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民主主義「クレーマーは神様です」 偉大なる生存の報告 Part320
▼ページ最下部
国内外でのポリコレ狂騒曲の激化のほか、
幼稚園の子供の声や、市街に降りてきた熊への駆除に入れられる
苦情など、近年、健全な世の営みをも阻害するような度し難さを
帯びたクレームののさばりがが問題視されるようになってから久しいが。
侮辱罪の強化などで規制が行き届き始めた誹謗中傷など以上に、
十分な抑制が務まらないままでいるのが現状であり、せいぜい営業妨害級の
カスハラへの対策が各企業で試みられたりするに止まっている。
それは、今の日本の体制イデオロギーでもある民主主義が、そういった
末節レベルの人々の声に耳を傾けることを本分としているからでもある。
三波春夫が広めた「お客様は神様です」という流行語も、本来は本人自身の
演歌歌手としての精進の心意気を示した矜持だったのが、いつの間にかカスハラを
正当化する意味合いを帯びてしまったのを、本人の遺族たちも嘆いているようだが。
民草の声に耳を傾けるという民主主義の矜持もまた、ノイジーマイノリティの
クレームばかりを一人歩きさせての迷惑を助長するという弊害を帯びてしまったもの。
民主主義も「お客様は神様です」も、その字面上から、巧言令色的な側面を同時に
帯びてしまっているものだから、そのような弊害の増長をも招かざるを得なかった。
「初めに毛筋ほどもの誤りあれば、後々に千里の過ちとなる(易緯)」という
法則の結果であり、その理想とは裏腹に、理想を実現して行けるだけの、
言辞からの体裁を帯びてはいなかったのである。
幼稚園の子供の声や、市街に降りてきた熊への駆除に入れられる
苦情など、近年、健全な世の営みをも阻害するような度し難さを
帯びたクレームののさばりがが問題視されるようになってから久しいが。
侮辱罪の強化などで規制が行き届き始めた誹謗中傷など以上に、
十分な抑制が務まらないままでいるのが現状であり、せいぜい営業妨害級の
カスハラへの対策が各企業で試みられたりするに止まっている。
それは、今の日本の体制イデオロギーでもある民主主義が、そういった
末節レベルの人々の声に耳を傾けることを本分としているからでもある。
三波春夫が広めた「お客様は神様です」という流行語も、本来は本人自身の
演歌歌手としての精進の心意気を示した矜持だったのが、いつの間にかカスハラを
正当化する意味合いを帯びてしまったのを、本人の遺族たちも嘆いているようだが。
民草の声に耳を傾けるという民主主義の矜持もまた、ノイジーマイノリティの
クレームばかりを一人歩きさせての迷惑を助長するという弊害を帯びてしまったもの。
民主主義も「お客様は神様です」も、その字面上から、巧言令色的な側面を同時に
帯びてしまっているものだから、そのような弊害の増長をも招かざるを得なかった。
「初めに毛筋ほどもの誤りあれば、後々に千里の過ちとなる(易緯)」という
法則の結果であり、その理想とは裏腹に、理想を実現して行けるだけの、
言辞からの体裁を帯びてはいなかったのである。
バカは話が長い
このスレの主題で論じようとしているのは、
民主主義が理想としている所のものの良し悪しではなく、
「言葉の位相」という問題のほうである。
徳治を重んずる封建制など以上に、民主制こそが画像のような、
政官財がグルになっての庶民イジメに及びやすいという問題もあるし、
さらにそこに大メディアやカルトのような鼠賊までもが介入しての、
最悪級の壊乱をも招きかねないことが、現実の世相によってこそ知れたものだが。
それらもまた「民主主義」という言辞によって、結果的に増長してしまう
ことが免れ得ない汚濁であるのには違いなく、クレーマーの神格化もまた、
それに乗じて派生する弊害の一種かつ、近年に最も狂乱化している部類のそれだといえる。
民主主義が理想としている所のものの良し悪しではなく、
「言葉の位相」という問題のほうである。
徳治を重んずる封建制など以上に、民主制こそが画像のような、
政官財がグルになっての庶民イジメに及びやすいという問題もあるし、
さらにそこに大メディアやカルトのような鼠賊までもが介入しての、
最悪級の壊乱をも招きかねないことが、現実の世相によってこそ知れたものだが。
それらもまた「民主主義」という言辞によって、結果的に増長してしまう
ことが免れ得ない汚濁であるのには違いなく、クレーマーの神格化もまた、
それに乗じて派生する弊害の一種かつ、近年に最も狂乱化している部類のそれだといえる。
「民主主義」と聞くと、人は世間一般大多数の民衆への尊重を思い浮かべがちだが、
実際には民間のうちの富裕層や、大企業やマスコミやカルト関係者などの
一部の特権持ちばかりを優遇し、徳治を重んずる封建社会以上に民間での格差を
増大させての、底辺層への重労働や低賃金による虐待すら助長させる
という弊害を大いに帯びているものである。
クレーマーはそれらと比べれば、ただLGBTなだけでもなれたりする点で、
まだそれほど特権的でないとは言えるのだけれども、その苦情という後ろ向きな活動によって、
世の中を一概な閉塞状態に追い込んで行く急進度では突出しているがために、
特筆して鼻つまみ者扱いとも化している。そういう連中を大々的に
のさばらせるのもまた、民主主義という言辞にとっての宿命なのである。
実際には民間のうちの富裕層や、大企業やマスコミやカルト関係者などの
一部の特権持ちばかりを優遇し、徳治を重んずる封建社会以上に民間での格差を
増大させての、底辺層への重労働や低賃金による虐待すら助長させる
という弊害を大いに帯びているものである。
クレーマーはそれらと比べれば、ただLGBTなだけでもなれたりする点で、
まだそれほど特権的でないとは言えるのだけれども、その苦情という後ろ向きな活動によって、
世の中を一概な閉塞状態に追い込んで行く急進度では突出しているがために、
特筆して鼻つまみ者扱いとも化している。そういう連中を大々的に
のさばらせるのもまた、民主主義という言辞にとっての宿命なのである。
日本国ってば、国連・世界標準の民主主義国ではなく、自分の親でもない「先生」とかに洗脳・ブッ叩き調教を受けてきた極めて悪質な遺伝素質にあるようです。
戦後の団塊の世代なんざ、「平等ッ!!人並みッ!!」というブッ叩き調教・洗脳をされてしまい、圧倒的大多数が恋愛・恋愛結婚をしてきておらず、
むしろ恋愛する者のことをエッチ・スケベなどと罵り、相変わらず武家と商人身分の支配よる政権のままで、
「先生・交番」などの後ろ盾=ブランドがある家畜動物のような交配である見合結婚が、人並み平等なまんまで、
戦後の団塊の世代の【田舎者とは】牛豚鶏舎・犬舎育ちな意味と論理(事実)的な文字でない理論(理屈)で洗脳されてきてしまっている為、
現在の中華本土人、台湾香港マレシンガ人なビジネスマンや観光客が嫌がる漢字・漢文が「交番」であり、【交番】とは家畜動物の当番・番頭な意味にあります。
チンピラヤクザ暴力団=武家と商人由来の政権なままな現在の地方自治体では、警察のコトを【KOBAN】などという全世界に対して全く意味不明なチンピラヤクザ用語にしてまでも、
家畜動物的支配をした日本人に「人並みッ!!平等ッ!!」などと洗脳しまくり、黒毛和牛みたいなご当地ブランドみたいな扱いを受けてきたのが戦後の団塊の世代であり、
コイツら、まともな恋愛・プライド=ブランドも無いまま、人並みッ!!平等ッ!!とヤラれちまった交配・見合結婚しかしてきておらず、 その証拠が極めて親子関係が希薄であり、
地元・田舎では食べられない・生活できない日本人となっとるのです。
戦後の団塊の世代なんざ、「平等ッ!!人並みッ!!」というブッ叩き調教・洗脳をされてしまい、圧倒的大多数が恋愛・恋愛結婚をしてきておらず、
むしろ恋愛する者のことをエッチ・スケベなどと罵り、相変わらず武家と商人身分の支配よる政権のままで、
「先生・交番」などの後ろ盾=ブランドがある家畜動物のような交配である見合結婚が、人並み平等なまんまで、
戦後の団塊の世代の【田舎者とは】牛豚鶏舎・犬舎育ちな意味と論理(事実)的な文字でない理論(理屈)で洗脳されてきてしまっている為、
現在の中華本土人、台湾香港マレシンガ人なビジネスマンや観光客が嫌がる漢字・漢文が「交番」であり、【交番】とは家畜動物の当番・番頭な意味にあります。
チンピラヤクザ暴力団=武家と商人由来の政権なままな現在の地方自治体では、警察のコトを【KOBAN】などという全世界に対して全く意味不明なチンピラヤクザ用語にしてまでも、
家畜動物的支配をした日本人に「人並みッ!!平等ッ!!」などと洗脳しまくり、黒毛和牛みたいなご当地ブランドみたいな扱いを受けてきたのが戦後の団塊の世代であり、
コイツら、まともな恋愛・プライド=ブランドも無いまま、人並みッ!!平等ッ!!とヤラれちまった交配・見合結婚しかしてきておらず、 その証拠が極めて親子関係が希薄であり、
地元・田舎では食べられない・生活できない日本人となっとるのです。
おッ!
