それは「自己観察をしすぎる」という一点に尽きると思う。
何かを成し遂げたいとき、客観性が重要なのは間違いない。
自分の現在地を客観視できない人は、間違った方向に努力を重ねてしまう可能性が高いからだ。
地図を持たずに歩く人は、どれだけ速く走っても目的地から遠ざかってしまう。
だが一方で、人生を楽しむためには「主観と没入感」が不可欠だ。
ここが厄介なところで、自己観察と没入感は、本質的に真逆のベクトルを向いている。
人があまりにも論理と客観を突き詰めてしまうと、どんな瞬間も自分を「実況中継」するようになってしまう。
どんな場面でも、一歩引いて冷静になってしまうのだ。
友人と馬鹿騒ぎしているとき。
久しぶりに恋人とデートするとき。我が子の著しい成長を喜ぶとき。
仕事の目標を達成して興奮しているとき。
そんな「歓喜」の瞬間においてすら、自己観察の習慣が勝手に発動してしまう。
すると、素直に感動できなくなる。素直に感極まれなくなる。
素直に喜べなくなる。感情を享受したいのに、できなくなるのだ。
「自分は今、感動している」と、まるでスマホ画面の中の自分を眺めているような、
物語の登場人物としての自分を見ているような冷めた気分になってしまう。
これは「頭がいい人」に起こりがちな罠だと思う。
頭がいい人ほど、観察者の自分が居座り続けてしまい、当事者の自分が席につけないのだ。
きみらはどうだい?
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