丹波哲郎はいつ頃から霊だの言い出したのだろうか?


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001 2026/07/11(土) 20:36:57 ID:FLNUN2WT0s
結果的に、そのキャラで大ブレイクしたわけだが

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002 2026/07/11(土) 20:51:50 ID:LBtK7eDfn.
丹波哲郎は霊を言い出す前の方が売れてたんじゃないかな
雑誌では大御所がなんか変なこと言いだしたぞ!ていう感じだった
本は1980年ごろから出し始めて映画が1989年

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003 2026/07/11(土) 21:44:09 ID:1XE5dTNANI
霊界のことを言い出したのは、キャリアの後半に入ってから。
最近、高橋英樹がバラエティー番組に出てるけど、
それと同じで俳優としての仕事の場がなくなってきてから言い出し始めた。

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004 2026/07/11(土) 22:05:02 ID:fZs4ak959c
霊だ霊だ言い出すと色が付きすぎて俳優としてのお呼びがかからなくなる。
つまり、俳優としての上がり、引退をそういう形で閉じた。もう俳優はええ、やりとうない、と言えば角が立つ。霊だ、霊界だ言っておれば、しゃーないな、そっちで呼んだるわ、という小遣い稼ぎルートも繋がる。処世やな。

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005 2026/07/11(土) 22:21:07 ID:RfXcPoT7HU
老い先、長くないと自覚した時
貴方もきっとそうなるww

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006 2026/07/11(土) 22:33:26 ID:B1Dfsp/hQM
●誰よりも死を恐れていた

丹波さんが人生の後半において、のめり込むように霊界の研究や紹介活動に
没頭していった背景には、彼が秘めてきた意外な一面があった。

義隆氏(息子)が語る。

「今になってみると、親父は自由奔放に遊ぶ一方で、実際は誰よりも臆病で、
『死』を怖がっていたんじゃないかと思うのです。
特に親父の母親、僕から見て祖母が亡くなったときくらいから、それが激しくなった。

それまで親父は、『あの世が本当の世で、この世は仮の世に過ぎない。
だから死んだら誕生日みたいにおめでとう、とケーキに蝋燭を立てて
拍手してやらなければいけない』なんてうそぶいていた。

ところがいざ自分の母親が死ぬと、親父は嗚咽して遺体にすがりついた。
とてもじゃないけど拍手して、おめでとうなんて言う余裕はなかった」

死への人一倍の関心と畏れ。
それは丹波さんが戦争を経験していたことと無縁ではないだろう。

丹波さんは中央大法学部2年だった'43年12月、学徒出陣をした。
態度が生意気と思われた丹波さんは、上官たちから連日のように殴られたという。
そして数多くいた同期たちは戦況悪化の中、次々と戦死していった。

航空隊の一員だった丹波さんは、特攻隊員になる可能性もあった。
極限状態の中、「死は怖くない」と自分に言い聞かせ続けなければ、
正気を保つことはできなかった。

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007 2026/07/11(土) 22:35:29 ID:B1Dfsp/hQM
●最愛の妻の「難病」に直面して

もう一つ、丹波さんの死生観や人間観に決定的な影響を与えたのは、
最愛の妻・貞子さんだった。

貞子さんと結婚したのは、戦後間もない'49年。
丹波さんはまだ27歳で俳優として売れる前のことだった。

丹波家は名家で、丹波さんの祖父、父、そして2人の兄までが東大出身。
俳優を志した丹波さんは「一家の落ちこぼれ」扱いを受け、
実家の援助もなく肩身の狭い思いをしていた。

そんな丹波さんを認め、救ったのが貞子さんだった。

仕立て屋の娘だった彼女は、夫が使う衣装をすべて作った。

すぐにエンストする中古のルノーを買ったときは、
そのたび貞子さんが車を降りて下駄を脱ぎ、
後ろから押してエンジンをかけ、撮影所に通った。
貞子さんは、丹波さんのたった一人の味方だった。

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008 2026/07/11(土) 22:36:39 ID:B1Dfsp/hQM
しかし'58年、貞子さんは急性灰白髄炎(ポリオ)を発症し、
33歳の若さで車椅子の生活となってしまう。

スターへの道を上り始めていた丹波さんは、妻の介護の苦労を表には出さなかった。

「ロシアに特効薬があると聞くと、親父はすぐに買いに行きました。
普通は少量しか手に入らないんだけど、そのときばかりは親族の力を借りて、
大量に入手したって言っていました。
親父はとにかく、必死で母を治そうとしていたんです」(前出・義隆氏)