気違い王者の糞スレに、ついに気違いのニューフェイスが殴り込みだぁ〜!!
気違い王者の糞スレに、ついに気違いのニューフェイスが殴り込みだぁ〜!!
日本人ってば、その食事も極めて浅ましくデタラメなままであり、現在日本国の子持ち世帯の30%くらいまでがマトモな食事を食べられないというか、
料理もできない・ヘタクソなクソマズイ料理しかできない日本人であります。
「食文化」の文化とか言う前に、幕末・明治時代になるまで、皇族貴族を名乗り出したヤツてととの同行者であった暴力団(武士・武家)によって支配をされた日本人90%以上のコトを
「田舎者・内地モノ」と呼び、蝦夷・北海道に侵攻した際に出くわしたアイヌ民族さんに同化(洗脳)政策をほどこした時期と、家畜動物化(田舎者)日本人90%も、
名前と文字の読書きをょして良くなったばかりであり、明治維新だなんて、維新もみヘチマも無く、洗脳・調教行為そのものてあり、
その結果が「オラ・オマエも日本人の名前が持てる・名乗れるようになった♪・オラも読書きして良くなった♪」ダケであり、
皇族貴族と暴力団(武家)と組織は、決して在来日本人が漢民族由来の「文字を意図的に読書きできないままにした」ワケであり、
文字を読書きできない手段にて「ココに、こぉ~ゆう記録・前例・歴史が物理的証拠=文字あるのじゃッ!!お前ら、控えろッ!!」
などとやってきた皇族貴族たちと、その同行者が武士を名乗り出し、決して日本人在来種・家畜動物日本人90%には、ついつつい最近な明治時代になるまで、
描く・書くなどの行為を許さず、当然・自身(家族)の名を名乗るコトも許しませんでしたよね。
料理もできない・ヘタクソなクソマズイ料理しかできない日本人であります。
「食文化」の文化とか言う前に、幕末・明治時代になるまで、皇族貴族を名乗り出したヤツてととの同行者であった暴力団(武士・武家)によって支配をされた日本人90%以上のコトを
「田舎者・内地モノ」と呼び、蝦夷・北海道に侵攻した際に出くわしたアイヌ民族さんに同化(洗脳)政策をほどこした時期と、家畜動物化(田舎者)日本人90%も、
名前と文字の読書きをょして良くなったばかりであり、明治維新だなんて、維新もみヘチマも無く、洗脳・調教行為そのものてあり、
その結果が「オラ・オマエも日本人の名前が持てる・名乗れるようになった♪・オラも読書きして良くなった♪」ダケであり、
皇族貴族と暴力団(武家)と組織は、決して在来日本人が漢民族由来の「文字を意図的に読書きできないままにした」ワケであり、
文字を読書きできない手段にて「ココに、こぉ~ゆう記録・前例・歴史が物理的証拠=文字あるのじゃッ!!お前ら、控えろッ!!」
などとやってきた皇族貴族たちと、その同行者が武士を名乗り出し、決して日本人在来種・家畜動物日本人90%には、ついつつい最近な明治時代になるまで、
描く・書くなどの行為を許さず、当然・自身(家族)の名を名乗るコトも許しませんでしたよね。
>>6
似たような話をしたことがあるのは確かだが、クレーマーに絞るのは新規だし、
スレ画を作ったのもほんのこの前のことだぞ。大丈夫かいおじいちゃん?
>>7
「団塊にチー牛はいない」という別スレでの話に呼応したのかしらんが。
別にだからといって団塊を褒め称えた覚えもなくて、テレビ洗脳や
スポーツ洗脳による蒙昧化、粗暴化は戦後世代の中でも最悪級、
パソナ竹中もその一員であることなどからもわかるように、
戦前世代引退後のここ30年の日本社会を破滅に追いやった
筆頭格の世代でもあることだし、総合的にはちっとも褒められたものじゃない。
ただ、男性ホルモン旺盛でチー牛系の男なんかがほぼいないことのほか、
子供の頃に残存していた純和風の食住生活のおかげで筋肉量や骨盤底筋力も
軒並み高く、体が丈夫で体力も旺盛などの、近頃の日本人の多くからは
失われてしまった長所もあるには違いないのだから、そこだけは見習うべきである。
お見合い結婚が多かったことなんかも、別に糾弾すべき所じゃない。
団塊が家庭の不和を招いたのも、西洋化による子愛の欠如が主因なのだし。
似たような話をしたことがあるのは確かだが、クレーマーに絞るのは新規だし、
スレ画を作ったのもほんのこの前のことだぞ。大丈夫かいおじいちゃん?
>>7
「団塊にチー牛はいない」という別スレでの話に呼応したのかしらんが。
別にだからといって団塊を褒め称えた覚えもなくて、テレビ洗脳や
スポーツ洗脳による蒙昧化、粗暴化は戦後世代の中でも最悪級、
パソナ竹中もその一員であることなどからもわかるように、
戦前世代引退後のここ30年の日本社会を破滅に追いやった
筆頭格の世代でもあることだし、総合的にはちっとも褒められたものじゃない。
ただ、男性ホルモン旺盛でチー牛系の男なんかがほぼいないことのほか、
子供の頃に残存していた純和風の食住生活のおかげで筋肉量や骨盤底筋力も
軒並み高く、体が丈夫で体力も旺盛などの、近頃の日本人の多くからは
失われてしまった長所もあるには違いないのだから、そこだけは見習うべきである。
お見合い結婚が多かったことなんかも、別に糾弾すべき所じゃない。
団塊が家庭の不和を招いたのも、西洋化による子愛の欠如が主因なのだし。
>>9
戦後直後に、純和風の食事主体で育った団塊のほうが、
肉食その他の洋食化が進んだ後代の日本人よりも体が丈夫だったりする始末。
肉食は高額化する上に、霜降りなどの高脂質のほうが美味になりやすい。
さすれば常食とするのはコスト面と健康面、両面からの弊害を招くために、
安くて低脂質で高たんぱくで美味な焼き魚などを常食とする場合と比べれば、
習慣化が滞り、日ごろは菓子パンだ麺だの低たんぱく食にも振り切れがちなもの。
近ごろはアベノミクスによる物価高騰で、なおのことその傾向も強まっている。
あまりに低たんぱくな食習慣のあまりに、子供たちの平均身長も縮んでるようだし、
味蕾の数から少なくて、低脂質な肉も平気で食いまくってる西洋人並みの味障さに
退化するのでもないのなら、食習慣の和風化による改善も試みられて然るべきであろう。
戦後直後に、純和風の食事主体で育った団塊のほうが、
肉食その他の洋食化が進んだ後代の日本人よりも体が丈夫だったりする始末。
肉食は高額化する上に、霜降りなどの高脂質のほうが美味になりやすい。
さすれば常食とするのはコスト面と健康面、両面からの弊害を招くために、
安くて低脂質で高たんぱくで美味な焼き魚などを常食とする場合と比べれば、
習慣化が滞り、日ごろは菓子パンだ麺だの低たんぱく食にも振り切れがちなもの。
近ごろはアベノミクスによる物価高騰で、なおのことその傾向も強まっている。
あまりに低たんぱくな食習慣のあまりに、子供たちの平均身長も縮んでるようだし、
味蕾の数から少なくて、低脂質な肉も平気で食いまくってる西洋人並みの味障さに
退化するのでもないのなら、食習慣の和風化による改善も試みられて然るべきであろう。
BBSは人との会話が主目的の場なのだから、
スレ違いやアンチ気味だろうとも、話し相手が現れるようなら、
独り言レベルな自説の垂れ流しなどよりもそちらを優先する。
スレ違いかつ一方的な自説の垂れ流しで、
スレの進行を阻害したりするのでもない限りは、
気軽に書き込んできてくれていいからな。😙
スレ違いやアンチ気味だろうとも、話し相手が現れるようなら、
独り言レベルな自説の垂れ流しなどよりもそちらを優先する。
スレ違いかつ一方的な自説の垂れ流しで、
スレの進行を阻害したりするのでもない限りは、
気軽に書き込んできてくれていいからな。😙
そろそろスレの主題に話を戻すに。
完全に同じ現象というわけではないが、
「観測行為自体が対象に影響を及ぼすために、完全に客観的な観測が不可能」
という物理学上の不確定性原理などとも同じような、自明な不能性を帯びた問題。
多くの人々が「民主主義」と聞いて思い浮かべるような理想が、
「民主主義」という言辞の実践によって増進されることが毛頭なく、
さらには想像を絶するような多くの大問題を自明に招いてしまうという法則。
「国民主権」という制度上からの名目の下に、一般庶民までもが国の主権者
としての自認によるいい気分を増大させながら、内実は徳治の封建制ほどにも
庶民の意見が政治に反映されることがなくなり、民間の中でもごく一部の特権者
たる政商やらマスコミやらカルト教団やら、声だけデカいヒステリー状態の
クレーマーやらの意見ばかりが独裁的な実現に移されて行く破目に陥る。
人間社会というものは、そういう風に出来ているものだから、自明にそうなる。
古代の中国でも、斉の桓公が「民は神の主なり(左伝)」などと最原初の民主主義
を掲げながら、当時までの中国史上における最大級の苛政を逆に招いていたように、
「民主」という言辞は巧言令色として最大級に有用である一方で、その理想とする所の
はずのものをかえって損ねてしまう、羊頭狗肉としての普遍性を帯びているのである。
完全に同じ現象というわけではないが、
「観測行為自体が対象に影響を及ぼすために、完全に客観的な観測が不可能」
という物理学上の不確定性原理などとも同じような、自明な不能性を帯びた問題。
多くの人々が「民主主義」と聞いて思い浮かべるような理想が、
「民主主義」という言辞の実践によって増進されることが毛頭なく、
さらには想像を絶するような多くの大問題を自明に招いてしまうという法則。
