念仏のカルト性の有無について、一家言述べておけばーー
俺も家が神道で、代々先祖を直接的な祭祀対象として来たものだから、
いちいち先祖と自分たちの間に阿弥陀様などを差し挟ませたりする、
仏教系の葬祭、法事などにある種の違和感を抱かされてたことがある。
ただ、あれにはやっぱり、それなりの意味がある。
煩悩愚悪の凡夫、狂女の類いが形成しているような格の低い家では、
家族同士がお互いにいがみ合って憎み嫌い合うようなこともしばしばある。
それでも、いざその相手が「死ねば仏」、嫌だったことはみんな水に流して、
心の底からの先祖供養を続けて行けるようにするために、南無阿弥陀仏でも
南無釈迦牟尼仏でも南無妙法蓮華経でも、一枚かませておくことが有益に働く。
もちろん、愚か者で占められた家だけでなく、聖賢の血を繋ぐ家などだろうとも、
用心としてそのような他力本願系の信仰をかませておくことが無意味とはならない。
だから徳川家なども代々、浄土宗の増上寺を菩提寺にして来たりしたのである。
返信する