武家時代に不行跡を犯した武家の切腹や改易の裁決を司っていた
御目付役の武士などもまた、自らの禄高をあえて引き下げながら
業務に取り組むことが多かったのが、わが先祖の事績などからも知れる。
家老級から上士級、上士級から下士級などに実質的な給料を下げながら、
身分はそのままや、さらには名目上だけより高い身分となっての、
同格級の武家への切腹言い渡しなどに従事していたものである。
幕末ごろには最低級の下士なみにまで生活水準を下げながら、
刀箪笥にだけは褒賞として下賜された贈刀が溢れ返っていたりもしたという。
そのような活動姿勢を引き継いで行ける職分が明治以降には絶滅したために、
その刀をすべて売った金カネと、幕藩からの退職金で金貸し屋を始めたものの、
自らの利益などをまともに考えないあまりにあっという間に元手を失って廃業。
今でも誰でも知ってるような某政治家に、横浜での海軍兵学校の教師への
就任を斡旋され、請けていれば海軍大将か元帥あたりにでもなれていたかも
知れないところが、もはや浮世との付合いに嫌気がさしての山籠もりに至った。
それほどにも、武家時代に厳格な引責処分を司っていた者の価値観と、
大誤謬を抱えたボンクラが支配している世の中の価値観というものは相容れる
ものではないために、中村天風師などが似たような処断を示して見せた所で、
曲解されて悪用材料にされるしかなかった。まさにそれは「猫に小判」だったのである。
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