極限のなかの人間


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001 2024/12/17(火) 12:57:05 ID:1rg6DkmgyI
ガリの転進ごろから、人間は狂いだした。時間にして言えば、上陸後一年を経過したころである。異常な神経が支配してきた軍で刊行されたパンフレット、『熱地帯の栞』というのが手渡されていた。その中に、「温帯に生存するわれわれは、この熱地に一年も住めば相当優秀な頭脳も破壊される」とあった。学的にどこまで信をおけるものかは知らないが、われわれは漠然と一年くらいで還されるだろうという、そこはかとない期待があった。「相当優秀な頭脳」が、一年でばかになるとすれば、三年もおれば「超」の字もつこうというものである。常夏の国の気候・風土が、人間の脳におよぼす直接の影響については、そう自覚されるものではなかったが、飢餓と栄養失調は、記憶力を奪い、思考力を弱めた。さらに激しい熱病が脳を蝕んだ。正常な神経も、これだけは免れえなかった。

連日連夜の砲爆撃は、いやおうなしに脳の組織をゆさぶった。条件は、異常な神経をつくるのに十分過ぎた。生きたとかげやいなごを、そのまま口に入れるのも、豚の肉を生のまま噛りつくのも、食欲からくる異常さである。そんなことが、平然とできるようになってしまったものを、正常な神経でもってははかりえない部分があったのだ。そこに、「人間」のぎりぎりの闘いがあった人間として生きようとする願いと、生きようとする動物的本能との熾烈な闘いがあったのだ。自然と人為との、途方もないローラーに押しひしがれたものの、惨憺たる闘いである。

ガリの転進を、おそらく史上稀にみる凄惨な行軍だったといったが、ここで恐ろしい事実を見たのである。

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