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殊勝なる益荒男は現実を楽しみ抜く 偉大なる生存の報告 Part311
▼ページ最下部
ここでの付き合いに、オフラインでの生身の人付き合いのほか、
ネット上やメディア上で取りざたされている有名無名あらゆる人々の言行など、
どれを鑑みても、今の世の中の現実そのものをありのままに楽しんで
いるような現代人はもはや、全くの皆無であるように見受けられる。
自らが社会的な成功者であるか否かにかかわらず、やりたいことと言えば
まずは現実逃避で、金カネもまたその手段としてばかり欲しがられている。
酒や煙草や麻薬のような安直な嗜好物はもちろんのこと、
映画音楽スポーツ漫画アニメゲームその他のエンタメから、
個人的な交遊だとか旅行ドライブだとかの楽しみに至るまで、
何もかもが悲惨で重苦しい現実から逃避するための手段止まりに過ぎず、
社会的な成功もまた、それらをより享受して楽しめる立場に至ることばかりを意味している。
戦争、疫病、経済破綻、貧困、文化荒廃などと、何もかもが下がり調子で
目白押しな国内外の惨状自体を楽しもうなんて、もはや考えも付かないのも分かるが。
「現実逃避よりも現実そのものを楽しむことのほうが人として健全である」
という認識の下に、まずは現実のほうを楽しもうとする。それでもどうしても
楽しめなければ、ここからどうやって楽しい現実へと持ち込んで行くのかを計画するのを楽しむ。
たとえ地獄の底だろうとも、現実そのものへの楽しみを決して捨てないでいられるのは、
大いなる仁慈、菩提心を内に秘めながら、その実現にも余念がない益荒男だけなのである。
ネット上やメディア上で取りざたされている有名無名あらゆる人々の言行など、
どれを鑑みても、今の世の中の現実そのものをありのままに楽しんで
いるような現代人はもはや、全くの皆無であるように見受けられる。
自らが社会的な成功者であるか否かにかかわらず、やりたいことと言えば
まずは現実逃避で、金カネもまたその手段としてばかり欲しがられている。
酒や煙草や麻薬のような安直な嗜好物はもちろんのこと、
映画音楽スポーツ漫画アニメゲームその他のエンタメから、
個人的な交遊だとか旅行ドライブだとかの楽しみに至るまで、
何もかもが悲惨で重苦しい現実から逃避するための手段止まりに過ぎず、
社会的な成功もまた、それらをより享受して楽しめる立場に至ることばかりを意味している。
戦争、疫病、経済破綻、貧困、文化荒廃などと、何もかもが下がり調子で
目白押しな国内外の惨状自体を楽しもうなんて、もはや考えも付かないのも分かるが。
「現実逃避よりも現実そのものを楽しむことのほうが人として健全である」
という認識の下に、まずは現実のほうを楽しもうとする。それでもどうしても
楽しめなければ、ここからどうやって楽しい現実へと持ち込んで行くのかを計画するのを楽しむ。
たとえ地獄の底だろうとも、現実そのものへの楽しみを決して捨てないでいられるのは、
大いなる仁慈、菩提心を内に秘めながら、その実現にも余念がない益荒男だけなのである。
※省略されてます すべて表示...
北欧の海賊にも、禁酒の誓いを立てて諸国を略奪して回っている者がいたというし、
ブッシュJr.のイラク侵略による石油利権の強奪などもまさにその焼き直しだし、
禁酒にも反知性的愛国みたいな負の側面があるものだな。
菜食主義なんかもだが、俗人が我流で試みるべきものじゃない。
肉食妻帯飲酒金儲け、何もかもを体系的に取り組んでいる
本格の仏者からの指南があって初めて、純粋に健全たり得るものだといえよう。
ブッシュJr.のイラク侵略による石油利権の強奪などもまさにその焼き直しだし、
禁酒にも反知性的愛国みたいな負の側面があるものだな。
菜食主義なんかもだが、俗人が我流で試みるべきものじゃない。
肉食妻帯飲酒金儲け、何もかもを体系的に取り組んでいる
本格の仏者からの指南があって初めて、純粋に健全たり得るものだといえよう。
GDP予測、日本は4位転落 23年にドイツが逆転
https://news.yahoo.co.jp/articles/71e4a0cbd48cf6b720afd...
GDP世界一位であるアメリカの属国状態である日本が、
世界二位である中国の属国状態(かつ日本の半分程度の人口)な
ドイツにGDPで抜かれるということは、アメリカによる支配よりも、
中国による支配のほうが穏健で利他的だということ。
統一自民によるアメポチ政治は、間違いなく中華の属国化未満の代物。
どっちもどっちではあるにしろ、マシなほうですらない最悪だということ。
アメリカは諸外国との同盟による強勢化の能力で中国に劣るということだし、
一対一に限らぬ世界規模での陣取り合戦でも、このままでは負けるということ。
いま一番の頼りにしているだろうインドも、ロシアとの同盟関係なども
崩さないままでいる日和見主義だし、必ずしも味方なわけではない。
インド人の合理主義志向によっても、それが現状最善と見なされているわけ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/71e4a0cbd48cf6b720afd...
GDP世界一位であるアメリカの属国状態である日本が、
世界二位である中国の属国状態(かつ日本の半分程度の人口)な
ドイツにGDPで抜かれるということは、アメリカによる支配よりも、
中国による支配のほうが穏健で利他的だということ。
統一自民によるアメポチ政治は、間違いなく中華の属国化未満の代物。
どっちもどっちではあるにしろ、マシなほうですらない最悪だということ。
アメリカは諸外国との同盟による強勢化の能力で中国に劣るということだし、
一対一に限らぬ世界規模での陣取り合戦でも、このままでは負けるということ。
いま一番の頼りにしているだろうインドも、ロシアとの同盟関係なども
崩さないままでいる日和見主義だし、必ずしも味方なわけではない。
インド人の合理主義志向によっても、それが現状最善と見なされているわけ。
中華の冊封体制に基づく属国支配が苛烈なのは、近世まで
属国状態でいた朝魚羊の文化習俗が至極陰惨だったことなどからも知れる。
それは実際、その通りだったろうし、ドイツもそれに近い扱いでいる。
その上で、さらにその下の最低最悪状態に貶められているのが、
アメリカの属国状態を強いられている、今の日本だということ。
近世までの日本社会が独立自尊によって、中華の属国状態な朝魚羊などよりも
上質な文化習俗に与れていたのを省みれば、米中ごときに日本の支配権を
預けたりしないのが最善であるのだけは間違いがない。
日本の統治体制は独立自尊>中華の属国支配>アメリカの属国支配
という品質順位であるのが知れたわけ。もっとも、独立統治の場合においても、
愛国無罪の実質国賊などを権力中枢に寄せ付けない工夫は必要となるのだが。
属国状態でいた朝魚羊の文化習俗が至極陰惨だったことなどからも知れる。
それは実際、その通りだったろうし、ドイツもそれに近い扱いでいる。
その上で、さらにその下の最低最悪状態に貶められているのが、
アメリカの属国状態を強いられている、今の日本だということ。
近世までの日本社会が独立自尊によって、中華の属国状態な朝魚羊などよりも
上質な文化習俗に与れていたのを省みれば、米中ごときに日本の支配権を
預けたりしないのが最善であるのだけは間違いがない。
日本の統治体制は独立自尊>中華の属国支配>アメリカの属国支配
という品質順位であるのが知れたわけ。もっとも、独立統治の場合においても、
愛国無罪の実質国賊などを権力中枢に寄せ付けない工夫は必要となるのだが。
(>>219の続き)
いま51歳以下の中年層に該当する氷河期世代などは、
ただその世代の生まれだというだけで極度の不遇を強いられて来たために、
世代ごとの特性や待遇の相違には大変、注意を払って来ている者が多い。
ただ自分たちよりも一つ上のバブル世代として生まれたか、
氷河期世代として生まれたかだけで、福山雅治か青葉真司かぐらいの
待遇格差をこうむって来たことへの憤りが原動力となって、主に世代間格差への
分析を通じた、それぞれの世代への考察というものが重ねられて来ているもの。
しかし、バブル以上の高齢世代には、そういう志向性自体が全く欠けている。
そもそもがジェネレーションギャップなんてものにはさほど興味がないし、
そんなものがあった所で個人レベルでは全く普遍性がないものと思っている。
団塊世代は総じて頭が悪く、新人類世代は総じて西洋かぶれ、
バブル世代は総じて若い頃からの遊びすぎで健康を害している者が多い
とかいったような、特に世代ごとの短所についてはまったく察知が及ばず、
まかり間違っても自分個人にまで当てはまることがあるなどとは思ってない。
いま51歳以下の中年層に該当する氷河期世代などは、
ただその世代の生まれだというだけで極度の不遇を強いられて来たために、
世代ごとの特性や待遇の相違には大変、注意を払って来ている者が多い。
ただ自分たちよりも一つ上のバブル世代として生まれたか、
氷河期世代として生まれたかだけで、福山雅治か青葉真司かぐらいの
待遇格差をこうむって来たことへの憤りが原動力となって、主に世代間格差への
分析を通じた、それぞれの世代への考察というものが重ねられて来ているもの。
しかし、バブル以上の高齢世代には、そういう志向性自体が全く欠けている。
そもそもがジェネレーションギャップなんてものにはさほど興味がないし、
そんなものがあった所で個人レベルでは全く普遍性がないものと思っている。
団塊世代は総じて頭が悪く、新人類世代は総じて西洋かぶれ、
バブル世代は総じて若い頃からの遊びすぎで健康を害している者が多い
とかいったような、特に世代ごとの短所についてはまったく察知が及ばず、
まかり間違っても自分個人にまで当てはまることがあるなどとは思ってない。
実際にその通りだったところで、たまたまそうだっただけだと思う。
自分たちが日本の支配層や米韓から、都合がいいようにメイキングされて来た子羊で
あるという自覚が全くなくて、全ては自分個人の意思だけで成り立っていると思ってる。
実際にその通りならそれでもいいのだが、現実はそうではない。
それぞれの世代ならではの、総員からの恩恵や不遇に右往左往させられ通しな
儚い身の程でいながら、それに気づかないままでの独我主義者でいるのだから
惨めなものだし、その大いなる自意識過剰ゆえの勘違いこそが、次世代を
生活不能レベルな困窮状態に追い込んでの亡国の招来にまで結実したのである。
それはあくまで、戦後の旧世代に限っての現象でもある。
いまの年寄りが若い頃にビートルズやエルヴィスにカブれたりしていたのを、
文化的な退廃と見て取って眉をひそめ、「最近の若いもんは」と愚痴をこぼしていた
戦前世代の年寄りなどにはまだ、日本人が世代ごとにどうなっているのかという
問題への意識もそれなりにあったもの。今の年寄りたるや、それすらないがために
破綻を招いたのだし、あの忌まわしい頑固さこそはむしろ人として必須なものだったのである。
自分たちが日本の支配層や米韓から、都合がいいようにメイキングされて来た子羊で
あるという自覚が全くなくて、全ては自分個人の意思だけで成り立っていると思ってる。
実際にその通りならそれでもいいのだが、現実はそうではない。
それぞれの世代ならではの、総員からの恩恵や不遇に右往左往させられ通しな
儚い身の程でいながら、それに気づかないままでの独我主義者でいるのだから
惨めなものだし、その大いなる自意識過剰ゆえの勘違いこそが、次世代を
生活不能レベルな困窮状態に追い込んでの亡国の招来にまで結実したのである。
それはあくまで、戦後の旧世代に限っての現象でもある。
いまの年寄りが若い頃にビートルズやエルヴィスにカブれたりしていたのを、
文化的な退廃と見て取って眉をひそめ、「最近の若いもんは」と愚痴をこぼしていた
戦前世代の年寄りなどにはまだ、日本人が世代ごとにどうなっているのかという
問題への意識もそれなりにあったもの。今の年寄りたるや、それすらないがために
破綻を招いたのだし、あの忌まわしい頑固さこそはむしろ人として必須なものだったのである。
あくまで、「年寄りだから」という問題なのではない。
いま50代~70代ぐらいの、戦後の旧世代に属する日本人だけが、
総員で極端な愚民化、情弱洗脳を被りながらの虚栄を謳歌しているというだけで、
それは51歳以下の次世代はおろか、戦前までの年寄りにも見られなかった現象である。
今の次世代の日本人もまた、生活不能レベルの経済的な不遇や、
ネットの普及のような環境条件によって、自分たちの有様をある程度以上に
客観視する機会に与れている一方で、戦前世代の日本人もまた、
1945年を境に世の中の価値観が一変した様を肌で体感した経験などから、
戦後日本や、そこでの自分たちのあり方をある程度は客観視する機縁に恵まれていたのである。
だからこそ、戦前世代と次世代の日本人は、戦後旧世代と比べれば、
現代日本に完全に馴染み切っているようなことはなく、一歩以上に引いた所から、
冷ややかな態度で世に接して来ているような人間が多数に上るために、
現代こそを目一杯なんの疑いもなく楽しんでいる戦後旧世代を主人公とした場合の、
脇役のような待遇を被り続けてきた点でも共通している。
いま50代~70代ぐらいの、戦後の旧世代に属する日本人だけが、
総員で極端な愚民化、情弱洗脳を被りながらの虚栄を謳歌しているというだけで、
それは51歳以下の次世代はおろか、戦前までの年寄りにも見られなかった現象である。
今の次世代の日本人もまた、生活不能レベルの経済的な不遇や、
ネットの普及のような環境条件によって、自分たちの有様をある程度以上に
客観視する機会に与れている一方で、戦前世代の日本人もまた、
1945年を境に世の中の価値観が一変した様を肌で体感した経験などから、
戦後日本や、そこでの自分たちのあり方をある程度は客観視する機縁に恵まれていたのである。
だからこそ、戦前世代と次世代の日本人は、戦後旧世代と比べれば、
現代日本に完全に馴染み切っているようなことはなく、一歩以上に引いた所から、
冷ややかな態度で世に接して来ているような人間が多数に上るために、
現代こそを目一杯なんの疑いもなく楽しんでいる戦後旧世代を主人公とした場合の、
脇役のような待遇を被り続けてきた点でも共通している。
仮に、戦前世代や戦後次世代のような人間こそが主役となる時代が到来すれば、
それによって持続不能なほどの窮地に追い込まれている日本社会も息を吹き返す一方で、
旧世代と比べれば冷厳な性格の持ち主ばかりが世の中の主導権を握ることに
なるかも知れないことへの懸念が今のところ拭い去れないままでいる。
ホリエモンやひろゆきも嫌味ったらしい屁理屈ばかりをひけらかすものだから、
次世代が日本社会の主導者となることを警戒させる存在性ばかりを帯びてしまっているものだが。
俺の祖父などを含む戦前世代にもまた、似たようなシニカルさがあったのをよく覚えている。
しかも、命を危ぶむような激戦の体験者とか、特攻隊の生き残りとかのほうがよりそうだったとも。
そういう人種が、無責任で自意識過剰で自分も見えてない代わりに、あっけらかんとして
威厳など皆無だからこそ重苦しさも感じさせられなくて済む戦後旧世代に成り代わるのは、
確かにある程度以上に、現代的価値観からすればウザったいことにもなるだろうが。
人間社会が旧世代ほどの愚か者の集まりなだけで成り立つことがあり得ない実情を
つぶさにわきまえて、火の用心や防災の取り組みの如くそれを受け入れて行くのでなければならない。
それによって持続不能なほどの窮地に追い込まれている日本社会も息を吹き返す一方で、
旧世代と比べれば冷厳な性格の持ち主ばかりが世の中の主導権を握ることに
なるかも知れないことへの懸念が今のところ拭い去れないままでいる。
ホリエモンやひろゆきも嫌味ったらしい屁理屈ばかりをひけらかすものだから、
次世代が日本社会の主導者となることを警戒させる存在性ばかりを帯びてしまっているものだが。
俺の祖父などを含む戦前世代にもまた、似たようなシニカルさがあったのをよく覚えている。
しかも、命を危ぶむような激戦の体験者とか、特攻隊の生き残りとかのほうがよりそうだったとも。
そういう人種が、無責任で自意識過剰で自分も見えてない代わりに、あっけらかんとして
威厳など皆無だからこそ重苦しさも感じさせられなくて済む戦後旧世代に成り代わるのは、
確かにある程度以上に、現代的価値観からすればウザったいことにもなるだろうが。
人間社会が旧世代ほどの愚か者の集まりなだけで成り立つことがあり得ない実情を
つぶさにわきまえて、火の用心や防災の取り組みの如くそれを受け入れて行くのでなければならない。
匿名掲示板のスレッドが一つ消費される程度の人生でしかないが故に、
他人がその条件を満たせているかどうかもまた気になって仕方がないのか。
他人がその条件を満たせているかどうかもまた気になって仕方がないのか。
(>>245の続き)
戦前世代や戦後次世代もまた諸々の問題性を帯びているのには違いないが、
ことに、国家社会を持続不能な域に追い込んでしまうほど強烈な愚民化洗脳を
被って来ているという点でだけは、戦後旧世代の右に出られることがない。
それは、必ずしも「知能が低いから」という理由だけにもよらない。
旧世代の中でも、団塊世代とバブル世代の間に当たる新人類世代などは、
上下の世代が低能だらけであることを補うかのように、よく勉強して相当な知能を
持ち合わせている者が多く、戦後世代の中でも最もノーベル賞受賞者が多いのだが。
それでも、同時に強烈な西洋かぶれ、アメリカ崇拝と日本蔑視の精神性を大多数が
植え付けられてしまっているために、決してその知性を国家鎮護のために用いることが
ままならず、ノーベル賞まで受賞しようとも労働争議の上でアメリカに逃亡したりするし、
アメポチが高じて安倍のような統一教会系の政治家となる者なども多数に上ったのである。
戦前世代や戦後次世代もまた諸々の問題性を帯びているのには違いないが、
ことに、国家社会を持続不能な域に追い込んでしまうほど強烈な愚民化洗脳を
被って来ているという点でだけは、戦後旧世代の右に出られることがない。
それは、必ずしも「知能が低いから」という理由だけにもよらない。
旧世代の中でも、団塊世代とバブル世代の間に当たる新人類世代などは、
上下の世代が低能だらけであることを補うかのように、よく勉強して相当な知能を
持ち合わせている者が多く、戦後世代の中でも最もノーベル賞受賞者が多いのだが。
それでも、同時に強烈な西洋かぶれ、アメリカ崇拝と日本蔑視の精神性を大多数が
植え付けられてしまっているために、決してその知性を国家鎮護のために用いることが
ままならず、ノーベル賞まで受賞しようとも労働争議の上でアメリカに逃亡したりするし、
アメポチが高じて安倍のような統一教会系の政治家となる者なども多数に上ったのである。
https://bbs77.meiwasuisan.com/thought/1696046607...
