主義的な観点から古来の考え方の復権を奨励しているものだが。
じゃあ、男尊女卑とか封建主義とか君父の尊位とかいった言葉面を見て、
ヒスおばやそれに準ずる精神薄弱状態の連中がそれを受け入れられる
のかというと、まず心の底からなどは、どだい無理な話。
なんなら「嫌々ながら仕方なく」程度にすら甘受することもできず、
自分の国がそこに傾こうものならショック死か国外逃亡にでも及びかねないほど。
それほどにも、ヒス患者というのは、言葉の上の概念が理想的でない
ことが受け付けられないもので、たとえそれが羊頭狗肉ゆえの、
より一層の現実荒廃を助長する代物であろうとも、
言葉が奇麗で魅惑的であることのほうを優先しないではいられない。
「言葉は神である(ヨハネ1:1)」と謳うキリスト信仰に集団ヒステリー状態で
溺れ果てた西洋が、1000年以上にわたる暗黒時代に陥った姿などもまさにそれで、
ルネサンス以降にその言葉面信仰とは真逆な、徹底的な即物主義である科学技術を
発展させればこそ、西洋社会もまた文明面からの発展を持ち直すに至ったのだが。
言葉面の理想っぽさとは裏腹な羊頭狗肉加減こそを俺もまた論難し、
現実主義的な観点から古来の考え方の復権を奨励しているものだが。
じゃあ、男尊女卑とか封建主義とか君父の尊位とかいった言葉面を見て、
ヒスおばやそれに準ずる精神薄弱状態の連中がそれを受け入れられる
のかというと、まず心の底からなどは、どだい無理な話。
なんなら「嫌々ながら仕方なく」程度にすら甘受することもできず、
自分の国がそこに傾こうものならショック死か国外逃亡にでも及びかねないほど。
それほどにも、ヒス患者というのは、言葉の上の概念が理想的でない
ことが受け付けられないもので、たとえそれが羊頭狗肉ゆえの、
より一層の現実荒廃を助長する代物であろうとも、
言葉が奇麗で魅惑的であることのほうを優先しないではいられない。
「言葉は神である(ヨハネ1:1)」と謳うキリスト信仰に集団ヒステリー状態で
溺れ果てた西洋が、1000年以上にわたる暗黒時代に陥った姿などもまさにそれで、
ルネサンス以降にその言葉面信仰とは真逆な、徹底的な即物主義である科学技術を
発展させればこそ、西洋社会もまた文明面からの発展を持ち直すに至ったのだが。
未だほぼすべての西洋諸国がキリスト教国を自認したままでいることもあって、
言葉面の理想にすべてを還元しようとする人文的な傾向は極めて濃厚なままで、
それゆえに自国民はおろか、世界中の穏健な文化習俗の国々に至るまで、
偽善的な言葉面の指針を押し付けては不興を買うような真似も繰り返し続けている。
言葉面の理想に囚われることが、より一層なる現実の荒廃を招いてしまうという、
キリスト教暗黒時代の西洋などにも顕著だったこの世界の実相法則をわきまえて、
そこに囚われることなく着実に現実の世相のほうを改善して行くという志向性が、
ヒス患者なんかに務まらないのはもちろんのこと、言葉面信仰であるキリスト教
なんかを未だに国教に据えているような国の人間にも務まることはあるまい。
そういう連中が、無理に現実主義の仁政などに従事しようとしても、言葉の虚飾に
溺れていたいのにいられないもどかしさが祟っての鬱状態などに陥って、ろくに
協力すらままならないということにもなりかねないし、そんな連中の勢力圏では、
もうAIあたりにでもそのための頭脳労働を任せた方がマシともなり得よう。
