あとは食文化の成熟度な
ディするとかじゃなく事実として江戸時代の中期までは関西圏以外の地域は
「醤油」はまだ無く「醤(ひしお:味噌を作る過程の絞汁)」と塩が主な調味料だった、
江戸時代の後期になってようやく江戸にも醤油が潤沢に流通するようになり
その理由は、それまでは上方から船で回送していた醤油を関東でも生産するようになったから。
「仁」に登場するヤマサ醤油が上方から関東に出て醤油の醸造所を千葉に置いてから本格的に流通し始めた。
以降、関東における醤油つくりは上方系の企業によって支えられた。
醤油だけでなく「みりん」も関東は極端に流通量が少なく一般的ではなかった。
江戸の後期になって、これまた関東では極端に流通量が少なった砂糖の代用として
ウナギの蒲焼のタレなどに用いられて徐々に流通し始めた。
と、今我々が思う以上に関西圏と、それ以外の地域で食文化の成熟度がまるで違っていた。
件の「うどん」に限らず食生活全般で「なぜ?関西の食文化は塩分濃度が低いのか?」の考察の
一助になると思う。
もちろん東北などに代表される気候風土や保存食文化なども関係するが。
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