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>>230の続き)
本物の歴史を正しく勉強して、なおかつそこに一定数存在する賢聖たちの
意志を受け継ぎ、なるべくならその実現にも勤めて行こうとする心境こそが、
最低でも酒乱を避けられる程度の心の安定をもたらしてくれるものである。
「儒学」という学問は、特にその修養を最大級の本懐としているもので、
故に根本聖典たる四書五経にも、書経や春秋のような世界最古級の歴史書が含まれている。
堯舜禹や高宗武丁、文王武王や周公といった、当時から見ても古えの聖王賢臣たちの
言行に孔子や孟子も思いを馳せ、その魂の会得に臨んでいたのだった。
しかし、孔孟は春秋戦国時代という極度の乱世に生きたために、
その才覚を政治の場で十分に発揮することは叶わず、あまり実務に携わることが
できないでいるのに乗じての、権力道徳学の体系化のほうにより尽力したのだった。
それもまた一つの、古えの賢聖たちの魂の継承であったのには違いなく、
故にこそその教えを入念な参考にしたいくつもの大帝国が、後に治世を実現して行けた。
歴史上の聖王賢臣なみの大功業を誰しもが挙げられるとは限らないが、
その意志を受け継ぐことはそこまで限られた人々だけの特権ではなく、
為政の主導などとはまた別の形でそれを賛助して行けることもあるし、
ほとんど何もできなかった所で、自らの心の安定という功徳ぐらいには与れる。
ゆえに「舜も人、我も人なり(孟子)」という心がけを持ち保たない手はないのである。
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