「国民主権」という制度上からの名目の下に、一般庶民までもが国の主権者
としての自認によるいい気分を増大させながら、内実は徳治の封建制ほどにも
庶民の意見が政治に反映されることがなくなり、民間の中でもごく一部の特権者
たる政商やらマスコミやらカルト教団やら、声だけデカいヒステリー状態の
クレーマーやらの意見ばかりが独裁的な実現に移されて行く破目に陥る。
人間社会というものは、そういう風に出来ているものだから、自明にそうなる。
古代の中国でも、斉の桓公が「民は神の主なり(左伝)」などと最原初の民主主義
を掲げながら、当時までの中国史上における最大級の苛政を逆に招いていたように、
「民主」という言辞は巧言令色として最大級に有用である一方で、その理想とする所の
はずのものをかえって損ねてしまう、羊頭狗肉としての普遍性を帯びているのである。
「こんなはずではなかった」
「それは民主主義が未だ不全だから来たしている過渡上の問題」
なんてわけでもない、それこそが民主主義の実現の極北にあった姿。
経団連も電通も統一教会も、ヒスを拗らせたクレーマーたちも、
みな民間人であることには変わりなく、そいつらの望みが叶えられるのもまた
民主主義の実現そのものでしかないし、それで国が破綻に陥った所で、それはそれ。
ただ平穏無事な生活を送りたいだけだから、特権者やクレーマーほどには
大きい声を挙げようともしない、サイレントマジョリティたる一般庶民の意見などが
特権者はおろか、ノイジーマイノリティなクレーマーなぞよりも劣後されるのもまた、
民間人の政治参画こそが最優先される、民主主義の理念に厳格に合致した法則でしかない。
フェミのクレームが、同性たる女性一般をより苦しめている場合が多いことから、
「女の敵は女」などと称されることもまた頻繁化して久しいけれども、
それと同様に「民間の敵は民間」でもあり、苛政をはたらく封建制下の暴君なども、
政商のような民間の特権者との癒着によってそれを深刻化させて来たのが常なのであり、
民主主義もまたさような問題を全く以て解消しないどころか、完全に開き直った
上での増悪を助長することにしかならない。そのせいで大多数の民衆の思いは
政治からよりかけ離れて行くというのが、民主主義が完璧に実現された姿なのである。
「それは民主主義が未だ不全だから来たしている過渡上の問題」
なんてわけでもない、それこそが民主主義の実現の極北にあった姿。
経団連も電通も統一教会も、ヒスを拗らせたクレーマーたちも、
みな民間人であることには変わりなく、そいつらの望みが叶えられるのもまた
民主主義の実現そのものでしかないし、それで国が破綻に陥った所で、それはそれ。
ただ平穏無事な生活を送りたいだけだから、特権者やクレーマーほどには
大きい声を挙げようともしない、サイレントマジョリティたる一般庶民の意見などが
特権者はおろか、ノイジーマイノリティなクレーマーなぞよりも劣後されるのもまた、
民間人の政治参画こそが最優先される、民主主義の理念に厳格に合致した法則でしかない。
フェミのクレームが、同性たる女性一般をより苦しめている場合が多いことから、
「女の敵は女」などと称されることもまた頻繁化して久しいけれども、
それと同様に「民間の敵は民間」でもあり、苛政をはたらく封建制下の暴君なども、
政商のような民間の特権者との癒着によってそれを深刻化させて来たのが常なのであり、
民主主義もまたさような問題を全く以て解消しないどころか、完全に開き直った
上での増悪を助長することにしかならない。そのせいで大多数の民衆の思いは
政治からよりかけ離れて行くというのが、民主主義が完璧に実現された姿なのである。
今までにも何度も述べて来た、政商や大メディアやカルト教団のような
一部の特権者が、民主主義によってこそ最大級の権勢を得るという問題もまた、
亡国級の危難を世に招くがために、その解消の必要があるのには違いないが。
一応、いい大学を出ていい会社に就職したり、投資や起業やスポーツなどで
成功すれば、一般人もまたそちら側に回れるという名分があったりもすることから、
そのような面で特段ほどの努力をしたことがない一般庶民などが、心情面から
自己責任の論理でねじ伏せられる体裁をも帯びていたりするものである。
(それもまた格差の世襲による固定化などのせいで揺らいでいるが)
クレーマーの暴論こそが、一般庶民の本音以上に優先されるという事象に至っては、
さようなフォローすらなく、何の特権もなく、特権を得るための努力をしたことが
あるわけでもないようなゴロツキの素人が、ただ声がデカいというだけの理由で、
品行方正な一般庶民よりも優遇されるという、理不尽の極みな現象となっている。
それでも、民主主義者はそれもまた、国民主権の理念原則に根差した自明な現象として
全面的に受け入れねばならない。声を挙げる者は、その意見内容の是非に関わらず、
声を挙げない者よりも優遇されるのが民主主義の本分であるがために、誰も彼もが
とりあえず声を挙げておこうとする、民度に欠けた世の中が招来されることともなる。
そうして収拾が付かなくなるのもまた、民主主義の実践の先に遍在する運命なのである。
一部の特権者が、民主主義によってこそ最大級の権勢を得るという問題もまた、
亡国級の危難を世に招くがために、その解消の必要があるのには違いないが。
一応、いい大学を出ていい会社に就職したり、投資や起業やスポーツなどで
成功すれば、一般人もまたそちら側に回れるという名分があったりもすることから、
そのような面で特段ほどの努力をしたことがない一般庶民などが、心情面から
自己責任の論理でねじ伏せられる体裁をも帯びていたりするものである。
(それもまた格差の世襲による固定化などのせいで揺らいでいるが)
クレーマーの暴論こそが、一般庶民の本音以上に優先されるという事象に至っては、
さようなフォローすらなく、何の特権もなく、特権を得るための努力をしたことが
あるわけでもないようなゴロツキの素人が、ただ声がデカいというだけの理由で、
品行方正な一般庶民よりも優遇されるという、理不尽の極みな現象となっている。
それでも、民主主義者はそれもまた、国民主権の理念原則に根差した自明な現象として
全面的に受け入れねばならない。声を挙げる者は、その意見内容の是非に関わらず、
声を挙げない者よりも優遇されるのが民主主義の本分であるがために、誰も彼もが
とりあえず声を挙げておこうとする、民度に欠けた世の中が招来されることともなる。
そうして収拾が付かなくなるのもまた、民主主義の実践の先に遍在する運命なのである。
[YouTubeで再生]
柔道はそこまで詳しくないが、剣道は古流の剣術を無効化するために、
徹底的に古流と相容れないようにルールが改悪されて来たせいで、
フェンシングほどにも古流と似通わない代物に成り果てているのを知っている。
柔道もまた、普通の被服ならあっという間に破けてしまうぐらいに
執拗な襟袖のつかみ合いばかりで勝負が決まるようになってしまってるのが、
これまたレスリング以上に古来の柔術から遠ざかる様相となっているようだな。
糖尿病になるほどブクブクと太るに任せている相撲も含め、
日本人にとっての武の嗜みを形骸化させるのが統一自民その他の本望なれば、
それはあくまで確信犯であろうし、もう二度と絶対に許さない強意を
以てその解消に臨んで行く必要もまたあるのだろう。
江戸期の武芸などは、十全な実践性を保ち続けていたからこそ、
幕末の動乱や明治以降の戦乱でも、日本人に多大な武力を発揮させられたし、
また江戸期においても、用心としての常在戦場の心がけを迫真ならしめる
効用によって、泰平の世を確立する礎ともなっていたのに違いない。
平和な時代だから武道なんて形骸化してなんぼなんていう馬鹿な考えは、
世界中の戦争を止めることも、そこに日本が巻き込まれて行くことも
阻止できない、まさにカルト洗脳級の蒙昧でしかないのに違いないのである。
柔道はそこまで詳しくないが、剣道は古流の剣術を無効化するために、
徹底的に古流と相容れないようにルールが改悪されて来たせいで、
フェンシングほどにも古流と似通わない代物に成り果てているのを知っている。
柔道もまた、普通の被服ならあっという間に破けてしまうぐらいに
執拗な襟袖のつかみ合いばかりで勝負が決まるようになってしまってるのが、
これまたレスリング以上に古来の柔術から遠ざかる様相となっているようだな。
糖尿病になるほどブクブクと太るに任せている相撲も含め、
日本人にとっての武の嗜みを形骸化させるのが統一自民その他の本望なれば、
それはあくまで確信犯であろうし、もう二度と絶対に許さない強意を
以てその解消に臨んで行く必要もまたあるのだろう。
江戸期の武芸などは、十全な実践性を保ち続けていたからこそ、
幕末の動乱や明治以降の戦乱でも、日本人に多大な武力を発揮させられたし、
また江戸期においても、用心としての常在戦場の心がけを迫真ならしめる
効用によって、泰平の世を確立する礎ともなっていたのに違いない。
平和な時代だから武道なんて形骸化してなんぼなんていう馬鹿な考えは、
世界中の戦争を止めることも、そこに日本が巻き込まれて行くことも
阻止できない、まさにカルト洗脳級の蒙昧でしかないのに違いないのである。
政権が統一教会に完全に乗っ取られる直前まで、
