血反吐を吐くような試験勉強などにもよって、
側頭葉主体の知識だけは大量に蓄えて来た人間というのは、
画像のうちの黄色い丸の範囲の広さだけを個別の情報として
捉えるような思考回路が出来上がってしまっていて、これをより広げることができない。
その程度の思考視野によっても、自分たちが勉強してきたような知識は
画像中の戸建ての民家のように、すべて十分に捉えられて来たのだけれども、
前頭葉主体で構築されて来た知恵などは、決してその視野に収まらない雄大さを
帯びているために、どんなに見聞を尽くしても決してその全容が把握できないままに終わる。
しかも、自分たちに見えている範囲では、木しかなかったり石垣や橋しかなかったり。
一番見栄えがいい天守閣でも、トイレも風呂も台所もなかったりで、
それだけで完結していないものだから、さしたる価値も見出せない。
「群盲象を撫でる」などという慣用句が似た意味を帯びてはいるが、
「どうして高学歴のエリートなどが特にあんなボンクラ揃いになってしまうのか?」
という疑問に対して答えるのなら、こういう比喩表現のほうが適切となるであろう。
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