初秋の太陽がまぶしかった
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001 2025/01/05(日) 12:46:13 ID:/vxiANjjHk
部屋の中に、黄、赤、紫色の花模様の布団が敷いてあった。朝センの女性だ、と聞いてきたのに、日本風の部屋の飾り付けであった。
若い女性が、スカートにセーターを着て部屋の隅に座っていた。昭和十九年九月、午後二時。チチハルの街は、初秋の太陽がまぶしかった。
Y(一九)が、チチハル街のどまん中にある従軍慰安婦の宿に、“昼中登楼”したのは理由があった。午後五時以降になると、この宿はチチハル市ほか郊外に駐屯している日本軍(関東軍)の下士官、将校たちでいっぱいになる、と聞いたからだ。
「こんにちは」
Yは日本語で、その女性に挨拶をした。
「いらっしゃい」
無愛想だが、日本語が返ってきた。当時、韓国とは言わず、南北共に朝センと呼び、人々も朝セン人と呼んでいた。朝セン人特有のなまりはほとんどない。東北なまりのYよりもきれいな日本語だった。
「あなたは朝センの人。どうしてこんなところで働いているの」
Yはその女があまりにも若く、娼婦とはとても思えない感じがして、そんな言葉をかけた。
「分っているくせに。どうしてそんなこと聞くの」
「いや、オレはなにも知らない。志願兵で合格。一週間後には兵隊に行く。老黒山というソ満国境の部隊だ。生きて帰れるとは思えない。この世に生まれてきた『証』に、いや、死出の旅路の思い出に一度位は女性を抱いてみたいと思って・・・・」
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002 2025/01/05(日) 12:48:48 ID:/vxiANjjHk
「ふん、それじゃ女は初めてなの」
「いや、実は五日前、チチハル市内の日本人女性だけの売春宿?『女郎屋』というのかな、そこで九州の女性と・・・」
「では今日は二回目?」
「はい」
「ふん、珍しいお客さんだね」
突然、彼女が振り向いた。女学生のように幼いが、美しい顔立ちである。「美人というのはこういう顔の女か」--。人生で最も感受性の強い青春なのに、Yは若い女性を、この七年間、まともに顔も姿も見たことがなかった。
満州開拓青少年義勇隊員として、昭和十四年六月、牡丹江省(当時)寧安県の寧安義勇隊訓練所に入所した。満十四歳の初夏である。満州娘を一目見たくて、近くの満州人(中国人)の村を訪ねたことはある。が、村の娘はもちろん、中年の女性やおばあさんまで、彼らは日本人を見ると強姦を恐れ、かくれて出て来なかった。
三年間の訓練期間を終え、チチハル市郊外約八十キロ余の大平原、五裸樹屯に入植した。その時、Yは設営班として龍江省(当時)寧年駅前の中国人旅館に事務所を構え、開拓団建設準備に当った。
旅館主の李ジャングイ(親分)に王屯長(村長)の娘三人を紹介されたことがある。Yが十七歳。恥ずかしくて、まともに娘さんの顔を見る勇気がなかった。兵隊から生きて除隊できたら、屯長の娘さんと結婚して農場を継ぐ話もあった。
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003 2025/01/05(日) 12:51:05 ID:/vxiANjjHk
あれから二年、Yは十九歳。志願兵で入隊する。「明日をも知れぬ命」という追い詰められた環境にあった。勇気をふるい起して従軍慰安婦を買いに来たのである。
女性を抱く?二度目ではあるが、心臓が高鳴った。
「どうしたの。早く布団に入りなよ」
美しい顔に似合わず、言葉遣いは荒っぽかった。
「まだ若いのね。いくつ」
「はい、十九歳です」
「十九歳で兵隊に行くの」
「はい、志願兵ですから」
「軍隊に入ったら戦争するんでしょう。死ぬことだってあるよね。若いのにどうして志願までして兵隊さんになるの」
「日本が敗けたら困るでしょう。オレたち若者が第一線で戦わなければ」
「立派な心掛けね。悪いけど日本という国は朝セン人も戦争にまき込んで、ずるいと思うわよ。お前たちも日本人だ。天皇陛下の命令だ、一身を捧げて働け、などと言って。それでいて朝セン人、朝セン人とパカにする。天皇陛下が同じで、朝セン人も日本人だというなら日本人と同じに扱ってくれたらいいのに・・・・・」
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004 2025/01/05(日) 22:13:20 ID:rW1GYlDmiA
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