宗教は人間を幸せに不幸にどっちだ


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001 2025/05/04(日) 13:00:10 ID:N98OM2NLxo
わたくしは不幸の場合が多いんと思う

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005 2025/05/04(日) 15:48:39 ID:gXEDvCt4og
俺は本来無宗教だが老後の末期にだけ御仏に縋ろうかなと思っている、死の恐怖から逃れるのは やはり宗教なのかと、

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006 2025/05/04(日) 17:00:10 ID:Sw1mm.QxZ.
>>5
その感情に「悪徳宗教」はつけ込んでくる。
死は普通の日常の事。
死に対する恐怖心をネタに宗教は金をむさぼる。

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007 2025/05/04(日) 17:07:22 ID:CUuadVMb/U
俺の母は神道だが幸せな信仰生活だったと思う
自分は教祖の教えに従い真っ直ぐ生きて来た
知り合い等を本部に誘うが入信を強制しない
俺もガキの頃は教会とか連れて行かれたけど
中卒から押し付けがましい事はされなくなった
最後まで人に頼られ人の役に立った人生だった

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008 2025/05/04(日) 18:20:47 ID:fQqdqBTM2I
「死」は、神秘的でスピリチュアルな現象などではなく、生物が進化の過程で
適応として二次的に獲得したものであり、多細胞生物が積極的に選び取った
「種の存続のための戦略」に過ぎません。

進化の歴史を遡ると、そもそも生命誕生から約20億年間は「無死」の世界でした。

むろん、事故や他の生物に捕食されて死ぬことは当然ありましたが、
「寿命で死ぬ」という現象はありませんでした。

いわゆる「一倍体」と呼ばれる大腸菌のような生物は、遺伝子のセットをひとつしか持たず、
その遺伝子を複製して二倍にした後に分裂を起こし、それぞれがまた“一倍体”になる…
という増殖の仕方をします。

個体の遺伝子をそのままコピーして、倍、倍、倍と増えてゆく ―― そこには親も子もなく、
死も存在しませんでした。

しかし、今から約15億年前に「二倍体細胞生物」(遺伝子の組み合わせを二つ有する生物)、
すなわち、父親と母親から受け継いだ遺伝子を両方持っている生物が出現し、
それに伴って初めて「寿命による死」という現象が生じました。

つまり、われわれ多細胞生物は、「有性生殖」とセットで、わざわざ「死」を“獲得した”のです。

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009 2025/05/04(日) 18:24:00 ID:fQqdqBTM2I
二倍体細胞生物が生きている間、その生命の元であるDNAは、
紫外線や活性酸素や食物の中の発がん性物質などのストレスによって傷付き、
この傷が時問とともに蓄積されて行きます。

生殖細胞が傷を負うと、それは子孫に引き継がれます。

また、傷付いた古い個体(親)と、傷を受け継いだ子孫が
再び合体する可能性もあります。

すると、集団の中に傷が蓄積される「遺伝的荷重」が起こり、
種が絶滅する可能性が非常に高くなります。

これを安全に回避するためには、長く生きてDNAが傷ついた個体は、
そのDNAを個体ごと抹消するシステムを作っておけば良いわけです。

つまり、再生系と非再生系の体細胞のどちらにも、
「一定の期間が経つと死ねるプログラム」を書き込んでおけば、
遣伝的荷重による種の絶滅を防げます。

こうして、様々な個体の遺伝子をシャッフルすることによる
「多様性(一斉絶滅回避策)」と「進化のスピード(ウイルスの変異への対抗策)」
を得た代わりに、“寿命”がプログラムされて、生殖を終えた個体はいずれ死ぬことが
運命づけられてしまったのです。

それが二倍体細胞生物にとっては種の存続のために不可欠なシステムであるとはいえ、
それぞれの個体にとっては死ぬことは本意ではなく、どこまで行っても悲劇でしかありません。

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010 2025/05/04(日) 18:28:51 ID:fQqdqBTM2I
誰もが「生まれついての死刑囚」であるという残酷な現実。

有性生殖においては、同じ遺伝子の組成をもった個体は二度と生まれてきません。
私たちひとりひとりが、唯一無二のかけがえのない存在なのです。

それなのに、期限が来たら否応なく消去されてしまうとは…。

殊に、生物の中でも ―― これも種の存続のための戦略として ――「爪」や「牙」ではなく
「知能」を発達させたヒトの場合、その代償として、やがて自分に訪れる死を認識して
苦悩したり虚無感を覚えたりするようになってしまいました。

