そりゃ考えてごらんよ
上方も江戸もうどんも無関係だが例えば「千切りキャベツ」があって
ドレッシングも酢も何も無ければ塩を掛けて食べるしかないだろ?
上方は「天下の台所」といわれて時代時代の日本にある産品のほとんどすべてが揃った。
ところが当時の流通と言えば、主な街道には意図的に険しい峠が設けられ、極めつけは
「川渡し」にみるように主な河川には橋がなかったから人が担いで馬に乗せて・・流通量なんてしれてる。
広域関西圏には徳島の和三盆など「甘味料(砂糖)」の産地もあり末端の庶民には高根の花だったが
市場に行けば売ってるし存在は知ってるし大切場行事には奮発した。
他方、江戸の人は「砂糖」など見た事もないような人が殆ど。
酒にしても伊丹の鴻池本店が先駆けて「清酒」を商業ベースに乗せ灘五郷に広がり上方の「下り酒」と
持て囃された頃、江戸にはまだ濁り酒しかなかった。この状態が慶應年間、つまり江戸期を通して続く。
北前船や菱垣廻船で流通していた沿岸部はまだマシで東北などの内陸部の食生活は悲惨だった。
それでも徳川家康の頃、関東も中部も焼き物には味噌をつけて食べる、煮物という概念はなく
ゆでた野菜に塩や味噌をつけて食べるという時代に豊臣政権下の大阪では庶民レベルで出汁で煮る煮物
や味噌は味噌でも西京味噌で知られる白みそを使った味噌漬けなどが一般化していた記録がある。
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