俺がこのスレでいま論じている、「知性的愛国者」としての条件だけは、
比較的頭のいい新人類世代もまた決して満たすことがない。そういう洗脳を受けているのが
戦後旧世代なればこそ、世の中を持続可能な安定度で営んで行くこともまた決して能わない。
別に、今の次世代にも知性的愛国者がそんなに多いわけではないが、
上記のような内実を帯びた愚民化洗脳をそこまで強烈に受けているわけではないために、
今からでも知性的愛国者へと成り変わることが可能だろう人間ならいくらでもいる。
それが絶対に不能となる「精神の枷カセ」で繋がれているのが旧世代であるために、
知能の高低にも関わりなく、傾国、亡国の助長者でしかあり得なかったものだし、人間が
知性的愛国者としての素養を身に付けることが、いかに重大な必要性を帯びているのかまでもが
知れるのである。そういった素養が絶無な西洋人もまた、100年と平和を保てたことがないのだし。
俺がこのスレでいま論じている、「知性的愛国者」としての条件だけは、
比較的頭のいい新人類世代もまた決して満たすことがない。そういう洗脳を受けているのが
戦後旧世代なればこそ、世の中を持続可能な安定度で営んで行くこともまた決して能わない。
別に、今の次世代にも知性的愛国者がそんなに多いわけではないが、
上記のような内実を帯びた愚民化洗脳をそこまで強烈に受けているわけではないために、
今からでも知性的愛国者へと成り変わることが可能だろう人間ならいくらでもいる。
それが絶対に不能となる「精神の枷カセ」で繋がれているのが旧世代であるために、
知能の高低にも関わりなく、傾国、亡国の助長者でしかあり得なかったものだし、人間が
知性的愛国者としての素養を身に付けることが、いかに重大な必要性を帯びているのかまでもが
知れるのである。そういった素養が絶無な西洋人もまた、100年と平和を保てたことがないのだし。
お、ひさびさに
強制sage
工作来たか。
頻度が減ってるのは、
さすがに無意味無駄すぎることに
気づき始めてるからなのか?
(>>254の続き)
自分たちが年老いるまで、戦争にも直接関わらされることもなく、
豊かな生活を謳歌し続けられたことからも、戦後旧世代には、
アメリカによる日本支配は大成功だったと思い込んでいる人間が非常に多い。
派遣法の改悪等の棄民政策によって、江戸時代平均をも下回るような
困窮状態に追い込まれて来た次世代の大多数にとっては全く承服し兼ねる考えだし、
それに輪をかけて、GHQがルールを改悪した現代剣道で重傷を負って、
一時は死線をも彷徨わせられた俺などにとっては笑止でしかない妄想なのだが。
そもそもがその旧世代こそが、あまりにもの愚民さ加減によって、
日本という国を持続不能な窮地へと追い込んだ張本人でもある。
団塊世代は極度の無教養さを、新人類世代は極度の西洋かぶれを、
バブル世代は極度の遊び呆けを総出で植え付けられたことで、
知性的愛国者のような国の礎たり得るだけの素養を決して持ち合わせられない
ままの人性に追い込まれ、そのような自分たちの無様さをまともに自覚することもなく、
自由主義や個人主義の名の下に、良かれと思っての好き勝手やりたい放題を尽くした。
自分たちが年老いるまで、戦争にも直接関わらされることもなく、
豊かな生活を謳歌し続けられたことからも、戦後旧世代には、
アメリカによる日本支配は大成功だったと思い込んでいる人間が非常に多い。
派遣法の改悪等の棄民政策によって、江戸時代平均をも下回るような
困窮状態に追い込まれて来た次世代の大多数にとっては全く承服し兼ねる考えだし、
それに輪をかけて、GHQがルールを改悪した現代剣道で重傷を負って、
一時は死線をも彷徨わせられた俺などにとっては笑止でしかない妄想なのだが。
そもそもがその旧世代こそが、あまりにもの愚民さ加減によって、
日本という国を持続不能な窮地へと追い込んだ張本人でもある。
団塊世代は極度の無教養さを、新人類世代は極度の西洋かぶれを、
バブル世代は極度の遊び呆けを総出で植え付けられたことで、
知性的愛国者のような国の礎たり得るだけの素養を決して持ち合わせられない
ままの人性に追い込まれ、そのような自分たちの無様さをまともに自覚することもなく、
自由主義や個人主義の名の下に、良かれと思っての好き勝手やりたい放題を尽くした。
もちろん旧世代をそのような目に遭わせたのは、戦後日本の実質的な
占領支配者であり続けて来たアメリカや、そのパシリとしての韓国系スパイである。
何もかもを自分たちの都合のいいように操れるようにするために、
日本人には決して国を背負って立つ者としての主体性などを与えまいとし、
十全な知性や誠実さを帯びた自我と、高邁な国家観の統合を徹底的に失調ならしめて来た。
さような暴挙蛮行の試みがそのまま、日本という国の致命的な行き詰まりへと結実した。
占領支配の対象といえども、生かさず殺さずでなければ利益を吸い上げる価値も
なくなっての負債と化してしまうというのに、それを犯したのだから失策である。
米韓による日本支配は、紛れもなく失敗であった。
その失敗作の代表格たる戦後旧世代だけに、どんなに成功だったかのように
思い込ませたところで、失敗と断じる外ない結果そのものが覆ることはないし、
いつまでもそんな顛倒夢想を強い続けた分だけ、さらに輪をかけてひどい結果を招くのみなのである。
占領支配者であり続けて来たアメリカや、そのパシリとしての韓国系スパイである。
何もかもを自分たちの都合のいいように操れるようにするために、
日本人には決して国を背負って立つ者としての主体性などを与えまいとし、
十全な知性や誠実さを帯びた自我と、高邁な国家観の統合を徹底的に失調ならしめて来た。
さような暴挙蛮行の試みがそのまま、日本という国の致命的な行き詰まりへと結実した。
占領支配の対象といえども、生かさず殺さずでなければ利益を吸い上げる価値も
なくなっての負債と化してしまうというのに、それを犯したのだから失策である。
米韓による日本支配は、紛れもなく失敗であった。
その失敗作の代表格たる戦後旧世代だけに、どんなに成功だったかのように
思い込ませたところで、失敗と断じる外ない結果そのものが覆ることはないし、
いつまでもそんな顛倒夢想を強い続けた分だけ、さらに輪をかけてひどい結果を招くのみなのである。
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1698085240/l5...
旬の間にはず~っと逃げ回っておいて、
いざ腐れ果てた途端にあてがわれるとか、NTRに勝るとも劣らない愚弄加減。
昔の武将は、30過ぎの女とは妻妾といえども同衾を避けたというし、
別にディカプリオだけの特権というわけでもない。
完全男尊女卑、夫唱婦随でようやっと生き延びられるか否かなんていう境遇に、
好き好んで自分自身を追い込んだ身の程を、まずわきまえるべきだよな。ウンウンウニウム
旬の間にはず~っと逃げ回っておいて、
いざ腐れ果てた途端にあてがわれるとか、NTRに勝るとも劣らない愚弄加減。
昔の武将は、30過ぎの女とは妻妾といえども同衾を避けたというし、
別にディカプリオだけの特権というわけでもない。
完全男尊女卑、夫唱婦随でようやっと生き延びられるか否かなんていう境遇に、
好き好んで自分自身を追い込んだ身の程を、まずわきまえるべきだよな。ウンウンウニウム
女に名誉など必要もないが、男には必要だし、
そういう男がいなければ世の中も成り立たない。
どんなに本人が愚弄され慣れていたところで、
そのままでは国も家族も支えては行けないんだ。
それで困るのも本人というよりはーー
そういう男がいなければ世の中も成り立たない。
どんなに本人が愚弄され慣れていたところで、
そのままでは国も家族も支えては行けないんだ。
それで困るのも本人というよりはーー
戦後日本にも、高度成長期からバブル期にかけての数十年程度は、
どう見ても大成功としか思われないような繁栄の時期があったわけだが、
それもあくまで米韓からの占領支配などではなく、当時日本の上司層を
占めていた戦前世代の人々の奮闘ありきで成り立っていたものなのである。
(なればこそ、上司層までもが戦後世代で占められ始めた上に、暴対法の強化
などによって米韓支配がより盤石化した90年代以降は凋落の一途を辿ったのだ)
戦前世代の中でも、たとえばこの田中清玄氏などが、暗殺未遂で重傷を負うような
危険まで冒しながら、世界中に原油やガスの供給網を整備してくれたおかげで、
今でも日本のエネルギー需給は安定しているし、先がたのガザ停戦合意の国連投票でも、
アメリカにも中東にも付かない棄権選択のような、老獪な判断を下す後押しとなったのである。
すでに故人ではあるが、仮に生きていれば117歳。
小さい頃の誰かを怒鳴りつけていたという、誰かの爺さんあたりと同年代だろうが、
このあたりの世代がちょうど、親や祖父が元々本物の武士だったりして、
武家の気風を肌で理解し、自らも実践していた最後尾の人々でもある。
どう見ても大成功としか思われないような繁栄の時期があったわけだが、
それもあくまで米韓からの占領支配などではなく、当時日本の上司層を
占めていた戦前世代の人々の奮闘ありきで成り立っていたものなのである。
(なればこそ、上司層までもが戦後世代で占められ始めた上に、暴対法の強化
などによって米韓支配がより盤石化した90年代以降は凋落の一途を辿ったのだ)
戦前世代の中でも、たとえばこの田中清玄氏などが、暗殺未遂で重傷を負うような
危険まで冒しながら、世界中に原油やガスの供給網を整備してくれたおかげで、
今でも日本のエネルギー需給は安定しているし、先がたのガザ停戦合意の国連投票でも、
アメリカにも中東にも付かない棄権選択のような、老獪な判断を下す後押しとなったのである。
すでに故人ではあるが、仮に生きていれば117歳。
小さい頃の誰かを怒鳴りつけていたという、誰かの爺さんあたりと同年代だろうが、
このあたりの世代がちょうど、親や祖父が元々本物の武士だったりして、
武家の気風を肌で理解し、自らも実践していた最後尾の人々でもある。
いざとなれば、人を殺すことも自分が死ぬことも全く厭わない激烈さの持ち主でいながら、
ただのチンピラなどとは違って高い知性や名誉意識も持ち合わせていたその在り方こそが、
世界中の魑魅魍魎たちをも凌駕して、スターリンや毛沢東やハプスブルク家の
当主などとも対等以上にわたり合う原動力となっていたのである。
ただし、そのような武家の気風は、儒学や仏道への傾倒に基づくような、
篤実な人間性の修養と共にのみ十分な人道性を保ち得るものであり、
田中氏も若い頃にかぶれていた共産主義を含むような洋学の受容などと共にであれば、
ほとんどただのサイコパスとしか思われないような残忍さに終始するものである。
(誰かの爺さんなどもそれ止まりの人格だったのかもしれない)
田中氏自身、共産主義なんかを好き好んでしまったせいで自分はゴミクズみたいな
性格と化してしまった、今は禅門への帰依でなんとか人間性を持ち保っている
といったことを晩年に話していたのだけれども(「田中清玄自伝」を参照)、
彼と同世代のほとんどの日本人は、そのような立ち直りの機会に与れることもなく、
西洋化一辺倒な時流に呑み込まれたまま、武家時代の人間のような衝動の強さだけを持ち越して
誠実さや知性は目減りさせ、戦後の団塊に至ってはついに、完全消失の憂き目に遭ったのである。
ただのチンピラなどとは違って高い知性や名誉意識も持ち合わせていたその在り方こそが、
世界中の魑魅魍魎たちをも凌駕して、スターリンや毛沢東やハプスブルク家の
当主などとも対等以上にわたり合う原動力となっていたのである。
ただし、そのような武家の気風は、儒学や仏道への傾倒に基づくような、
篤実な人間性の修養と共にのみ十分な人道性を保ち得るものであり、
田中氏も若い頃にかぶれていた共産主義を含むような洋学の受容などと共にであれば、
ほとんどただのサイコパスとしか思われないような残忍さに終始するものである。
(誰かの爺さんなどもそれ止まりの人格だったのかもしれない)
田中氏自身、共産主義なんかを好き好んでしまったせいで自分はゴミクズみたいな
性格と化してしまった、今は禅門への帰依でなんとか人間性を持ち保っている
といったことを晩年に話していたのだけれども(「田中清玄自伝」を参照)、
彼と同世代のほとんどの日本人は、そのような立ち直りの機会に与れることもなく、
西洋化一辺倒な時流に呑み込まれたまま、武家時代の人間のような衝動の強さだけを持ち越して
誠実さや知性は目減りさせ、戦後の団塊に至ってはついに、完全消失の憂き目に遭ったのである。
団塊世代の、両津勘吉のような情動の強さもまた(両津も団塊世代の元ガキ大将がモデルである)、
元はといえば武家時代の日本人の激情さにその最源流を認めることができるのだが、
もはやそこには、本物の武士であれば必ず持ち合わせていたような知性や誠実さは微塵もなく、
全く以て無鉄砲で無軌道な感情の先走りばかりが目立つ脳筋と化してしまった。
それは実際、人間社会を持続的に保守して行けるだけの素養ではあり得なかったものだから、
団塊が上司層を占め始めた90年代以降は日本社会も凋落の一途を辿ったわけだけれども、
その団塊を反面教師として温厚さを保ってきた新人類世代などがその地位に成り代わって
後もまったく回復が見られることはなく、当該世代の安倍政権によってこそ
日本社会の破綻も決定づけられてしまったのだった。
必要だったのは、武家時代から尾を引き続けて来たような日本人ならではの情動の強さまでをも
控えてのアメポチと化したりすることではなく、その情動と知性や徳性を両立させることだった。
戦後日本につかの間の繫栄をもたらしてくれたのも、さような素養を少なからず持ち保てていた
戦前世代の日本人だったのであり、断じて米韓などではなかったことをつぶさにわきまえ直して、
彼らのあり方を再現して行くことにこそ専念して行くのでなければならぬ。そして
できることなら彼らをも超えて、武家時代そのものの気風すらをも取り戻せるように。
元はといえば武家時代の日本人の激情さにその最源流を認めることができるのだが、
もはやそこには、本物の武士であれば必ず持ち合わせていたような知性や誠実さは微塵もなく、
全く以て無鉄砲で無軌道な感情の先走りばかりが目立つ脳筋と化してしまった。
それは実際、人間社会を持続的に保守して行けるだけの素養ではあり得なかったものだから、
団塊が上司層を占め始めた90年代以降は日本社会も凋落の一途を辿ったわけだけれども、
その団塊を反面教師として温厚さを保ってきた新人類世代などがその地位に成り代わって
後もまったく回復が見られることはなく、当該世代の安倍政権によってこそ
日本社会の破綻も決定づけられてしまったのだった。
必要だったのは、武家時代から尾を引き続けて来たような日本人ならではの情動の強さまでをも
控えてのアメポチと化したりすることではなく、その情動と知性や徳性を両立させることだった。
戦後日本につかの間の繫栄をもたらしてくれたのも、さような素養を少なからず持ち保てていた
戦前世代の日本人だったのであり、断じて米韓などではなかったことをつぶさにわきまえ直して、
彼らのあり方を再現して行くことにこそ専念して行くのでなければならぬ。そして
できることなら彼らをも超えて、武家時代そのものの気風すらをも取り戻せるように。