政治顧問などに携わっていた臨済宗妙心寺派の関係者が、
事あるごとに現代の世相を表す意味で引き合いに出していた、
「狂人走れば不狂人も走る」という禅語。
現代人にも教訓的に教えられている過ちとしての、
戦前の大日本帝国のプロパガンダに全国民がまんまと乗せられての
狂乱状態などもまたその一例ではあるのだけれども、残念ながら、
同様な扇情による誘導は戦後社会でもひっきりなしに繰り返されて
来たうえに、その手口もより巧妙化して来たのが実情である。
しかも、外患スパイであれ電通のような内憂勢力であれ、
自分たち自身が直接的な扇情に及ぶと反感を買うことになるために、
ただの一般人を装ったサクラなり在日韓国人なりパヨクなりを駆使しての、
ステマ的な誘導を日本国民に対して無数に試みて来たものである。
特に日本の国益を本気で守ろうとするような試みに対しては、
「戦前と同じ過ちを繰り返すな」系の主張を持ち合わせた、
一般人風のクレーマー集団を総動員しての圧殺に専念して来たもの。
「クレーマーでさえあれば無言の一般人以上の有力者たる」
泣く子は餅を一つ多くもらえる系の悪習が世に蔓延して来たことが、
それこそを利用してやろうとする陰謀の助けにもなって来たのである。
政治顧問などに携わっていた臨済宗妙心寺派の関係者が、
事あるごとに現代の世相を表す意味で引き合いに出していた、
「狂人走れば不狂人も走る」という禅語。
現代人にも教訓的に教えられている過ちとしての、
戦前の大日本帝国のプロパガンダに全国民がまんまと乗せられての
狂乱状態などもまたその一例ではあるのだけれども、残念ながら、
同様な扇情による誘導は戦後社会でもひっきりなしに繰り返されて
来たうえに、その手口もより巧妙化して来たのが実情である。
しかも、外患スパイであれ電通のような内憂勢力であれ、
自分たち自身が直接的な扇情に及ぶと反感を買うことになるために、
ただの一般人を装ったサクラなり在日韓国人なりパヨクなりを駆使しての、
ステマ的な誘導を日本国民に対して無数に試みて来たものである。
特に日本の国益を本気で守ろうとするような試みに対しては、
「戦前と同じ過ちを繰り返すな」系の主張を持ち合わせた、
一般人風のクレーマー集団を総動員しての圧殺に専念して来たもの。
「クレーマーでさえあれば無言の一般人以上の有力者たる」
泣く子は餅を一つ多くもらえる系の悪習が世に蔓延して来たことが、
それこそを利用してやろうとする陰謀の助けにもなって来たのである。
たとえば俺の親父などは、>>29画の四元氏などとも同じ土建関係者で、
在日カルトに完全に乗っ取られる前の、田中角栄などの頃からの自民支持者
ではあるのだが。もはや四元氏のような、本気で国益を慮るような気概は毛頭なく、
保守的、右寄りな考え方などもあえてかなぐり捨てているような精神性でいるものである。
(かといって左寄りというわけでもない、いわゆる「ノンポリ」に該当する部類)
そうなった原因を考えてみれば、やはり親父と同世代の人間の多くなども抱かされて来た、
街宣右翼の柄の悪さへの忌避意識などがあったのだろうとも思われる。
特に親父はその母親、俺にとっての祖母が小学校の教員だったりもして、
反日教組のクレームを似非右翼どもがことあるごとに吠えたてているのに祖母が不快感を
示して来たのを間近に見ていたなんてことも、ノンポリ化の後押しになったのだろう。
そうやって、戦後の日本人も知らず知らずのうちから、クレーム行為を含む扇情によって、
自分たちの精神性をある種の連中にとって都合のいい方向へと丸め込まれて来たものである。
どちらかといえば、都合のいい方向に誘致すること自体ではなく、都合の悪い方向へと
走るのを防ぐための妨害者として、クレーマーを多用して来たのだともいえる。
それが結局、一番都合のいいゴイムとならしめるための一助ともなって来たのであれ。
在日カルトに完全に乗っ取られる前の、田中角栄などの頃からの自民支持者
ではあるのだが。もはや四元氏のような、本気で国益を慮るような気概は毛頭なく、
保守的、右寄りな考え方などもあえてかなぐり捨てているような精神性でいるものである。
(かといって左寄りというわけでもない、いわゆる「ノンポリ」に該当する部類)
そうなった原因を考えてみれば、やはり親父と同世代の人間の多くなども抱かされて来た、
街宣右翼の柄の悪さへの忌避意識などがあったのだろうとも思われる。
特に親父はその母親、俺にとっての祖母が小学校の教員だったりもして、
反日教組のクレームを似非右翼どもがことあるごとに吠えたてているのに祖母が不快感を
示して来たのを間近に見ていたなんてことも、ノンポリ化の後押しになったのだろう。
そうやって、戦後の日本人も知らず知らずのうちから、クレーム行為を含む扇情によって、
自分たちの精神性をある種の連中にとって都合のいい方向へと丸め込まれて来たものである。
どちらかといえば、都合のいい方向に誘致すること自体ではなく、都合の悪い方向へと
走るのを防ぐための妨害者として、クレーマーを多用して来たのだともいえる。
それが結局、一番都合のいいゴイムとならしめるための一助ともなって来たのであれ。
すでにネットネイティブな次世代の間では、
街宣右翼なんて本物の右翼ですらない、利権ゴロや在日のなりすまし
ばかりであることへの認知が、それなりには行き届いているものだが。
(そもそもがCIA工作員の児玉誉士夫が創設者で、似非なのも当たり前なのだが)
今でも5chなどの匿名ネット上で、やたらと韓国の事情ばかりに詳しくて、韓国人への
口汚い差別発言ばかりを繰り返すなりすましらしきネトウヨなどが多くいるものだが、
あれも統一教会が日本の信者からの献金をつぎ込んで試みているなりすまし工作だったりして、
それによって逆に保守的な精神性への、一般人の忌避意識を増進させているものである。
結果、ネットネイティブだけどスマホしか使えなくて、あまり詳しい真相情報までは
享受できない半情弱と化した若年世代などにも、韓流かぶれが多発する始末。
ネトウヨが別に、メディアなどで好意的に取り上げられて来たような事実はないが、
やはりある種の勢力の思い通りに事を運ぶための邪神と化して来たのには違いなく、
それもまたヘイトとかクレームとかいうべきような悪口ありきの所業だったのである。
街宣右翼なんて本物の右翼ですらない、利権ゴロや在日のなりすまし
ばかりであることへの認知が、それなりには行き届いているものだが。
(そもそもがCIA工作員の児玉誉士夫が創設者で、似非なのも当たり前なのだが)
今でも5chなどの匿名ネット上で、やたらと韓国の事情ばかりに詳しくて、韓国人への
口汚い差別発言ばかりを繰り返すなりすましらしきネトウヨなどが多くいるものだが、
あれも統一教会が日本の信者からの献金をつぎ込んで試みているなりすまし工作だったりして、
それによって逆に保守的な精神性への、一般人の忌避意識を増進させているものである。
結果、ネットネイティブだけどスマホしか使えなくて、あまり詳しい真相情報までは
享受できない半情弱と化した若年世代などにも、韓流かぶれが多発する始末。
ネトウヨが別に、メディアなどで好意的に取り上げられて来たような事実はないが、
やはりある種の勢力の思い通りに事を運ぶための邪神と化して来たのには違いなく、
それもまたヘイトとかクレームとかいうべきような悪口ありきの所業だったのである。
団塊主体の、左翼老人による非常に盲目で粗暴なクレーマー活動もまた、
革命級の動乱によって政権が交代することへの盲目な忌避意識を、
多くの国民に植え付けることに利用されて来た所がある。
別に、革命は民主主義にとっての禁忌でもなく、そもそもが
フランス革命が近代以降の世界的民主化の発端でもあったために、
フランスやアメリカの憲法にも、国民の革命権を保障する条文があるぐらいなのだが。
ことに戦後の日本においては、外患勢力たる米韓などのほうが、
とにかく自分たちのやりたい放題に日本人がどこまででも屈服し続けてくれる
ほうが好都合であるために、革命のような政変を完全な禁忌扱いにしたがったのだった。
そのため、これまた革命が一大要素である共産主義勢力の革命志向のほうを、
左翼老人の醜悪なクレーマー加減などと抱き合わせで日本社会に残存させることにより、
「とにかく革命だけはダメ絶対!」という決め込みを万民に植え付けることとしたのである。
革命級の動乱によって政権が交代することへの盲目な忌避意識を、
多くの国民に植え付けることに利用されて来た所がある。
別に、革命は民主主義にとっての禁忌でもなく、そもそもが
フランス革命が近代以降の世界的民主化の発端でもあったために、
フランスやアメリカの憲法にも、国民の革命権を保障する条文があるぐらいなのだが。
ことに戦後の日本においては、外患勢力たる米韓などのほうが、
とにかく自分たちのやりたい放題に日本人がどこまででも屈服し続けてくれる
ほうが好都合であるために、革命のような政変を完全な禁忌扱いにしたがったのだった。
そのため、これまた革命が一大要素である共産主義勢力の革命志向のほうを、
左翼老人の醜悪なクレーマー加減などと抱き合わせで日本社会に残存させることにより、
「とにかく革命だけはダメ絶対!」という決め込みを万民に植え付けることとしたのである。
