
「備えあれば患いなし」は、朱子が文治の仁政にかけての心がけとして説いた言葉だが、
これが総力戦の武闘にも全く共通する法則であるために、日本の武家なども、
朱子学と兵法や武芸の併修こそを珠玉の文武両道として嗜んできたものである。
総力戦の実戦などは、そこで処理しなければならない情報量が人間の脳の処理能力を
超えているようなことが茶飯事だから、臨戦に際しての備えもまた全方位全方向、
万事万物にかけてのあらん限りでなければならないが、あえて対戦時の情報量を些少な
範囲に収めているスポーツともなると、その範囲での備えだけは入念でならねばならない一方、
たとえば野球でバッターが打席の背後から球を投げつけられたりするような、ルール上は
あり得ないような事象にまで配慮を働かせる必要がないように、全く備えを心掛ける必要の
ない領域もまた多大化するために、ルールの範囲での備えなんかも別にろくに考えてもいない
ような常人以上に死角だらけで、実戦では大きな的と化す木偶の坊の養成手段となってしまう。
まず以て、ほぼ全てのスポーツは決められたコートやコースの範囲内だけで興じられ、
そこからはみ出せば反則扱いで失格負けとなるが、実戦にはそんなルールなどはなく、
逃げられる範囲においては「三十六計逃げるに如かず」、あらん限りの全領土において、
相手の逃げ場を絶っての撃破にまで及ばねばならないといった相違もあり、そこを卑怯だ
などと考えてしまうヤワなメンタルがスポーツで養われてしまうのもまた裏目に出るものである。
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