その、「今以上なんか全く志さなくていい」という甘やかし加減と共に、
自力作善の王道中の王道であるヨガ行なんかをやらせたりすることが、
たとえ無宗教を標榜しようとも、正真のカルトに準ずるような悪影響を帯びてしまう。
たとえば念仏なんかは、煩悩愚悪の凡夫であることをよくよくわきまえた上での、
「今以上なんか目指さない」であるものだから、それ相応に健全な情操となるのだが、
同様な志しの低さでいながら、ヨガのような自力作善の行法に取り組んだりすることが、
身の程知らずの思い上がりばかりを増長させる、特別な悪影響を帯びてしまうのである。
それは、ただ家庭内不和などの外的な悪影響をもたらすだけでなく、
本人自身の心身を害するような自滅性までをも帯びてしまうもの。
人間、やりようによっては囲碁とか植物研究みたいな、それ自体が健康法なわけでもない
ような嗜みによってでも健康長寿を実現して行けることが、この人とか牧野富太郎とかの
事例からも知れるのだけれども、それはあくまで今以上の上達を志し続けられるほどの
情熱こそがその糧となるからであって、あえてその情熱を当人から取り上げるような
部類の嗜みなどは、たとえ健康法を標榜していようとも逆効果になりかねないのである。
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