このたとえで理解すれば、私たちが強迫的な行動をとってしまうことも説明がつきます。
そして、その思っていることと実際の行動のズレについて、自分を責めたりせずに、
もっと優しく自分を扱うこともできるようになるでしょう。
そして、脚本に従わされているということを、演じている途中で見破ることも出来るかもしれません。
しかし、なぜ自分が脚本で動いているのか?それはわからないままです。
つまり、自分がなぜ突然そう思うようになったのか?なぜ急に感情が変化したのか?
なぜ急にそうしたくなったのか?などはわからずじまいです。
それでも、現実がそのようになっていると悟ったなら、たとえ自由意志を行使できずとも、
私たちはもっと自分の生き方に自由や平和を取り戻せるでしょう。
つまり、起こってくる現実をありのままに受け入れるというやり方で、現実と仲良く共存するのです。
あなたがいくら「私はありのままを受け入れる」と唱えていても、どこかで自分の自由意志をまだ信じているなら、
どこかで「これは私の自由意志ではない。だから現実の方が間違っている」と考えることになるでしょう。
固定化した何らかの説明を持たずにいられないと感じるときも、あえて混沌とした状態のままを、
そのまま受け入れようとする時、虚心でいられるのです。
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