大谷翔平は白人顔じゃね?
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001 2025/09/29(月) 21:28:12 ID:X7RyZFLL7c
002 2025/09/29(月) 21:45:34 ID:82qqIXaQUQ
あの体格であの顔の小ささはアジア人にはありえない
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003 2025/09/29(月) 21:47:19 ID:X7RyZFLL7c
004 2025/09/29(月) 22:07:20 ID:bYeIp./Mzo
我らヤマト民族の誇りを卑怯者人種と一緒にするな
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005 2025/09/29(月) 23:52:30 ID:LV7mDrFPPI
昭和の背の高いのは
ドンくさいのばっかりだったよな
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006 2025/09/30(火) 00:13:52 ID:U4QHsCtPHU
008 2025/09/30(火) 05:18:13 ID:Tzxz8FlHTk
お隣の国が 起源説が好きだから 在日説を立てるんじゃないか
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009 2025/09/30(火) 08:24:29 ID:xe6PgU0bfY
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明治34(1901)年、北海道・小樽に近い神恵内という小さな街で銭湯を営む両親のもとに生まれた大鵬の母・キヨは、洋裁の教師を経て樺太(現サハリン)の港町・敷香の洋服店に住み込みで働いていた。ある日、来店した2メートル近い長身のウクライナ人に見初められる。流暢な日本語を話し、6カ国語を操るほど語学に堪能な17歳年上の紳士――それが大鵬の父となるボリシコ・マリキャンだった。
当時42歳、ロシア帝国時代から続く貴族の出身で、古来“最強の兵力”といわれた「コサック騎兵」のひとりでもあったという。革命や動乱を繰り返すロシアから、共産主義を嫌って樺太に亡命したボリシコは、大正15(1926)年にキヨと結婚し、敷香郊外で牧場を経営する。夫婦は身を粉にして働き、その規模はだんだんと大きくなり、いつしかボリシコは樺太で屈指の名士となっていった。昭和18(1943)年、第二次世界大戦終戦の2年前のこと。父は集団帰国命令に逆らえずに祖国に戻り、以来、妻子とは生き別れのままとなる。
2000年、大統領となったウラジーミル・プーチンが来日した際、迎賓館で開催された晩餐会に大鵬が招待されたことがある。わずかな時間ながら、握手をして話す機会があった。そのときの様子を、大鵬の著書『巨人、大鵬、卵焼き――私の履歴書』より抜粋する。《「私にもロシアの血が入っていますよ」と話しかけると、柔道など格闘技好きの大統領は、私のこともよく知っているようで「それだから、日本で最高の力士になれたんですね」と言う。私は、「ええ、その父に誇りを持っています」》
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/03160602/?all=...
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