言葉面の理想にすべてを還元しようとする人文的な傾向は極めて濃厚なままで、
それゆえに自国民はおろか、世界中の穏健な文化習俗の国々に至るまで、
偽善的な言葉面の指針を押し付けては不興を買うような真似も繰り返し続けている。
言葉面の理想に囚われることが、より一層なる現実の荒廃を招いてしまうという、
キリスト教暗黒時代の西洋などにも顕著だったこの世界の実相法則をわきまえて、
そこに囚われることなく着実に現実の世相のほうを改善して行くという志向性が、
ヒス患者なんかに務まらないのはもちろんのこと、言葉面信仰であるキリスト教
なんかを未だに国教に据えているような国の人間にも務まることはあるまい。
そういう連中が、無理に現実主義の仁政などに従事しようとしても、言葉の虚飾に
溺れていたいのにいられないもどかしさが祟っての鬱状態などに陥って、ろくに
協力すらままならないということにもなりかねないし、そんな連中の勢力圏では、
もうAIあたりにでもそのための頭脳労働を任せた方がマシともなり得よう。
[YouTubeで再生]
ここで打ち上げ見守ってたけれども、
軍需直結禁止縛りな面倒くささの中での、
今にも内憂外患の横槍で失敗しそうなスリルがなんとも。
別に技術力自体に心配はなかれども、
それを取り扱っている日本人たちの情報ザル状態なり、
平和ボケ洗脳下ならではの惰弱さなりの、
現代日本ならではの懸念材料は、統一自民のカルト支配に
亀裂が入りかけている現今でもまだ払拭しきれたものではなく。
技術者たち自身に、別に必ずしも軍人並みの警戒意識が
必要なわけではなく、そこはまた別に有能な警護者があるべきなのだが。
理系的な人材を陰キャだアスペだと貶し倒してかかる、カルト支配の
時代ならではの悪しき風潮に流されて、半ばゾーンに入るほどに
研究熱心たること全般をも疎かにしかねないという問題があり、
それが実際に日本の技術力を総体から伸び悩ませて来た所もある。
(どちらかといえば理系の人材が医療ばかりに流れ過ぎた難のほうがより大きいが)
一心不乱に修行に挑む出家修行者なり武芸者なりの共なる復権を通じてこそ、
そこに十全な面目回復の余地もまた見出せるところがあろう。
ここで打ち上げ見守ってたけれども、
軍需直結禁止縛りな面倒くささの中での、
今にも内憂外患の横槍で失敗しそうなスリルがなんとも。
別に技術力自体に心配はなかれども、
それを取り扱っている日本人たちの情報ザル状態なり、
平和ボケ洗脳下ならではの惰弱さなりの、
現代日本ならではの懸念材料は、統一自民のカルト支配に
亀裂が入りかけている現今でもまだ払拭しきれたものではなく。
技術者たち自身に、別に必ずしも軍人並みの警戒意識が
必要なわけではなく、そこはまた別に有能な警護者があるべきなのだが。
理系的な人材を陰キャだアスペだと貶し倒してかかる、カルト支配の
時代ならではの悪しき風潮に流されて、半ばゾーンに入るほどに
研究熱心たること全般をも疎かにしかねないという問題があり、
それが実際に日本の技術力を総体から伸び悩ませて来た所もある。
(どちらかといえば理系の人材が医療ばかりに流れ過ぎた難のほうがより大きいが)
一心不乱に修行に挑む出家修行者なり武芸者なりの共なる復権を通じてこそ、
そこに十全な面目回復の余地もまた見出せるところがあろう。
うおお、NHKも民放も夕方のニュースで完全ノータッチ!
