ただ寝るという行為もまた、シャヴァーサナとか寝禅とかいった形で、
一応は求道行為のうちに数えられることがあるものだけれども、それがまた
「最も簡単だとも、最も難しいともいえる」(ハタヨガの真髄)ともいわれる。
「睡眠の質」なんてものもまた、近年ではわりと重視されているけれども、
特に加齢後にいくら寝ても疲れが取れないなんていう事態に見舞われる
不摂生者が非常に多いのを鑑みるに、十全に疲れを解消できるだけの睡眠を
保ち続けるという所まで行けば、最高難易度の所業であるとも思われるものである。
さらにひどい場合には、睡眠で十分に疲労回復できているわけでもないのに、
そういう睡眠が面白くもない、苦痛であるにかこつけて、寝ることを疎かにし始め、
ショートスリープや極端な早起きが習慣化して、そんな自分を偉いように思い込む。
老い先短くもなれば、寝て余生を過ごすのが勿体ないとなって、さらにその傾向が
増して行く、そういうのはちっとも求道者としての上達に近似するものですらない、
未熟者が年だけ食ってしまったせいでの醜態でしかないというほかない。
>>306に書いたような体の対称性が崩れているせいで睡眠の質が下がるということも
もちろんあるし、その解消のためにはやはり絶大な知恵の深化やその実践を要する。
さような取り組みを重ね抜いた先にのみ会得される、もうそのまま死んでもいい
と思えるほど完璧な睡眠こそは、人間にとっての最終奥義であるとすらいえよう。
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