特に、インドや中東に旅行した時に、市街で自分とは異人種の人々が
無数に往来してたり、車窓で全く見たこともなかったような景色が延々と
広がっているのを見たりしたときに感じさせられたのが、この主題のようなこと。
人類八十億のうちで、親族や愛人や友人や知人たる人々はおろか、
生きてるうちに多少ほど直接対面することがあるような他人ですら、
最大級でも数万人やそこらで、全世界の0.001%ほどにも対面することはない。
一人一人の人間が、直接的な外向活動によって知れる世界なんてのは
どうあっても、大海に対する井の中ほどでしかあり得ず、そんな経験を
いくら積み重ねても、全世界を俯瞰するような視点を持ち合わせることはできず、
かえって少数派閥のために全体を蔑ろにするような不仁さばかりを募らせてしまう。
いわゆる「陽キャ」などと呼ばれる外向性の高さの持ち主が、かえって
世の中全体にとっては迷惑千万なならず者の部類と化してしまいやすいのも、そのため。
戸を出でず、窓の外を窺わず、自らの脳内への内観に世界全体を想起し、
そこでの尊重意識を育んで行けるものだけが、十全な仁者たり得もする。
世界や国を取り廻すような大権もまた、さような素質者にこそ相応しいのである。
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