
コネや学歴で選別されている財界人や官僚だけでなく、
投票という人気競争で選出されている民主制の政治家もまた、
人様の信用性全体が身勝手に統制されている世の中の、
信用あるとされる人や組織の推薦によって大きく去就が左右されているために、
結局は財官や外患勢力にとって都合のいいような人材ばかりが登用されて行く。
未だ竹中平蔵なみの社会的要職に就けた試しもない氷河期世代の連中が
ゴマンと集まって何を言おうが、竹中一人ぶんほどの発言の信用性もない。
だからこそあいつも平気で大メディアを通じた発言などを続けられている。
氷河期の中でかろうじて発言権があるような人々を鑑みたところで、
ひろゆきやホリエモンみたいに無責任な発言ばかりし抜いてるような者か、
もしくは進次郎みたいな頭パアで都合のいい傀儡要員であることが見え透いている
ような者かだったりで、氷河期で自らの発言に世の中を動かしていけるほどの
信用的価値が付与されているような人間は、いまだ皆無といってもいい状態である。
ゆえに、それなりに人口のボリューム層であるにもかかわらず、
氷河期の意向が政治にまで繁栄されるようなことも全くなく、
マスコミ関係者をも占めている50代以上の意向だけで政治も取り廻され続ける。
たとえばこれが、多数決の投票すら信用性の統制によって無力化する実例である。
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