
教師が子供を、警官が犯罪者を徹底的に見下すことに大きな弊害が伴っていたのも事実で、
前者は体罰問題、後者は非人道的な取り調べからの冤罪などが代表的な禍根として言い伝えられている。
それはやはり、特に戦後から平成初期あたりにかけてまでの教師や警官が、戦前の軍隊教育や
特高警察の残虐さに倣っていた面があったればこそのことで、それはこの日本という国を、
無謀な戦争へと邁進させた挙句に敗亡へと追いやったような脆弱さを帯びていたものである。
マタギが猟犬を躾けるに際しては、徹底的に見下して立場の違いを分からせるような厳しさがあろうとも、
同時に愛犬として慈しむような温かみもあったもので、その硬軟両面があればこその強靭な厳しさたる。
日本社会では近代以降、儒学が正規教育から排されたことで、目下全般を心から慈しむ
「子愛(礼記・文王世子第八」の心がけが致命的に損ねられたが故に、目下として見下す相手を
とかく冷酷にあしらうことばかりが蔓延し始めた。熱血教師や刑事のドラマなどで多少はそこへの問題提起
がなされようとも、所詮は体系的な学識にも基づかないゲリラ的な抵抗止まりのゆえに「焼け石に水」で、
人を見下す厳しさが専ら「残虐すぎて弱い」に直結する事態となった。それは事実、終わりとすべき点である。
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