https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1700858297/2... >畏敬の対象が、キリストやデカンショやニュートンアインシュタインで天井打ちなんていう
>常識下では、どうあっても人々の敬意の総量が侮蔑の総量を上回ることなどあり得ない。
スポーツの成功者などもまた、これと同レベルの人材でしかあり得ないように宿命づけられている。
いわば、心中の敬意が侮蔑未満である人種にとってのリスペクト対象であるのみ。
敬意の総量が侮蔑以上であるためには、そういう相手とは全く別個の相手を尊ぶのでなければならない。
本当に自分たちを実利面からの福徳へと導いてくれる聖賢なり、その思想信条なり尊格なりを尊び、
なおかつ人類の大多数をも尊重対象として受け止められるぐらいの度量を持ち合わせていること。
ハゲだろうがチビだろうがデブだろうが、その内に入るのであれば尊べるぐらいに心を広く持ち、
ほとんど誰しも、万物を尊べるぐらいに大きな敬意で心中が満たされながら、どうしてもその対象と
するわけにはいかないような段階にある未熟者を、暫定的に蔑むようなことがあるのみに止めて行く。
侮蔑が本位で敬意はついでという悪念まみれの状態から、その逆へと心持ちを転換させる。
そこで初めて人間たるもの、生まれ来てよかったと思えるほどの満足感で心が満たされるし、
この世をより大きな福徳へと導く聖賢の末席以上の人物へと、自らまでもが昇格するのである。
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