テレビを見ない人はもうほとんど忘れてるだろう、
兵庫県知事がSNSの扇動でパワハラ報道後に再選した事件を、
一部のテレビ局の報道番組などが、公選法違反なども絡めて
執拗に特集し続けているのを、よく目にする。
公選法違反だからって、ここまで延々と取り上げ続けることも通常はない。
テレビ局の連中は、SNSなんかには自分たちを上回るような社会的信用性なんかを
持ってはならないのだという、謎の義務感があってそんな真似を続けているのである。
そこから垣間見られるのが、今の日本における社会的信用性っていうのは、
既得権益に都合がいいように恣意的に取り廻されているものであって、
信用する価値があるものが信じられているわけではない、ということ。
「人はその物言いよりも行いを見るべきである(公冶長第五・九)」
とはいうけれども、本人が既得権益に味方しようとしているかどうかで、
発言の信用価値までもが決められるという、上の教条の悪用例ともなっている。
老子の「大道廃れて仁義あり」という皮肉にも通じる事例であり、
ここは道家の無為自然の教理などにも即して、人様の社会的信用性が
頭ごなしに操作されたりすることがない世の中を実現して行くのが急務な点である。
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