いくら大谷やその他のスター選手が、「みんなのために頑張る」的な
仁義めいた志しを抱こうとも、野球のようなスポーツ興行自体があくまで、
ごく一部の成功者への尊崇と引き換えに大多数の人々への侮蔑意識を募らせる、
世間一般大衆の卑屈さを助長する目的で存在していることには変わりない。
スポーツ発祥の地である西洋からして、キリスト教のようなカルト信仰によってまで、
人々の侮蔑意識を際限なく増長させることを好き好んで来たような悪趣味な地域だし、
別に今の日本のマスコミだけがそれを企てているのではなく、スポーツという枠組み全般が
さような卑屈さを増長させることによる愚民化を目的としているものである。
子供がやるようなお遊戯を大の大人が躍起になって競い合うその姿は、
本質的にシュールで侮蔑意識を誘うものであるのにも関わらず、そこでの突出者だけを
持て囃し、「それと比べてあいつと来たら」のような差別意識までをも募らせようものならば、
その時点で自動的に、世の中の大多数の人間を尊重することもできない下衆の出来上がりとなる。
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