もう長年、俺と話し続けて来た連中の中にも、
中卒無職を自称する俺に対して、今の世の中の価値観に即した
コンプレックスを抱くことを強要して来るような輩がまだいるわけだが。
そのコンプレックスはむしろ、他者への十分な敬意を欠いているが故に抱いてしまうもの。
日本を含む世界中が、宗教的といわず思想哲学的といわず大衆文化的といわず、
欧米の価値観を押し付けられた結果、強烈な侮蔑意識までもが共に植え付けられて、
誰しもが、敬意なんてものはそれなりの条件を満たした特別な相手にしか決して
抱かないというほどの頑迷さを、知らず知らずのうちから帯びてしまっている。
にもかかわらず、自分自身がその敬意対象に入らないとした場合に、
自業自得で強烈なコンプレックスによる苦悩を抱かされるようなことになる。
敬虔なキリスト教徒は、イエスへの敬愛に即した修辞を他者にも振り向けようとするが、
キリスト信仰の根本にはむしろ、妾腹の私生児の痴態を神の子として崇め立てることを
通じて、誰に対しても本物の敬意などは抱くまいとする思い上がりこそが偏在していて、
そのキリスト教徒から修辞の化けの皮を剝ぎ取った所にある実存主義も、自然と侮蔑志向になった。
それもまた人間にとっての常なる姿ではないし、どちらかといえば不健全な有り様。
他者への真の敬服を半ば禁止されているその精神状態こそは、人間にとってもっとも
不幸な部類でもあることだし、洋学の権威の全否定によってでも卒業してかかるべきものだ。
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