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昨日、養老孟司がブータンに寄付で建てた寺に訪問する番組をやってたが。
86歳の東大名誉教授が、洋学界隈の精神性の低劣さを嘆きながら、
遠い異国の寺で三跪九叩頭ばりな五体投地での平伏という有様は、
いま本人にできる最大級の懺悔(さんげ)なのだろうとは思うが。
それを、廃仏毀釈の禍根著しいままなこの日本からの高飛びの上、
今現在も仏教大弾圧状態な中韓の向こう側の国でしかできないあたりが、
仏教に対して右手で殴りつけながら左手で握手をかわそうとしているような状態にある、
洋学の大権威としての当人にとっての限界なあたりが、悲哀なところである。
もう年だからそこまで厳しい修行まで強いることもできないにしろ、
頭を丸めて正式に得度でもすれば、まだその清算も務まろうが、
そしたら今度は、洋学の権威としての立場を疑われることとなるだろうから、
そこまでやるわけにもいかない。年のわりにどフサなその髪の毛こそが、
仏道と洋学の致命的な相容れなさの象徴ともなっている。
真宗なら、長髪半俗のままでの出家も可能だが、代わりに「程度が低い仏者」としての
身の程をわきまえねばならないし、そのせいで洋学者が仏道の後塵を拝する意味合いを
帯びてしまうために、洋学が最高権威の学問扱いである現状ではそれも務まらない。
結果、やはり異国への高飛びの上での帰依ぐらいしか務まらない。
洋学に権威としての無駄なプライドなんかが付帯しているが故のジレンマなのである。
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