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「求道か、さもなくば頽廃か」という時代2 偉大なる生存の報告 Part328


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238 2025/05/06(火) 13:16:24 ID:p1gm5s5fSc
「往生要集」などにある六道十界論でも、
地獄餓鬼畜生の三悪道に堕する者には仏の声も聞こえないとされ、
言葉だけで亡者を救ったりすることの不能性が定立されている。

性善論の提唱者である孟子だって、人間の本性が善であるというだけで、
まるで月が雲に覆い隠されるが如く、その本性が情念の濁悪に覆い隠されることで、
人が暫定的な悪人と化してしまうようなことがあるのは元から認めている。

人が話し合うことに価値が生じるとすれば、自らは人天仏の域にあるような善人同士が、
(十分にその降伏下におかれた修羅道の徒などもまた、一応はその内に含まれ得る)
悪道の亡者をどうやって救っていくかを論じ合ったりする所にこそあるといえる。

亡者への済度自体は言葉ではなく、より直接的な何らかの行いによるべきである。
言葉だけでは渇きを癒すことも、腹を満たしてやれることもないのだから、当然のこと。

ゆえに、人が机上の空論なんかに終始していていい正当性なんてのもありはしない。
行いで亡者を救っていけるだけの、自己向上の求道の必要性もまたいくらでもあるのだと、
いまだ言語道断の域にあるような亡者の健在こそが、証してくれているのである。

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スレッドタイトル:「求道か、さもなくば頽廃か」という時代2

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