(>>273の続き)
それ だ け であれば戦後世代の団塊も持ち合わせているような、
武家時代にまで源流を遡ることができる、日本人ならではの情動の強さこそが、
「現実を楽しみ抜く」という、このスレの主題の遂行のためにも必要不可欠となる。
何しろ人間、誰しもいつかは必ず死に、死ねば二度と生き返ることもない。
諸行無常の非情な現実の前でも無明の闇、タナトフォビアに取り込まれて
苦しんだりしないためには、情動の強さによって現実と真摯に対峙し続けるか、
もしくはキリスト教のような来世信仰への狂信によって、諸行無常の現実
そのものを見失ってしまうかの、いずれかでなければ済まないのである。
欧米人はみな、昔ながらの日本人と比べればメンタルが弱くて傷つきやすいのに、
いうほど死への恐怖に怯え続けているような人間ばかりでもないのは、
(無鉄砲な命知らずさでは日本人を上回るような者も多くいる)
根底の所に諸行無常の真理などを決して認めようとはしない、
カルト信仰に基づく盤石な現実逃避意識が備わっているからである。
古来の日本人はそうではなく、仏道や武士道への傾倒によって、
諸行無常の真理を大真面目に受け止めながら、情動の強さでそれを乗り越えて、
なおかつそこで知性や徳性をも持ち保って行くという修養に取り組んでいたのだった。
それ だ け であれば戦後世代の団塊も持ち合わせているような、
武家時代にまで源流を遡ることができる、日本人ならではの情動の強さこそが、
「現実を楽しみ抜く」という、このスレの主題の遂行のためにも必要不可欠となる。
何しろ人間、誰しもいつかは必ず死に、死ねば二度と生き返ることもない。
諸行無常の非情な現実の前でも無明の闇、タナトフォビアに取り込まれて
苦しんだりしないためには、情動の強さによって現実と真摯に対峙し続けるか、
もしくはキリスト教のような来世信仰への狂信によって、諸行無常の現実
そのものを見失ってしまうかの、いずれかでなければ済まないのである。
欧米人はみな、昔ながらの日本人と比べればメンタルが弱くて傷つきやすいのに、
いうほど死への恐怖に怯え続けているような人間ばかりでもないのは、
(無鉄砲な命知らずさでは日本人を上回るような者も多くいる)
根底の所に諸行無常の真理などを決して認めようとはしない、
カルト信仰に基づく盤石な現実逃避意識が備わっているからである。
古来の日本人はそうではなく、仏道や武士道への傾倒によって、
諸行無常の真理を大真面目に受け止めながら、情動の強さでそれを乗り越えて、
なおかつそこで知性や徳性をも持ち保って行くという修養に取り組んでいたのだった。
IT産業での躍進などによって、論理的思考能力の高さが改めて確認されて来た
インド人も、実はシヴァ信仰などに裏付けられた情動の豊かさの持ち主が大変多く、
ボリウッドの映画作品も歌に踊りに暴力と、激情を煽るような作風のものが大変多い。
しかし、むしろそのようなあり方こそが、現実に対して徹底的に大真面目たる素養を
インド人たちに具わらせ、ITのような高い論理性を要求される分野においても、
世界的に突出した開発能力を総員で持ち合わせるだけの後押しとなって来たのである。
激情のせいで、かえって論理性を損ねてしまっている日本の団塊老人などをみれば、
むしろ情動の強さこそは論理性の敵のように思われかねないが、むしろ一定以上の
現実直視による論理性の高さの確保のためには、諸行無常のことわりをも真摯に
受け止めて行けるだけの情動の強さこそを持ち合わせられているのでなければならない。
まったく無制限にカッカと燃え上がるだけの、情緒障害級な情動などはさすがに論理性を
損ねる障りとなりかねないが、さらにそこへと高い精神力による制動を利かせられたなら、
ただひたすら冷酷なだけの人間などよりも、高い論理性や現実直視の真剣さを持ち合わせられるもの。
西洋的な腑抜けさの開き直りはかえって、そこから遠ざかる原因になってしまうものであるのは、
完全にそこに陥ってしまっている今の日本の若者などが特別、論理的でないことからも知れるのである。
インド人も、実はシヴァ信仰などに裏付けられた情動の豊かさの持ち主が大変多く、
ボリウッドの映画作品も歌に踊りに暴力と、激情を煽るような作風のものが大変多い。
しかし、むしろそのようなあり方こそが、現実に対して徹底的に大真面目たる素養を
インド人たちに具わらせ、ITのような高い論理性を要求される分野においても、
世界的に突出した開発能力を総員で持ち合わせるだけの後押しとなって来たのである。
激情のせいで、かえって論理性を損ねてしまっている日本の団塊老人などをみれば、
むしろ情動の強さこそは論理性の敵のように思われかねないが、むしろ一定以上の
現実直視による論理性の高さの確保のためには、諸行無常のことわりをも真摯に
受け止めて行けるだけの情動の強さこそを持ち合わせられているのでなければならない。
まったく無制限にカッカと燃え上がるだけの、情緒障害級な情動などはさすがに論理性を
損ねる障りとなりかねないが、さらにそこへと高い精神力による制動を利かせられたなら、
ただひたすら冷酷なだけの人間などよりも、高い論理性や現実直視の真剣さを持ち合わせられるもの。
西洋的な腑抜けさの開き直りはかえって、そこから遠ざかる原因になってしまうものであるのは、
完全にそこに陥ってしまっている今の日本の若者などが特別、論理的でないことからも知れるのである。
たとえば画像みたいな、いま「チー牛」などと呼ばれて蔑まれている
典型的な弱者男性などが別段、論理的で冷静な判断力に優れているようなこともない。
前の朝ドラ「らんまん」に出ていた、牧野富太郎がモデルの主人公や、
その研究仲間なども決して体育的な素養に恵まれた人々ではなく、
明治期の食習慣の貧相さなどもあって、今のチー牛以上に肉体的にはひ弱だった
可能性までもがあるのだが、だからといって彼らが心までチー牛並みということもなかった。
ほんのこの前まで武家時代だった世代の人間ならではの、総員での気高さが
当人たちの研究意欲などにも強い影響力を及ぼし、いまの弱男ならすぐに諦めて
放り投げてしまうような難儀をものともしないバイタリティを抱かせていたのである。
しかも、牧野やその仲間たちがやっていたのは、植物学という理系の研究分野だから、
ただ情熱があればいいだけではなく、理性的で論理的な思考力もまた人一倍でなければならぬ。
典型的な弱者男性などが別段、論理的で冷静な判断力に優れているようなこともない。
前の朝ドラ「らんまん」に出ていた、牧野富太郎がモデルの主人公や、
その研究仲間なども決して体育的な素養に恵まれた人々ではなく、
明治期の食習慣の貧相さなどもあって、今のチー牛以上に肉体的にはひ弱だった
可能性までもがあるのだが、だからといって彼らが心までチー牛並みということもなかった。
ほんのこの前まで武家時代だった世代の人間ならではの、総員での気高さが
当人たちの研究意欲などにも強い影響力を及ぼし、いまの弱男ならすぐに諦めて
放り投げてしまうような難儀をものともしないバイタリティを抱かせていたのである。
しかも、牧野やその仲間たちがやっていたのは、植物学という理系の研究分野だから、
ただ情熱があればいいだけではなく、理性的で論理的な思考力もまた人一倍でなければならぬ。
それもまた、打首切腹切り捨て御免、火事と喧嘩は江戸の華なんていう時代に
養われた情動の強さと理性の高い次元での両立こそが会得させていたところだし、
それはオックスフォード大の教授が「真似できない」と降参宣言するほどもの、
世界的にも突出した研究成果を挙げる原動力とまでなっていた。
(今年、牧野植物園に来訪して、牧野の植物図を見て述べた感想より)
もはや武家時代から150年以上もの年月が経ち、その間、かつての気風を本気で
取り戻すような試みが為されることもなく(時代劇ブームも所詮は懐古趣味止まりだった)、
基本的にはより一層の西洋化ばかりに誰しもが流されて行く風潮のままであり続けた結果、
団塊や体育会系的な知性を蔑ろにしている部類の人種のみならず、昔ならガリ勉扱い
でいながら知性面では拠り所とされていたような文科系の人間までもが、別に知性面で
特別に秀でているわけでもない弱者男性扱いなどにされるという、どん詰まりに至ったのだった。
文武両道、心技体すべての素養に秀でるのが人としての理想ではあるが、
せめてでも体育面で劣るような者は学問で秀でることを心がけよというような風潮が
ほんの近ごろまであったのが、もはやそれすら不可能ないいとこなしののび太くんが
若者の大多数を占めるようなことになってしまった。それはやはり、精神面までもが
西洋化によって単なる腑抜け止まりと化することを強いられたからなのである。
養われた情動の強さと理性の高い次元での両立こそが会得させていたところだし、
それはオックスフォード大の教授が「真似できない」と降参宣言するほどもの、
世界的にも突出した研究成果を挙げる原動力とまでなっていた。
(今年、牧野植物園に来訪して、牧野の植物図を見て述べた感想より)
もはや武家時代から150年以上もの年月が経ち、その間、かつての気風を本気で
取り戻すような試みが為されることもなく(時代劇ブームも所詮は懐古趣味止まりだった)、
基本的にはより一層の西洋化ばかりに誰しもが流されて行く風潮のままであり続けた結果、
団塊や体育会系的な知性を蔑ろにしている部類の人種のみならず、昔ならガリ勉扱い
でいながら知性面では拠り所とされていたような文科系の人間までもが、別に知性面で
特別に秀でているわけでもない弱者男性扱いなどにされるという、どん詰まりに至ったのだった。
文武両道、心技体すべての素養に秀でるのが人としての理想ではあるが、
せめてでも体育面で劣るような者は学問で秀でることを心がけよというような風潮が
ほんの近ごろまであったのが、もはやそれすら不可能ないいとこなしののび太くんが
若者の大多数を占めるようなことになってしまった。それはやはり、精神面までもが
西洋化によって単なる腑抜け止まりと化することを強いられたからなのである。
たとえば、火を使った調理に例えるなら、
情緒障害級の激情まみれが、カッカカッカと最大限に燃え上がる強火、
それを相手取っての極端な冷厳志向は、そもそも火を使わないといった所。
強火でできる、やったほうがいい調理だってなくもないが、
火加減ができなかったり、そもそも火が使えなかったりするあまりに、
極めて多くの調理が自分たちにとっては不可能な代物と化してしまう。
包丁のような刃物にしたって同じことで、無鉄砲に振り回すか、
もしくは刃物なんか手に取ることもないようにしようかなんていう
両極端に振り切れるのなら、これまた多くの調理が不可能となるし、
その他、工作工芸や武芸軍事その他、極めて多くの技巧が不能となる。
(もちろん火の活用もまた、調理に限ってのことではない)
いざ火を使うとなれば青葉真司や谷本盛雄のようでしかあり得ず、
いざ刃物を使うとなれば宅間守や加藤智大のようでしかあり得なくて、
仕方ないから火も刃物も一切使わないでいようとした結果、
今度は知性や論理性にも欠ける腑抜けと化してしまうような
事態に陥ってしまっているのが、ほぼ全ての現代日本人の様相である。
情緒障害級の激情まみれが、カッカカッカと最大限に燃え上がる強火、
それを相手取っての極端な冷厳志向は、そもそも火を使わないといった所。
強火でできる、やったほうがいい調理だってなくもないが、
火加減ができなかったり、そもそも火が使えなかったりするあまりに、
極めて多くの調理が自分たちにとっては不可能な代物と化してしまう。
包丁のような刃物にしたって同じことで、無鉄砲に振り回すか、
もしくは刃物なんか手に取ることもないようにしようかなんていう
両極端に振り切れるのなら、これまた多くの調理が不可能となるし、
その他、工作工芸や武芸軍事その他、極めて多くの技巧が不能となる。
(もちろん火の活用もまた、調理に限ってのことではない)
いざ火を使うとなれば青葉真司や谷本盛雄のようでしかあり得ず、
いざ刃物を使うとなれば宅間守や加藤智大のようでしかあり得なくて、
仕方ないから火も刃物も一切使わないでいようとした結果、
今度は知性や論理性にも欠ける腑抜けと化してしまうような
事態に陥ってしまっているのが、ほぼ全ての現代日本人の様相である。
火も刃物も、文明社会に生きる人類として全く使わないわけにはいかないが、
さりとてその扱い方が下手くそなのでもいけない。だから無暗に遠ざけるでも、
ただただ自由に使わせるでもなく、その扱いの修練を万人に積ませるのが至善となる。
「情動の強さ」というものもまたこれと同様であって、
団塊ジジイやヒスBBAのように全く制動が利かない情緒障害級でもいけないし、
チー牛弱男やトー横メンヘラ女子なみに全く腑抜けきってしまうのでもいけない。
火加減がうまくできたり、刃物がうまく使えたりするように、
自らの情動もまた過不足なくうまく制御することができてこそ、
ただバイタリティに恵まれるのみならず、理系分野で大きな成果を挙げるための、
論理的思考能力などまでもが健全に育まれて行くこととなるのである。
いま、新人類世代の年寄りあたりが最長老の支配層となっている日本社会において、
「感情をうまく制御できる」といえば、「ただひたすら腑抜けである」というのと
ほぼ同義になってしまっているが故に、そのような教育を受けている若者なども
弱男、メンヘラ止まりでしかいられないでいる。そうではなく、感情は必要とあらば
最大限に発揮できる上で、それをただ押し殺すでもなく、必要に応じて過不足なく
発露できるように仕向けて行くことこそが、人々の才覚を養う教育ともなるのである。
さりとてその扱い方が下手くそなのでもいけない。だから無暗に遠ざけるでも、
ただただ自由に使わせるでもなく、その扱いの修練を万人に積ませるのが至善となる。
「情動の強さ」というものもまたこれと同様であって、
団塊ジジイやヒスBBAのように全く制動が利かない情緒障害級でもいけないし、
チー牛弱男やトー横メンヘラ女子なみに全く腑抜けきってしまうのでもいけない。
火加減がうまくできたり、刃物がうまく使えたりするように、
自らの情動もまた過不足なくうまく制御することができてこそ、
ただバイタリティに恵まれるのみならず、理系分野で大きな成果を挙げるための、
論理的思考能力などまでもが健全に育まれて行くこととなるのである。
いま、新人類世代の年寄りあたりが最長老の支配層となっている日本社会において、
「感情をうまく制御できる」といえば、「ただひたすら腑抜けである」というのと
ほぼ同義になってしまっているが故に、そのような教育を受けている若者なども
弱男、メンヘラ止まりでしかいられないでいる。そうではなく、感情は必要とあらば
最大限に発揮できる上で、それをただ押し殺すでもなく、必要に応じて過不足なく
発露できるように仕向けて行くことこそが、人々の才覚を養う教育ともなるのである。
[YouTubeで再生]
故安倍の口調のへなちょこ加減のほか、
この衆院議長辞任時の細田のヘロヘロ加減などを見ても察せられることだが、
カルト信仰こそは、人間からまともな情緒を奪い去る代表格の洗脳操作でもある。
ジャニー喜多川が性加害を通じてタレントに強いていたような精神支配もまた
類似の効果を持ち合わせていたものだが、ジャニーズ以上に統一教会こそが
日本全体を支配下に置くことに成功していたり、キリスト教が未だ世界最大級の信教