そのため、人類の文化という文化は、「死と折り合いをつける」
という問題に膨大な量の知的努力をつぎ込んできました。

大半の宗教は、死についての手のこんだ嘘を築き上げ、
死を実際とは違うものに見せかけてきました。

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011 2025/05/04(日) 18:31:20 ID:fQqdqBTM2I
そして、哲学の中でもっとも宗教とは縁遠いものでさえ「死が最後には勝利する」
と主張せざるを得なかったので、歪んだものになってしまったのです。

どんな小さな子供にも、死は(個体にとっては)無意味で、不意に起こる、不当な、
言葉にできないほど嫌なものであることはわかります。
だとしたら、その逆を信じることが、高邁な思想の証明になると考えたのでしょう。

作家たちは何世紀もの間、不死人が死に憧れ、「殺してくれ」と懇願するという、
ひとりよがりで禁欲的な寓話を書いて、不死でない自分を慰めてきました。

しかし、死が人生に意味を与えることは決してありません。
つねにそれは正反対でした。
死の持つ厳粛さも、意味深さも、そのすべては、それが終わらせたものから
奪い取ったものです。

生の価値は、つねにすべてが生そのものの中にあるのです ―― それがやがて
失われるからでも、それが儚いからでもなく。

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012 2025/05/04(日) 18:35:19 ID:TOOnviA1y2
考え方の一つの基準ではある。
日本人にとってはカネが大事だからある意味、拝金教信者とも言える。

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013 2025/05/04(日) 20:00:17 ID:yFcIqwfzfs
信者を俗世間から遠ざけるカルトは人生を詰む

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014 2025/05/04(日) 20:23:27 ID:LTgFkHDB2.
組織、集金(カネ)
宗教に限らず、この二大力学が純粋な教えを歪めていく

世間や>>13で叩かれているエ⚫︎バの証人だが、集金に関しては見習うべき考えを持っている。キリスト教系としては珍しく、使徒たちの教え通り、献金ノルマを全く課していないからね

献金のノルマがなく(あっても微小)、ハラスメントやトラブルもなく、誰に対しても親切誠実な人間が集まる宗教こそが、最高の宗教なんよ(結果論であれ、そこへ導く教えこそが最上の教えということになる)

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015 2025/05/04(日) 20:28:12 ID:RvtG28NL6k
生臭坊主はにせもんちきのおおちんちこいよ
答えは思えらの頭の中にある
親鸞聖人とか自分が楽したいだけよ
宗教家はs善人はおらんでzettini
悟りを開いた入れ歯爺の俺ならわかるわ

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016 2025/05/04(日) 20:45:52 ID:PiOzZdTGUg
最高ですか〜?

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017 2025/05/04(日) 21:04:32 ID:zkHIQy68Aw
科学が発達してなかった時代には必要なものだったかもな。
だが、現代においては不要だと思う。
情弱な者をカモにする道具になってしまった。

雨が降らず農作物が枯れてしまうと神頼みしてる奴と同じ。

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018 2025/05/04(日) 21:34:05 ID:Gc9ME3WK2s
今では昔はシルクロード旅しないと手に入らなかったような経典がアマゾンでワンクリックで買えるものね
儒教だって2000年の間に論じ尽くされていてアマゾンでワンクリック

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019 2025/05/04(日) 22:42:13 ID:5YlnehmD/A
不幸な人ほど宗教を信仰するような気がする
宗教を必要としない人生がいちばん幸せなのかもね

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020 2025/05/04(日) 23:00:25 ID:gDvtcdxpzs
>>1 無宗教が一番気が楽だよ;

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021 2025/05/04(日) 23:52:24 ID:50ZLxy3sds
昔って今よりも格段に死のリスクが高かったからね。
天使のように愛らしい赤子も、皆から尊敬される長老も、誰にでも分け隔てなく親切にしてくれる良き隣人も、流行り病や自然災害であっけなく死んでしまうことはざらだった。

なんであんなに素晴らしい人が理由もなく死ななきゃいけないのか、なんてあんなクソ野郎がのうのうと生きながらえてるのか……

そんな理不尽な神との対話を求めて、原始宗教は生まれた。

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024 2025/05/05(月) 03:44:52 ID:mV/X8ElHCE
科学が導き出した答えは宗教的なものはことごとく、幸福や不安を和らげる事に寄与してるってことだ。