丹波家の救いは、貞子さんの性格だった。
難病を抱えても貞子さんは、「仕方ない」と割り切り、前向きに生きる、
そんな女性だったという。

「半身不随の貞子さんを丹波さんは本当に大切にしていました。
地方ロケがないときは家にいることが多かった。

それで、よく映画監督の深作欣二さんも一緒に、丹波さんの家で映画を観ました。
陽気な丹波さんに寂しい思いをさせないようにと、
夜になると貞子さんが麻雀のメンバーを揃えたりしてね」(前出・千葉氏)

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009 2026/07/11(土) 22:38:29 ID:B1Dfsp/hQM
●遺骨は大好きな場所に

犯罪捜査や大義のため、非情な決断も冷徹に下す。
そんな銀幕やブラウン管の中でのイメージとは裏腹に、貞子さんの前での丹波さんは、
愚直で献身的な一人の夫だった。

「うちの親父が街中で母の車椅子を押そうとする。でも、母は嫌がった。
『丹波哲郎』というのは商品だから、商品を傷つけてはいけないって。
そして一人で車椅子に乗る母を見て、親父は申し訳なさそうにしていました。

俳優・丹波哲郎は、親父だけのものじゃないんです。
ボス的な素養もあった母と、繊細な一面のあった親父との二人の協力があってこそ、
皆さんがイメージする『丹波哲郎』ができあがっていたんです」(前出・義隆氏)

戦争の経験と、病弱な愛妻を慈しんで生きた丹波さんは、自分にとって大切なものが何か、
そしてそれを失う恐怖と辛さを誰よりも知っていた。

だからこそ、丹波さんはことさらに、死後や霊界の研究へと傾倒していったのかもしれない。

'97年、丹波さんが75歳の時、それまで約50年連れ添った貞子さんが亡くなる。

義隆氏によれば、「親父は祖母が死んだとき以上に、人目もはばからず、わんわんと声を上げて泣いた」
といい、そしてそれ以降、霊界への言及はぴたりと止まった。

「生前の母はハワイが好きだったので、遺骨の一部はハワイで許可を得て散骨しました。
親父は『骨って浮くのかと思ったら浮かないんだな。スーッと沈んでいったよ』と呟いていましたね。
何か、吹っ切れたようでもありました。

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010 2026/07/12(日) 01:03:51 ID:vl6U4Ohe3E
この人お坊っちゃんでしょ
自宅は西荻だったかな
庭に国有林があったとか?
すごく紳士で大らかな感じがしてオレは好きだったけどね
西村晃とか草笛光子とか、そういう背筋がピンと伸びてるような人が好きだな

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011 2026/07/12(日) 01:08:37 ID:Y8RtSlu6yY
親友の藤岡琢也の臨死体験を聞かされて、こんな真面目な男がウソを言う訳がない、と興味を持った
自身に霊能体験は全くない と聞いたよ

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012 2026/07/12(日) 07:09:38 ID:DCOZyRH3q6
丹波でルンバ

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013 2026/07/12(日) 08:57:47 ID:Uo78XKKewQ
>>11
臨死体験は、心停止直後に脳神経が異常に活発化し、爆発的なガンマ波が生じることで
引き起こされると考えられています。

この急激な活動や血中の二酸化炭素濃度の急増、脳の酸欠などが複雑に絡み合い、
走馬灯や体外離脱といった幻覚が生成されると科学的に説明されています。

最新の科学研究では、これらの現象は「脳の機能停止」ではなく「異常な活動状態」
によって生じる現象だと示唆されています。

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014 2026/07/12(日) 09:01:38 ID:zvX//3Xyww
AIの長文😮‍💨😮‍💨😮‍💨

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015 2026/07/12(日) 10:07:42 ID:Uo78XKKewQ
死に関わるバイアスは 次のように作用します。

人は、「いつか死ぬ」という事実に直面すると、それを否定する話を何でも信じてしまい、
「本当は永遠に生きられる」と思い込もうとします。

これはバイアスの中でも最大のものでしょう。400件以上の研究で実証されていますから。
研究方法は巧妙かつシンプルです。説明しましょう。

まず、あらゆる面で似通った人々を2グループに分けます。
片方には、皆いつか死ぬことを伝え、他方には何も伝えず行動を比較します。
こうすれば、死を意識することで行動にどんな影響があるかを観察できます。