であったりするのを見ても分かる通り、カルト信仰はその規模が桁違いたり得るもの。
前々スレで「オナニーメンタル」とも呼んでいた、常にふざけた気持ちでいるので
なければ済まないほど腑抜けきった精神状態を、正規のカルト信者には信仰によって
植え付けるし、そうでない一般人にもまたあの手この手を使って植え付けて行く。
安倍政権などは、団塊の鳩山菅カンが首相を歴任した民主党政権や左翼老人
などを反面教師とすることを通じて、日本社会全体がカルト並みの腑抜けさに
ドップリと浸かり切ることを促し、実際に相当な所までそれを実現させたのだった。
故安倍の口調のへなちょこ加減のほか、
この衆院議長辞任時の細田のヘロヘロ加減などを見ても察せられることだが、
カルト信仰こそは、人間からまともな情緒を奪い去る代表格の洗脳操作でもある。
ジャニー喜多川が性加害を通じてタレントに強いていたような精神支配もまた
類似の効果を持ち合わせていたものだが、ジャニーズ以上に統一教会こそが
日本全体を支配下に置くことに成功していたり、キリスト教が未だ世界最大級の信教
であったりするのを見ても分かる通り、カルト信仰はその規模が桁違いたり得るもの。
前々スレで「オナニーメンタル」とも呼んでいた、常にふざけた気持ちでいるので
なければ済まないほど腑抜けきった精神状態を、正規のカルト信者には信仰によって
植え付けるし、そうでない一般人にもまたあの手この手を使って植え付けて行く。
安倍政権などは、団塊の鳩山菅カンが首相を歴任した民主党政権や左翼老人
などを反面教師とすることを通じて、日本社会全体がカルト並みの腑抜けさに
ドップリと浸かり切ることを促し、実際に相当な所までそれを実現させたのだった。
火も刃物もできる限り使わせまいとするが如く、情動の強さもまたないに越したことはない
扱いであらん限りの排除を尽くした結果、「悪夢の民主党、地獄の自民党」と並び称される
ほどの生活苦が中流以下の大多数の日本人に強いられて、アベノミクスで当初予定されていた
トリクルダウンなども起きず、ただ下々の富がより一層上級に吸い上げられるに任せた挙句、
GDPも一時はマイナス成長に陥るほどの低調を来たし、ついにはドイツにも抜かれる始末。
あれほど総スカンだった民主党政権のさらに下を行くような結果しか出せなかったのが、
情動の存在意義を全否定してかかる一つ覚えに振り切れた、カルト支配政権の所業だった。
ーー俺個人も学生の頃に、団塊教師の粗暴さなどに嫌な思いをさせられたことがあるし、
ただひたすら激情に駆られるような有り様が、決して人のあるべき姿などではないに違いないが、
逆に徹頭徹尾腑抜けを許容し抜いて、不登校や宿題の放棄も容認するような学校教育を
実現した先にあったのは、さらにそれを下回るような世を挙げての無残さだったのだし、
団塊的粗暴もカルト的腑抜けも、共にこの世から退場してもらうのが最善なのに違いない。
扱いであらん限りの排除を尽くした結果、「悪夢の民主党、地獄の自民党」と並び称される
ほどの生活苦が中流以下の大多数の日本人に強いられて、アベノミクスで当初予定されていた
トリクルダウンなども起きず、ただ下々の富がより一層上級に吸い上げられるに任せた挙句、
GDPも一時はマイナス成長に陥るほどの低調を来たし、ついにはドイツにも抜かれる始末。
あれほど総スカンだった民主党政権のさらに下を行くような結果しか出せなかったのが、
情動の存在意義を全否定してかかる一つ覚えに振り切れた、カルト支配政権の所業だった。
ーー俺個人も学生の頃に、団塊教師の粗暴さなどに嫌な思いをさせられたことがあるし、
ただひたすら激情に駆られるような有り様が、決して人のあるべき姿などではないに違いないが、
逆に徹頭徹尾腑抜けを許容し抜いて、不登校や宿題の放棄も容認するような学校教育を
実現した先にあったのは、さらにそれを下回るような世を挙げての無残さだったのだし、
団塊的粗暴もカルト的腑抜けも、共にこの世から退場してもらうのが最善なのに違いない。
火や刃物が有効活用されることで、初めて文明社会もまた成り立つ上に、
より生産的で発展的な方面の業種ほど活況を呈することともなる。
実際に物を作ったり、廃棄物を処理して新たな生産の後押しとしたりする分野ほど、
火や刃物やそれに準ずるような道具を必要不可欠なものとしているもの。
ただ金カネや人材を右から左に動かしたりするだけで中間マージンを
ぼったくるような、生産性など皆無に等しい上に、実生産に直接携わって行くような
人々の取り分を削り取って肥え太るような仕事ほど、自分たち自身は火も刃物も
必要とせず、さらにそういう界隈で上位に行けば行くほど、人を顎で使うだけで、
ソロバンやPCすらまともに使う必要もないような非技巧的事務のみに特化する。
(前の経団連会長がEメールを使えただけでも周囲から褒め称えられていたが如く)
そのような仕事ほど貴人、勝ち組の携わるべきものとし、火や刃物を直接扱うような
仕事ほど賤民に低収入で押し付けるべきものだとした結果が、今の日本の有様である。
この世から火も刃物も使わないような仕事は根絶すべきだとまでも言われないが、
江戸時代に法度だったレベルの悪徳派遣業ぐらいは厳禁としたうえで、その他の類似な
ピンハネ稼業に対しても実質面と倫理面両方からの冷遇を凝らすぐらいで初めて、
世の中が今の日本のような低生産性の蔓延ゆえの停滞から脱却できることともなる。
より生産的で発展的な方面の業種ほど活況を呈することともなる。
実際に物を作ったり、廃棄物を処理して新たな生産の後押しとしたりする分野ほど、
火や刃物やそれに準ずるような道具を必要不可欠なものとしているもの。
ただ金カネや人材を右から左に動かしたりするだけで中間マージンを
ぼったくるような、生産性など皆無に等しい上に、実生産に直接携わって行くような
人々の取り分を削り取って肥え太るような仕事ほど、自分たち自身は火も刃物も
必要とせず、さらにそういう界隈で上位に行けば行くほど、人を顎で使うだけで、
ソロバンやPCすらまともに使う必要もないような非技巧的事務のみに特化する。
(前の経団連会長がEメールを使えただけでも周囲から褒め称えられていたが如く)
そのような仕事ほど貴人、勝ち組の携わるべきものとし、火や刃物を直接扱うような
仕事ほど賤民に低収入で押し付けるべきものだとした結果が、今の日本の有様である。
この世から火も刃物も使わないような仕事は根絶すべきだとまでも言われないが、
江戸時代に法度だったレベルの悪徳派遣業ぐらいは厳禁としたうえで、その他の類似な
ピンハネ稼業に対しても実質面と倫理面両方からの冷遇を凝らすぐらいで初めて、
世の中が今の日本のような低生産性の蔓延ゆえの停滞から脱却できることともなる。
どうしてもそれが嫌なら、後はアメリカみたいに国外への侵略で損失を補填するしかないし、
それもまた結局、軍事力のような火と刃物の塊の乱用に頼ることとなるのには変わりがない。
火や刃物を忌まわしい危険物として遠ざけるだけでは世の中が成り立たないし、
あくまで無理にそれを押し通そうとした先でこそ、最も忌まわしい戦火のごとき業火を
招いてしまうことともなる。だから人間社会たるもの、さような一つ覚えに囚われることなく、
危険物であるなりの火や刃物への尊重意識もまた総出で養って行くべきなのである。
木造が主体な日本古来の寺社で火を扱うことなどには、特に大きな危険が伴うものだが、
それでもあえてそれを試み続けることで、火の適正な扱い方もまた培われて来たもの。
刀剣の安全で有効な扱い方こそを主に追究し続けて来た、日本古来の武術などもまた同様。
唐手だボクシングだプロレスだの、海外の徒手格闘の流入もあって、戦後の日本などでは
日本武術までもが真剣の利用を避けるようなもの(剣道を含む)が主流となってしまったが、
そのうちの一つとしての竹刀剣道のせいで、俺も命を危ぶむほどの重傷を負ってしまったものだし、
むしろ執拗に刃物や火を遠ざけてかかろうとする所にこそ、より大きな危険が潜んでいるもの。
そして結局、実物としての火や刃物を正しく安全に扱う修練のためにこそ、単なる腑抜けにも
激情家にも務まらない、情動の強さの適切な制御の嗜みが必要ともなるわけである。
それもまた結局、軍事力のような火と刃物の塊の乱用に頼ることとなるのには変わりがない。
火や刃物を忌まわしい危険物として遠ざけるだけでは世の中が成り立たないし、
あくまで無理にそれを押し通そうとした先でこそ、最も忌まわしい戦火のごとき業火を
招いてしまうことともなる。だから人間社会たるもの、さような一つ覚えに囚われることなく、
危険物であるなりの火や刃物への尊重意識もまた総出で養って行くべきなのである。
木造が主体な日本古来の寺社で火を扱うことなどには、特に大きな危険が伴うものだが、
それでもあえてそれを試み続けることで、火の適正な扱い方もまた培われて来たもの。
刀剣の安全で有効な扱い方こそを主に追究し続けて来た、日本古来の武術などもまた同様。
唐手だボクシングだプロレスだの、海外の徒手格闘の流入もあって、戦後の日本などでは
日本武術までもが真剣の利用を避けるようなもの(剣道を含む)が主流となってしまったが、
そのうちの一つとしての竹刀剣道のせいで、俺も命を危ぶむほどの重傷を負ってしまったものだし、
むしろ執拗に刃物や火を遠ざけてかかろうとする所にこそ、より大きな危険が潜んでいるもの。
そして結局、実物としての火や刃物を正しく安全に扱う修練のためにこそ、単なる腑抜けにも
激情家にも務まらない、情動の強さの適切な制御の嗜みが必要ともなるわけである。
国民全体が世界でもトップ級に恐怖遺伝子の欠如率が高く、
命知らずな乱暴にも躊躇がないことで有名なロシア人こそは、
刀剣を含む武器一般への倫理的な否定意識の高さの持ち主でもある。
なればこそ、AKやトカレフみたいなコスパ重視に割り切った武器の開発にも秀で、
そのような武器にしろ兵士にしろ、まるでトイレットペーパーのように
使い捨ててかかることにもまったく躊躇がない。
命知らずが多い者だから、「気違いに刃物」にしかならない武器を倫理的には
ただただ遠ざける。武器なんて別に尊重すべき物品でもないから安物に徹し、
それを命知らずな兵士たちに持たせて使い捨てるという悪循環。
戦前の日本軍なども、特に陸軍の玉砕突撃などにかけて似たような傾向が見られたし、
最も忌まわしい悲惨さを帯びた部類の戦乱こそは、銃砲刀剣も単なる危険物扱いで、
どこまでも倫理的な尊重対象などとしては認めない風潮こそが招くものである。
そしてそれは、戦前日本の軍部や今のプーチンなどに限らず、
いまウクライナやガザでの戦争に反意を唱えているような自称平和主義者にもまた、
少なからず見られる傾向であり、決して反戦でさえあれば否というものでもないのである。
命知らずな乱暴にも躊躇がないことで有名なロシア人こそは、
刀剣を含む武器一般への倫理的な否定意識の高さの持ち主でもある。
なればこそ、AKやトカレフみたいなコスパ重視に割り切った武器の開発にも秀で、
そのような武器にしろ兵士にしろ、まるでトイレットペーパーのように
使い捨ててかかることにもまったく躊躇がない。
命知らずが多い者だから、「気違いに刃物」にしかならない武器を倫理的には
ただただ遠ざける。武器なんて別に尊重すべき物品でもないから安物に徹し、
それを命知らずな兵士たちに持たせて使い捨てるという悪循環。
戦前の日本軍なども、特に陸軍の玉砕突撃などにかけて似たような傾向が見られたし、
最も忌まわしい悲惨さを帯びた部類の戦乱こそは、銃砲刀剣も単なる危険物扱いで、
どこまでも倫理的な尊重対象などとしては認めない風潮こそが招くものである。
そしてそれは、戦前日本の軍部や今のプーチンなどに限らず、
いまウクライナやガザでの戦争に反意を唱えているような自称平和主義者にもまた、
少なからず見られる傾向であり、決して反戦でさえあれば否というものでもないのである。
もう少しスレの主題に話を戻してーー
これは、次スレの主題にしてもいいぐらいの話なのだが、
別の主題をすでに用意しているし、似たような趣旨のスレをだいぶ前、
すでに立てていた覚えがあるので、ここで書き留めておくこと。
その頃もそうだったし、今もやはりずっと確信を高め続けているのが、
「今ありのままの自分こそは、歴史的人物となるための着実な道程のさ中にある」という認識。
社会的に鳴かず飛ばずの高齢無職ニートという、虚栄心の塊みたいな連中からすれば
もっとも陰惨で成功から程遠いとされるような身の程でいながら、にもかかわらずどころか、
だからこそ、歴史に名を遺すような偉人となるための手筈を整え抜いているとも確信できる。
もちろん、絶対にそうなれるというわけではないし、仮に歴史に名を遺すとしたところで、
孔子や孟子のように存命中には栄光に恵まれなかったり、屈原や李白のように非業の最期を
遂げたりするようなこともあり得るわけだが。それでもなお、自らが歴史に美名を遺すための
出処進退に取り組み続けることにかけて、今の世の大多数の人間をはるかに上回っていると断定できる。
これは、次スレの主題にしてもいいぐらいの話なのだが、
別の主題をすでに用意しているし、似たような趣旨のスレをだいぶ前、
すでに立てていた覚えがあるので、ここで書き留めておくこと。
その頃もそうだったし、今もやはりずっと確信を高め続けているのが、
「今ありのままの自分こそは、歴史的人物となるための着実な道程のさ中にある」という認識。
社会的に鳴かず飛ばずの高齢無職ニートという、虚栄心の塊みたいな連中からすれば
もっとも陰惨で成功から程遠いとされるような身の程でいながら、にもかかわらずどころか、
だからこそ、歴史に名を遺すような偉人となるための手筈を整え抜いているとも確信できる。
もちろん、絶対にそうなれるというわけではないし、仮に歴史に名を遺すとしたところで、
孔子や孟子のように存命中には栄光に恵まれなかったり、屈原や李白のように非業の最期を
遂げたりするようなこともあり得るわけだが。それでもなお、自らが歴史に美名を遺すための
出処進退に取り組み続けることにかけて、今の世の大多数の人間をはるかに上回っていると断定できる。
今のような腐れ果てた時代に、金カネも地位もかわいい妻子も手に入れて、
個人的な栄華を謳歌できたからといって、それでどうなるのか?
多くの人々が地獄の苦難に苛まれている中で、自分ばかりがそのような世における
利権の横取りに成功していい思いをしているだけだし、そんな身の程は歴史に名を留めるにも
値しないか、もしくは夏桀殷紂趙高秦檜のような悪名を残す恥晒しにしかならないもの。
さような障りを極力排除し抜いての、志操堅固な生き方を守り抜いているが故に、
それなりの年になろうとも未だに、歴史に美名を馳せるだけの資格を保ち抜けている。
ただそれだけでも、いま自分が生き続けて年を重ねているという現実が、楽しくてたまらないもの。
逆に、俺や否定派に唾棄しながら虚栄を謳歌しているような側の連中はといえば、
どうせ死後にはちり芥かジャニー喜多川程度の名声しか残らない、自らの身の程の矮小さに
苦悩を抱いては、現実逃避のためにさらなる遊び呆けを志すしかないような有り様でいる。
そこにもまた、現実こそを最大級に楽しむ益荒男と、その逆状態な虫けらの雌雄が決しているわけである。
個人的な栄華を謳歌できたからといって、それでどうなるのか?
