親鸞聖人もまた夢に出るほど敬い尊んでいた、聖徳太子の十七条憲法にも
「和を以て貴しと為す」とある通り、これが大陸と絶海で隔てられた
日本という閉鎖的国家を保たせる一番の基礎となって来た理念であり、
念仏などもまた、その助成に与するものとして広く振興されて来たものである。
残念ながらその伝統は近代以降に大きく損なわれ、宗教信仰といえばむしろ、
社会全体の人間不信を助長した上で、信者衛門同士が結束で火事場泥棒を目論むのが
その正体だなどという、カルトに乗っ取られた常識までもが通用するようになった。
それでもまだ軍事的、経済的な覇道を国ぐるみで突き進めていたうちは
どうにかなるところがあったが、今やその道は断たれ、にもかかわらず他者を
侵害することで権益を貪るような連中が、国内の弱者相手に暴れ回った挙句に、
国力をより損なってかかるような自殺行為までもが横行する始末ともなっている。
今一度、他国へと覇権を拡大するような野望を抱くべきなのかといえば、決して
そんなことはなく、日本人はそんな真似が得意ではないからこそ先の大戦で敗亡したのだ
という事実をも省みて、他者への侵害ありきな国体運営のほうを見直して行くべきなのである。
そしてそこで今一度見直されるべきなのが、国のあり方としての「以和為貴」なのであり、
その保守のために万民の信頼関係を修復、増進させて行くことにこそ本格たらねばならないのである。
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