失敗したときは打ち上げはおろか、
ただのエンジンの燃焼試験までしっかり報道してやがったのに。
代わりに、近頃めっきり報道を減らしてた能登半島地震の、
半周年特集の目白押し。その地震での被害をいち早く把握して
分析するための観測衛星の打ち上げだったというのに、
未だに復興が進まない被災地の現況ばかりを他人行儀に映しおって。
この後ろ向きさ加減は、1月2日の羽田空港衝突事故で、
JAL機379人の命を救った日本のCFRP技術の高さに、
日本のメディアだけは完全ノータッチだった有り様にも通じる。
在日や文系ボンクラだらけな大メディアたるや、いまだ健在な
日本の技術力の高さだけは、どうあっても隠し立てたいものと見える。
そしてその裏には数多のカルト組織からの圧力もあればこそ、
>>280-282みたいな報道規制も敷かれる。この国からの排除ないし、
権力の剥奪が必須な輩が誰なのかも、より克明化して来たものだな。
失敗したときは打ち上げはおろか、
ただのエンジンの燃焼試験までしっかり報道してやがったのに。
代わりに、近頃めっきり報道を減らしてた能登半島地震の、
半周年特集の目白押し。その地震での被害をいち早く把握して
分析するための観測衛星の打ち上げだったというのに、
未だに復興が進まない被災地の現況ばかりを他人行儀に映しおって。
この後ろ向きさ加減は、1月2日の羽田空港衝突事故で、
JAL機379人の命を救った日本のCFRP技術の高さに、
日本のメディアだけは完全ノータッチだった有り様にも通じる。
在日や文系ボンクラだらけな大メディアたるや、いまだ健在な
日本の技術力の高さだけは、どうあっても隠し立てたいものと見える。
そしてその裏には数多のカルト組織からの圧力もあればこそ、
>>280-282みたいな報道規制も敷かれる。この国からの排除ないし、
権力の剥奪が必須な輩が誰なのかも、より克明化して来たものだな。
(>>284の続き)
言葉上の理想と現実はかけ離れるのみならず、相反する。
羊頭を掲げる肉屋こそは、豚肉や鶏肉ですらない狗肉を売るという法則。
キリスト教暗黒時代の西欧のほか、史上空前の格差社会化によって、
専制的な側面のある国以上の不自由を自国民に強いている現状のアメリカなども、
まさにその典型的な証拠例となっているものだけれども。
言葉面中毒のヒス患者たちはおろか、その手の病理からある程度
退避できている健常な精神状態の人々といえども、西洋文化にどっぷりと
浸かっている以上は、言葉面の理想を掲げた上での、その実現への挑戦こそは、
全人類がこれからも邁進して行くべき道だと思い込んでいるのには違いない。
不確定性原理やシュレディンガーの猫などの思考実験の妥当性を通じて、
量子論的法則に司られたこの世界この宇宙の実相が、すでに発せられた言葉上の
理想などを追い求めた時点で、それが失敗や逆効果に終わってしまう可能性
程度はすでに科学的にも示唆されているのだけれども。
言葉上の理想と現実はかけ離れるのみならず、相反する。
羊頭を掲げる肉屋こそは、豚肉や鶏肉ですらない狗肉を売るという法則。
キリスト教暗黒時代の西欧のほか、史上空前の格差社会化によって、
専制的な側面のある国以上の不自由を自国民に強いている現状のアメリカなども、
まさにその典型的な証拠例となっているものだけれども。
言葉面中毒のヒス患者たちはおろか、その手の病理からある程度
退避できている健常な精神状態の人々といえども、西洋文化にどっぷりと
浸かっている以上は、言葉面の理想を掲げた上での、その実現への挑戦こそは、
全人類がこれからも邁進して行くべき道だと思い込んでいるのには違いない。
不確定性原理やシュレディンガーの猫などの思考実験の妥当性を通じて、
量子論的法則に司られたこの世界この宇宙の実相が、すでに発せられた言葉上の
理想などを追い求めた時点で、それが失敗や逆効果に終わってしまう可能性
程度はすでに科学的にも示唆されているのだけれども。
科学全否定のキリスト教はおろか、その影響が未だ色濃い文系の洋学もまた、
そんな科学の範疇ですら先端領域にあたる法則などを踏まえた上での論考などが