多くの人々が地獄の苦難に苛まれている中で、自分ばかりがそのような世における
利権の横取りに成功していい思いをしているだけだし、そんな身の程は歴史に名を留めるにも
値しないか、もしくは夏桀殷紂趙高秦檜のような悪名を残す恥晒しにしかならないもの。
さような障りを極力排除し抜いての、志操堅固な生き方を守り抜いているが故に、
それなりの年になろうとも未だに、歴史に美名を馳せるだけの資格を保ち抜けている。
ただそれだけでも、いま自分が生き続けて年を重ねているという現実が、楽しくてたまらないもの。
逆に、俺や否定派に唾棄しながら虚栄を謳歌しているような側の連中はといえば、
どうせ死後にはちり芥かジャニー喜多川程度の名声しか残らない、自らの身の程の矮小さに
苦悩を抱いては、現実逃避のためにさらなる遊び呆けを志すしかないような有り様でいる。
そこにもまた、現実こそを最大級に楽しむ益荒男と、その逆状態な虫けらの雌雄が決しているわけである。
いい年になっても、ろくに何もしないままでいる俺や否定派の有様を、
さも焦燥感や絶望の塊であるかのように決めつけて来る輩がここにはいるし、
否定派のほうは、そのような連中の決めつけに丸め込まれて(グルーミング)、
本当に抱く必要もないような苦悩まで抱かされてしまっているわけだが。
長年、何もしないでいる、にもかかわらずではなくだからこそ、
ろくでもないことばかりやらかしている今の世の成功者扱いな連中以上に、
世の中にプラスマイナスゼロ以上の好影響をもたらした偉人として、
歴史に美名を残せる可能性が、より高いのにも違いない。
少なくとも今の時代において、何もしない以上に世の中に対して純良な影響を
及ぼせている人間なんて、ノーベル賞受賞者なども含めて皆無なのだから(>>253)、
未だ何もしていない、出来ていないからといって、人並み以上に歴史に名を馳せる
資格が少ないなどとは決していえないし、むしろより多いといっても過言ではない。
故に、何をするまでもなく、今のありのままの自分こそが、今の世で歴史的偉人に最も
近い部類の人間であることに愉悦を抱けるものだし、少なくとも、悪名を残さなくて済むこと
への安心感の大きさによって、虚栄者たちのような苦悩を抱かされずとも済むほうなはずである。
その苦悩や焦燥は、おまえらにとってのみ避けようのない宿命だと知るべきなのである。
さも焦燥感や絶望の塊であるかのように決めつけて来る輩がここにはいるし、
否定派のほうは、そのような連中の決めつけに丸め込まれて(グルーミング)、
本当に抱く必要もないような苦悩まで抱かされてしまっているわけだが。
長年、何もしないでいる、にもかかわらずではなくだからこそ、
ろくでもないことばかりやらかしている今の世の成功者扱いな連中以上に、
世の中にプラスマイナスゼロ以上の好影響をもたらした偉人として、
歴史に美名を残せる可能性が、より高いのにも違いない。
少なくとも今の時代において、何もしない以上に世の中に対して純良な影響を
及ぼせている人間なんて、ノーベル賞受賞者なども含めて皆無なのだから(>>253)、
未だ何もしていない、出来ていないからといって、人並み以上に歴史に名を馳せる
資格が少ないなどとは決していえないし、むしろより多いといっても過言ではない。
故に、何をするまでもなく、今のありのままの自分こそが、今の世で歴史的偉人に最も
近い部類の人間であることに愉悦を抱けるものだし、少なくとも、悪名を残さなくて済むこと
への安心感の大きさによって、虚栄者たちのような苦悩を抱かされずとも済むほうなはずである。
その苦悩や焦燥は、おまえらにとってのみ避けようのない宿命だと知るべきなのである。
一昨日にNHKでやっていた解体キングダムという番組で、
風力発電所の解体特集をやっていたんだが(もちろん無料で見た)。
フェンス一つない場所での、命綱だけが頼みな危険度MAXの高所作業で、
いつも担当している鳶職の人は、安全のために万全を期するために、
仕事の後には必ずノート2ページ分以上の日誌をビッシリと書き留めているんだという。
「学校の勉強なんて大嫌いだったけど、この日誌を書くのは楽しい」とも。
今の学校の勉強といえば洋学ばかりで、実践皆無な机上専門の学者が、商工会からの賄賂で
適当に思い付いたような学説の集まり。最大級に実地的で実物の現象を捉えた理系分野といえども、
「人間の善悪苦楽を直接司るものではない」という仏法上の無記法則によって有益無害とまでは行かず、
必ずや功罪相半ばし、扱いようによっては害悪のほうが上回ってしまう。そのような天井打ちの
範囲内だけでしか編成されて来ていない洋学の勉強などと比べれば、高所作業の安全策を練るのは、
有益無害な取り組みであるのが自明であるために、その善因楽果で絶対的に楽しいのである。
空想、妄想への現実逃避よりも、現実に着実に向き合って行くことのほうが
楽しいというのは、たとえばこのような事例からも垣間見える法則である。
風力発電所の解体特集をやっていたんだが(もちろん無料で見た)。
フェンス一つない場所での、命綱だけが頼みな危険度MAXの高所作業で、
いつも担当している鳶職の人は、安全のために万全を期するために、
仕事の後には必ずノート2ページ分以上の日誌をビッシリと書き留めているんだという。
「学校の勉強なんて大嫌いだったけど、この日誌を書くのは楽しい」とも。
今の学校の勉強といえば洋学ばかりで、実践皆無な机上専門の学者が、商工会からの賄賂で
適当に思い付いたような学説の集まり。最大級に実地的で実物の現象を捉えた理系分野といえども、
「人間の善悪苦楽を直接司るものではない」という仏法上の無記法則によって有益無害とまでは行かず、
必ずや功罪相半ばし、扱いようによっては害悪のほうが上回ってしまう。そのような天井打ちの
範囲内だけでしか編成されて来ていない洋学の勉強などと比べれば、高所作業の安全策を練るのは、
有益無害な取り組みであるのが自明であるために、その善因楽果で絶対的に楽しいのである。
空想、妄想への現実逃避よりも、現実に着実に向き合って行くことのほうが
楽しいというのは、たとえばこのような事例からも垣間見える法則である。
俺も洋学なんてろくに面白くもないと思いながら、おおむねその全容を把握できる程度には
勉強してみた上で、儒学や仏学のような人類にとっての本流たるべき正学へと転向したものだが、
「なんだ、勉強って本当はこんなに面白いものだったのか」と幾度、考え直させられたか知れない。
それもまた、そこに書き記されていることが間違いなく、着実に人類社会の福徳を増進することに
特化しているからで、そういった学問を実践に移す場合のみならず、ただ勉強しているだけでも
楽しいものだし、もちろん身命を呈した実践にも、なんらの苦悩を抱いたりする必要がない。
儒学や仏学には、人間社会を数百年以上にわたって自給自足での平和状態へと導く素養や実績があるが、
洋学には一律してそんなものはなく、今のアフリカの未開地域が半端な開発地域などよりも豊かで安定
している事例などを見ても、時に未開の土人社会未満の荒廃をもたらす代物であることまでもが知れる。
(近ごろはアメリカの貧困地域まで似たような様相を呈しているようでもあるが)
しかし残念ながら、未だ人間社会の主流扱いな学問は儒学や仏学よりも洋学のほうで、
その実践に取り組むような不毛な仕事ばかりが尊ばれ、それより遥かに有益無害なことをやっている
解体業の鳶職なども底辺稼業の扱いでいる。それが畢竟、世の中がよりつまらないものばかりに
支配されて、そのせいでより荒廃を来たすとかいういいとこなしな末路を辿っているのである。
勉強してみた上で、儒学や仏学のような人類にとっての本流たるべき正学へと転向したものだが、
「なんだ、勉強って本当はこんなに面白いものだったのか」と幾度、考え直させられたか知れない。
それもまた、そこに書き記されていることが間違いなく、着実に人類社会の福徳を増進することに
特化しているからで、そういった学問を実践に移す場合のみならず、ただ勉強しているだけでも
楽しいものだし、もちろん身命を呈した実践にも、なんらの苦悩を抱いたりする必要がない。
儒学や仏学には、人間社会を数百年以上にわたって自給自足での平和状態へと導く素養や実績があるが、
洋学には一律してそんなものはなく、今のアフリカの未開地域が半端な開発地域などよりも豊かで安定
している事例などを見ても、時に未開の土人社会未満の荒廃をもたらす代物であることまでもが知れる。
(近ごろはアメリカの貧困地域まで似たような様相を呈しているようでもあるが)
しかし残念ながら、未だ人間社会の主流扱いな学問は儒学や仏学よりも洋学のほうで、
その実践に取り組むような不毛な仕事ばかりが尊ばれ、それより遥かに有益無害なことをやっている
解体業の鳶職なども底辺稼業の扱いでいる。それが畢竟、世の中がよりつまらないものばかりに
支配されて、そのせいでより荒廃を来たすとかいういいとこなしな末路を辿っているのである。
洋学の産物の中でも、もっとも現代社会への影響力が絶大でいながら、
所詮はそれもまた、仏法でいう「無記」の範疇でしかあり得ないことを
最大限に実証し続けているものに、「核エネルギーの有効活用」がある。
まず核爆弾という形で、その絶大な有効性を世界に示し、
次に原子力発電という形で、平和利用もまた可能であることが示された。
しかし、前者は知っての通り、地球人類の破滅をもたらす悪魔の兵器としての
深刻さが周知の上に、原発のほうもまた安全性や核廃棄物処理の困難さなどの面で、
とても大手を挙げて賛美肯定できるような代物ではないことが認知されているもの。
現時点までにおける、核エネルギー開発の人類に対する影響力は、
正の側面よりも負の側面のほうが多く、ロシアやイスラエルによる侵略戦争が、
いずれも核保有国であるために防ぎ留めようがないでいることなどからも、
全世界の人々に改めてそれが実感されつつあるのが昨今の実情でもある。
所詮はそれもまた、仏法でいう「無記」の範疇でしかあり得ないことを
最大限に実証し続けているものに、「核エネルギーの有効活用」がある。
まず核爆弾という形で、その絶大な有効性を世界に示し、
次に原子力発電という形で、平和利用もまた可能であることが示された。
しかし、前者は知っての通り、地球人類の破滅をもたらす悪魔の兵器としての
深刻さが周知の上に、原発のほうもまた安全性や核廃棄物処理の困難さなどの面で、
とても大手を挙げて賛美肯定できるような代物ではないことが認知されているもの。
現時点までにおける、核エネルギー開発の人類に対する影響力は、
正の側面よりも負の側面のほうが多く、ロシアやイスラエルによる侵略戦争が、
いずれも核保有国であるために防ぎ留めようがないでいることなどからも、
全世界の人々に改めてそれが実感されつつあるのが昨今の実情でもある。
もう黙れキチガイデブ
しかし、核開発が必ずしも有覆無記ばかりであり続けるとは限らず、たとえば
核融合発電の実用化によって、安全で無尽蔵なエネルギー供給が実現されれば、
原子力発電の欠点が解消されるうえに、これまた熱力学や工学のような
理系の洋学の産物でもある、火力発電や各種の内燃機関による環境汚染だとか、
石油資源の枯渇だとかいった問題までもが解消されて、洋学が恥の上塗り式に
積み重ねて来た、有覆無記の危害が一掃されるといった好影響までもが期待されるもの。
しかし、その核融合発電こそは、技術的のみならず、政治的社会的な障壁までもが
山積みであるために、その実用化が現状ではどうあっても不可能な状態にある。
今の世界はまだ、洋学を統治原理としている国が大多数に上っているために、
核融合発電の実用化なぞは崩壊級の不都合を被る国がひしめいている状態にある。
特に資本主義諸国などは、国家権力をも上回るような強大さを帯びた政商を国内に
囲い込むことで、国際間での経済的な優位を確立しているというのに、その政商が最たる
利権確保の拠り所としている石油利権が瓦解するのでは、もはや国体の維持も不可能となる。
核融合発電の実用化によって、安全で無尽蔵なエネルギー供給が実現されれば、
原子力発電の欠点が解消されるうえに、これまた熱力学や工学のような
理系の洋学の産物でもある、火力発電や各種の内燃機関による環境汚染だとか、
石油資源の枯渇だとかいった問題までもが解消されて、洋学が恥の上塗り式に
積み重ねて来た、有覆無記の危害が一掃されるといった好影響までもが期待されるもの。
しかし、その核融合発電こそは、技術的のみならず、政治的社会的な障壁までもが
山積みであるために、その実用化が現状ではどうあっても不可能な状態にある。
今の世界はまだ、洋学を統治原理としている国が大多数に上っているために、
核融合発電の実用化なぞは崩壊級の不都合を被る国がひしめいている状態にある。
特に資本主義諸国などは、国家権力をも上回るような強大さを帯びた政商を国内に
囲い込むことで、国際間での経済的な優位を確立しているというのに、その政商が最たる
利権確保の拠り所としている石油利権が瓦解するのでは、もはや国体の維持も不可能となる。
さりとて、商業全般ごと政商を排する共産制などに移行しようものなら、
今度は極度の生産性の低下からの文化的、文明的荒廃を招かざるを
得なくなるのが、前世紀のソ連や中共の有様からも察せられるために、
(現在の中共などは、あくまで商業の取入れ直しによって息を吹き返しているものである)
そこに無覆無記の達成などを認められるものでもない。
人類社会が、核融合発電の実用化などによって、現状の核開発の有覆無記状態から
無覆無記への転換を図るためには、洋学による人間社会への支配をまず廃絶せねばならない。
洋学全般が、プラトンのイデア論の頃から無記止まりな概念論ばかりを持て囃して来た邪学で
しかないために、その範疇だけで人間社会を十全な無覆無記と共に歩ませられるようなこともない。
そうであること自体が、無記志向は所詮どこまでいっても無記止まりであり、人々にとっての
善因楽果を着実に増進して行くことを念頭に置いた正学による調教をいただくのでもなければ、
土人社会ほどにも福徳に恵まれた世の中を営んで行くこともできない証拠になっているのである。
今度は極度の生産性の低下からの文化的、文明的荒廃を招かざるを
得なくなるのが、前世紀のソ連や中共の有様からも察せられるために、
(現在の中共などは、あくまで商業の取入れ直しによって息を吹き返しているものである)
そこに無覆無記の達成などを認められるものでもない。
人類社会が、核融合発電の実用化などによって、現状の核開発の有覆無記状態から
無覆無記への転換を図るためには、洋学による人間社会への支配をまず廃絶せねばならない。
洋学全般が、プラトンのイデア論の頃から無記止まりな概念論ばかりを持て囃して来た邪学で
しかないために、その範疇だけで人間社会を十全な無覆無記と共に歩ませられるようなこともない。
そうであること自体が、無記志向は所詮どこまでいっても無記止まりであり、人々にとっての
善因楽果を着実に増進して行くことを念頭に置いた正学による調教をいただくのでもなければ、
土人社会ほどにも福徳に恵まれた世の中を営んで行くこともできない証拠になっているのである。
キチガイの無駄話
糞スレageるなヴォケ
糞スレageるなヴォケ
「人も運に乗じては悪を為す」(兵法家伝書)
洋学や聖書信仰のような異学邪見もまた、まだその問題点への摘発が十全に
行き届いていないような機運に乗じて、世界的覇権を得ることがあった。
しかしそれは、世界中の富を自分たちの元へと収奪し、世界の大多数の
人々を土人状態以上に悲惨な困窮や戦乱へと陥れながらのみ実現されて来た、
有覆無記の実践止まりでしかなかったために、高度文明の進展のような
貢献的な側面もまたあったにもかかわらず、人間社会を支配する基本原理
としての座を追われるのでなければ、無覆無記以上たることもあり得ない。
核融合発電の実用化によって、石油利権を元手とするような世界規模での
