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>>121の続き)
今は、憲法にも明記されている結社の自由によって経営者組合や政商団体もまた
その存在を認められているものだし、信教の自由もまたオウムなみのテロ行為
にでも及ばない限りは。どんなにカルトじみていても認められているものである。
近ごろの経団連並みに無能丸出しな妄言で政府に圧力をかけたり、
統一教会並みに非道な狂信で家庭崩壊や自殺を多発させたりしていようとも、
憲法で保障されているような自由主義に則って保護されて来たものであるために、
どんなに人々から忌み嫌われようとも、その現存性に一定の理があるものである。
(ゆえに統一教会も自分たちへの摘発を「憲政史上の汚点」などと指摘していた)
それもまた、どんなに悪法頼みといえども、法の下での秩序の一つであったのには
違いないのだし、その駆逐もあくまで厳正な法的手段に則るべきものである。
政商やカルト教団までをも寛容するような自由主義などは、あまりにも弊害が
大きすぎるために、憲法の改廃などと共に、そこに歯止めをかけて行くべきもの。
どうせ自由主義社会といえども法治は厳格たり得ねばならず、それに基づく反社会的
行為への取り締まりもまた試みられるのだから、その延長としてそれも講じられる。
それはもはや、現状の自由主義の条件を満たさない扱いをも受けるかもしれないが、
かといって自由を全否定するのでもなく、むしろそこにおいて物質的な自由主義
などよりも上質で本質的な自由の獲得こそを実現して行くものとするのである。
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