何度やっても結果は同じです。
自分の死を意識したグループは、死から逃れて永遠に生きられる話を信じる傾向が強くなります。

最近の研究を例にあげると、不可知論者、すなわち特定の宗教的信条を持たない人を2グループに分け、
一方には自分が死んだ時のこと、他方には、孤独な時のことについて考えてもらいます。

その後、再び宗教的信条をたずねます。
死後のことを考えたグループは、神とキリストへの信仰を表明した人が2倍にのぼりました。
2倍です。

実験前は全員が不可知論者でした。
でも、死の恐怖を与えるとキリストにすがるようになったのです。

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016 2026/07/12(日) 10:09:17 ID:Uo78XKKewQ
死を考えると証拠の有無とは関係なく、信条にバイアスがかかることがわかりました。
これは宗教だけでなく、不死を約束する信念体系なら、どんなものにも作用します。

後世に名を残すことや、子どもをもつこと、大きな集団の一部として生き続けることを
約束する国家主義にまで作用します。
これは人類の歴史の過程で形作られてきたバイアスです。

これらの実験におけるバイアスの基礎となる理論は「存在脅威管理理論」と呼ばれます。

発想は単純です。
私達が培ってきた世界観、すなわち、この世界や自分の居場所について私達が語る物語とは、
死の恐怖をコントロールするために存在します。

不死の物語は、何千もの表現方法がありますが、一見多様に見えても実際には
たった4つの基本形式しかないと考えています。

そして、歴史の中で基本形式は繰り返され、時代ごとの言葉を反映して、
わずかな違いが生じているだけだと考えます。

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017 2026/07/12(日) 11:13:08 ID:Uo78XKKewQ
1.永遠に生きる「不死」

1つ目の物語はとてもシンプルです。

死を避けることを望み、自分の体のまま、この世界で生き続けるという夢が
最初の最もシンプルな不死の物語です。

信じられないかも知れませんが、実際、人類の歴史上ほとんど全ての文化に、
不老不死の薬や若さの泉といった、私達に永遠の命を与えるものの神話や
伝説が残されています。
古代のエジプトや バビロン インドにもありました。
欧州でも錬金術師の著書に記されています。

今でもこの物語は信じられていますが、科学の言葉を使って語られる点だけが違います。
だから100年前にホルモンが発見された時、ホルモン治療で老化や病気を治せると期待されたのです。

今、期待されているのは幹細胞遺伝子操作、ナノ・テクノロジーです。
ただ、科学が死を止められるという発想は、不死の薬の物語に新たな一章を加えるに過ぎず、
文明と同じくらい長い歴史があるのです。

一方、霊薬を見つけて永遠に生きるという発想にすべてをかけるのは危険なことです。

歴史を振り返ると、過去に不死の薬を求めた人々は、共通して皆死んでいるのです。

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018 2026/07/12(日) 11:14:10 ID:Uo78XKKewQ
2.「復活」して生き返る

だから次の手が必要になります。

それにうってつけなのが2番目の不死の物語 ―「復活」です。

その根底ある考え方とは、自分に身体があることです。
私達が死すべき存在であっても、復活して生き返れるのです。

キリストと同じです。
キリストは死後3日間、墓の中にいて、その後復活をとげました。
誰もが復活できるという考え方は、キリスト教徒だけでなく、
ユダヤ教徒やイスラム教徒にも見られます。

復活を信じる気持ちは、あまりに深く根づいているので、
科学の時代に合わせて新たに語り直されています。

例えば人体冷凍保存です。
これは人の死後、身体を冷凍し、テクノロジーが進歩してから解凍し、
治療して復活させるのです。

全知全能の神が復活させてくれると信じる人がいる一方で、
全知全能の科学者を信じる人もいるのです。

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019 2026/07/12(日) 12:08:47 ID:Uo78XKKewQ
3.精神的な「魂」の不死

ただ、「生き返って墓から出てくるという」発想自体がB級ゾンビ映画のようだと思う人もいます。
そんな人達にとって、身体は汚らわしく頼りないので、永遠の命を保障できそうにありません。

だから3つ目の、より精神的な不死の物語に希望を託します。

死後 身体を置き去りにして「魂」が生き続けるという考え方です。
この世の大部分の人が魂の存在を信じており、多くの宗教で教義の中心です。

ただ、魂という考え方が、今の形であれ伝統的な形であれ広く信じられているにもかかわらず、
デジタル時代に合った形で語り直されています。

例えば、身体を残して、精神・本質・本当の自分をコンピュータにアップロードし、
アバターとしてエーテルの中で生きるという考え方です。

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