富の偏在が解消されればこそ、国際間での貧富の格差を原因としたような
戦乱もまた防止されて行くものでもあるし、戦乱や困窮の減滅自体、
国際間での貧富の格差によって肥え太っている洋学時代の支配層の
この世からの退場なくして自明に達し得ないものともなっている。
かような絶対法則の遍在自体が、仏法の示す無記法則に厳格に合致したものでも
あることだし、逆に仏学などへの偉大なる古学としての尊重は復調されねばならない。
「~も、その悪十成する時は、これを伐つ」(兵法家伝書)
異学邪見に世界が乗っ取られるのも時勢なら、
その満了によって正学正見の時代へと立ち戻って行くのもまた時勢である。
特にどちらかを絶対否定しようなどと言う話でもないのである。
洋学や聖書信仰のような異学邪見もまた、まだその問題点への摘発が十全に
行き届いていないような機運に乗じて、世界的覇権を得ることがあった。
しかしそれは、世界中の富を自分たちの元へと収奪し、世界の大多数の
人々を土人状態以上に悲惨な困窮や戦乱へと陥れながらのみ実現されて来た、
有覆無記の実践止まりでしかなかったために、高度文明の進展のような
貢献的な側面もまたあったにもかかわらず、人間社会を支配する基本原理
としての座を追われるのでなければ、無覆無記以上たることもあり得ない。
核融合発電の実用化によって、石油利権を元手とするような世界規模での
富の偏在が解消されればこそ、国際間での貧富の格差を原因としたような
戦乱もまた防止されて行くものでもあるし、戦乱や困窮の減滅自体、
国際間での貧富の格差によって肥え太っている洋学時代の支配層の
この世からの退場なくして自明に達し得ないものともなっている。
かような絶対法則の遍在自体が、仏法の示す無記法則に厳格に合致したものでも
あることだし、逆に仏学などへの偉大なる古学としての尊重は復調されねばならない。
「~も、その悪十成する時は、これを伐つ」(兵法家伝書)
異学邪見に世界が乗っ取られるのも時勢なら、
その満了によって正学正見の時代へと立ち戻って行くのもまた時勢である。
特にどちらかを絶対否定しようなどと言う話でもないのである。
そもそもが、古来の正学本位だった時代の東洋社会においても、
いま洋学が司っているような文明的開発事業をまったく怠っていたわけではない。
弘法大師が造成したと伝承されている満濃池なども、未だに国内最大級の規模の人工池だし、
江戸幕府が実施した利根川の銚子方向への東遷事業なども、近代以降の土木事業などに
勝るとも劣らない規模である上に、何百年もの後に至るまで関東一帯に好影響を
及ぼし続けている点などでは、近代の開発事業などよりも絶対的な信頼性を確立している。
もちろんそこには、洋学の土木工学に即した場合のような、数学的帰納法を介した
計算性などは伴っていなかっただろうが、代わりにより直観的な見識であるとか、
古来の歴史を深く顧みての検討だとかが今以上に尽くされていたのでもある。
無論、近代以降の開発事業などと比べれば、まずその施工頻度からして少なかったから、
目に見える発展がめくるめく速さで畳み掛けられるようなことはもちろんなかった。
今の東京の景観が10年20年のスパンで様変わりし続けているのとちがって、
江戸の景観なども100年200年単位で代わり映えのしないものだったに違いないが、
それは、江戸時代の日本がほぼ完全な自給自足状態守っていたがために、
潤沢な資金投入での開発などもそう頻繁に繰り返せなかったからである。
いま洋学が司っているような文明的開発事業をまったく怠っていたわけではない。
弘法大師が造成したと伝承されている満濃池なども、未だに国内最大級の規模の人工池だし、
江戸幕府が実施した利根川の銚子方向への東遷事業なども、近代以降の土木事業などに
勝るとも劣らない規模である上に、何百年もの後に至るまで関東一帯に好影響を
及ぼし続けている点などでは、近代の開発事業などよりも絶対的な信頼性を確立している。
もちろんそこには、洋学の土木工学に即した場合のような、数学的帰納法を介した
計算性などは伴っていなかっただろうが、代わりにより直観的な見識であるとか、
古来の歴史を深く顧みての検討だとかが今以上に尽くされていたのでもある。
無論、近代以降の開発事業などと比べれば、まずその施工頻度からして少なかったから、
目に見える発展がめくるめく速さで畳み掛けられるようなことはもちろんなかった。
今の東京の景観が10年20年のスパンで様変わりし続けているのとちがって、
江戸の景観なども100年200年単位で代わり映えのしないものだったに違いないが、
それは、江戸時代の日本がほぼ完全な自給自足状態守っていたがために、
潤沢な資金投入での開発などもそう頻繁に繰り返せなかったからである。
近代以降の日本社会もまた、国外から富を収奪して、国富の総量が世界平均を
大きく上回って来た程度に発展し、経済的な栄華を謳歌して来たものだし、それが
潰えたプラザ合意以降には、ただひたすら凋落の一途を辿るしかなくなったのでもある。
今の世界もまた、仮に法外な規模の国家間格差が是正されようものなら、
それによって困窮や戦乱が解消されるのと引き換えに、パックスブリタニカや
パックスアメリカーナが実現して来た並のめくるめく発展攻勢などもままならなくなるだろう。
しかし、それを実行に移さなければ、過度の困窮への拒絶反応としての人口爆発や、
ロシアやイスラエルやミャンマーが起こしているような戦乱ーーそこからの核の危機
などにも歯止めを利かせることができないという、致命的な障壁が眼前にもある。
なおかつ、もはや米英欧などの資本主義国による文明発展などというもの自体が
もはや天井打ちであることが、核融合発電実用化の不能状態などからも示されている。
まさに運に乗じて悪を為していた勢力が、その悪十成したが故に討たれるしかない機縁。
文明発展の速度が落ち始めるような欠点を踏まえた上でも、逃れようがない運命なのである。
大きく上回って来た程度に発展し、経済的な栄華を謳歌して来たものだし、それが
潰えたプラザ合意以降には、ただひたすら凋落の一途を辿るしかなくなったのでもある。
今の世界もまた、仮に法外な規模の国家間格差が是正されようものなら、
それによって困窮や戦乱が解消されるのと引き換えに、パックスブリタニカや
パックスアメリカーナが実現して来た並のめくるめく発展攻勢などもままならなくなるだろう。
しかし、それを実行に移さなければ、過度の困窮への拒絶反応としての人口爆発や、
ロシアやイスラエルやミャンマーが起こしているような戦乱ーーそこからの核の危機
などにも歯止めを利かせることができないという、致命的な障壁が眼前にもある。
なおかつ、もはや米英欧などの資本主義国による文明発展などというもの自体が
もはや天井打ちであることが、核融合発電実用化の不能状態などからも示されている。
まさに運に乗じて悪を為していた勢力が、その悪十成したが故に討たれるしかない機縁。
文明発展の速度が落ち始めるような欠点を踏まえた上でも、逃れようがない運命なのである。
もう何回聞かされたか知れない、総員退避宣言。
基本的にろくなことはないが、結構な頻度でなんかある。
土日は診療が休みで絶好の闘争日和のはずなのに、
今週はそうでもなかった。いよいよお迎えか、すでに故人か、
あるいは金土日の連休を使って嫁と最期の旅行か。
別に、どれでもいいんじゃないかとも思う。
赤の他人としての立場からすれば特にそう変わらないし。
しかし、どれであった所で、人間の生涯は、
生きている限りにおいて価値があると思い込んできた、
心の亡者にとっての瀬戸際ならではの、何かがあるんだろうのう。
基本的にろくなことはないが、結構な頻度でなんかある。
土日は診療が休みで絶好の闘争日和のはずなのに、
今週はそうでもなかった。いよいよお迎えか、すでに故人か、
あるいは金土日の連休を使って嫁と最期の旅行か。
別に、どれでもいいんじゃないかとも思う。
赤の他人としての立場からすれば特にそう変わらないし。
しかし、どれであった所で、人間の生涯は、
生きている限りにおいて価値があると思い込んできた、
心の亡者にとっての瀬戸際ならではの、何かがあるんだろうのう。
アニメ版「進撃の巨人」完結。
西洋文化をシャットアウトしているイスラム20億を含む
全世界を制覇した、おそらく人類史上初のエンタメ作品。
特別な炎上などもなく、円満な完結を迎えているのには、ほんの近ごろ
漫画版を読了しただけのわが分際でも、大いなる安堵を得ている所だが。
おそらく、地球人類の中でもっともこの快挙から疎遠な所にいるのが、
漫画アニメを蔑みながら野球テレビに目を奪われて来た、日本の旧世代。
敗戦の屈辱という現実から全力で逃避したあまりに、現実で成し遂げられた
日本人の世界的功績にまで目が向かなくなっているという本末転倒加減。
現実には現実なりの、逃避には逃避なりの楽しみがあろうとて、
逃避の楽しみで現実の楽しみまで見失うのは、ヤク中の廃人にも等しい有り様。
そこに大人数が流入した世の中もまた、ただで済むほうがおかしいのだ。
西洋文化をシャットアウトしているイスラム20億を含む
全世界を制覇した、おそらく人類史上初のエンタメ作品。
特別な炎上などもなく、円満な完結を迎えているのには、ほんの近ごろ
漫画版を読了しただけのわが分際でも、大いなる安堵を得ている所だが。
おそらく、地球人類の中でもっともこの快挙から疎遠な所にいるのが、
漫画アニメを蔑みながら野球テレビに目を奪われて来た、日本の旧世代。
敗戦の屈辱という現実から全力で逃避したあまりに、現実で成し遂げられた
日本人の世界的功績にまで目が向かなくなっているという本末転倒加減。
現実には現実なりの、逃避には逃避なりの楽しみがあろうとて、
逃避の楽しみで現実の楽しみまで見失うのは、ヤク中の廃人にも等しい有り様。
そこに大人数が流入した世の中もまた、ただで済むほうがおかしいのだ。
(>>303の続き)
発表されている論文や著書の文面上ではひた隠しているとはいえ、
洋学の学者はみな各地の商工会からの潤沢な支援を受けて、
連中にとって都合がいいような学説を唱えることに特化して来ているために、
まるで普遍的な一般性に即しているような風体でいながら、
どうあっても政商級な豪商の肥え太りによる貧富の格差を助長こそすれど、
抑制することができない論調止まりであることで一貫し続けている。
それは、「共産化」という商業全般の世の中からの廃絶を唱えたマルクスといえども同じことで、
商行為もまたある程度は介するのでなければ成り立たない文明社会の実相を、孟子の後塵ほどにも
わきまえられないままでいた了見の狭さこそが、まさにその証拠になっているのである。
一説には、ロシアや中国の共産化自体、ロスチャイルドのような資本主義国側の政商が、
反面教師として立ち回らさせるためにあえて試みたとも言われているが、それが本当だった
としてもおかしくないと思えるほど旧東側の共産主義国も、商行為を国内で絶やし尽くすことで
生産性や文化性を極限まで低下させた挙句に、崩壊や体制の変節を余儀なくされたのだった。
発表されている論文や著書の文面上ではひた隠しているとはいえ、
洋学の学者はみな各地の商工会からの潤沢な支援を受けて、
連中にとって都合がいいような学説を唱えることに特化して来ているために、
まるで普遍的な一般性に即しているような風体でいながら、
どうあっても政商級な豪商の肥え太りによる貧富の格差を助長こそすれど、
抑制することができない論調止まりであることで一貫し続けている。
それは、「共産化」という商業全般の世の中からの廃絶を唱えたマルクスといえども同じことで、
商行為もまたある程度は介するのでなければ成り立たない文明社会の実相を、孟子の後塵ほどにも
わきまえられないままでいた了見の狭さこそが、まさにその証拠になっているのである。
一説には、ロシアや中国の共産化自体、ロスチャイルドのような資本主義国側の政商が、
反面教師として立ち回らさせるためにあえて試みたとも言われているが、それが本当だった
としてもおかしくないと思えるほど旧東側の共産主義国も、商行為を国内で絶やし尽くすことで
生産性や文化性を極限まで低下させた挙句に、崩壊や体制の変節を余儀なくされたのだった。
洋学は、資本主義のような貧富の格差の拡大を際限なく助長するイデオロギーか、
共産主義のようなその逆方向への一つ覚えによる頓挫を体現するイデオロギーしか、
自力では生成することができない。所詮は商工会のような金満勢力からの支援ありきで
成り立ってきた邪学でしかない上に、だからこそ儒学や仏学で重んじられているような、
発想の中庸性を重んじる精神性にも全く欠けているせいで、洋学の学者が商工会などとの
癒着を断ちさえすれば、資本主義や共産主義みたいな中庸性に欠けるイデオロギーとはまた
別個の、着実な統治理念などを人並み以上に構想できる、なんてことも期待できないのである。
ダライラマも「共産主義は物質性ばかりに囚われていて精神性が全く欠けている」と指摘
していたが、洋学はそもそも物質主義な金満勢力の都合ででっち上げられて来た代物なのだから、
その範疇で仏道なみの精神性の追究などが実現されるようなことも、絶対にあり得ない。
近代以降の洋学では、心理学や精神医学もそれなりに発展して来てはいるが、それらも所詮は、
精神性が病人なみに稚拙な人間の分析ばかりに終始していて、ADHD系やASD系や精神病質系や
情緒障害系に振り切れたりすることがない、精神的な中庸の確立者のあり方や、そこへの至り方などを
ろくに究明しようともしていない。それもまた病人を治療して対価を得るような金満が背景にあった
上での研究であるために避けられることではなく、やはり洋学はそこまででしかあり得ないのである。
共産主義のようなその逆方向への一つ覚えによる頓挫を体現するイデオロギーしか、
自力では生成することができない。所詮は商工会のような金満勢力からの支援ありきで
成り立ってきた邪学でしかない上に、だからこそ儒学や仏学で重んじられているような、
発想の中庸性を重んじる精神性にも全く欠けているせいで、洋学の学者が商工会などとの
癒着を断ちさえすれば、資本主義や共産主義みたいな中庸性に欠けるイデオロギーとはまた
別個の、着実な統治理念などを人並み以上に構想できる、なんてことも期待できないのである。
ダライラマも「共産主義は物質性ばかりに囚われていて精神性が全く欠けている」と指摘
していたが、洋学はそもそも物質主義な金満勢力の都合ででっち上げられて来た代物なのだから、
その範疇で仏道なみの精神性の追究などが実現されるようなことも、絶対にあり得ない。
近代以降の洋学では、心理学や精神医学もそれなりに発展して来てはいるが、それらも所詮は、
精神性が病人なみに稚拙な人間の分析ばかりに終始していて、ADHD系やASD系や精神病質系や
情緒障害系に振り切れたりすることがない、精神的な中庸の確立者のあり方や、そこへの至り方などを
ろくに究明しようともしていない。それもまた病人を治療して対価を得るような金満が背景にあった
上での研究であるために避けられることではなく、やはり洋学はそこまででしかあり得ないのである。
いま思えば、20代前半までの、洋学ばかり勉強していた頃の俺の精神状態もボロボロで、
否定派のような鬱や自殺衝動に駆られたことも一度や二度ではなかったものだが。
儒学や仏学への傾倒に転向して以降は、少なくとも自覚的な病苦は格段に低減したもの。
肩脱臼などの個人的な身体面の差し障りがその原因になっていた面もあるのだが、
そこに改善の兆候が見られ始めた2015年以前に、ただ洋学から正学へと傾倒の対象を
変えただけでも、幽谷から喬木に出ずるほどの精神的な大改善が実感できたものである。
その理由も今となっては明白で、>>291の鳶職の人なども言っている通り。
儒学や仏学のような正学は、現実の人間たち自身の福徳を直接的に増して行くことに
