誰しもの精神レベルがカルトレベルの劣悪さ=異生羝羊心に貶められているために、
その上位互換たる愚童持斎心以上の精神性の持ち主を相手取ると、ことごとく負け尽くす外ない。
愚童持斎心や嬰童無畏心には、儒学や玄学のような無宗教的な学問も含まれるから、
今の俺などのように、極限まで宗教性を排しながらそこに至ることもまた不可能ではないのだが、
現代社会では洋学しか正規の学問として認められず、儒学も儒教という信教の範囲だけに押し込め
られて考えられることが常であるため(道家の学たる玄学に至っては知らない人間の方が多い)、
自分たちより少しでも精神レベルが高いもの、愚童持斎心以上の精神性なんてものは始めから
存在しないか、さもなくばすでに絶滅したような古文化の領分だとしか捉えられることがない。
そんなものを、今の世の中の社会人を賛美するような人種が尊重して進取できたりするわけもなく、
なんなら、いまみたいな濁世には金儲けや洗脳支配の手段などとして有用たることが多いカルト
信仰あたりのほうがまだ、気持ち悪いにしてもそれなりの存在意義があるもののようにも思われる。
ゆえに、ただ無職童貞への尊重意識を持ち合わせているだけ程度の人間にすら、
精神レベルや思考回路の品質でどうあっても敵わないような連中ばかりと成り果ててもいる。
嘆かわしいことではあるけれども、今みたいな時勢ともなれば、極めて自然な現象なわけである。
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