それは一般的なことでだけどね。
例えば、信じるものは救われる。

信じる事、信じるものがある人は精神が強くなる、不安に強くなる統計。

隣人や身近な人を大切に。幸福感とは、身近な人間関係の質に大きく依存する。

求めすぎるな、あるもので満足する。余りに再現なく幸福や、射幸を求めるとかえって不幸になる。これも科学的に統計でてるようなものばかり。

施しをする。他人を助けると心に余裕がでる。

瞑想、お祈りも科学的根拠あり。

つまり、変な大義で戦争とかしない限り、宗教に普遍的なこういう教えとか行いは、科学的に正しかった事が証明されてる。
一方科学がもたらしたのは、物質的豊かさだけで、心の豊かさはむしろ奪ってる可能性もありだよな。

現代になってようやく科学が宗教に追いついた。

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025 2025/05/05(月) 08:27:26 ID:AmQV.N7w4I
「自殺」については、「自分で自分を殺める行為」として
罪悪視する宗教が多いですよね。

しかし、ほとんどの宗教(※仏教を除く)で異口同音に自殺を禁じたり、
自殺者を「あの世で罰を受ける」「地獄に落ちる」などと断罪して
差別したりしているのは、別にそれが「普遍的な事実である」ことの
証左というわけではなく、宗教というものが、科学や医学が未発達だった
時代に生まれた、現代の目で見れば野蛮で未熟な思想であるために
過ぎないと思われます。

仮にそれが「信者の自殺を防ぐための方便」だったとしても、
それで自殺を止められなかった場合には、死者に鞭打ち、
自死遺族の苦しみにも追い打ちをかけて遺族への差別感情をも
生みかねない、両刃の剣的な非常に危険な思想だと言えます。

なお、現代の医学では、自殺未遂者および既遂者のほとんどが、
うつ病や躁うつ病という『脳の病気』に罹患しており、
それに伴う「希死念慮」+「自殺衝動」(非常に強力な衝動であり、
理性や精神力で抗うのはほぼ不可能)という「症状」によって
脳をコントロールされた結果、本人の真意に反して自殺行動を
取ってしまうことが明らかになっています。

たとえば、肺炎になると高熱が出るのも、意思の力では
コントロールできません。

そして、肺炎で死亡するケースもありますが、同じように、
うつ病になると脳がエラーを起こし、その結果、自殺という形で
死に至ることもあるというだけの話です。

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026 2025/05/05(月) 08:30:51 ID:AmQV.N7w4I
ですので、自殺というのは実質的には「病死」なのです。

うつ病さえ寛解すれば、「希死念慮」や「自殺衝動」は嘘のように消退し、
本人ですら「あの時、どうしてあんなに死にたかったのか自分でも理解できない」
「あの時、死ななくて本当に良かった」等と述懐します。

しかし、人々にそのような知識がなかった時代には、
自殺者は、「弱い人間」「落伍者」「苦しみから逃げた卑怯者」
「遺される人の悲しみを考えない、身勝手で無責任な者」などと
誤解されていたのでしょう(現代でもそのような偏見が少なからず
残っているくらいですから)。

そういう、昭和の「精神主義」や「根性論」を彷彿させるような
誤った認識のままでは、自殺を防ぐことも、自死遺族の悲痛を
和らげることもできません。

大昔に作られた宗教が説くお伽話を鵜呑みにせず、
知識をアップデートする必要があります。

現代においては、うつ病という「脳の病気」に関する正しい知識を
持つことによって、自身や周囲の人々の自殺を、もっと確実に
防ぐことが可能なのです。

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027 2025/05/05(月) 08:42:50 ID:AmQV.N7w4I
「生命の神聖さを根拠に自殺を戒める」というアプローチは、伝統的な宗教が
もっとも普遍的に行ってきたことです。

しかし現実には、このアプローチが自殺を真剣に考えている人々にとっての
救いになるケースはまれであり、ましてや、その後に残される家族にとっては
何の慰めにもなっていませんでした。

幸いにも今日では科学的なアプローチにより、どのように自殺を防げばよいのか、
という議論に役立つリソースがどんどん増えてきています。

それに伴い、世界の主要な宗教が、過去に比べると自殺を考える人々に対して
同情的になり、彼らの心を理解しようと努めるようになってきました。

ユダヤ教、カトリック、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教 ―― そのどれもが、
自殺を視野に入れて苦しむ人々に対する包括的できめ細やかな援助プログラムを
確立しつつあります。

