仏教というは不立文字、開祖のお釈迦様ですら十分な言葉での
説明は尽くせなかったと認めている部類の教えでもあることから、
古来より解釈の不一致による対立が繰り返されて来たものではあるが。
ちゃんとその中にも治世を司って来たものと、乱世を招いたり援助したり
して来たものとの違いがあるわけで、論説の内容自体の正しさ如何以前に、
有益や無害なものを取り入れ、有害や無益なものを排して行くべきものだ。
さすれば、俺の言ってるようなことは、すでに平安期や江戸期などに大いなる
平和や繁栄を実現して来た部類の仏門への協賛止まりに特化しているからこそ、
有益無害な仏道への支持であることもまた確かな一方、
>>10の物言いを実践してる
ような仏門となれば、創価とかオウムぐらいしか挙げられないが故に逆と分かる。
いくら俺をオウムの同類などと決めつけようとも、まさにオウム並みかそれ以上に、
仏教の看板を掲げながら世の中をダメにして来た連中の考えのほうがむしろ
>>10寄りであって、世の中から排されて然るべきという点でも全く共通する。
何が正しい、何が間違っているなどをひとまず措くとしても、
ただ世の中にとって有益だから興し、有害だから廃すべしという、
極限まで実利だけに即した判断に即しても、如是く雌雄が決するもの。
それが結局は、普遍的な是非善悪にも帰結するのだともいえようが。
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