特化した学問である一方、洋学は太古からのイデア主義によって半ばそれを禁止し、
あくまで何もかもを空想上の概念論に落とし込む無駄手間をあえて介し続けた結果、
最も現実主義的な理系分野といえども人類の福徳に直接貢献するようなことが決してなく、
文系分野ともなれば。むしろ人間社会や精神の荒廃による苦難を増長することすら辞さない。
さような諸学の帯びた性質がそのまま勉強時の快不快、苦不苦の要因ともなるが故に、
洋学の勉強は精神の病をも助長する一方、正学の勉強はむしろ精神衛生に与するものとなっている。
否定派のような鬱や自殺衝動に駆られたことも一度や二度ではなかったものだが。
儒学や仏学への傾倒に転向して以降は、少なくとも自覚的な病苦は格段に低減したもの。
肩脱臼などの個人的な身体面の差し障りがその原因になっていた面もあるのだが、
そこに改善の兆候が見られ始めた2015年以前に、ただ洋学から正学へと傾倒の対象を
変えただけでも、幽谷から喬木に出ずるほどの精神的な大改善が実感できたものである。
その理由も今となっては明白で、>>291の鳶職の人なども言っている通り。
儒学や仏学のような正学は、現実の人間たち自身の福徳を直接的に増して行くことに
特化した学問である一方、洋学は太古からのイデア主義によって半ばそれを禁止し、
あくまで何もかもを空想上の概念論に落とし込む無駄手間をあえて介し続けた結果、
最も現実主義的な理系分野といえども人類の福徳に直接貢献するようなことが決してなく、
文系分野ともなれば。むしろ人間社会や精神の荒廃による苦難を増長することすら辞さない。
さような諸学の帯びた性質がそのまま勉強時の快不快、苦不苦の要因ともなるが故に、
洋学の勉強は精神の病をも助長する一方、正学の勉強はむしろ精神衛生に与するものとなっている。
「辛い勉強を乗り越えて学識者として大成する」なんてのは、いかにも美談じみた話だが、
それもあくまで、些末な遊興快楽に溺れたりする堕落を避けながら正学に打ち込んだり
することにかけてこそ健全たるものであり、あまりにも劣悪な邪学の勉強で嫌な思いをして、
その結果、不正なほどに寡占されている絶大な既得権益のおこぼれに与れるとかいった、
洋学の勉強にかけては至極ありがちな成り行きをも正当化するような文句とすべきではない。
洋学はその勉強の時点で心を病み、昔の俺や否定派のように頭の中から常にヘロヘロで、
せいぜい自分一身の都合ぐらいまでしか十分な配慮が及ばず、利他や自他の共栄なんぞは
二の次三の次ぐらいにしか捉えられない思考回路が現実面において盤石化してしまうものであり、
それ故に世の中全体を平和や繁栄へと導くことにかけても、マルクスのように片手落ちとなるか、
あるいは我田引水を開き直っての商工会御用達な曲学阿世に終始するか止まりとなるものである。
正学はそれとは逆に、勉強の過程で精神衛生をより高めるものであるからこそ、現実社会で
自他の共栄を図ることに対しても人並み以上の配慮が及ぶようになり、国の運営などにかけても、
常人や洋学者が思いも付かないような手管の駆使によって、着実な平和や繁栄を実現して行くもの。
ゆえに、「勉強で辛い思いをする」というのも、あくまで「そのための禁欲を心がけているから」
などに止まるべきであり、「邪学を勉強すること自体が辛い」とまで行くべきではないのである。
それもあくまで、些末な遊興快楽に溺れたりする堕落を避けながら正学に打ち込んだり
することにかけてこそ健全たるものであり、あまりにも劣悪な邪学の勉強で嫌な思いをして、
その結果、不正なほどに寡占されている絶大な既得権益のおこぼれに与れるとかいった、
洋学の勉強にかけては至極ありがちな成り行きをも正当化するような文句とすべきではない。
洋学はその勉強の時点で心を病み、昔の俺や否定派のように頭の中から常にヘロヘロで、
せいぜい自分一身の都合ぐらいまでしか十分な配慮が及ばず、利他や自他の共栄なんぞは
二の次三の次ぐらいにしか捉えられない思考回路が現実面において盤石化してしまうものであり、
それ故に世の中全体を平和や繁栄へと導くことにかけても、マルクスのように片手落ちとなるか、
あるいは我田引水を開き直っての商工会御用達な曲学阿世に終始するか止まりとなるものである。
正学はそれとは逆に、勉強の過程で精神衛生をより高めるものであるからこそ、現実社会で
自他の共栄を図ることに対しても人並み以上の配慮が及ぶようになり、国の運営などにかけても、
常人や洋学者が思いも付かないような手管の駆使によって、着実な平和や繁栄を実現して行くもの。
ゆえに、「勉強で辛い思いをする」というのも、あくまで「そのための禁欲を心がけているから」
などに止まるべきであり、「邪学を勉強すること自体が辛い」とまで行くべきではないのである。
「初九。~その尾を濡らす。咎なし」
「上六。その首を濡らす。あやうし」
(易経・水火既済より)
狐が川の浅瀬を渡るときに、通常は濡れないように尾を上げて渡るが、
慎重を期するあまりに気分と共に尾が下がり、濡らしながら渡ってしまう。
これはかえって、より安全に川を渡れる範疇だから咎なしであるという一方、
首まで浸かるような渡り方ともなれば、さすがに危ういのでよくない、という訓示。
孔子が「過ぎたるは猶及ばざるが如し(先進第十一・一五)」の論拠とも
しただろうこの教えのうち、尾を濡らす程度の難儀と共に川を渡るのが、
儒学や仏学のような正学の勉強による大成である一方、首まで浸かるような
過度の難儀と共に川を渡るのが、洋学の勉強に該当するともいえよう。
「上六。その首を濡らす。あやうし」
(易経・水火既済より)
狐が川の浅瀬を渡るときに、通常は濡れないように尾を上げて渡るが、
慎重を期するあまりに気分と共に尾が下がり、濡らしながら渡ってしまう。
これはかえって、より安全に川を渡れる範疇だから咎なしであるという一方、
首まで浸かるような渡り方ともなれば、さすがに危ういのでよくない、という訓示。
孔子が「過ぎたるは猶及ばざるが如し(先進第十一・一五)」の論拠とも
しただろうこの教えのうち、尾を濡らす程度の難儀と共に川を渡るのが、
儒学や仏学のような正学の勉強による大成である一方、首まで浸かるような
過度の難儀と共に川を渡るのが、洋学の勉強に該当するともいえよう。
まるで、狐が浅瀬もある川の深瀬を、わざわざあえて
首まで浸かりながら渡るような真似を繰り返しているのが、
洋学による社会統治や文明開発であり、それによってこそ実現された
七色変化の世相などもまたあれど、総じてプラマイゼロ以下な
影響しか人類に対して及ぼせないままに終わっているものである。
人間かつ津波なら画像のようだし、狐かつ川でも同様な基準があろう。
そこで死亡率100%付近に該当するような危険水域ばかりをあえて選んでいるのが、
洋学に完全な支配下に置かれた世の中の実相である。
首まで浸かるような渡り方では、即座に溺れ死ぬ危険ももちろんあるし、
そこまで行かない範囲でも、風邪をひいて不調に見舞われたりする。
それと同じように、まだ洋学による社会統治が持ち堪えている範囲においても、
邪学に支配されているが故の、精神疾患なども含む苦難で世の中が溢れかえり、
部分的には江戸期の日本などをも上回るような困窮や戦乱まで招いてしまう。
聖書信仰に基づく苦難と共なる昇天の希求などと同じように、
「そのほうがより苦労をしてるんだからいい結果を招くだろう」
という努力主義な空手形の元での邁進を続けてきたりもしているわけだが。
正学に司られた時代といえども、仁政のために命をもなげうつような難儀を
冒すことがいくらでもあるわけで、別に苦労の総量で上回っているわけでもなく、
ただ不健全な方面の苦労ばかりに執心した挙句、より悪い結果を招いているだけなのである。
首まで浸かりながら渡るような真似を繰り返しているのが、
洋学による社会統治や文明開発であり、それによってこそ実現された
七色変化の世相などもまたあれど、総じてプラマイゼロ以下な
影響しか人類に対して及ぼせないままに終わっているものである。
人間かつ津波なら画像のようだし、狐かつ川でも同様な基準があろう。
そこで死亡率100%付近に該当するような危険水域ばかりをあえて選んでいるのが、
洋学に完全な支配下に置かれた世の中の実相である。
首まで浸かるような渡り方では、即座に溺れ死ぬ危険ももちろんあるし、
そこまで行かない範囲でも、風邪をひいて不調に見舞われたりする。
それと同じように、まだ洋学による社会統治が持ち堪えている範囲においても、
邪学に支配されているが故の、精神疾患なども含む苦難で世の中が溢れかえり、
部分的には江戸期の日本などをも上回るような困窮や戦乱まで招いてしまう。
聖書信仰に基づく苦難と共なる昇天の希求などと同じように、
「そのほうがより苦労をしてるんだからいい結果を招くだろう」
という努力主義な空手形の元での邁進を続けてきたりもしているわけだが。
正学に司られた時代といえども、仁政のために命をもなげうつような難儀を
冒すことがいくらでもあるわけで、別に苦労の総量で上回っているわけでもなく、
ただ不健全な方面の苦労ばかりに執心した挙句、より悪い結果を招いているだけなのである。
四書五経をはるかに上回るような分量の、法律書や医学書を丸暗記させられるような
過度の負担を帯びた勉強を強いられるせいで、東大生なども人並み以上に精神を患う。
(あるいは始めから精神に障りがあるような人種ほど東大生になる)
主には、部分への固執のせいで全体への俯瞰能力を人並み以上に損ねる、
ASD系の疾患傾向を帯び、にもかかわらず高学歴ゆえの極端に高いプライドも
持ち合わせているという、ただの一般人なら一番嫌われる部類の嫌な性格となる。
ただそれだけならともかく、そのような精神状態のまま官僚や高位の医者にまで
なるものだから、増税すればするほど、医療費負担を山積させればさせるほど
世の中も良くなるなんていう、ちょっと賢い小学生でも気づくぐらいの大間違いに
没頭したまま業務をこなし、国をより傾けるような過ちをも犯してしまう。
ただ、やはりそういうのが高学歴の典型、勉強を最上級にやり遂げた人々にとっての
不可避なる有様であるとも思い込まれているのが、洋学の完全な支配下に置かれた
状態の世の中であるために、あきらかにおかしい政策ばかり後押ししている財務官僚
などへの不満や怒りを募らせようとも、所詮はろくな解決策も打ち出せないままでいる。
過度の負担を帯びた勉強を強いられるせいで、東大生なども人並み以上に精神を患う。
(あるいは始めから精神に障りがあるような人種ほど東大生になる)
主には、部分への固執のせいで全体への俯瞰能力を人並み以上に損ねる、
ASD系の疾患傾向を帯び、にもかかわらず高学歴ゆえの極端に高いプライドも
持ち合わせているという、ただの一般人なら一番嫌われる部類の嫌な性格となる。
ただそれだけならともかく、そのような精神状態のまま官僚や高位の医者にまで
なるものだから、増税すればするほど、医療費負担を山積させればさせるほど
世の中も良くなるなんていう、ちょっと賢い小学生でも気づくぐらいの大間違いに
没頭したまま業務をこなし、国をより傾けるような過ちをも犯してしまう。
ただ、やはりそういうのが高学歴の典型、勉強を最上級にやり遂げた人々にとっての
不可避なる有様であるとも思い込まれているのが、洋学の完全な支配下に置かれた
状態の世の中であるために、あきらかにおかしい政策ばかり後押ししている財務官僚
などへの不満や怒りを募らせようとも、所詮はろくな解決策も打ち出せないままでいる。
それは決して、健全な学問に取り組んだ人間の有様ではない。
勉強したにしたって、世の中を着実な平和や繁栄へと導くための指針を持ち合わせて
いるわけでもない小道の学の履修者であるにすぎず、それ故の酷い泥ナズみをも帯びているもの。
万巻の法律書や医学書を勉強したにしたって、そこには悪徳商人をより肥え太らせて
やるための悪法の記述もあれば、不摂生な愚か者の大病をより助長しながら、
生かさず殺さずのマッチポンプ診療で治療費をより稼ぐための記述もある。
そうでなくたって、洋学上の法学や医学には、犯罪者や脱法者や病人や怪我人をなるべく
減らして行くための指針などはどこにもないから、それらも増えこそすれど減ることは決してない。
故にガンジーも「医者が病気を、法律家が犯罪をインドに持ち込んだ」とまで言ったのだった。
それは決して学問の本来あるべき姿ではないし、そんなものを相手取って慶大生的な
反知性主義に振り切れるのもまた馬鹿げている。世の中の平和や繁栄を着実に実現して行く
ための素養ばかりを磨き抜いて来た学識者がいて、強嫌いの徒もまたその教えに素直に随って行く。
東大生的なあり方も、慶大生的なあり方も共にその正路から大きく外れた獣道に過ぎないのである。
勉強したにしたって、世の中を着実な平和や繁栄へと導くための指針を持ち合わせて
いるわけでもない小道の学の履修者であるにすぎず、それ故の酷い泥ナズみをも帯びているもの。
万巻の法律書や医学書を勉強したにしたって、そこには悪徳商人をより肥え太らせて
やるための悪法の記述もあれば、不摂生な愚か者の大病をより助長しながら、
生かさず殺さずのマッチポンプ診療で治療費をより稼ぐための記述もある。
そうでなくたって、洋学上の法学や医学には、犯罪者や脱法者や病人や怪我人をなるべく
減らして行くための指針などはどこにもないから、それらも増えこそすれど減ることは決してない。
故にガンジーも「医者が病気を、法律家が犯罪をインドに持ち込んだ」とまで言ったのだった。
それは決して学問の本来あるべき姿ではないし、そんなものを相手取って慶大生的な
反知性主義に振り切れるのもまた馬鹿げている。世の中の平和や繁栄を着実に実現して行く
ための素養ばかりを磨き抜いて来た学識者がいて、強嫌いの徒もまたその教えに素直に随って行く。
東大生的なあり方も、慶大生的なあり方も共にその正路から大きく外れた獣道に過ぎないのである。
日本のGDPが世界4位に転落へ…さらに落ちぶれる前に「主婦年金」「配偶者控除」を廃止すべき
https://news.yahoo.co.jp/articles/7f7aae225b5ba863bd0f7...
派遣法改悪でも定年延長でも大学全入でも消費増税でも政府のカルト支配でも、
ここ30年の大不振の原因になって来た失政の数々こそをまず改めるべきだろうに、
どうしてこの自民ベッタリな財界御用達メディアの提灯記事は、
日本が高度成長で上り調子だった頃からある制度の撤廃などをまず求めているのか?
それは、まだ上記のような失政を働いた政官財の権力者連中が相当数現役で、
仮に政策の改廃などを試みようものなら、そいつらの面子を丸潰れにしてしまうから。
そのせいで改革を主導した自らが村八分扱いを受けて苦しんだりするぐらいなら、すでに
関わった人間もこの世にいないような古い制度の改廃ばかりでやってる感だけ出しておこうとする。
そんな真似を新たに試みるものだから、これからも悪政の反正が憚られる風潮がより持続してしまう。
これが、雪だるま式に悪い政策ばかり通り、良い政策は禁忌扱いとなり続ける悪循環のプロセスである。
竹中小泉みたいな改革刷新主義の手合いこそが、世の中をより悪くする火種をまき散らした上に、
そのせいで自分たち以降の為政までをも断善勧悪路線ばかりへと凝り固めてしまって今に至る。
「始めに毛筋ほどもの誤りあれば、後々に千里の過ちとなる(易緯)」とはこれを言うのである。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7f7aae225b5ba863bd0f7...
派遣法改悪でも定年延長でも大学全入でも消費増税でも政府のカルト支配でも、
ここ30年の大不振の原因になって来た失政の数々こそをまず改めるべきだろうに、
どうしてこの自民ベッタリな財界御用達メディアの提灯記事は、
日本が高度成長で上り調子だった頃からある制度の撤廃などをまず求めているのか?