革命というものが、好き好むよりはなるべく避けるべき事象であるのにも違いはないが、
じゃあどうやって避けるべきなのかといえば、革命によってでもなければ
建て直しようがないほどの権力腐敗のほうを、未然に防いで行くべきなのである。
そうではなく、どんなに権力腐敗がこじれようとも、絶対に革命だけは
許されないというのが、今の日本の大多数の国民に植え付けられている通念であり、
これは民主主義にも、孟子や家康公のような仁者の思想にも反するただの暗愚でしかない。
然れども、それがクレーマーの横暴を最大限に利用した思想誘導によってもたらされた成果
であるからには、それもまた民主主義の扱いようによって来した事態であるのには変わりない。
それはもはや民主主義の理念にも反するはずなのだが、これまた民主主義の理想の保守の
一環によって損なわれた革命権、抵抗権の保守という要項。「民主主義」という理念自体が
あまりにも一面的な概念に過ぎないために、さような矛盾性すら時に招いてしまうのである。
じゃあどうやって避けるべきなのかといえば、革命によってでもなければ
建て直しようがないほどの権力腐敗のほうを、未然に防いで行くべきなのである。
そうではなく、どんなに権力腐敗がこじれようとも、絶対に革命だけは
許されないというのが、今の日本の大多数の国民に植え付けられている通念であり、
これは民主主義にも、孟子や家康公のような仁者の思想にも反するただの暗愚でしかない。
然れども、それがクレーマーの横暴を最大限に利用した思想誘導によってもたらされた成果
であるからには、それもまた民主主義の扱いようによって来した事態であるのには変わりない。
それはもはや民主主義の理念にも反するはずなのだが、これまた民主主義の理想の保守の
一環によって損なわれた革命権、抵抗権の保守という要項。「民主主義」という理念自体が
あまりにも一面的な概念に過ぎないために、さような矛盾性すら時に招いてしまうのである。
「民主主義国ではクレーム活動が絶大な影響力を持ち合わせる」
という特徴を、専制国たる中国やロシアなどもスパイ工作として利用して来た。
日本における左翼老人の反戦活動などが、日本の自衛隊止まりながらの
軍備拡張にまで牽制を利かせる材料としてうってつけであることから、
そこに共産党経由などでの支援なども繰り返して来たものだし、
アメリカでのBLMのような反人種差別運動やその他のポリコレもまた、
米国民の保守系と革新系の大分裂による足の引っ張り合いを促すのに
うってつけだからとて、留学生の皮を被ったスパイなどに扇動させて来たのである。
アメリカのトランプ支持者などの中には、さような内情を察知しての、
ポリコレ攻勢への抵抗などを試みる者も多かろうとて、すでに大多数のマスコミや
CIA上層部も中華スパイに篭絡されているような手前、自分たちのほうが
旧態依然とした閉塞を好む因循姑息の徒としてのレッテルを貼られての、
ネガキャンの標的にされる目に合わされるのが常態と化している。
民主主義は、その言辞上からの漠然さによって、さようなスパイ危害なぞを
激化させることをも免れ得ないものであり、そこを防諜技術などの進歩だけで
フォローしようなんてのも、いたちごっことなるが故の無理味を帯びているもの。
特に中国みたいな人口超大国が相手だと、原理的にそれが万全たり得ないという問題もある。
という特徴を、専制国たる中国やロシアなどもスパイ工作として利用して来た。
日本における左翼老人の反戦活動などが、日本の自衛隊止まりながらの
軍備拡張にまで牽制を利かせる材料としてうってつけであることから、
そこに共産党経由などでの支援なども繰り返して来たものだし、
アメリカでのBLMのような反人種差別運動やその他のポリコレもまた、
米国民の保守系と革新系の大分裂による足の引っ張り合いを促すのに
うってつけだからとて、留学生の皮を被ったスパイなどに扇動させて来たのである。
アメリカのトランプ支持者などの中には、さような内情を察知しての、
ポリコレ攻勢への抵抗などを試みる者も多かろうとて、すでに大多数のマスコミや
CIA上層部も中華スパイに篭絡されているような手前、自分たちのほうが
旧態依然とした閉塞を好む因循姑息の徒としてのレッテルを貼られての、
ネガキャンの標的にされる目に合わされるのが常態と化している。
民主主義は、その言辞上からの漠然さによって、さようなスパイ危害なぞを
激化させることをも免れ得ないものであり、そこを防諜技術などの進歩だけで
フォローしようなんてのも、いたちごっことなるが故の無理味を帯びているもの。
特に中国みたいな人口超大国が相手だと、原理的にそれが万全たり得ないという問題もある。
実は、元祖民主主義国であるフランスの民度が非常に低いというのも、
もうだいぶ前からネットによる情報の拡散なども通じて知れていたこと。
まるで祭りか何かのように暴動を繰り返し、移民居住地の治安は特に最悪、
どこもかしこもごみのポイ捨てだらけで、万引き置引きも日常茶飯事と。
さらに今回のパリ五輪でも、柔道やクライミングなどでの露骨な日本勢への
不公平な扱いなど、もはや性根の悪さを隠す気もないのが知れたものだが。
それでも、フランスが民主主義国の元祖な上に、未だにそのトップを走り
続けている牙城であるのにも違いない。なんなら保守系に封建的な価値観
の持ち主が多いアメリカなど以上に、民主主義の実践の場でしかない国。
なればこそ、誰もかれもが、万人の万人に対する闘争も同然な殺伐さでいる。
シャルリエブドの風刺なみに醜悪で口汚くてもいいクレームなどでもいいから、
とにかく声を挙げたもの勝ち、黙っていたもの負けな世相が民主主義によって
最大限に増幅させられた結果、さような国情を自明に招くこととなったのである。
もうだいぶ前からネットによる情報の拡散なども通じて知れていたこと。
まるで祭りか何かのように暴動を繰り返し、移民居住地の治安は特に最悪、
どこもかしこもごみのポイ捨てだらけで、万引き置引きも日常茶飯事と。
さらに今回のパリ五輪でも、柔道やクライミングなどでの露骨な日本勢への
不公平な扱いなど、もはや性根の悪さを隠す気もないのが知れたものだが。
それでも、フランスが民主主義国の元祖な上に、未だにそのトップを走り
続けている牙城であるのにも違いない。なんなら保守系に封建的な価値観
の持ち主が多いアメリカなど以上に、民主主義の実践の場でしかない国。
なればこそ、誰もかれもが、万人の万人に対する闘争も同然な殺伐さでいる。
シャルリエブドの風刺なみに醜悪で口汚くてもいいクレームなどでもいいから、
とにかく声を挙げたもの勝ち、黙っていたもの負けな世相が民主主義によって
最大限に増幅させられた結果、さような国情を自明に招くこととなったのである。
俺も次世代側だから、キリスト教どころか、民主主義すら
ろくなものではないと思える常識が根付いてしまっている。
それは西洋人はおろか、旧世代の日本人などにとっても、
「そこまではやめてくれ!🥺」と思われかねない急進さを帯びた
話になってしまっているというのも、重々承知していることだが。
「民主主義」の名の下に思い描かれて来た理想まで、否定しようなんて
話なのではない。あくまでそれが「民主主義」なんていう言辞の下では
叶えようがないという命題についての話であることを、ゆめゆめ見落とさぬように。
ろくなものではないと思える常識が根付いてしまっている。
それは西洋人はおろか、旧世代の日本人などにとっても、
「そこまではやめてくれ!🥺」と思われかねない急進さを帯びた
話になってしまっているというのも、重々承知していることだが。
「民主主義」の名の下に思い描かれて来た理想まで、否定しようなんて
話なのではない。あくまでそれが「民主主義」なんていう言辞の下では
叶えようがないという命題についての話であることを、ゆめゆめ見落とさぬように。
男女も老若も貧富も高低学歴も、みんな分裂対立いがみ合っての闘争状態、
それが民主主義の不可避なる末路なればこそ、徳治で昔取った杵柄で
世界一民度が高いここ日本といえども、匿名ネットなぞは憎悪で溢れ返り、表社会で
良識者を決め込む者までもが少数化を来たし、寡婚からの少子化にも歯止めがかからぬ。
特別な徳化を受けているわけでもないタダの人間にとって、
最も簡単な評価行為がクレームやヘイトで、次が上辺だけの巧言令色、
一番難しいのが他者への公正な評価なればこそ、安易なほう、安易な方へと
流れ落ちた結果、世の中が憎悪ばかりで溢れ返るようなことにもなりぬる。
「せめてでも巧言令色に勤めてくれないか」というのが、
自分たちもまたそれに執心している乱世の権力者たちがよく抱く願いではあるが、
「肩をそびやかし諂い笑うのは、真夏の炎天下での農作業よりもつらい(孟子)」という、
人間の本性の所の善性からの心理法則もまたあるために、そこに没頭できる者もやはり限られる。
人がいがみ合いに陥りやすい生き物であること自体は、仏法における修羅道の提示などからも
それなりに了承したうえで、その着実な抑制にも勤めていた古来の東洋的価値観のほうが、
民主主義などよりもよほど着実な情操性を帯びていたともいえるのだけれども。
故にこそ現代の日本などではお蔵入りにするしかないあっちを立てる以上はこっちが立たぬ状態なわけである。
それが民主主義の不可避なる末路なればこそ、徳治で昔取った杵柄で
