(
>>197の続き)
現実ありのままの指摘を試みた結果憎まれ口になるのと、
現実以上に人や物事をあえて悪く言ったりするのとでは、
「正直か嘘か」という点で全くの相違が生じるために、
憎まれ口という点では似たり寄ったりであるにもかかわらず、
このスレで述べて来たような楽しみの有無もまた生じるわけである。
前者は正直であることを楽しみ、後者は嘘を楽しんでいるが故に、
長期記憶のデフラグやRAID構築や思考形式のポリフォニック化を楽しめる一方、
後者はそれらを蔑ろにした記憶情報の散逸による半痴呆化こそを楽しんでいる。
正直にモノを言おうとした結果憎まれ口を叩いているような人間が、
たまたま間違えて事実無根の悪口にまで及んでしまうようなこともあれば、
間違いでもいいから悪口雑言そのものを並べ立ててやろうとしているような
ならず者が、たまたま事実に即した論難を行うようなこともある。
(軽装甲機動車はもう今の普通免許では運転できないぞ、など)
ただ、それでもやはり正直であることを楽しもうとしていることと、
嘘八百のほうを楽しもうとしていることとの間には天地ほどの開きが
あり続けるもので、正直さこそを楽しもうとしている側であれば、
「過ちては改むるに憚ること勿れ(学而第一・八)」というフォロー
によって、さような過ちをも乗り越えながらその道を行き続けるわけである。
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