それは、まだ上記のような失政を働いた政官財の権力者連中が相当数現役で、
仮に政策の改廃などを試みようものなら、そいつらの面子を丸潰れにしてしまうから。
そのせいで改革を主導した自らが村八分扱いを受けて苦しんだりするぐらいなら、すでに
関わった人間もこの世にいないような古い制度の改廃ばかりでやってる感だけ出しておこうとする。
そんな真似を新たに試みるものだから、これからも悪政の反正が憚られる風潮がより持続してしまう。
これが、雪だるま式に悪い政策ばかり通り、良い政策は禁忌扱いとなり続ける悪循環のプロセスである。
竹中小泉みたいな改革刷新主義の手合いこそが、世の中をより悪くする火種をまき散らした上に、
そのせいで自分たち以降の為政までをも断善勧悪路線ばかりへと凝り固めてしまって今に至る。
「始めに毛筋ほどもの誤りあれば、後々に千里の過ちとなる(易緯)」とはこれを言うのである。
今もう代議士のような表向きの政治家は捨て駒としての役回りが定着して、
閣僚も昔は東大卒ぐらいしかなれなかったのが、今やそのほうが少数派となっている。
いま上記のような悪循環の中核となっているのは、むしろ官僚や財界人のほうで、
こちらは今でも東大法学部卒や、全国の大庄屋や豪商出身な血筋からのサラブレッドが
トップを占めていて、政界以上に高ステータス御用達であることに全振りし続けているもの。
にもかかわらずではなくだからこそ、腐乱に腐乱を重ねる悪循環の持続もまた、
政界以上に徹底的に盤石たり、ただ政権与党が後退した程度では絶対に
日本社会が改善することもあり得ないほど強大な頑迷の牙城たり続けている。
閣僚も昔は東大卒ぐらいしかなれなかったのが、今やそのほうが少数派となっている。
いま上記のような悪循環の中核となっているのは、むしろ官僚や財界人のほうで、
こちらは今でも東大法学部卒や、全国の大庄屋や豪商出身な血筋からのサラブレッドが
トップを占めていて、政界以上に高ステータス御用達であることに全振りし続けているもの。
にもかかわらずではなくだからこそ、腐乱に腐乱を重ねる悪循環の持続もまた、
政界以上に徹底的に盤石たり、ただ政権与党が後退した程度では絶対に
日本社会が改善することもあり得ないほど強大な頑迷の牙城たり続けている。
莫大な国富を占有している年寄りたちがろくに金カネも使わないという、消費の低迷こそが
今の日本経済の冷え込みの最たる原因だというのに、消費税のような民衆への負担は増し、
法人税のような企業への負担は減らそうなどと、明らかにおかしい真似を試み続ける。
自分たちこそは血筋面でも学歴面でも日本のトップである上に、
だからといって身を挺して世のために尽くすような教育を受けて来ているわけでもない。
誰しもがまずは己が個人的栄華の実現こそを本位としているのだから、
当然のこととして、国益よりも自分たちの利益を増すことばかりを優先し続けてやまぬ。
一人や二人ではなく、全員がそうであり、単独でそこから抜け駆けようたって絶対に無理。
しかも誰しもが名家の血筋や、血反吐を吐くような試験勉強の苦労に裏打ちされた、
底なし天井なしのプライドの持ち主ばかりと来ているものだから、その面子にかすり傷ほども付けない
ための忖度まみれとなり、総員での懲善修悪もまた大戦末期の日本軍ばりの硬直さとなるのである。
今の日本経済の冷え込みの最たる原因だというのに、消費税のような民衆への負担は増し、
法人税のような企業への負担は減らそうなどと、明らかにおかしい真似を試み続ける。
自分たちこそは血筋面でも学歴面でも日本のトップである上に、
だからといって身を挺して世のために尽くすような教育を受けて来ているわけでもない。
誰しもがまずは己が個人的栄華の実現こそを本位としているのだから、
当然のこととして、国益よりも自分たちの利益を増すことばかりを優先し続けてやまぬ。
一人や二人ではなく、全員がそうであり、単独でそこから抜け駆けようたって絶対に無理。
しかも誰しもが名家の血筋や、血反吐を吐くような試験勉強の苦労に裏打ちされた、
底なし天井なしのプライドの持ち主ばかりと来ているものだから、その面子にかすり傷ほども付けない
ための忖度まみれとなり、総員での懲善修悪もまた大戦末期の日本軍ばりの硬直さとなるのである。
そのプライドは、やはり打ち砕かれねばならない。
世の中を統治支配する立場となるのに相応しくない性質の学力や血筋を元手に募らせて、
いざ要職に就こうものなら、国を傾け亡ぼすほどの大元凶となって来た、そのプライドは。
決して、勉強や血筋の価値を何もかも否定するというのでもない。
世のため人のために組織を挙げて身を挺する素養のための勉学であるとか、
そこに順応することに特化して来た血筋などであれば、逆に全くの反知性な実力主義社会
などよりも純良な世の中を実現して行く立役者となり得るがために、より尊重されるべきもの。
ただし、それは残念ながら、今の日本における高学歴やサラブレッド人種に当てはまる条件ではない。
そもそもが、世のため人のため自分のための正順な尽力のための知能的素養は主に
前頭葉に蓄積される一方、洋学の、特に試験勉強のためには側頭葉の駆使ばかりを要求される。
脳の駆使する部位からして根本的に異なるために、正学の素質と洋学の素質もまた完全な別個たり、
洋学の勉強能力に秀でているからといって、正学のそれにも秀でているとは限らず、そうである
自分自身はおろか、自らの子孫がその方面で並み以上に秀でることすら期待できるものではない。
世の中を統治支配する立場となるのに相応しくない性質の学力や血筋を元手に募らせて、
いざ要職に就こうものなら、国を傾け亡ぼすほどの大元凶となって来た、そのプライドは。
決して、勉強や血筋の価値を何もかも否定するというのでもない。
世のため人のために組織を挙げて身を挺する素養のための勉学であるとか、
そこに順応することに特化して来た血筋などであれば、逆に全くの反知性な実力主義社会
などよりも純良な世の中を実現して行く立役者となり得るがために、より尊重されるべきもの。
ただし、それは残念ながら、今の日本における高学歴やサラブレッド人種に当てはまる条件ではない。
そもそもが、世のため人のため自分のための正順な尽力のための知能的素養は主に
前頭葉に蓄積される一方、洋学の、特に試験勉強のためには側頭葉の駆使ばかりを要求される。
脳の駆使する部位からして根本的に異なるために、正学の素質と洋学の素質もまた完全な別個たり、
洋学の勉強能力に秀でているからといって、正学のそれにも秀でているとは限らず、そうである
自分自身はおろか、自らの子孫がその方面で並み以上に秀でることすら期待できるものではない。
だからこそ、いま高学歴やサラブレッドとして権力中枢にたむろしているような連中が、
仁徳を重んじる正学本位の新政府でリバイバルできるような可能性もほとんどないし、
その血筋に即して子孫たちが親先祖の不名誉を漱げるような可能性すらほとんどない。
そのような革命が高じられること自体が、人によってはショック死級にプライドを打ち砕かれる
仕打ちともなるだろうし、別に口頭や特別な虐待などで作為的に砕いて行く必要もないもの。
https://blue-thermal.jp/entertainment/sawada-yasuhiro...
いま日大の副学長あたりが、立場と共に崖っぷちに追い込まれているだろう、今の世の中の
基準に即するのなら大いに根拠ありという他ない、これまでの経歴に基づく己がプライド。
これもあくまで、自分個人が学生の所持していた大麻を私的に保管していたような不行跡のせいで
危機に瀕しているだけで、プライドの根拠となっているような学歴や職歴そのものまでもが
否定されている事態なわけではないが故に、大いなる悔恨と共に屈辱に苦しめられているもの。
さような今までの経歴自体の由緒正しさからして否定されるのは、もはや悔いの抱きようもない
代わりに衰弱死級の諦めを誘う事態となるだろうし、そこには弔意しか捧げるべきではないだろう。
仁徳を重んじる正学本位の新政府でリバイバルできるような可能性もほとんどないし、
その血筋に即して子孫たちが親先祖の不名誉を漱げるような可能性すらほとんどない。
そのような革命が高じられること自体が、人によってはショック死級にプライドを打ち砕かれる
仕打ちともなるだろうし、別に口頭や特別な虐待などで作為的に砕いて行く必要もないもの。
https://blue-thermal.jp/entertainment/sawada-yasuhiro...
いま日大の副学長あたりが、立場と共に崖っぷちに追い込まれているだろう、今の世の中の
基準に即するのなら大いに根拠ありという他ない、これまでの経歴に基づく己がプライド。
これもあくまで、自分個人が学生の所持していた大麻を私的に保管していたような不行跡のせいで
危機に瀕しているだけで、プライドの根拠となっているような学歴や職歴そのものまでもが
否定されている事態なわけではないが故に、大いなる悔恨と共に屈辱に苦しめられているもの。
さような今までの経歴自体の由緒正しさからして否定されるのは、もはや悔いの抱きようもない
代わりに衰弱死級の諦めを誘う事態となるだろうし、そこには弔意しか捧げるべきではないだろう。
こういう話をしてたら大体、
「学歴コンプレックス乙」などの冷やかしが入るものだが。
もしかしたら今年の流行語大賞にもなるかも知れない、この大谷の進言の下で
日本も野球世界一になったことからも分かるように、今の日本人がいかに無用な
コンプレックスを抱かされることでの能力制限を科されているのかまでもが知れたもの。
(無論、野球のようなマイナースポーツに随一の才能が押し込められているような惨状自体を含む)
在日や来日外国人ばかりが活躍しまくる、野球だ相撲だプロレスだでコンプレックスを
抱かされ始めたのは戦後からだが、学歴による上下関係でのコンプレックスなどは戦前にも
すでに芽生え始めていたのが、前の朝ドラ「らんまん」などでも描かれていたし、
しかもそれが、時代を追うにつれて大学全入に近い状態へと移行したことで、
誰しもが学力以外の素養以上に、まずは学歴で量られるようになって行った経緯などもある。
それでも別に、学問が世のため人のための尽力を後押しする真っ当な素養たるのであれば
さほどの問題も無かろうが、現実には過当競争下での追い落とし合いに勝ち抜いて、
他者を踏み台にすることで個人的な栄華を謳歌する能力の基準ばかりへと成り果てて
しまっているが故に、むしろそんな基準を人事登用の最たる信用材料などにしてしまって
いることが。世の中をより一層荒廃させて、ついには亡国の危機にまで至らしめる原因となった。
「学歴コンプレックス乙」などの冷やかしが入るものだが。
もしかしたら今年の流行語大賞にもなるかも知れない、この大谷の進言の下で
日本も野球世界一になったことからも分かるように、今の日本人がいかに無用な
コンプレックスを抱かされることでの能力制限を科されているのかまでもが知れたもの。
(無論、野球のようなマイナースポーツに随一の才能が押し込められているような惨状自体を含む)
在日や来日外国人ばかりが活躍しまくる、野球だ相撲だプロレスだでコンプレックスを
抱かされ始めたのは戦後からだが、学歴による上下関係でのコンプレックスなどは戦前にも
すでに芽生え始めていたのが、前の朝ドラ「らんまん」などでも描かれていたし、
しかもそれが、時代を追うにつれて大学全入に近い状態へと移行したことで、
誰しもが学力以外の素養以上に、まずは学歴で量られるようになって行った経緯などもある。
それでも別に、学問が世のため人のための尽力を後押しする真っ当な素養たるのであれば
さほどの問題も無かろうが、現実には過当競争下での追い落とし合いに勝ち抜いて、
他者を踏み台にすることで個人的な栄華を謳歌する能力の基準ばかりへと成り果てて
しまっているが故に、むしろそんな基準を人事登用の最たる信用材料などにしてしまって
いることが。世の中をより一層荒廃させて、ついには亡国の危機にまで至らしめる原因となった。
「コンプレックス」というほど病的な劣等感を帯びてしまうのはさすがに問題であるにしても、
人々が自分よりも優れた素養の持ち主を真摯に尊び、なるべくなら自らもあやかり、無理ならば
その相手への懇ろな敬服や随順も心掛けて行けないよりかは行けるほうが、人として健全な姿でもある。
しかし、そのような上下関係を重んじる序列意識が、仁慈に欠ける非道な弱肉強食主義下での
優劣などに落とし込まれれば、そこでこそコンプレックス級の劣情もまた蔓延してしまうし、
ただそれだけでなく、その優劣意識こそが世の中の荒廃を凝り固める補強材料ともなってしまう。
学歴批判的な話をしてれば、おおむね「学歴コンプレックス乙」的な揶揄が加えられること自体、
今の世の中で通用している学歴もまたそのような性質を帯びてしまっている証拠だといえる。
仮に、儒学や仏学のような正学で社会共通の学歴が形成されるようになったならば、
そこで高学歴となるような人間は紛れもなく、天下万人への利他の能力にかけて人並み以上で
あるわけだから、そんな相手を世間の誰一人として敵対的な感情と共に査定するわけにはいかない。
だからそこでコンプレックスなどを抱くのは不正となり、ただ真摯な敬意のみを向けるべきだ、となる。
(ただし儒学の儒教化などによって、そこでの勉学が形骸化してしまっている場合を除く)
人々が自分よりも優れた素養の持ち主を真摯に尊び、なるべくなら自らもあやかり、無理ならば
その相手への懇ろな敬服や随順も心掛けて行けないよりかは行けるほうが、人として健全な姿でもある。
しかし、そのような上下関係を重んじる序列意識が、仁慈に欠ける非道な弱肉強食主義下での
優劣などに落とし込まれれば、そこでこそコンプレックス級の劣情もまた蔓延してしまうし、
ただそれだけでなく、その優劣意識こそが世の中の荒廃を凝り固める補強材料ともなってしまう。
学歴批判的な話をしてれば、おおむね「学歴コンプレックス乙」的な揶揄が加えられること自体、
今の世の中で通用している学歴もまたそのような性質を帯びてしまっている証拠だといえる。
仮に、儒学や仏学のような正学で社会共通の学歴が形成されるようになったならば、
そこで高学歴となるような人間は紛れもなく、天下万人への利他の能力にかけて人並み以上で
あるわけだから、そんな相手を世間の誰一人として敵対的な感情と共に査定するわけにはいかない。
だからそこでコンプレックスなどを抱くのは不正となり、ただ真摯な敬意のみを向けるべきだ、となる。
(ただし儒学の儒教化などによって、そこでの勉学が形骸化してしまっている場合を除く)
安倍死アベシの翌年には死ぬしかなかった、体制側のひろゆき。
統一教会なくして我が人生もまたあり得ないというほどにも、
不可分な関係性にあったがための、もはや逃れようもなかった即死。
比較的地味な存在であり続けてはきたけれども、
血筋一本な安倍や麻生などとは違って、ちゃんと東大も出てるし、
「代議士なら東大ぐらい出てるのが当たり前」という、
戦前から昭和中期ごろまでの常識に即した政治家の、最後の生き残りでもある。
(今でも東大卒の政治家はいるが、軒並み官僚の出向止まりでしかない)
それが、政治家としての権威がカルトとの癒着によってのみ保たれるような
時代まで生き延びて、その権威の瓦解と共に死んでしまったのである。
上に書いた日大副学長の場合以上に、自らが拠り所として来た権威ごと
葬られてのショック死という点が、現代社会の権威を刷新してかかる域の革命に、
今の権力者たちが晒された場合の忠実なサンプル例になっているといえる。
まあ要するに、即死なわけである。
孟子「人を殺すを好まざる者のみが天下を平定するに足る」
統一教会なくして我が人生もまたあり得ないというほどにも、
不可分な関係性にあったがための、もはや逃れようもなかった即死。
比較的地味な存在であり続けてはきたけれども、
血筋一本な安倍や麻生などとは違って、ちゃんと東大も出てるし、
「代議士なら東大ぐらい出てるのが当たり前」という、
戦前から昭和中期ごろまでの常識に即した政治家の、最後の生き残りでもある。
(今でも東大卒の政治家はいるが、軒並み官僚の出向止まりでしかない)
それが、政治家としての権威がカルトとの癒着によってのみ保たれるような
時代まで生き延びて、その権威の瓦解と共に死んでしまったのである。
上に書いた日大副学長の場合以上に、自らが拠り所として来た権威ごと
葬られてのショック死という点が、現代社会の権威を刷新してかかる域の革命に、
今の権力者たちが晒された場合の忠実なサンプル例になっているといえる。
まあ要するに、即死なわけである。
孟子「人を殺すを好まざる者のみが天下を平定するに足る」
この前の旧統一教会の、100億円供託金についての会見。
初っ端から頭を下げての謝罪で始めておきながら、
「自分たちは何も悪くない」の一点張りという、まるで理詰めの論戦で追い込まれた
ヒスBBAが「はいはい私が悪うございました」と開き直るのにも似た、癲狂加減。
何も悪くないと思っているのに謝るというのは、考えと行いの統合が明確に失調している状態。
これを以て統合失調症だと断定できるとまでは言わないし、不正医療行為の容疑を避けるためにも
今ここで統失だなどと断言したりもしないが、このような人間の有様こそは統合失調症、
精神分裂病であるなどと断定することで、その責任能力をも認めないべきだろう。
統一自民の政治家にも似たような平謝りをして来た連中が相当数いるし、
自民と昵懇な仲で来た官僚や財界人の中にも、経済を活性化させる目的を謳いながら、
余計に経済を冷え込ませるような政策ばかりを後押しするような、考えと行いの統失者が多い。
それら全て、支持するか否かなんていう民主制度下の尺度で生き延びられたり、
地位を追われたりすべき存在でもない。そもそもが責任能力も問えない域の病人で
あることが明白なために、未成年や痴呆老人などとも同様、国家権力はおろか、
人並みの行為能力の掌握すら許されてはならない人種なのだと断じるべきもの。
初っ端から頭を下げての謝罪で始めておきながら、
「自分たちは何も悪くない」の一点張りという、まるで理詰めの論戦で追い込まれた
ヒスBBAが「はいはい私が悪うございました」と開き直るのにも似た、癲狂加減。
何も悪くないと思っているのに謝るというのは、考えと行いの統合が明確に失調している状態。
これを以て統合失調症だと断定できるとまでは言わないし、不正医療行為の容疑を避けるためにも
今ここで統失だなどと断言したりもしないが、このような人間の有様こそは統合失調症、
精神分裂病であるなどと断定することで、その責任能力をも認めないべきだろう。
統一自民の政治家にも似たような平謝りをして来た連中が相当数いるし、
自民と昵懇な仲で来た官僚や財界人の中にも、経済を活性化させる目的を謳いながら、
余計に経済を冷え込ませるような政策ばかりを後押しするような、考えと行いの統失者が多い。
それら全て、支持するか否かなんていう民主制度下の尺度で生き延びられたり、
地位を追われたりすべき存在でもない。そもそもが責任能力も問えない域の病人で
あることが明白なために、未成年や痴呆老人などとも同様、国家権力はおろか、
人並みの行為能力の掌握すら許されてはならない人種なのだと断じるべきもの。
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スレッドタイトル:殊勝なる益荒男は現実を楽しみ抜く