世界一民度が高いここ日本といえども、匿名ネットなぞは憎悪で溢れ返り、表社会で
良識者を決め込む者までもが少数化を来たし、寡婚からの少子化にも歯止めがかからぬ。
特別な徳化を受けているわけでもないタダの人間にとって、
最も簡単な評価行為がクレームやヘイトで、次が上辺だけの巧言令色、
一番難しいのが他者への公正な評価なればこそ、安易なほう、安易な方へと
流れ落ちた結果、世の中が憎悪ばかりで溢れ返るようなことにもなりぬる。
「せめてでも巧言令色に勤めてくれないか」というのが、
自分たちもまたそれに執心している乱世の権力者たちがよく抱く願いではあるが、
「肩をそびやかし諂い笑うのは、真夏の炎天下での農作業よりもつらい(孟子)」という、
人間の本性の所の善性からの心理法則もまたあるために、そこに没頭できる者もやはり限られる。
人がいがみ合いに陥りやすい生き物であること自体は、仏法における修羅道の提示などからも
それなりに了承したうえで、その着実な抑制にも勤めていた古来の東洋的価値観のほうが、
民主主義などよりもよほど着実な情操性を帯びていたともいえるのだけれども。
故にこそ現代の日本などではお蔵入りにするしかないあっちを立てる以上はこっちが立たぬ状態なわけである。
古来の東洋、特にここ日本における、人の悪念の取り扱い方というのは、
悪念全般を七つの大罪として全否定して済ませたキリスト教などと比べれば、
「それもまた一つの人の業」という了承のもとに、巧みな制御を加えて行く
といった傾向を帯びていたところが特筆すべき点だと言える。
人が怒る生き物、憎む生き物であること自体は、必ずしも避けられることではないが、
そこに親殺し級の罪過が絡んでいようものなら仕方なく、道端で肩が当たった程度の
因縁でしかないのならただのヒスだろう、というような分別もまた入念に利かせて行き、
それなりに出所の確かな悪念にかけては、同情を誘うような劇作描写なども厭わないで来た。
日本もまた儒学を通じて、孟子の性善説や朱子の性即理説を深く重んじて来た国では
あるけれども、だからといって表面オモテヅラの人の善良さなどを盲目に期待して来た
なんてことは全くなく、その善性こそが親殺し級の大過などに対して大いなる怒りを
抱いたりすることもある実情をよく汲み取った上での、キリスト教圏などよりも
はるかに、人の悪念と深く向き合った文化構築に取り組んできたのである。
般若面が女子供に怖がられたりと、そこが日本文化の暗い側面として、
西洋文化に浸りきった現代人から敬遠される原因になったりもしているのだけれども、
そちらのほうが人間心理の実相により深く根差した文化性であるというのもまた、
西洋化によって収束するどころか、かえって増大している人々の悪念を見ても知れるのである。
悪念全般を七つの大罪として全否定して済ませたキリスト教などと比べれば、
「それもまた一つの人の業」という了承のもとに、巧みな制御を加えて行く
といった傾向を帯びていたところが特筆すべき点だと言える。
人が怒る生き物、憎む生き物であること自体は、必ずしも避けられることではないが、
そこに親殺し級の罪過が絡んでいようものなら仕方なく、道端で肩が当たった程度の
因縁でしかないのならただのヒスだろう、というような分別もまた入念に利かせて行き、
それなりに出所の確かな悪念にかけては、同情を誘うような劇作描写なども厭わないで来た。
日本もまた儒学を通じて、孟子の性善説や朱子の性即理説を深く重んじて来た国では
あるけれども、だからといって表面オモテヅラの人の善良さなどを盲目に期待して来た
なんてことは全くなく、その善性こそが親殺し級の大過などに対して大いなる怒りを
抱いたりすることもある実情をよく汲み取った上での、キリスト教圏などよりも
はるかに、人の悪念と深く向き合った文化構築に取り組んできたのである。
般若面が女子供に怖がられたりと、そこが日本文化の暗い側面として、
西洋文化に浸りきった現代人から敬遠される原因になったりもしているのだけれども、
そちらのほうが人間心理の実相により深く根差した文化性であるというのもまた、
西洋化によって収束するどころか、かえって増大している人々の悪念を見ても知れるのである。
親殺しへの怒り、道でぶつかった程度で怒るチンピラへの成敗、
どちらもこの作品にも収録されてて、コロナ禍の抑圧に苦しめられていた
時期の日本人にとってのストレス解消にもなっていたものだが。
嫁を侮辱されたことに腹を立てて相手を平手打ちしたウィルスミスの
心情一つも汲み取れないほどに、怒り=悪と決め込んでいる欧米人などからすれば、
それも十分に理解できないか、そこから子供向けの幼稚な話だと決めつける外ない。
それでいて、市中に溢れ返っているヘイトクライムの分量はといえば欧米>>日本。
事実として存在する怒りや憎しみへの着実な制御を怠り、臭いものに蓋の上で、
かえって悪念の総量は増加させるに任せて来たのが、キリスト教圏の常なる姿。
民主主義もまたその一環でしかなく、為政者が民衆への怒りを
隠さないこともあった武家時代と比べれば、公権力がほぼ巧言令色だけで
表面オモテヅラを塗り固めていたりする点などが、悪念の横行が多少控えられた時代のように
思われようとて、代わりに年寄りの情動失禁による怒り散らしなどが昔以上に平気で
横行しているのが実情なれば、やはり悪念の総量が減ったなんてことも決して言えない。
人の世に頑として存在している悪念への、無理な殲滅を試みるあまりに、
こっちを懲らしめてはあっちが膨れ上がるモグラ叩きの様相を呈し、
さような乱暴への不平が加味されることで悪念の総量もかえって増大して行く。
それが宗教的か否かに関わらず、西洋文化が世に招いて来た全様相なのである。
どちらもこの作品にも収録されてて、コロナ禍の抑圧に苦しめられていた
時期の日本人にとってのストレス解消にもなっていたものだが。
嫁を侮辱されたことに腹を立てて相手を平手打ちしたウィルスミスの
心情一つも汲み取れないほどに、怒り=悪と決め込んでいる欧米人などからすれば、
それも十分に理解できないか、そこから子供向けの幼稚な話だと決めつける外ない。
それでいて、市中に溢れ返っているヘイトクライムの分量はといえば欧米>>日本。
事実として存在する怒りや憎しみへの着実な制御を怠り、臭いものに蓋の上で、
かえって悪念の総量は増加させるに任せて来たのが、キリスト教圏の常なる姿。
民主主義もまたその一環でしかなく、為政者が民衆への怒りを
隠さないこともあった武家時代と比べれば、公権力がほぼ巧言令色だけで
表面オモテヅラを塗り固めていたりする点などが、悪念の横行が多少控えられた時代のように
思われようとて、代わりに年寄りの情動失禁による怒り散らしなどが昔以上に平気で
横行しているのが実情なれば、やはり悪念の総量が減ったなんてことも決して言えない。
人の世に頑として存在している悪念への、無理な殲滅を試みるあまりに、
こっちを懲らしめてはあっちが膨れ上がるモグラ叩きの様相を呈し、
さような乱暴への不平が加味されることで悪念の総量もかえって増大して行く。
それが宗教的か否かに関わらず、西洋文化が世に招いて来た全様相なのである。
何を不正に勝ち誇っているのか知らんが。
勝ち負けでいえば、
何を言おうが、最後までスレに居残ろうが、先に黙ろうが、
現実がうまく行ってる方が勝ち、
奈落の底へと真っ逆さまに転げ落ちている方が負けだ。
脳内勝利のほうがお好みなら、それはもう勝手にすればいいが、
これまた同好の士からはあまりにもかけ離れ過ぎているが故に、
これ以上のお近づきなどは心の底から辞退する所存だな。
勝ち負けでいえば、
何を言おうが、最後までスレに居残ろうが、先に黙ろうが、
現実がうまく行ってる方が勝ち、
奈落の底へと真っ逆さまに転げ落ちている方が負けだ。
脳内勝利のほうがお好みなら、それはもう勝手にすればいいが、
これまた同好の士からはあまりにもかけ離れ過ぎているが故に、
これ以上のお近づきなどは心の底から辞退する所存だな。
「詭弁を弄してでも論争に勝つ」という行為もまた、
時と場合によっては功利の手段たるものだけれども。
自分がそういう論争に陥ってしまいがちな悪癖の持ち主なものだから、
無軌道に詭弁を弄してしまい、かえって自分自身を不幸に陥れる、
とかいう段になると、完全にただの愚か者の狂態でしかない。
それが結局、詭弁という自己欺瞞に淫する全ての者たちにとっての
末路ともなるのだろうかな。誰と話さずとも、自分の脳内ですら
そんな真似を繰り返しての、心中からの地獄に苛まれるのである。
時と場合によっては功利の手段たるものだけれども。
自分がそういう論争に陥ってしまいがちな悪癖の持ち主なものだから、
無軌道に詭弁を弄してしまい、かえって自分自身を不幸に陥れる、
とかいう段になると、完全にただの愚か者の狂態でしかない。
それが結局、詭弁という自己欺瞞に淫する全ての者たちにとっての
末路ともなるのだろうかな。誰と話さずとも、自分の脳内ですら
そんな真似を繰り返しての、心中からの地獄に苛まれるのである。
それぞれに勝ちを勝ち、負けを負けとする基準があって、
しかも一方にとっての勝ちがもう一方にとっての負け、
逆もまたしかりという、互い違いの共生関係。
それがここでの、俺とおまえらの殺伐とした蜜月の秘訣かな?
