
人や国の上に立つ者が、あまりにも質素倹約ばかりに走り過ぎても
衰亡を招きかねないことを示唆する実例もまた、相応にあるものであり。
言わずと知れた、蜀漢の軍師、丞相の諸葛孔明などは、
死後にまったく遺産が見つからなかったというほどの倹約家であり、
その一環として、嫁もまた醜女をあえて娶ったなどという伝説でも知られる。
新撰組局長の近藤勇などもそれに倣ってか、組の風紀を保つためなどと理由を付けて
醜女を娶ったのだけれども、結局、蜀漢も新撰組も早急なる敗亡に追いやられたのだった。
徳川御三家の中でも、特に熾烈な質素倹約の気風で知られた水戸徳川家からの
初めての将軍となった慶喜公などもまた、さような母国の気風に倣って、
名刀ぐらいは選り取り見取りな立場であろうとも、安価な実用刀を愛用し続けた
ことなどで知られるが、やはり自らが将軍になると共に幕府も倒れたのだった。
すでに組織がジリ貧に追い込まれていたから倹約を決め込んでいた場合でも、
組織の長が過度に吝嗇であり過ぎるがために、組織が貧窮を招き入れてしまう場合でも、
過度の質素倹約が国家のような組織の繁栄と相性が良くない、というのも事実である。
深山の仙人や、武蔵のような独立独行の武芸者ならともかく、社会的な集団を率いて行く
というのであれば、新撰組みたいな小組織から国家帝国に至るまで、過度の倹約もまた禁物であり、
配下と共に物質的な栄華をもそれなりに楽しんで行ける程度の余裕があるのでなければならない。
返信する