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>>141の続き)
宮崎駿も「ロリから婆さんまで、女だったら何でも好き」と評されるほど、
執拗で多彩な女性キャラ描写が売りでいたわけだけれども。
それでも絶対に"それ"だけは描かないでいたのが、自らに続くようなクリエイターたちが
描く二次元の女性キャラの魅力を、今の生身の女たちとは全く別格の域ならしめて、
今や全世界で日本のサブカルが年10兆円規模の消費対象となるに至る一大原動力となった。
実写作品などでも、あえて"それ"そのものをしっかり描き込むようなことまでは
避けている場合がほとんどだが、あくまで"それ"はそれであるものなのを前提とした
描写などはよくあるし、脚本家がコネ頼みの上げ底女だったりすれば、話の構成自体に
"それ"由来の女臭が漂っていたりもする。そういった要素まで徹底的に排除して、
始めから女に"それ"なんてものがあり得ないのを前提としたような作風に徹している。
しいて言えば、「魔女の宅急便」でキキが一旦飛べなくなる描写とかが
"それ"を示唆してはいるけれども、あっという間にまた払拭してかかる。
基本的にファンタジー作品ばかり作ってたとはいえ、そうでない「風立ちぬ」等に
至るまで、究極のファンタジー要素だったのも、"それ"の完全排除だったわけである。😅
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