現実ではこちらが一方的に養分を頂き続けてるとはいえ。☺
しかも一方にとっての勝ちがもう一方にとっての負け、
逆もまたしかりという、互い違いの共生関係。
それがここでの、俺とおまえらの殺伐とした蜜月の秘訣かな?
現実ではこちらが一方的に養分を頂き続けてるとはいえ。☺
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1723808415...
でも、どちらかといえばより相手を必要不可欠としているのはどっちか?という話だ。
最悪江戸時代戻りでもいい側と、フランス革命以前なんか死んでも嫌だという側と。
でも、どちらかといえばより相手を必要不可欠としているのはどっちか?という話だ。
最悪江戸時代戻りでもいい側と、フランス革命以前なんか死んでも嫌だという側と。
いうほど俺も古文に造詣が深いわけでもないし、
中央権力の及ばない無法地帯もまだ多かったようだし、
何百年も死刑皆無だった時代だからといって、
ユートピア幻想までは抱くべくもないわな。
江戸時代だって、冷害続きで作物もろくに育たない、
し尿を肥料として再利用するインフラが整っていた代わりに、
そのせいでの寄生虫被害も甚大だったとかの逸話もあるし、
これまたユートピアからは程遠い現実だったのに違いない。
さりとて、米中韓や高齢者に富や技術を奪われぬいて、
江戸時代を大きく下回る貧窮に追い込まれている、西洋化被害下
の次世代にとっては、「まだマシ」な世情であるのにも違いない。
「片方だけでは成り立たない」なんてことは、
少なくともこっちにはなくて、むしろ片方だけのほうがマシなぐらい。
そっちのほうは成り立たないというのなら、
御願いしなければならないのはどちらなのかをわきまえねばならない。
中央権力の及ばない無法地帯もまだ多かったようだし、
何百年も死刑皆無だった時代だからといって、
ユートピア幻想までは抱くべくもないわな。
江戸時代だって、冷害続きで作物もろくに育たない、
し尿を肥料として再利用するインフラが整っていた代わりに、
そのせいでの寄生虫被害も甚大だったとかの逸話もあるし、
これまたユートピアからは程遠い現実だったのに違いない。
さりとて、米中韓や高齢者に富や技術を奪われぬいて、
江戸時代を大きく下回る貧窮に追い込まれている、西洋化被害下
の次世代にとっては、「まだマシ」な世情であるのにも違いない。
「片方だけでは成り立たない」なんてことは、
少なくともこっちにはなくて、むしろ片方だけのほうがマシなぐらい。
そっちのほうは成り立たないというのなら、
御願いしなければならないのはどちらなのかをわきまえねばならない。
「氷河期世代以降の日本の出生率は、江戸時代の半分程度にまで落ち込んだ」
という以上の証拠など他にない。
別に好き好んで独身子無しばかりを好き好んできたわけでもなく、
就職難や低賃金や子供の養育費の高騰などの現実的な要因が重なった結果、
共働きでいながら、嫁は主婦業な旧世代の家庭の半分程度の所得で、一人か二人の
子供をどうにか産み育てるような家庭が、旧世代の半数ぐらい生じるのみとなった。
泣き叫ぼうがわめこうが、その結果が全てであって、
それが嫌だというのなら次世代にも今の倍程度、
江戸時代平均程度の実質所得は最低でも保障するぐらいでなければ済まない。
嫌なら嫌で、こちとら独身貴族を謳歌するばかり。次世代があまりにも使い物に
ならなくて困ってるほうが、自分たちでどうにかしなければならない問題でしかない。
という以上の証拠など他にない。
別に好き好んで独身子無しばかりを好き好んできたわけでもなく、
就職難や低賃金や子供の養育費の高騰などの現実的な要因が重なった結果、
共働きでいながら、嫁は主婦業な旧世代の家庭の半分程度の所得で、一人か二人の
子供をどうにか産み育てるような家庭が、旧世代の半数ぐらい生じるのみとなった。
泣き叫ぼうがわめこうが、その結果が全てであって、
それが嫌だというのなら次世代にも今の倍程度、
江戸時代平均程度の実質所得は最低でも保障するぐらいでなければ済まない。
嫌なら嫌で、こちとら独身貴族を謳歌するばかり。次世代があまりにも使い物に
ならなくて困ってるほうが、自分たちでどうにかしなければならない問題でしかない。
今の日本の一人当たりGDPは江戸時代の約2倍程度だが、
旧世代に限れば3~4倍、次世代は0.5倍前後、
その結果としての、常軌を逸した世代間格差の到来でもある。
この図は15年以上前の統計なので、30代より少し上までが次世代である。
その後15年以上の間、旧世代と次世代の格差が縮まったような試しもなかったし、
だからこそ30代や40代の中年が、いい年して子供もいないままに、漫画アニメゲーム
みたいな安上がりな趣味でしのいだりするのが当たり前の事態ともなっている。
「いい年してガキみたいな遊びばかりに耽ってないで、自分が子供を作れ!」
そう言い張れるほど次世代に稼ぎをやった覚えもないものだから、
なし崩し的に総員での黙認状態となり、出生率も落ち込むに任せるままで来た。
そこにもう安住してしまっているような次世代もまた多いとはいえ、
人間並みにも満たない、極めて低い所での落ち着きであるのにも違いなく、
そんな所に中年以下の大多数の日本人を追い込んでいるような罪過の苦果が、
加害者側であるような連中にこそ、怒涛の如く襲いかかっているのが昨今である。
旧世代に限れば3~4倍、次世代は0.5倍前後、
その結果としての、常軌を逸した世代間格差の到来でもある。
この図は15年以上前の統計なので、30代より少し上までが次世代である。
その後15年以上の間、旧世代と次世代の格差が縮まったような試しもなかったし、
だからこそ30代や40代の中年が、いい年して子供もいないままに、漫画アニメゲーム
みたいな安上がりな趣味でしのいだりするのが当たり前の事態ともなっている。
「いい年してガキみたいな遊びばかりに耽ってないで、自分が子供を作れ!」
そう言い張れるほど次世代に稼ぎをやった覚えもないものだから、
なし崩し的に総員での黙認状態となり、出生率も落ち込むに任せるままで来た。
そこにもう安住してしまっているような次世代もまた多いとはいえ、
人間並みにも満たない、極めて低い所での落ち着きであるのにも違いなく、
そんな所に中年以下の大多数の日本人を追い込んでいるような罪過の苦果が、
加害者側であるような連中にこそ、怒涛の如く襲いかかっているのが昨今である。
直す気もなければ、嫌われまいとする気もないからな。
性根叩き直すべきなのも、別にこちらではないのだから。
次世代の日本人たちが、無能さによる自業自得で勝手に低迷しているのではなく、
江戸時代を大きく下回るような貧窮状態にまで、外的な迫害によって追い込まれている
だけだからこそ、それでも生き抜いて来た持前によって持ち直して行くこともまた、いくらでも可能である。
そんな抑圧状態がずっと続くのだろうとも、自分たちだけが生き抜く程度はできる。
本来ならその有能さのフル発揮による恩恵によって、自分たちもまたそれなりの福徳に
与れていた側のほうが、自業自得でその選択肢を損ねたせいでの苦死みに見舞われるのみ。
なぜ、福徳の生産者側が、消費者や害悪の生産者側に媚びねばならないようなことがあろうか?
それぞれが相応に身の程をわきまえぬことには、功徳の回向までもがままならないというのに。
性根叩き直すべきなのも、別にこちらではないのだから。
次世代の日本人たちが、無能さによる自業自得で勝手に低迷しているのではなく、
江戸時代を大きく下回るような貧窮状態にまで、外的な迫害によって追い込まれている
だけだからこそ、それでも生き抜いて来た持前によって持ち直して行くこともまた、いくらでも可能である。
そんな抑圧状態がずっと続くのだろうとも、自分たちだけが生き抜く程度はできる。
本来ならその有能さのフル発揮による恩恵によって、自分たちもまたそれなりの福徳に
与れていた側のほうが、自業自得でその選択肢を損ねたせいでの苦死みに見舞われるのみ。
なぜ、福徳の生産者側が、消費者や害悪の生産者側に媚びねばならないようなことがあろうか?
