最近の高度教育化された社会では、遺伝的能力の個人差が教育によって増幅され、
互恵性を発揮するよりは格差と不平等の原因として機能してしまっています。
出身校を名乗るのを恥じる大人がたくさんおり、高い学歴を持つことは自分自身の手柄、
努力のたまものとして、自分だけがその恩恵に浴する資格があると考えるのが当然と
思われています。
しかし本来、互恵的利他性によって営まれる教育による学習から得た恩恵は、
それ自体互恵的に、他者のために用いることによって自らに利するように機能させるのが
自然なのではないでしょうか。
このことを的確に指摘したのがジョン・ロールズです。
彼はその『正義論』(ロールズ, 2010)の中で次のように言っています。
「生まれつき恵まれた立場におかれた人びとは誰であれ、運悪く力負けした人々の状況を
改善するという条件においてのみ、自分たちの幸運から利益を得ることが許される。
有利な立場に生まれ落ちた人びとは、たんに生来の才能がより優れていたというだけで、
利益を得ることがあってはならない。
利益を得ることができるのは、自分たちの訓練・教育にかかる費用を支払うためだけであり、
またより不運な人びとを分け隔てなく支援する形で自分の賦存を使用するためだけである」
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