WW2における西方最大級の激戦となったノルマンディー上陸作戦に、
米兵として従軍したサリンジャーこそが、戦後にアメリカンな軽薄さを謳う
代表的な文学者となったのを見ても分かるように、連中のオナメンこそを
自由の象徴として尊びたがる思いもまた、命がけの筋金入りなものであり、
国内情勢や精神疾患の悪化のあまりに、自分たちから音を上げて改悛に
取り組もうとするのでもない限りは、連中にまで破棄を望むべくもあるまいが。
少なくとも日本人に対しては、百害あって一利もない域の精神的影響しかなく、
国を破綻させるほどの低能化の上に、自分たちでも発達傾向や醜悪な容貌化による
自己嫌悪に苦しめられるという、人材の荒廃を極めるばかりの所業となったことを
踏まえた上での、これ以上の享受の丁重なお断りに臨むしかないものである。
玉音放送の草案に携わるなど、戦前の敗戦工作の第一人者だった玄峰老師などは、
オナメンを徹底排除してかかる修道にかけては右に出る者がない、禅門の高僧でこそ
あったわけだが、にもかかわらずオナメン礼賛のアメリカナイズを大々的に引き入れる
無条件降伏などを率先したのも、決してその文化性を評価していたからではあるまい。
どうせそんなものと共に日本人が生きて行くことなど能わぬ。必ずや入念な座禅行をも
厭わぬほどの大真面目さへと立ち戻る日が来るのを見越してのことだったのに違いない。
その見込みの正しさもすでに、その直前の日本のどん詰まり具合が証しているのである。
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