務まった試しもなく、相変わらず言葉面信仰の域に留まっているものである。
ひるがって、古来の正学の文言を顧みれば、
「巧言令色すくなきは仁なり(学而第一・三)」
「巧言は徳を乱る。小を忍ばざれば、則ち大謀を乱る(衛霊公第十五・二七)」
と。ごく当たり前の法則として最原初からわきまえられているといったあり様。
言葉面信仰ばかりに囚われて来た西方の文化と、最原初からそれを排して来た
東方の文化のあまりにも絶大なる格差を、今さら埋め合わせようたって何千年
かかるか知れたものではなく、アンチ東洋的な考え方の持ち主に限らず、
誰しもがその均ナラしなぞは諦めるしかないところではあるが。
少なくともヒス患者とまで行かない人々ぐらいは、その虚妄から脱しての、
巧言令色を排すればこそ成し得る真の福徳の達成こそを本分とすべきである。
そしてそれが下働きなぞに止まらぬ、人類としての本業たらんことをも恐るべからず。
そんな科学の範疇ですら先端領域にあたる法則などを踏まえた上での論考などが
務まった試しもなく、相変わらず言葉面信仰の域に留まっているものである。
ひるがって、古来の正学の文言を顧みれば、
「巧言令色すくなきは仁なり(学而第一・三)」
「巧言は徳を乱る。小を忍ばざれば、則ち大謀を乱る(衛霊公第十五・二七)」
と。ごく当たり前の法則として最原初からわきまえられているといったあり様。
言葉面信仰ばかりに囚われて来た西方の文化と、最原初からそれを排して来た
東方の文化のあまりにも絶大なる格差を、今さら埋め合わせようたって何千年
かかるか知れたものではなく、アンチ東洋的な考え方の持ち主に限らず、
誰しもがその均ナラしなぞは諦めるしかないところではあるが。
少なくともヒス患者とまで行かない人々ぐらいは、その虚妄から脱しての、
巧言令色を排すればこそ成し得る真の福徳の達成こそを本分とすべきである。
そしてそれが下働きなぞに止まらぬ、人類としての本業たらんことをも恐るべからず。
「巧言は徳を乱る。小を忍ばざれば、則ち大謀を乱る(衛霊公第十五・二七)」
このうちの「小」とは「言葉面の虚飾だけでの満足」、
「大」が現実での最善策の達成といったところであろう。
これが普遍法則であるようなら、まず言葉が奇麗で理想的なようでなければ
済まないヒステリー状態の人間ほど、好んで不幸を呼び込むことにもなろう。
事実、そういうドツボにハマってしまっている者もまた現実に多くいる。
にもかかわらず、さような悪循環の遍在性自体を西洋文化は一切まったく把握
どころか察知したこともないために、その西洋文化に染まり切った今の世で、
そこへの効果的な警戒の啓発などが試みられることもほぼない。
そんな現代の観点から見れば、あまりにも奇異で微妙な領域の話ばかりを
取り扱っているように見える、大昔の能の演目あたりにようやっと、
小を忍ばずして大を乱る部類の相反法則の啓発をも垣間見ることができる。
その能もまた、歌舞伎や文楽などの大衆芸能と比べれば、あまりにも深遠すぎて
とっつきづらいという扱いを昔から受けて来たもので、やはり大小名実の相反法則を直接的に
把握してわきまえることは、いつの時代でも誰しもに務まるようなことではないものである。
このうちの「小」とは「言葉面の虚飾だけでの満足」、
「大」が現実での最善策の達成といったところであろう。
これが普遍法則であるようなら、まず言葉が奇麗で理想的なようでなければ
済まないヒステリー状態の人間ほど、好んで不幸を呼び込むことにもなろう。
事実、そういうドツボにハマってしまっている者もまた現実に多くいる。
にもかかわらず、さような悪循環の遍在性自体を西洋文化は一切まったく把握
どころか察知したこともないために、その西洋文化に染まり切った今の世で、
そこへの効果的な警戒の啓発などが試みられることもほぼない。
そんな現代の観点から見れば、あまりにも奇異で微妙な領域の話ばかりを
取り扱っているように見える、大昔の能の演目あたりにようやっと、
小を忍ばずして大を乱る部類の相反法則の啓発をも垣間見ることができる。
その能もまた、歌舞伎や文楽などの大衆芸能と比べれば、あまりにも深遠すぎて