それぞれが相応に身の程をわきまえぬことには、功徳の回向までもがままならないというのに。
(>>42の続き)
ここで俺にアンチとして絡んで来ているような連中も、
俺が物事への公正な評価の中で批判的な物言いに及んだりするのを見ては、
事実関係からすらかけ離れるような罵詈雑言を大量投稿し、
「おまえがそんな嫌口を吐く以上は、俺らもこうしてやる!」
とでもいったような態度姿勢を示してくるのに余念がない。
そういう連中もまた、ヘイトやクレームが完全に絶やされた世界こそが天国
というような、キリスト教徒的夢想に駆られているのには違いなく、そういう領域でしか
心を落ち着かせられない脆弱さを帯びてしまっている点でも共通しているのである。
「火事と喧嘩は江戸の華」なんていう、冗談かと思われるような文句が本当に
通用していた昔の日本などでは、嫌口自体は別に根絶されるべきものとまではいかず、
なんなら禅門などでも手厳しい辛口の応酬が日常茶飯事であったわけだけれども。
そこには本当に怒るべきことに怒り、そうでもなく怒るような連中は匹夫小人として
卑しまれるような分別もまたあったために、殊更に怒りや憎しみを徹底廃絶もしくは
完全放置してかかる一つ覚えが通用してしまっている今みたいな時代と比べれば、
むしろ人々の情操がより十分に行き届いた時代だったのでもある。
ここで俺にアンチとして絡んで来ているような連中も、
俺が物事への公正な評価の中で批判的な物言いに及んだりするのを見ては、
事実関係からすらかけ離れるような罵詈雑言を大量投稿し、
「おまえがそんな嫌口を吐く以上は、俺らもこうしてやる!」
とでもいったような態度姿勢を示してくるのに余念がない。
そういう連中もまた、ヘイトやクレームが完全に絶やされた世界こそが天国
というような、キリスト教徒的夢想に駆られているのには違いなく、そういう領域でしか
心を落ち着かせられない脆弱さを帯びてしまっている点でも共通しているのである。
「火事と喧嘩は江戸の華」なんていう、冗談かと思われるような文句が本当に
通用していた昔の日本などでは、嫌口自体は別に根絶されるべきものとまではいかず、
なんなら禅門などでも手厳しい辛口の応酬が日常茶飯事であったわけだけれども。
そこには本当に怒るべきことに怒り、そうでもなく怒るような連中は匹夫小人として
卑しまれるような分別もまたあったために、殊更に怒りや憎しみを徹底廃絶もしくは
完全放置してかかる一つ覚えが通用してしまっている今みたいな時代と比べれば、
むしろ人々の情操がより十分に行き届いた時代だったのでもある。
偏りきって歪みぬいた人間性も劣悪な阿呆が自分の言い分を「公正な」と詐称したからって、それが無条件に世間で通用してしまったら世の中終わりだよ…
中には、人や物事への公正な評価の過程で、
辛口もまた辞さないことが多くあって来た俺などを、
病人や気狂い呼ばわりしてかかるような輩までもがいるものだけれども。
昨日NHKでやってた特攻関係の特集番組によれば、
当時ですら心中ではその理不尽さに不平を抱くような者が多くいた特攻の敢行を、
「国民が総出で気狂い(キチガイ、原文ママ)になって後押ししていかなければ」
と明言しているような著名人までもがいたというのである。
どんなに理不尽で不条理な事柄だろうとも、肯定するとなれば肯定する、
そこにこそ人間にとっての最大級の狂気がある。
それと比べれば、是とすべきことを是、非とすべきことを非と断じている、
俺のようなあり方のほうがむしろ健全で正気に即した精神状態たる。
なればこそ、船頭多くして船山に上るような馴れ合いなども必要とせず、
「おまえら」がイワシ玉のように固まって襲い掛かってくるのだろうとも
心微動だにせず、心中にくすぶる悪念などもより最小限たり得ているのである。
辛口もまた辞さないことが多くあって来た俺などを、
病人や気狂い呼ばわりしてかかるような輩までもがいるものだけれども。
昨日NHKでやってた特攻関係の特集番組によれば、
当時ですら心中ではその理不尽さに不平を抱くような者が多くいた特攻の敢行を、
「国民が総出で気狂い(キチガイ、原文ママ)になって後押ししていかなければ」
と明言しているような著名人までもがいたというのである。
どんなに理不尽で不条理な事柄だろうとも、肯定するとなれば肯定する、
そこにこそ人間にとっての最大級の狂気がある。
それと比べれば、是とすべきことを是、非とすべきことを非と断じている、
俺のようなあり方のほうがむしろ健全で正気に即した精神状態たる。
なればこそ、船頭多くして船山に上るような馴れ合いなども必要とせず、
「おまえら」がイワシ玉のように固まって襲い掛かってくるのだろうとも
心微動だにせず、心中にくすぶる悪念などもより最小限たり得ているのである。
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(>>69の続き)
戦後の日本人はというと、非も是とするような人間のあり様こそは
狂気であることを、よくわきまえた上での確信犯たることすら反故にしての、
自覚もないままでの狂気に没頭して来たというのが実情である。
なればこそ、戦前は著名人などが公の場での使用を憚ることもなかった
「キチ/ガイ」という言葉が、放送出版その他での使用禁止用語となり、
(ここでもカタカナやひらがなでの表記はNGワードに入れられている)
狂気が狂気たること、人が気違いじみていることについて深く考えること自体が、
純然たる精神医療の場でもない限りは許されないタブー扱いとなったのである。
特攻玉砕はまだ名誉の死だったが、ブラック労働からの過労死なんかはもはや
そこに名誉すらないただの犬死にであるわけだけれども、そんな事態までもが
頻発するようになったのも、そこに狂気があることまでもが無視されているから。
もはや狂気を狂気とも思わない顛倒に多くの人間ーー特に企業経営者たちが
溺れ去っているために、人をボロ衣のように使い捨てることに、戦前の特攻への
敬意程度の見返りすら抱かないようなザマでいる。それこそまさに戦前以上の
狂気でもあり、そこへの直視を怠ることでかえって増幅して来たのが実情である。
(>>69の続き)
戦後の日本人はというと、非も是とするような人間のあり様こそは
狂気であることを、よくわきまえた上での確信犯たることすら反故にしての、
自覚もないままでの狂気に没頭して来たというのが実情である。
なればこそ、戦前は著名人などが公の場での使用を憚ることもなかった
「キチ/ガイ」という言葉が、放送出版その他での使用禁止用語となり、
(ここでもカタカナやひらがなでの表記はNGワードに入れられている)
狂気が狂気たること、人が気違いじみていることについて深く考えること自体が、
純然たる精神医療の場でもない限りは許されないタブー扱いとなったのである。
特攻玉砕はまだ名誉の死だったが、ブラック労働からの過労死なんかはもはや
そこに名誉すらないただの犬死にであるわけだけれども、そんな事態までもが
頻発するようになったのも、そこに狂気があることまでもが無視されているから。
もはや狂気を狂気とも思わない顛倒に多くの人間ーー特に企業経営者たちが
溺れ去っているために、人をボロ衣のように使い捨てることに、戦前の特攻への
敬意程度の見返りすら抱かないようなザマでいる。それこそまさに戦前以上の
狂気でもあり、そこへの直視を怠ることでかえって増幅して来たのが実情である。
特攻玉砕はまだ名誉とされていたから、本人の親族が遺族年金などで
手厚い庇護を受けて栄達できる余地などがあったわけだが、
ブラック労働での死などにはそれもない。だからこそ、
名誉がないぶんだけ、国ごと人口減で破綻に見舞わせる犬死にともなれり。
同じように決死で事に臨まされる非業といえども、
さらにひどいものと、比較的マシだったものとがあり、
今やその中でも最低最悪級のものばかりが戦前以上に溢れ返っている時代。
然れども、そこに気づいている人間まではなかなかおらず、
いくらひどい目に遭っているのだろうとも、戦前よりはマシ、
特攻玉砕よりはまだマシと思い込まされている人間が大多数にも上る。
それもまた、何事も是となれば是とせねばならぬなんていう気狂いが
横行しているが故の、是非をわきまえた場合以上の災禍に他ならぬのである。
手厚い庇護を受けて栄達できる余地などがあったわけだが、
ブラック労働での死などにはそれもない。だからこそ、
名誉がないぶんだけ、国ごと人口減で破綻に見舞わせる犬死にともなれり。
同じように決死で事に臨まされる非業といえども、
さらにひどいものと、比較的マシだったものとがあり、
今やその中でも最低最悪級のものばかりが戦前以上に溢れ返っている時代。
然れども、そこに気づいている人間まではなかなかおらず、
いくらひどい目に遭っているのだろうとも、戦前よりはマシ、
特攻玉砕よりはまだマシと思い込まされている人間が大多数にも上る。
それもまた、何事も是となれば是とせねばならぬなんていう気狂いが
横行しているが故の、是非をわきまえた場合以上の災禍に他ならぬのである。
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