やなせたかしや牧野富太郎が、嫁からの支えがあって活躍できてたのには
違いないだろうし、その他の歴史的著名人の男たちだって、大多数がそうである。
聖道門の名僧とか、宮本武蔵や柳生厳包みたいに、それすら絶っての大功業に
及んだ場合もあれど、大多数の男たちは妻帯の上で世に訴え出て、それにより
世の中自体の運営維持に協力して行くことを兼ねつつ、個人的にも活躍した。
フェミはそのような、大前提として遍在して来た男女の支え合いを否定した上で、
女たちの個人的な栄華ばかりを追い求めているのが、あまりにも非道にすぎる。
女もまた男並みになるんじゃなくて、未だかつて男といえどもそんなである
ことが許されなかったような、一種異様な化け物となることこそを欲している。
そしてそれは、昔通用していた男尊女卑の観点に即すれば、女たちをより卑しい
人間未満の禽獣ならしめる試みともなっているし、なればこそ男たちの活躍があって
初めて成り立って来た、文明的な人間社会を損なわしめる弊害をも帯びている。
そこにさらに、ダメ押しの開き直りをけしかけているのが、
女尊男卑こそは人間社会の昔からの正体だったとする、歴史修正主義の試み。
それにより、女が男に支えられたことなど未だかつてないと思い込み、
もういい加減、男どもも女から自立しろとかまで脳内妄想を発展させて行く。
現実は、男からの支えがない余りの苦痛でヒステリーの塊と化しながら。
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