とっつきづらいという扱いを昔から受けて来たもので、やはり大小名実の相反法則を直接的に
把握してわきまえることは、いつの時代でも誰しもに務まるようなことではないものである。
畢竟、言葉面と現実の相反法則自体の把握よりも、それを成し得た一部の賢聖たち
による最善の施策が、微妙不可思議で意味不明な点を多く含むことをありのままに
受け入れることのほうが、大多数の一般人にとっての責務ともなるわけである。
ゆえに最上の仏法もまた密教たり、その不可思議さを不識なままに尊ぶべしと、
大乗の仏門でも古くから教え倣わされて来たもの。これまた不可思議なものは何もかも
不要なものと見なして切り捨てるオッカムの剃刀的な短絡論理を本分のところに据えている、
洋学やカルト信仰と共にでは、他力本願程度にも務まることのない選択肢でもある。
人の直観による洞察などは、数学的帰納法や信仰による確認、確信よりも一等以上に劣る、
あまり頼りにすべきではない能力とされて来たのが西洋流の常でもあるが、その直観
だけが仏の知恵にまで通じ、この世に最善の福徳をもたらす能力たる上に、精進修行の
如何によっては科学技術や信教以上に盤石な安定性を以て存続し続けるものでもある。
ゆえに、そこを尊べるものだけが人と世にとっての最善の福徳に与るのである。
による最善の施策が、微妙不可思議で意味不明な点を多く含むことをありのままに
受け入れることのほうが、大多数の一般人にとっての責務ともなるわけである。
ゆえに最上の仏法もまた密教たり、その不可思議さを不識なままに尊ぶべしと、
大乗の仏門でも古くから教え倣わされて来たもの。これまた不可思議なものは何もかも
不要なものと見なして切り捨てるオッカムの剃刀的な短絡論理を本分のところに据えている、
洋学やカルト信仰と共にでは、他力本願程度にも務まることのない選択肢でもある。
人の直観による洞察などは、数学的帰納法や信仰による確認、確信よりも一等以上に劣る、
あまり頼りにすべきではない能力とされて来たのが西洋流の常でもあるが、その直観
だけが仏の知恵にまで通じ、この世に最善の福徳をもたらす能力たる上に、精進修行の
如何によっては科学技術や信教以上に盤石な安定性を以て存続し続けるものでもある。
ゆえに、そこを尊べるものだけが人と世にとっての最善の福徳に与るのである。
「鬼滅の刃」柱稽古編、
原作引き伸ばし過ぎなせいで多くの不興を買いながらも、
最終回だけはとにかく凄かったとの高評価を得て終了。
(以下ネタバレ注意)
俺含む原作既読勢は知ってたことだけれども、
鬼殺隊首領の産屋敷が妻子諸ともの自爆で無惨を殺そうとしたり、
それを見た柱の不死川が無惨の仕業だと思い込んで怒り狂ったりと、
ちょっと鬼殺隊のほうもイカレてんじゃねえの、と思われる描写の数々。
そうでなくとも、無惨はただ生きるために人間を食べているだけで、
それは人間が牛豚鶏を食べたりするのともなんら変わりないことなのに、
どうして無惨だけは悪玉扱いされなければならないのかと、むしろ
そこにばかり怒り狂っている鬼殺隊の面々のほうが異常者の集まりだ
という無惨の意見に賛同するような人間も相当数いたりするのだが。
それでも悪鬼滅殺が問答無用な勧善懲悪として推し進められる作風に、
得も言われぬ爽快感を抱かされている人々が多いのもまた確か。
色々と哲学的に考えてみてその論理的な妥当性を探ってみるのもまた、
多少の人間が試みてもいい所にしろ、そこまでいかない範囲での、
感受性の面までで楽しむほうが王道だし、それが人の常でもある。
原作引き伸ばし過ぎなせいで多くの不興を買いながらも、
最終回だけはとにかく凄かったとの高評価を得て終了。
(以下ネタバレ注意)
俺含む原作既読勢は知ってたことだけれども、
鬼殺隊首領の産屋敷が妻子諸ともの自爆で無惨を殺そうとしたり、
それを見た柱の不死川が無惨の仕業だと思い込んで怒り狂ったりと、
ちょっと鬼殺隊のほうもイカレてんじゃねえの、と思われる描写の数々。
そうでなくとも、無惨はただ生きるために人間を食べているだけで、
それは人間が牛豚鶏を食べたりするのともなんら変わりないことなのに、
