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特に、日本における「体育会系」というものの発祥を遡ってみると、
近代戦争と民主主義というのが、切っても切れない仲にあることが窺える。
俺も子供の頃やってしまったせいで重傷を負った現代剣道なども、
今では体育会系育成のためのスポーツ競技の一つと化しているものだが、
その源流となった江戸期の撃剣にしろ、さらにその元手となっている古流の剣術にしろ、
脳みそ筋肉の体育会系などが到底会得できるような代物ではないような超絶技巧を
駆使する文武両道の技芸であり、有効打突も面胴小手突きの四つしかない
今の剣道などとは違って、何十にも上るのがどこの流派でもの通例であった。
それが、先祖代々の武家の血筋の人間にでもなければ務まらないほどの、
知性や技巧にかけてまでの卓越を強いるものであったために、国民皆兵で徴兵制が
敷かれるような時代の教育体系には見合わないものと断じられ、戦後のGHQによる
徹底改悪を待つまでもなく、近代以降はずっと「剣道」を名乗る全国共通の剣術修練が
形骸化を来たし、主たる受容者である警察や学校教育の代表者などがあえて、
古流の打突がすべて無効となるようなルールへと改悪して行ったのである。
それゆえ剣道もまた、戦場での捨て駒働きなども厭わないような体育会系の育成手段に
成り果てた。自由民権のために平民もまた兵事を担う責任を負うといった潮流こそが、
体育会系こそを率先して量産して行く源流となる、典型例となったわけである。
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