科学的な知見が加わることにより、自殺はもはや「神罰を招く行為」ではなく、
「誰にでも降りかかる極めてありふれた脅威である」という認識が進んだことは、
各宗教の信者にとっても僥倖と言えるでしょう。

宗教もまた、現代科学の恩恵を受けているのです。

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028 2025/05/05(月) 19:16:22 ID:3Wgn3W3hww
>>「生命の神聖さを根拠に自殺を戒める」というアプローチは、伝統的な宗教が
>>もっとも普遍的に行ってきたことです。

自殺を考えるほど苦しんできた人を救えない。
さらには、犯罪者の様に扱う。
この時点で宗教は全くの無力なものだったのです。

救いがあると唱える宗教に対して、自殺行為はは宗教に救いがないと証明する行為のため
宗教側は、自殺を禁じるのです。

要するに、無い方が良いのが宗教です。
施しを与えず、お布施を集めるだけ、、、どの宗教も集金活動でしかないのです。

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030 2025/05/05(月) 21:15:23 ID:yGXSmZT3RU
>>29
マルウェア実装ゴミサイト注意

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032 2025/05/06(火) 08:14:00 ID:SEWI0fKAZ2
>>1
宗教は、それを取り扱う者の資質如何では世に福音を齎し平和と安寧、自由と尊重、利他性と奉仕の光明へと導くか、世に災いを齎し専制と隷従、圧迫と偏狭、ヘイトとレイシズム、略奪と搾取、そして破壊と殺戮の暗黒を齎す諸刃の剣です。

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033 2025/05/06(火) 08:32:29 ID:SEWI0fKAZ2
>>1
宗教は、それを信仰する前に宗教に関するリテラシーを高めるのが先決です、なんとなれば一切の宗教は人間が作り出した虚構(ウソとデタラメ)、都合のいい偶像に過ぎないからです。
こうしことを無批判・盲目的に信じ込むならば、その者は宗教組織の奴隷となり言葉巧みにカネを巻き上げられ、あるいは街頭で他者を引きずり込むべく折伏(オルグ)し続ける哀れな存在として堕落していきます。
それを回避するためにも宗教リテラシーを高めるべきです。
因みに、宗教リテラシーを高めると日本に正しい宗教は皆無であることが悟れます。特に日本の仏教、13宗56派とそこからスピンオフした新興宗派、これらは全て大乗仏教という非仏説の捏造経典をベースに成り立っていることが見えてきます。こうした実態を知ったうえで敢えて信仰するならそれは個人の自由ですが、こうしたことを何も知らずに信心すれば妄信と非論理性、非科学性の暗黒へと引きずり込まれ光明から遠ざかることになるだけでなく、他人をもこのような暗黒へと引きずりこむ手下となり下がります。

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034 2025/05/06(火) 08:36:21 ID:VyMdJ8v/O6
不幸か幸福かどうかは当事者が判断する 

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035 2025/05/06(火) 08:54:21 ID:SEWI0fKAZ2
>>1
一切の宗教は人間が作った虚構、偶像であり、それ故に以下に示す実態が見えてきます。

①自然界を解き明かし説明するのは自然科学であり宗教ではない
②社会を解き明かし説明するのは社会科学であり宗教ではない
③文化・歴史を解き明かし説明するのは人文科学であり宗教ではない
④生命を解き明かし説明するのは生命科学であり宗教ではない
⑤人体や疾病を解き明かし説明するのは医学であり宗教ではない
⑥人心を解き明かし説明するのは心理学あるいは精神医学であり宗教ではない
⑦霊的な事象・現象を解き明かし説明するのは心霊科学(スピリチュアリズム)であり宗教ではない

以上から、宗教は何一つ説明も解明もできない、ただの虚構(ウソとデタラメ)を提示し、それを偶像化しては人心を惑わし拝ませるものでしかありません。
いい加減に人類は宗教から卒業し解放されべきであり真の知識体系へと帰依したとき、人類の前史は終焉し本史が始まるのです。

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036 2025/05/06(火) 09:12:56 ID:VdKh/PEHXc
生活保護が必要かどうかは担当者が判断する 

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037 2025/05/06(火) 10:43:00 ID:K9MswzSekg
先細りが決定してる宗教業界は、
信者取り込み(集金)に必死になってるのが現在。

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