どうして無惨だけは悪玉扱いされなければならないのかと、むしろ
そこにばかり怒り狂っている鬼殺隊の面々のほうが異常者の集まりだ
という無惨の意見に賛同するような人間も相当数いたりするのだが。
それでも悪鬼滅殺が問答無用な勧善懲悪として推し進められる作風に、
得も言われぬ爽快感を抱かされている人々が多いのもまた確か。
色々と哲学的に考えてみてその論理的な妥当性を探ってみるのもまた、
多少の人間が試みてもいい所にしろ、そこまでいかない範囲での、
感受性の面までで楽しむほうが王道だし、それが人の常でもある。
鬼滅といえども、悪役である邪鬼の哀しい過去を描いて同情を誘ったりと、
アカデミー賞のビンタ事件でウィル・スミスが一方的な悪玉扱いにされていた
ハリウッドなんかよりもよほど多面的な物の見方を帯びた作品であるのには違いない。
一方でやはり、多くの人間を食い殺して来た邪鬼たちを完全に許したりすることはなく、
主人公の炭治郎も同情と共にその首を斬り落としてかかることに余念がない。
同情はするけど許さない、許さないけど同情はするというその姿勢は、
許さないから同情もしなかったり、同情するから何もかもを許したりする短絡と比べれば、
些か以上にたやすく割り切れない中庸さを帯びたものであるために、その程度の
わずらわしさすらストレスになるようなヒス患者ともなれば楽しめないし、
そこまで行かずとも最高の楽しみにまではならない、ということぐらいにはなる。
まず以て血しぶき飛び交う殺し合いなんかをフィクションの範囲ですら見たくもない
というほどにも惰弱さが極まっているせいで楽しめないようなこともあり得るし、
そういう人々が増えたからこそ硬派な時代劇や任侠劇の作品なども減って行き、
何の当たり障りもない恋愛劇などのほうが実写では好まれるようにもなったものである。
アカデミー賞のビンタ事件でウィル・スミスが一方的な悪玉扱いにされていた
ハリウッドなんかよりもよほど多面的な物の見方を帯びた作品であるのには違いない。
一方でやはり、多くの人間を食い殺して来た邪鬼たちを完全に許したりすることはなく、
主人公の炭治郎も同情と共にその首を斬り落としてかかることに余念がない。
同情はするけど許さない、許さないけど同情はするというその姿勢は、
許さないから同情もしなかったり、同情するから何もかもを許したりする短絡と比べれば、
些か以上にたやすく割り切れない中庸さを帯びたものであるために、その程度の
わずらわしさすらストレスになるようなヒス患者ともなれば楽しめないし、
そこまで行かずとも最高の楽しみにまではならない、ということぐらいにはなる。
まず以て血しぶき飛び交う殺し合いなんかをフィクションの範囲ですら見たくもない
というほどにも惰弱さが極まっているせいで楽しめないようなこともあり得るし、
そういう人々が増えたからこそ硬派な時代劇や任侠劇の作品なども減って行き、
何の当たり障りもない恋愛劇などのほうが実写では好まれるようにもなったものである。
さんざん、カルト的レディーファーストにまんまと乗っかって行くような
おばさんなどを批判的に論って来たけれども、そこには紛れもない病理があり、
本当は病人として丁重に扱ってやるべきなのでもあるのだけれども、残念ながら、
その手の誑かしに引っかかっている状態のおばさんなどは、十分に心の病を自覚もせずに、
自らこそを健常者と開き直っての、そこへの迎合を周囲の人々などに強要するような
真似に頻繁に及んでかかるが故に、まずは拒絶、警戒の対象とせねばならない面がある。
十分な病識もなくイキリ回っているうちは断固として許さないが、
心を入れ替えて法師に帰伏して後の卒塔婆小町のごとく、
もはや観念して懇ろな療養に取り組むとなれば、
そこからは救いの対象とみてやらねばならない。
レディーファースト系の思い上がりを募らせて来た以上、
夫となるような男などへの帰伏によって心の平穏を取り戻すことなども、
もはや無理な場合も多かろうて、その場合には尼寺入りのような手段にも依るべきである。
現時点では、さような受け皿が十分に整えられているとも限らないうえに、
ヒスおばの健常者気取りでの社会進出こそを持て囃すようなならず者どもも
