
俺も、ここの思想哲学板で10年程度、地球人類にとっての
正真の聖書たる四書五経と、カルト第一の聖書たるイスラエル聖書を
比較査読し抜くことで、両者の記述が微にわたり細にわたり、
(なんなら孔子とイエスの生涯に至るまで)
何もかもが相反していることを確認したりもしていたものだが。
そのうえで、太古の昔から儒学のエキスパートだったり、
並みの中国人よりも孔子に近い弥生系の日本人だったりするような
血筋からの親近感にもよって、心の底からの安住意識と共に、
四書五経のほうの記述の忠実な会得、実践にも勤めて来たもの。
さすれば、それは自然と、イスラエル聖書の記述を反面教師とすることにも直結したわけで、
それが否定派みたいな、カルト洗脳に苦しんでいる者にとっては琴線に触れることも
あったらしい一方で、カルト的なオナメンタリティにドップリと浸かっていて、
そこから抜け出す気もないような連中にとっては逆鱗に触れるような言動ともなって来たらしい。
ただ、四書五経は質、量、古さ、発行部数、あらゆる面でイスラエル聖書の完全上位互換なうえに、
俺の血筋がそこに親しんできたのも3000年以上前からのことだし、少しだってそこから
カルトのオナメンに妥協してやろうなんて気が起きないのも、窮めて不可避なことなんだ。🤗
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