多く跋扈している状態なために、世の中からその手の人種が減る兆しも見えはしないが、
それはこの世に蔓延する苦しみの際限なき増幅とほぼ比例関係にあるが故に、
いずれは人の世の常として、そのリセットが必要となるのにも違いないのである。
おばさんなどを批判的に論って来たけれども、そこには紛れもない病理があり、
本当は病人として丁重に扱ってやるべきなのでもあるのだけれども、残念ながら、
その手の誑かしに引っかかっている状態のおばさんなどは、十分に心の病を自覚もせずに、
自らこそを健常者と開き直っての、そこへの迎合を周囲の人々などに強要するような
真似に頻繁に及んでかかるが故に、まずは拒絶、警戒の対象とせねばならない面がある。
十分な病識もなくイキリ回っているうちは断固として許さないが、
心を入れ替えて法師に帰伏して後の卒塔婆小町のごとく、
もはや観念して懇ろな療養に取り組むとなれば、
そこからは救いの対象とみてやらねばならない。
レディーファースト系の思い上がりを募らせて来た以上、
夫となるような男などへの帰伏によって心の平穏を取り戻すことなども、
もはや無理な場合も多かろうて、その場合には尼寺入りのような手段にも依るべきである。
現時点では、さような受け皿が十分に整えられているとも限らないうえに、
ヒスおばの健常者気取りでの社会進出こそを持て囃すようなならず者どもも
多く跋扈している状態なために、世の中からその手の人種が減る兆しも見えはしないが、
それはこの世に蔓延する苦しみの際限なき増幅とほぼ比例関係にあるが故に、
いずれは人の世の常として、そのリセットが必要となるのにも違いないのである。
「まともにコンビニのバイトも務まらなそうな連中ばかりだな」
と、ここでも揶揄しているような者がいた都知事選の候補者。
だいたいがこの選挙自体が大メディアにプロパガンダのごとく
延々と過剰報道され続けている蛮族の奇祭状態なものだから、
その集団ヒステリーじみた狂騒に乗っかって来るような連中もまた、
ヒステリーによって人並み以上に才覚を目減りさせてしまって
いるような者ばかりへと自然になり果ててしまっているのである。
これもまた、カルト的レディーファーストなどと同じく、
ヒス患者こそが健常者気取りで世にのさばらせている実例の一つ。
もはや老若男女を問わず乗っかっているような事例ではあるにしろ、
今ほど誰しもに精神薄弱が植え付けられている時代ともなれば、
特にカモネギなおばさんなどに限らず、多くの人種がそこに没頭して行く。
元航空幕僚長の田母神氏などもそのうちの一人であるのには違いなく、
朱に交われば赤となるが如く、軍人や武人といえども必ずしも避けられる
ものではない。かくいう俺もまた絶対に染まらずにいられるなどと豪語
するものでもなく、さような狂乱の場自体の解消から企図するのみである。
と、ここでも揶揄しているような者がいた都知事選の候補者。
だいたいがこの選挙自体が大メディアにプロパガンダのごとく
延々と過剰報道され続けている蛮族の奇祭状態なものだから、
その集団ヒステリーじみた狂騒に乗っかって来るような連中もまた、
ヒステリーによって人並み以上に才覚を目減りさせてしまって
いるような者ばかりへと自然になり果ててしまっているのである。
これもまた、カルト的レディーファーストなどと同じく、
ヒス患者こそが健常者気取りで世にのさばらせている実例の一つ。
もはや老若男女を問わず乗っかっているような事例ではあるにしろ、
今ほど誰しもに精神薄弱が植え付けられている時代ともなれば、
特にカモネギなおばさんなどに限らず、多くの人種がそこに没頭して行く。
元航空幕僚長の田母神氏などもそのうちの一人であるのには違いなく、
朱に交われば赤となるが如く、軍人や武人といえども必ずしも避けられる
ものではない。かくいう俺もまた絶対に染まらずにいられるなどと豪語
するものでもなく、さような狂乱の場自体の解消から企図するのみである。
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スレッドタイトル:カルトとレディーファースト